2008-07-24
子供をオタクにしないためのマンガ10冊
いくら子供をオタクにしたくないからといって、マンガそのものを読ませないというのは逆効果だと思うんですよね。かえって良くない。何ごともそうですけれど、ものごとには良い面と悪い面の両方があるわけで、そういうふうに一刀両断で何かを断罪してしまうのは、思考停止を引き起こしかねない。それは、子供をかえってバカにしてしまう。それに、これは誰にも経験があると思うのですが、親に禁止されたものって、かえって読んでみたくなるんですよね。かえって興味を抱いてしまう。だから、その意味からも、子供にマンガそのものを読ませないというのは、やっぱり良くないと思うのです。
大切なのは、「本当に素晴らしいものは何か」「本当に面白いのものは何か」ということを、しっかりと伝えていくことだと思うんです。しっかりと教える。それも、できれば小さなうちから。そうすれば、大人になってからかかるハシカのように、変に趣味をこじらせたり、それを引きずるということもなくなる。つまり、オタクになることを防げると思うんです。
そして、それを伝えるには、実はマンガが最適ではないかと思ってるんです。なぜかというと、オタク文化の総本山的なマンガというものの中にも、実は非オタク的な、本当に素晴らしい、面白い作品があるのだということを最初に教えてあげれば、以降は、それ以外のオタク的な、表層をなぞっただけの、まがいもののガラクタ作品に対しては、もう素晴らしさや面白さを感じないようになると思うからです。きっともう、そういう軟弱なものでは満足できなくなる。そうして、結果的に子供のオタク化というものを防ぐことができると思うのです。
幸い、マンガというのはこれまで非常に豊饒な歴史を築いてきましたから、その中には、本当に素晴らしい作品、本当に面白い作品というのがいくつかあります。それらの作品は、単にマンガというものの素晴らしさ、面白さを伝えるのみならず、もっと広い意味での、表現や芸術、あるいは人間社会や宇宙そのものの素晴らしさや面白さをも伝えてくれます。それらの作品を読むことによって、子供たちはきっと、そこから本当の素晴らしさとは何か、本当の面白さとは何かということを学び取ってくれるはずです。そうすれば、子供のオタク化というのは必ずや防げると思うのです。
今日は、そんな子供のオタク化を防ぐ、10冊のマンガをご紹介したいと思います。
火の鳥 鳳凰編
この作品には、生と死への深い洞察があります。特に、読む者に「死」というものを強烈に印象づけます。そこには、生ぬるい自己欺瞞や自己正当化の入り込む余地はありません。それでいて、作品自体が面白いので、ついつい引き込まれて最後まで読んでしまいます。これを読めば、短い人生、オタクになどなっているヒマはない――と自覚できるはずです。
がんばれ元気
この作品はすごいです。この作品はおそらく漫画史上最高の作品の一つです。マンガという表現形態がなしえた、一つの到達点を見ることができます。中でもすごいのが、構成の妙です。このマンガは、5年にわたる長期連載だったにも関わらず、その構成に破綻したところがないんです。第1話で張られた伏線が、最後の最後で回収されている。これは週刊連載という発表形式を考えると一つの奇跡だとも言えます。そういう奇跡を味わうことによって、オタク文化よりもっとすごいものがこの世にはあるのだということを、読む者に知らしめてくれるのです。
AKIRA
これも、「がんばれ元気」とはまた別の意味で漫画史上最高の作品の一つです。この作品の最もすぐれていることの一つが、そこに登場する都市の造形です。なぜたった一人の人間が、たかだか数週間でこれほどの都市をデザインし、なおかつそれを絵として描き起こすことができたのか。それは想像を絶する人間の営為です。ローマ水道に近いものを感じますね。そういう、マンガというものを超越した、本当に素晴らしいもの、本当に面白いものを、この作品は味わわせてくれます。
自虐の詩
ここには、人間の表現することのリビドーが活写されています。このマンガの面白いところは、最初は周到に用意された記号化された形式に則って展開されていた物語が、途中からどんどん破綻していって、最後は原形をとどめないぐらいに変化、変容していったところです。そこには作者の表現することに対する原初的なリビドーの暴発を感じます。これを読めば、小さな記号や約束ごとに拘泥したオタク文化が、いかに矮小なものであるのかが実感できます。これを読んだ後には、とてもじゃないですが「萌え」とかはもう恥ずかしくて言ってられなくなります。
舞姫 テレプシコーラ
これこそオタクを撃退するマンガです。オタクが幻影を抱く幼女のイメージというものをことごとく打ち砕いてくれます。オタクを醒めない夢から醒まさせてくれるマンガです。それでいて、面白い。物語の圧倒的な面白さがある。だから、オタクも自らの幻影が撃滅されるのは分かっていながら、途中で読みやめることはできなくなるのです。
まんが道
この作品は、マンガというもののスタートが、ヒマを潰すためだけの、あるいは読者の妄想を満足させるためだけの嗜好品を目指したものではけっしてなく、むしろその逆に、困難な現実の中にあっても、抑えることにできない表現することへの欲望が火を噴いた結果だというのが、よく分かります。表現か死か、それくらの、本当にギリギリのところで描いていたのです。表現するというのは、それくらい激しい欲望なのです。いつ何時、どんな状況にあっても、それを希求してしまう、それを標榜してしまう、それは人間にとっての一つの「業」のようなものなのです。
What's Michael?
このマンガは、萌えとか属性だとかネコミミだとか幼女だとか、そういうまがいものを超越したところにある、この世界の本当の面白さ、本当の魅力、本当の笑いというのを教えてくれます。このマンガで笑った後は、もう見せかけだけの生ぬるいオタクギャグでは一生笑うことができなくなります。
おれは鉄兵
ここには現実世界の魅力というものが余すところなく描かれています。少年の夢というのが丸ごと活写されています。それは強烈な感化力があります。とても強い影響力がある。このマンガを読んだら、もう部屋の中に閉じこもっていることなどできなくなります。もうじっとしていることができなくなり、思わず部屋を飛び出してしまいます。そして冒険を追い求め、思わず家を飛び出してしまいます。ですから、このマンガを読めば、引きこもりの問題もニートの問題も、たちどころに解決します。親離れ子離れの問題も解決し、全ての少年は、その日から魂の冒険者となります。
キャプテン
この作品は、「本当のキャラクターとは何か」ということを教えてくれます。それは記号や属性などといったくだらない分析には収斂されません。この作品のキャラクターたちは矛盾だらけででたらめです。でもその矛盾だらけのでたらめさが、圧倒的な魅力とケレン味とをもって読者の胸に差し迫ります。これにとらえられると、もうくだらない、作り物のキャラクターではけっして満足できなくなります。
あずまんが大王
最後は、オタク文化の本丸のようなこの作品を、あえて選んでみました。目的は、この作品をオタク文化という文脈ではなく、もっと広い視点、広い視野に立ってとらえ直すことにあります。例えば、イリオモテヤマネコのくだりを「火の鳥」のように生と死という哲学的な側面からとらえ直す。「がんばれ元気」のように、ともが大学に受かるシークエンスを精緻な構成として評価する。「AKIRA」のように、物語内に造形された空間(例えばちよの家)に魅了される。「自虐の詩」のように、ちよ父を出さざるを得なかった作者のリビドーを感得する。「舞姫 テレプシコーラ」のように、そこに描かれた木村という教師にこめられた皮肉を、苦い現実としてあえて丸飲みする。「まんが道」のように、このマンガを書かざるを得なかった作者の業を思う。「What's Michael?」のように、大阪を心の底から笑う。「おれは鉄兵」のように、このマンガをあえて捨て街へ出る。「キャプテン」のように、全てのキャラクターを記号ではなく、でたらめで矛盾した存在として評価する。そんなふうに、このマンガを非オタク的な文脈で読むことができれば、もう、子供がオタク化する心配は皆無と言っても過言ではないでしょう。
