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2008-07-26

絶対に遅刻しない女の子がいる

「最近の若者は――」という言説をよく聞く。たいていはネガティブなイメージで語られることの方が多い。曰く、最近の若者はひ弱になった、最近の若者はバカになった、最近の若者は覇気がない、最近の若者はすぐ挫ける、最近の若者は何を考えているのか分からない……

しかしぼくは、若者をそういう目で見たことがない。それは、ぼく自身がとてもだらしない人間なので、たいていの人がぼくより立派に見えるからというのはあるけれど、それを抜きにしたって、逞しく、したたかで、尊敬できる若者というのは多い。若者礼賛というわけではないが、若者の中にもそういう人がちゃんといるということだ。

特に、ぼくの知っている若者には、心の底から尊敬でき、敬服できる人物が何人かいる。そういう人を知っているから、ぼくは、若者というのを一括りに否定することができないのだ。


ぼくの知ってる若者に、絶対に遅刻をしない女の子がいる。どんな時でも、集合時間の10分前には必ず到着している。しかも、どんな時でも身だしなみをきちんと整えている。家を出る1時間前には必ず起き、もろもろの準備を済ませてから家を出る。もちろん女の子だからというのもあるけれども、人前でだらしない顔は絶対に見せない。そこのところには、頑ななまでにこだわっている。

一度、「なんでいつもそんなに早く来てるの?」と尋ねたことがあった。しかし彼女は、「だって、早く着いてないと気持ち悪いじゃないですか」と答えただけで、あとは照れ笑いのような表情を浮かべ、それ以上多くを語ろうとはしなかった。


彼女は皆の尊敬を集める存在だった。誰もが彼女に一目置いていた。それは大人も子供もだ。どんな人間も、彼女と接すると、その極限まで自分を律するストイックな姿勢や、どんな人間にも平等に、しかも偉ぶることなく接する謙虚さに、一目置かないわけにはいかなくなる。

彼女はいつも練習に励んでいた。練習場に来るのはいつも一番乗りだったし、また帰るのも一番後だった。みんなが帰ったその後で、一人黙々と練習していることもあった。

誰もが彼女のことをすごいと思った。だけど、彼女はみんなのお手本になったわけでは必ずしもなかった。なぜなら、彼女はあまりにすごすぎて、「これは真似できない」と誰もが思わせられるからだった。みんな彼女ことを見習えなかった。彼女はそれほどすごかった。

しかしかと言って、彼女がいない方が良いというわけではなかった。彼女はみんなの支えだった。みんな彼女のことを頼りにしていた。いざという時、彼女に助けてもらうことを期待していた。彼女はチームのエースだった。あるいはリレーのアンカーのようなものだった。どんなに苦しい時でも、どんなに窮地に立たされた時でも、彼女がいれば大丈夫、彼女がいれば安心、いざとなったら彼女がいる――みんな、そんなふうに彼女を頼り、そんなふうに彼女を慕っていた。


彼女の素晴らしいところは、そういう立場を躊躇うこともなく引き受けているところだった。普通、皆からそういう目で見られると、それを重荷に感じたり、プレッシャーに感じたりするものだけれど、彼女にはそういうところがちっともなかった。むしろ引き受けた上で堂々としてた。皆からそういうふうに頼られ、慕われても、一向に動じなかった。

彼女は、もともととても独立心の強い子だった。そして自尊心も大きかった。気持ちの大きな子だった。だから、皆からそういうふうに頼られても、舞い上がったり、変に責任を感じたりすることはなかった。平気の平左で、では、頼られるなら頼られましょうという感じだった。自分に責任が回ってくれば、それなら負わせて頂きましょうという感じだった。


かと言って、彼女には皆を引っ張っていくようなところはなかった。困った人を見れば助けたけれど、自分から他人に働きかけるということはまずしなかった。怠けている者を注意したり、やる気を鼓舞したりするようなところは全くなかった。

彼女は、自分はそこまでの人間ではないと考えていた。とても謙虚なのだ。彼女は、自尊心と謙虚さというものを同時に兼ね備えていた。自分に対してはどこまでも厳しいのに、他人に対してはどんな人間にも一目置いていた。そしてどんな人間にも平等に、敬いの気持ちを忘れずに接した。人の悪口を言うようなことは絶対になかった。

ぼくは、そういう人間を見たことがなかったから、初めて彼女のことを知った時には本当に驚いた。そして、そうした自尊心と謙虚さというものを両立できるのだということも、彼女と出会って初めて知った。


彼女は、まだ若くしておそろしく人間ができていたけれど、けっして聖人君子というわけではなかった。一面には強烈なクセがあり、また強烈なこだわりがあって、強烈なプライドも持っていた。

彼女は、自分がやりたくないことは頑としてやらなかった。例え親友からの頼みであっても、できない時にははっきり「ノー」と断った。そんな時、親友から「友だちがいがないなぁ!」と責められても、彼女はただ苦笑いを浮かべ、「ごめんね」と謝るだけであった。


また彼女は、自分がやろうと思ったことができなかったりすると、とても悔しがった。

ある時、彼女はその時取り組んでいたことがなかなか上手くできないことがあった。何度やっても失敗し、その度にやり直すのだけれど、なかなかその泥沼を抜け出すことができないでいた。一緒にやっていた子はちゃんとできていて、もう終わって彼女のことを待っていたのだけれど、彼女だけはいつまで経ってもそれを終わらせることができなかった。そうして、その状態のまま、ずいぶんと長い時間が経過した。

その時だった。ふと、彼女の目から大粒の涙がこぼれ落ちてきた。それは不思議な泣き方だった。声を上げたり、身体を震わすようなことはなかった。ただ涙を流すだけなのだ。それ以外は普通のなのに、目から涙だけが溢れてくるのだ。それでも彼女は、なおもそれを続けようとした。溢れる涙を拭おうともせず、なおもそれに挑戦し続けようとした。

しかしその時は、さすがに周りにいた者が彼女を止めて、後日やり直すことになった。その時の、彼女の情けなさそうな顔は今でも忘れられない。その時の、悔しそうに自責する彼女の表情というものが、今でも脳裏に焼き付いている。


彼女は、そういうふうに一途なところがあったから、必ずしも協調性があるというわけではなかった。いつでも空気を読んで、場の雰囲気をリードするというわけではけっしてなかった。どちらかと言えば空気の読めない方だったし、どちらかと言えば一本気でおっちょこちょいなところがあった。

しかし彼女は、そういうところを覆してあまりある、強烈なやさしさの持ち主であった。そのやさしさは他を圧倒していて、どんな者も敵わなかった。その彼女のやさしさに触れた時、人は、そこに慈愛とか母性といったものの本質を見る思いにとらわれるのだった。そしてぼくも、そんな彼女のやさしさを目の当たりにした時、目の前がチカチカとした、目眩にも似た強烈な衝撃を覚えた。


ある時、彼女の親友が何かがあって泣いている時があった。その時、彼女の取った行動は、ただその親友のそばにいて、頭をやさしくなでてあげることだった。言葉は何一つかけなかった。ただ、その髪をいつまでもいつまでも、親友が泣いてるあいだ中はずっと、やさしくなでてあげていたのだった。

そしてその間、彼女はずっと、その泣いている親友を一心に見つめていたのだった。その大きな目をいつもより大きく見開いて、親友の一挙手一投足、どんな動きをも見逃さないように、まばたき一つしないような一心さで、ただただ見つめ続けていたのだった。


あるいは、また別の時、別の友だちが、自分の気持ちをストレートに表現できずに、ストレスを溜め込んでいる時があった。そんな時、どこでその気配を察したのか、どこからともなくその友人に近寄っていった彼女は、そこで彼女に対して、問わず語りに自分のことを話し始めた。

彼女は、そこでただ自分のことを喋り続けた。彼女にしては珍しく、自分がへこたれそうになった時のことや、挫けそうになった時のことを話した。また、自分の失敗談というものをも話した。彼女はそこで、自らの悔しかった経験や、満たされなかった思いなども、包み隠さず、正直に吐露した。

それを聞いた友だちは、それに対して何かを答えたわけではなかった。ただ黙って聞いるだけだった。しかし聞き終わると、ちょっと表情が違っていた。その話を聞いたことによって、心に奥底に澱のように溜まっていたどろどろとした気持ちが、いくらか洗い流されたようであった。


彼女は強い子であった。そんなふうに、人を助けたり、やさしさをかけてあげることになんの躊躇いも抱かなかった。人からどう思われるかを考えたりはしなかった。そういう時、ただただ自分のうちから溢れ出てくるやさしさというものを、躊躇うことなくかけてあげるのだった。

また彼女は、人にやさしくするだけでなく、人からやさしくされることに対してもなんの躊躇いも抱かなかった。彼女は、たとえどんな相手からであろうと、やさしくされたり、やさしい言葉をかけてもらったりすると、心から嬉しそうな顔をして、ありがとうと言って素直に喜んだ。

彼女は、人から愛されることに対して全く躊躇いがなかった。どんな人物からであろうと、それが愛情であれば、素直に受け取って喜ぶのだった。

またそういう時、彼女は本当に饒舌になった。彼女はものすごいお喋りで、親しい者にはもちろん、そうでない者にも、自分の話を聞いてくれる相手に対しては、喜々としていつまでも喋り続けるのだった。


彼女はけっして社交的なタイプではなかった。人を引っ張っていくリーダーシップがあるわけでもなかったし、みんなをまとめたり、何かを意見したりするようなところは皆無だった。

彼女はむしろ孤独な人間だった。けっして人嫌いというわけではないけれど、一人で行動することになんの躊躇いもなかった。したくないことはしたくないとはっきりと答えたし、その逆に、自分がやりたいことに対しては、例え一人ででも取り組んだ。

彼女は、一人であったり孤独であったりすることを厭わなかった。自らこうと決めたことに対しては、周りの反応を気にせず、それに向かって迷わずに突き進むところがあった。


ところが、そんな彼女が一度だけ、人に対して何かを言う場面をぼくは見たことがあった。

それは突然訪れた。これまでは、けっして誰かに意見をしたり、みんなをリードするようなことは言わなかったのに、その時だけはなぜか突然、誰に求められたわけでもないのに、自らみんなの前に進み出ると、そこで、自分の考えを述べ始めたのである。

周りの人間は、これまで彼女がそういうことを言うのを聞いたことがなかったから、本当にびっくりしてその言葉に耳を傾けた。また彼女がいつだって真剣で真摯で強い思いを抱えていることは知っていたから、その言葉も真剣に、また真摯に受け止めたのだった。


このできごとは、ぼくにとっても大きな衝撃だった。ぼくは、まさか彼女がそういうことを口にするとは想像もしていなかったので、それを目の当たりにした時には、本当に驚かされた。また、それと同時に形容しがたい大きな感動にも襲われた。その時ぼくを襲ったのは、人が変化し成長する時に発する美というものの、そのあまりの美しさに対する感動であった。

その時の彼女は本当に美しかった。これまで、けっして人に何かを言うことをよしとせず、不言実行で、言葉よりは行動で何かを示そうとしてきた彼女が、しかしその時、きっと何かを感じたのであろう、そうした今までの自分というものを一瞬にして、しかも躊躇うことなく脱ぎ捨てて、今この瞬間、新たなる自分というものへと脱皮、飛翔したのであった。

ぼくはそこに、生命というものの無限にも近い可能性と、その圧倒的な美というものを見た。それを見たぼくは、涙が溢れてくるのを抑えることができなかった。泣いているところを見られるわけにはいかなかったので、それを隠すのは本当に大変だったけれども、後から後から溢れ出てくる涙は押しとどめようもなかった。


この瞬間、ぼくの彼女に対する尊敬の念は決定的なものとなった。彼女は、ぼくよりずっと年下だし、また異性でもあったけれど、ぼくは、彼女にはもう絶対に敵わないという思いと、その尊敬の念を、一層強くさせられたのだった。


そういう人間が、若者にはいるのである。そのことだけで、ぼくはもう、若者のことを一括りにして悪く言うことはできないのだ。

記憶に残るオリンピックの名実況

ぼくはオリンピックが好きだ。たいがいなんでも好きなんだけど、オリンピックは本当に大好きだ。ぼくはこれまでオリンピックで何度か本当に心震える感動を味わってきた。歓喜と興奮を味わってきた。絶叫と落涙を経験してきた。


なんでこんなにオリンピックは面白いのだろう。ぼくは生でオリンピックを見たことがないので、それは全部テレビを通しての体験だった。そう考えると、テレビの影響はとても大きいのかも知れない。ぼくはテレビのオリンピック放送が好きだ。それはあらゆるテレビの中でも一番好きかも知れない。ぼくはスポーツ中継、中でもオリンピック中継が一番好きなのだ。


オリンピック中継でなんと言っても面白いのは、試合や選手もそうだけれども、やっぱりアナウンサーと解説者だ。このアナウンサーと解説者の織りなす実況が面白い。これが面白いのだ。このテレビならではの目の前で起こる出来事をライブで伝えるという実況が好きなのだ。実況は面白い。思えばテレビ中継の中でも実況はほとんどスポーツの専売特許だ。そしてスポーツ中継というのは、この実況というものの技を長い歳月をかけて磨いてきたし、練り上げてきた。その魂の結晶のようなものがスパークするのがこのオリンピックという舞台なのだ。四年の一度のスポーツの祭典は、彼ら実況チームにとっても晴れ舞台なのだ。


ぼくには思い出に残るスポーツ中継というのがいくつかある。その中でもまず一番に思い出されるのが鈴木大地金メダル実況だ。

ぼくはこれを何度くり返し見たことか。ビデオに録画して、何度も何度もくり返し見た。おかげで実況の全ての台詞を空で言えるようになったくらいだ。

それはまるで一編の詩の朗読のようでもある。ぼくが好きなくだりはいくつかあるが、中でも「まだ潜っている」「25メーターを越えた越えた越えた」「後半強いのはポリャンスキーだ」「大地追った」「鈴木大地追ってきた鈴木大地追ってきた」「さあタッチはどうだ」などである。実況はNHK島村俊治アナウンサー。水泳にこの人ありと言われたベテランアナウンサーだったが、日本水泳界は長いこと低迷が続いていたので、彼自身、確かこれが初めての日本人の金メダル実況だったはず。だから、その興奮はひとしおで、マイクを通して、それが十全に伝わってくる、とても素晴らしいアナウンスだ。

また解説の東島新次さんも良い。彼は当時の「スイミングマガジン」に連載を持っていたのだけれど、その中で、この実況はあまりの興奮でほとんど喋れなかったということを述懐している。聞いてみるとなるほどその通りで、スタート直後に「鈴木は良いスタートしました」と言った後は、後半に「行った行った行った!」と叫んでいるだけである。でも、だからこそリアリティがある。その喋れなくなるというのも、またライブならではなのだ。四年に一度の晴れ舞台ならでは妙味だ。


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ソウル五輪ではもう一つある。それは柔道の斉藤仁だ。特に、準決勝の、韓国代表、趙容徹との戦いがすごかった。

この試合、自分が負ければ日本柔道史上初めて金メダルゼロになるという瀬戸際に立たされた斉藤と、自国開催で国中の期待を背負った趙の、あまりにも重いプレッシャーを背負った者同士の対決が見物なのだけれど、両者ともその背負うものがあまりにも重すぎるので、死力を尽くしたギリギリの、そしてヘトヘトの戦いになっているのである。

試合は、残り21秒まで互角で来たのだけれど、ここで、結果的に勝敗の行方を決することになった、ある一つのあまりにも印象的なできごとが起こる。それは、この試合、解説者としてテレビの実況席に座っていた山下泰裕が、斉藤に何か合図を送るのだ。それに気付いた斉藤は、何やら頷く。そしてこの直後、最後の気力を振り絞った――振り絞れた斉藤に対し、精根尽き果てた趙がついにたまらず反則を犯し、斉藤の優勢勝ちとなるのである。

この試合、斉藤が趙に勝っていたのは、山下という世界最強のアドバイザーがいたことだ。そして山下は、テレビの実況席に座っていながら試合の行方にも影響を与えた、世界でも唯一の人物と言っても過言ではない。さらに素晴らしいことには、実況を担当していたNHKの山田康夫アナウンサーも、この様子をちゃんと放送の中で伝えているのである! そのシーンは下の動画の6:40辺りに出てくる。


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最後は前回のアテネ五輪でのことなのだけれど、やっぱりこれを外すわけにはいかない永遠の名実況とも言える刈屋富士雄アナウンサーと小西裕之解説者の体操男子団体だ。

これはもうあらゆる誉め言葉を尽くしても尽くし切れない、聞けばその素晴らしさを否が応でも感得できる、世紀の名実況と言える。とにかくこの日の刈屋アナウンサーは切れまくっていた。アナウンサーの中には、その日に起こるであろうさまざまなできごとを想定して自分なりの決め台詞を用意しておく人もいるらしいのだけれど、刈屋アナウンサーもおそらくそのタイプで、この実況のそこここには、そういう用意された決め台詞の数々が散りばめられている。「日本が誇る最高のオールラウンダー」「伸身の新月面が描く放物線は栄光への架け橋だ!」「陽はまた昇りました」など。

しかし本当に素晴らしいのは、そういう用意された決め台詞のあいだにシームレスに指し挟まった、アドリブとしか考えられない名台詞の数々だ。「富田が富田であることを証明すれば、日本は勝ちます」「あまりのすごさにアメリカも苦笑い」「小西さん、どうぞ泣いて下さい」。

特にこの、小西さんのくだりが何度聞いても泣ける。刈屋アナウンサーは、事前の綿密な取材で、日本体操の栄光と没落、そしてそこから再び這い上がろうとして、長い歳月をかけて取り組んできた選手育成というものの物語を完全に共有していた。だから、この場面の小西さんの涙も、とてもよく理解できた。その理解の深さが、こういう慈愛に溢れた言葉となって紡がれた。その瞬間の美しさは、他に類例を見ない。

ちなみにこの小西裕之さんというのはソウル五輪のメンバーで、このソウル五輪でも日本は男子団体で、最後の鞍馬で10点を連発する奇跡的な大逆転で銅メダルを獲得した。それは本当に感動的な試合だった。刈屋アナウンサーはそれももちろん知っていた。そして今目の前で戦っている選手たちが、そのソウルの感動的な試合に感化されてここまで頑張ってきたことも知っていた。そういう物語の点と点が、今この瞬間に結ばれて一本の線になった。そのことの奇跡を感じていたから、刈屋アナウンサーの口調は、実況と言うよりは、その物語を物語る語り部のようになったのである。

それからこれは実況とは関係ないのだけれど、オリンピックが終わった後、富田選手の子供時代のコーチがテレビに出演していたのを見た。そこでコーチは、オリンピックを見ていて一番驚いたのは、富田選手が着地した瞬間、ガッツポーズをしたことだったと言った。長いあいだ指導をしてきた中で、富田選手がガッツポーズをするのを初めて見たというのである。特に、ああいう演技直後のガッツポーズは絶対にしない性格の子だったのだそうだ。その富田選手がガッツポーズをしたことで、コーチには、この瞬間が富田選手にとってどれだけ特別なものだったかというのを初めて知ることができたのだという。コーチは、そのことに心から感動したのだそうだ。

そういう話を聞くと、この富田選手のガッツポーズは、一層味わい深いものとして、また全く違う意味を持ったものとして見えてくる。それは、一人の男子がその一生の中で、一度するかしないかの本当に貴重なガッツポーズなのである。


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