2008-08-23
隠しごとをしない生き方
情報化社会の発達によって、これからの時代は、プライバシーの概念がどんどん希薄にならざるを得ないだろう。どんどん隠しごとのできない世の中になると思う。
そこでだいじなのは、いかに隠しごとをせずに、気持ち良く生きられるかだ。いかに裸で、堂々として生きられるかだ。
これからの時代は、こそこそと隠しごとをしたり、すぐ嘘をついたりする人間にとって、どんどん生きづらい世の中になる。その逆に、真っ直ぐで、透明で、隠しごとをせずに堂々と生きられる人にとって、とても生きやすい世の中になっていく。
人を判断する時には
人を判断する時には、ある一面だけを見て判断してはいけない。
どんな人間にも、良い面と悪い面とがある。
一つ悪い面を見つけたからといって、その人そのものを悪く思ってはいけない。
その逆に、一つ良いところを見つけたからといって、その人そのものを良く思ってもいけない。
人を判断する時には、必ず、そうした良いところも悪いところも両方見た上で、総合的に判断することだ。
なぜ論点は混ぜっ返されたか?
まず初めにこういう記事があった。
この記事の内容は、タイトルそのままに、妻が亡くなったのに悲しく思えない自分自身のことを語っている。自分が「なぜ悲しく思えないのか?」の言い訳のようなものを、淡々とした筆致で綴っている。
そこで筆者は、自分が悲しく思えないことの正当性を、あれこれと主張している。妻とのこれまでの関係や、他の人間との関係などを例に引きながら、自分が悲しく思わないことを、なんとか道理付けようとしている。
これをプロファイルすると、元記事の筆者は、悲しく思えない自分自身に相当な罪悪感を感じていたのだろう。そこに背徳的なおそれを抱いていたのだ。
「妻の死を悲しく思えない自分は、非人間的なのではないか?」
そこには、そういう自問がある。妻の死を悲しく思えない自分自身に、彼は悩まされているのだ。
しかし結論は、はっきりしている。筆者にははっきりと、「自分は悪くないのだ」という思いがある。
だから、それをなんとか自分自身に納得させたい。今感じている罪悪感やおそれを、なんとか取り除きたい。取り除くところまではいかなくても、軽減したい――そう思っている。
そのためには、自分が今思っていることを、誰かに打ち明けたい。誰かに聞いてもらいたい。そしてできることならば、自分の主張を認めてもらいたい。あるいは認められなくても、そこになんらかの解答を得たい。悪いなら悪いと、そう言ってほしい。とにかくもう、今のこのどっちかずな気持ちのままでは収まりがつかない……
しかし彼は、身近な人間にはそれを打ち明けられなかった。なぜなら、それを打ち明けると、自分が非人間的な人物だと思われてしまうおそれがあったからだ。非人間的な人物だとされ、今後の人間関係に支障を来しかねない。それは避けたかった。
そこで彼は、その打ち明ける場所をはてな匿名ダイアリーに求めた。そこでなら、匿名で自分の思いを打ち明けられるから、今後の人間関係に支障を来すこともなく、一石二鳥だ。
そう考えて、彼はこの文を、はてな匿名ダイアリーに投稿したのだ。それはいわば、「懺悔」のようなものだった。彼は、自らの罪を打ち明けるかのように、はてな匿名ダイアリーの読者に向かって、自分の背徳を告白したのだ。
すると、その記事のブックマークページに、こんなコメントがついた。
xevra 増田に書きたい衝動を抑えられないほどに奥様の事を何度も何度も考えてしまうとは余程彼女の事を愛していた証拠。いい結婚生活でしたね。奥様のご冥福をお祈りしています。
これは実に興味深いと思った。このコメントは、実に面白い。
なぜなら、このコメントは、元記事の筆者の神経を逆撫でする、強力な「いやがらせ」となっているからだ。
元記事の筆者がはてな匿名ダイアリーに投稿した一番の理由は、自分の思いを「懺悔」することにあった。自分の背徳を公衆にさらし、心を軽くすることにあった。
その上で、自分の思いに賛同が得られればベストだったが、それとは逆の、反論をもらうのでもかまわなかった。この懺悔に対し、「おまえは非人間的だ」とか「不道徳だ」とか、そういう異論を差し挟まれるのでも全然かまわなかった。
なぜなら、元記事の筆者の心のうちにも「自分は非人間的なのではないか」とか「自分は不道徳なのではないか」という疑問はもともとあったからだ。そして、そういう疑問に対して力強い解答を与えてくれるような説得力のある反論をもらうことができれば、それはそれで、自分の中途半端な気持ちに一つの区切りをつけることができるので良かったのである。
元記事の筆者は、とにかく決着をつけたかったのだ。白黒はっきりさせたかった。どっちつかずな自分の思いに、終止符を打ちたかったのである。
ところが、上のxevra氏のコメントは、そういう元記事の筆者の思いを混ぜっ返すようなものとなっていた。このコメントは、元記事の筆者の論点からはあえてずらした論点を持ち込むことによって、巧妙に、その中途半端な気持ちに決着をつけさせないようにしているのである。いやむしろ、さらに混乱させ、悩ませようとしている。
ぼくが興味深いと思ったのは、なぜxevra氏がそういうコメントを書いたかということだ。そのことをプロファイルしてみる。
xevra氏は、なぜ元記事の筆者を混乱させるような文章を書いたのか?
その理由はただ一つ、「元記事の筆者の思いを混乱させるため」である。
おそらく無意識的なのだろうけれど、xevra氏は、元記事の筆者にとても胡散臭いものを感じ取ったのだ。xevra氏の感じた胡散臭さというのは、「この人は、ただ自分が懺悔をしたいだけで、それに対する議論は求めてないだろう」というものだ。
xevra氏は、元記事の筆者が、ただ自分の思いをぶちまけてすっきりしたいだけということを敏感に察知し、そこに胡散臭さを覚えたのである。そして、それが許せなかったのだ。
ではなぜ胡散臭さを覚えたのか? なぜ許せなかったのか?
それは、xevra氏がはてなを「議論の場」だと思っているからだ。そして、議論を欲しない人の懺悔は、そうした場には相応しくないと強く思っているからだ。
xevra氏は、はてなを議論の場としてとても重んじているのである。そして、そこを体の良い懺悔室に使われてはたまらないと思ったのだ。
だから、あえて論点を混ぜっ返すような別の論点を持ち出して、元記事の筆者の「告白してすっきりしたい」という思いを達成させないよう妨害したのだ。そうしてまた、それを見た他の人に対しても、今後こういう使い方をすることのないようにと、無言の警告を与えたのである。
ではxevra氏は、なぜはてなを議論の場として重んじたのか?
それは、はてなブックマークで議論をするのが楽しいからだ。xevra氏は、はてなブックマークにコメントをつけることで、有益な議論を交わした気持ちになり、引いては自分が有益な人間になったように思えて、とても気持ち良いのだ。
だからxevra氏は、はてなをそういう場にしておきたいのだ。そういう場として維持していきたい。彼にとって気持ちの良い、100文字のコメントを交わし合う「議論の場」として保持していきたいのだ。
その世界に、「懺悔」という使い方を持ち込まれることに、xevra氏は非常な脅威を感じたのだろう。今後こういう使い方が広まれば、自分の好きだった議論の場が脅かされる……と、そう感じたのだ。だから、上記のようないやがらせとも言えるような論点の混ぜっ返しを行うことで、全力でそれを阻止しようとしたのである。
ところで、これに対しy_arim氏がこんなコメントを書いている。
こういうのを無理やりいい話(『ツンのろけ』とかな)と捉えるid:xevraやid:KANIBUCHIみたいなやつが心底嫌いだ。なんでもお前らの側に奪い去ろうとするな。
これはおそらく、xevra氏のそうしたいやがらせを感じ取って、それに対して違和感を覚えての発言だろう。それは、「つまらないことをするな」といったような思いだ。
これに対し、xevra氏はこんなふうに反論している。
↑若くて単純でいいね、愛の反対は無関心。
xevra氏は、やはりここまでも「論点をずらす」という方法で、y_arim氏の指摘を回避しようとしている。
このことから分かるのは、xevra氏にとって「論点をずらす」という議論の方法は、得意技の一つなのだろうということだ。xevra氏はきっと、通常の議論の場においても、こうした手法をよく取っているのだろう。
しかしそれは、はからずも彼の考えている「議論」というものが、実は議論になっていないということを証明してしまっている。論点をずらすことは、議論の手法ではなく、それは単に口喧嘩の勝ち負けを競うためのテクニックだ。負けそうになった時に、それを巧妙に回避するための手管でしかない。
議論を信奉する人間は、えてしてこういう弊害に陥りやすい。議論の勝ち負けにこだわるあまり、その本筋からそれてしまって、テクニックや手管に汲々とするようになる。そのため、本来は有益であったはずの話し合いが、どんどん無意味なものになっていってしまうのだ。
議論に限らず何ごともそうだが、それにこだわり過ぎるとかえって本質を見誤る。議論が好きなのはかまわないが、それにこだわり過ぎると、かえって議論から遠く離れてしまう。
もし話し合いを有益なものにしたいのなら、それをあまり信奉しない方が良い。議論を過信することなく、少し距離を持って、フラットな立場で接することだ。
そうして、もしはてな匿名ダイアリーを懺悔の場にしようとする人がいたとしても、それに目くじらを立てるのではなく、笑って許容するおおらかさが必要だ。そうしないと、上記のコメントのように逆におかしなことになって、はてなブックマークをかえって議論の場から遠ざける結果となってしまうだろう。
