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2008-08-31

世阿弥に学ぶ魅力的なブログの書き方

能役者の世阿弥は、能というものについて、その表現について、色々なことを語っている。

但しその言葉は、単に「能」にだけ当てはまるものではない。能という一ジャンルを超えて、「魅力(世阿弥はそれを『花』と表現した)とは何か?」ということ全般について、広く普遍的にその真理を説いている。

そんな世阿弥の箴言の数々を参考にしながら、ここでは「魅力的なブログを書くにはどうすれば良いか?」ということについて、考えてみる。


目を前に見て、心を後に置け

これは、「目はしっかりと前を向きながらも、意識は頭の後の方に置いておけ」という意味だ。

目の前のことをちゃんと見ながら、その見ている自分自身をさらに後から見る「心の目を持て」ということでもある。つまり、自分自身に対して「色々な見方」ができるようにしておけということだ。

これをブログに置き換えるなら、記事を書く時は、自分の書きたいことを書けば良い。但し、それをどういうふうに受け取られるかについては、いつも意識しておけということだ。賛成意見から反対意見まで、意識をそれを書いた自分の少し後ろに置き、客観的に見られるようにしておく必要がある。


離見の見

これは、「自分を離れたところから見る」と言うことだ。舞台で言うなら、客席から見るような意識で自分を見ろということ。

これをブログに置き換えると、自分の記事を、他人のPCの前で見るように見ろということになる。あるいは、誰かのケータイの小さな画面から見るように見ろということ。そういう「離見の見」を身につければ、ブログはもっと魅力的になる。


眼まなこを見ぬ所を覚えて、左右前後を分明に安見せよ

これは、「目は自分の目を見られないということを知った上で、周囲の状況をしっかりと見極めろ」というようなことを言っている。

人間には、絶対に分かり得ないものというのがある(目が自分の目を絶対に見られないように)。そのことをまず意識して、記事を書く。その上で、「分からない」でよしとするのではなく、物事をしっかり見ようとする姿勢、すなわち真実を見極めようとする姿勢もだいじなのだ。

「知ったかぶりもダメ」なのだけれども、「知らないでいることもダメ」という、これはなかなか矛盾した、難しいことを言っている。けれども、それゆえにまた、この世の真実でもあるのだろう。

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秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず

「花」とは「魅力」と言い換えることができる。芸事は、秘密にすれば魅力的になるけれども、秘密を明かしてしまっては魅力的ではなくなってしまう。

これは、ブログで言うなら、作者の心情や、その記事に秘められたさまざまな内実といったものは、なるべく明かさない方が良いということだ。隠せば隠すほど、そのブログは魅力的になる。

端的に言うと、それを書いた作者のことをべらべら語られても、読んでる方は興醒めしてしまうということだ。例えば、ネガコメを書かれたとしても、それに対するリアクションを書いてしまったのでは面白くない。自分がそれについてどう思っているかということは、極力隠して淡々と書き続けることが、そのブログの魅力を増すことになる。

だから、「オリンピックの閉会式が閉会する前に私が閉会した」とか、「子供を必要以上に叱ったり、妻に辛く当たる自分自身の度量の狭さに耐えられなくなってしまった」とか、「確かに最近、ちょっと殺伐としていると思う」とか、そういうことを書かれると、そのブログの魅力は大いに失せてしまうのである。


稽古は強かれ、情識はなかれ

「情識」とは慢心や奢りといった意味だ。世阿弥は、「稽古は一生懸命やり、けっして慢心したり驕ったりするようなことのないように」と説いている。

ブログにも、これは当てはまる。一記事一記事、けっして慢心したり驕ったりせず、常に全力で書くということがだいじなのだ。


時分の花を、真の花と知る心が、真実の花に、なほ遠ざかる心なり

これは、「一時の流行を時分の実力だと思い込んでしまえば、本当の実力からはますます遠ざかってしまう」というようなことを言っている。

ブログでも、これと同じことが言える。書いた記事がたまたま評判が良くて、多くのブクマアクセスを集めたとしても、それを自分の実力のなせるわざだと思い込んでしまえば、本当の実力からはどんどん遠ざかってしまう。だから、そういうことのないように、常に虚心坦懐にブログを書き続けることがだいじなのだ。

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われより下手をば似すまじきと思ふ情識あらば、その心に繋縛せられて、わが悪きところをも、いかさま知るまじきなり

これは、「自分より下手な人からは見習うところなどないという慢心があると、それに縛られてしまって、自分の悪いところまで見えなくなる」ということを言っている。

どんな人からでも、見習うところはあるのだ。例え自分の嫌いなブログからでも、学ぶべき点はある。人間というのは多面的な生き物だから、その一面だけを見て判断してはいけないのだ。どんな人からでも学ぶべき点というのはあり、そのことを忘れなければ、自分の短所というものにも気づけるようになるだろう。

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初心忘るべからず

「初心」とは、それを始めた頃の気持ちではなく、未熟だった頃の自分の状態である。

ブログで言うなら、「文章を思うように書けなかった時代」のことや、あるいは「まだアクセスがちっともなかった時代」のことだ。そうした時代のことをいつまでも忘れないようにすることで、いつでも新鮮な気持ちで記事を書くことができる。また、そうすれば書く記事も新鮮で、自然と魅力的なものとなってくるはずだ。

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せぬ所が面白き

これは、「能というのは、動きのあるところではなく、実は動きと動きのあいだの止まっているところが面白い」といったような意味だ。あるいは、「なんでも表現しようとするのではなく、かえって表現しようとしないところに、魅力というものは宿る」ということも言っている。

これをブログに置き換えると、記事というとは、書くだけではなく書かないことも、また一つの表現になるということだ。例えば、それまで毎日書き続けてきたのに、丸三日間くらいぱったり書かなくなったりすると、そのことがまた一つの表現になったりする。あるいは、当然触れて然るべきネタだろうと思われているネタに、あえて触れないというのも、これもまた一つの面白い表現となるのだ。

さらには文章にしても、いたずらに長く書くのではなく、時には肝心なところをあえて書かないことが、その記事を魅力的に見せることの一つの方策となる。


このせぬ隙はなにとて面白きぞと見る所、是は、油断なく心をつなぐ性根也。心を捨てずして、用心を持つ内心也

「しないところ」の何が面白いかと言えば、油断なく緊張感を保っている状態なのである。気を抜くのではなく、絶えずアンテナ張っている、その心のありようだ。

これをブログで言うなら、例えば映画の記事を書いたとして、その監督のことをとことんまで考え抜いた末に、あえてそれには触れなかったりするところが面白さとなる。もしその監督についてとことん考え詰めていれば、たとえ書かなくても、行間からそれがにおい立つ、抑えようもなく溢れ出てくる。そういう、におったり溢れ出たりするものが、本当に面白いもの、魅力的なものとなるのである。

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住する所なきを、まず花と知るべし

「住する所」というのは、一箇所にとどまるということだ。だからこの一文は、「とどまらないということが、まず魅力なのだということを知るべき」ということを言っている。

ブログもそうである。常に同じものを書いていたのでは、面白くない。それがどんな方向であるにせよ、変化し続けていなければ、まず魅力的はブログとは言えないのだ。

だから、だいじなのは変化を恐れないことだ。世阿弥はまた、こんなことも言っている。


よき劫の住して、悪き劫になる所を用心すべし

「劫」とは「実績」の意味だ。つまりこれは、「過去の実績にしがみついてそのことばかりくり返していると、それそのものが悪い実績になってしまうから気をつけろ」ということを言っている。

ブログは、絶えず動き続けなければならない。過去の実績というのは振り切って、常に新しいことに挑戦していく勇気と気概が必要だ。内容や、スタイルや文体などについても、過去に縛らることなく、どんどん変化させていくことが肝要なのである。

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