2008-09-01
柳瀬尚紀を読んでからニヤニヤしている国語学者(とその追従者たち)を見るととてもげんなりさせられる
これを読んで、思ったことを書きます。
柳瀬尚紀という人がいるのだけれど、国語学者のあいだではこの人はどういうふうにとらえられているのだろうか? ぼくの知る限り、この人は日本語の語彙に関しては一番豊富だ。また語彙以外の、日本語の歴史や成り立ちなどについても相当に詳しい。
柳瀬尚紀は、ジェイムズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」を翻訳した人だ。そして、この本を翻訳するために、自分の中に膨大な量の日本語を入れた人だ。英語の巨人であったジョイスに対抗するために、ありとあらゆる手段を使って日本語という日本語を自分の中に入れ、その語彙の量でもって(それだけではないけれど)ジョイスに立ち向かった。そういう人だ。
この人は、日本語だけではなく、日本文学のこともよく知っている。夏目漱石も森鴎外も二葉亭四迷も樋口一葉も、もちろん全部読んでいる。その上で、この人は言うのだ。「正しい日本語はある」と。
柳瀬尚紀は「オーセンティック(authentic)」というのをとても気にする。「オーセンティックであるべきだ」とよく言う。そしてオーセンティックでない言葉については、いちゃもんをつける。
この人の有名な「日本語の乱れ」へのいちゃもんに、かつて将棋棋士の羽生善治が七冠を獲得した時のことがある。この時は、マスコミ各社が「七冠」のことをそろって「ななかん」と読んだ。これに対し、柳瀬尚紀は最後まで(そして今でも)「正しいのは『しちかん』だ」と異論を唱えていた。そうしてことあるごとに、これに改めるようマスコミに申し入れていた。
あるいは、最近マイクロソフトが改正して話題になったが、例えば「アダプタ」「エクスプローラ」といったように、外来語の最後の長音表記(「ー」)を省くのはおかしいというのをずっと主張していた。これは、文字数を省略するための方策として編み出された表記方法で、全然正しくないと。オーセンティックではないと。
国語学者は、柳瀬尚紀のこうした主張をどう聞くのだろうか? 彼の訳した「フィネガンズ・ウェイク」を読んだ上でもなお、「最近の日本語は乱れている!」と主張する人を見て、ニヤニヤすることができるのだろうか?
もちろん、そうした国語学者たちがニヤニヤしてしまう気持ちも分からなくはない。例えばぼくは、数年前にマンガ家の弘兼憲史がワイドショーで、「最近の若い子たちの言葉の乱れにはひどいものがある。『全然』の後に『美味しい!』という肯定の言葉を持ってくる」と言っていたのを聞いたことがある。
こういうのを聞くと、確かにニヤニヤさせられるところがある。なぜなら、「全然+否定」という使い方は、大正くらいから定着した使い方で、それ以前には「全然+肯定」という使い方も誤りとはされていなかったからだ。実際、夏目漱石の記述の中にもそれが見受けられるらしい。
だから、日本語というのは確かに変化の激しい言葉であって、何が正しいか(何がオーセンティックか)を見極めるのは難しいというのはよく分かる。しかしそれでもなお、正しい日本語というのはあるのである。ソースは柳瀬尚紀だ。柳瀬尚紀という、日本語について誰よりも詳しい人が、「ななかん」という読み方は正しくないと主張しているのである。あるいは外来語の最後の「ー」を省略するのはおかしいと主張しているのだ。彼のそうした主張はとても重いと思うのだが、国語学者は果たしてそれをどう感じるのだろうか?
ところで、ぼくの個人的な意見としては、日本語の正しさというのは、その成り立ちや使われてきた文脈に加え、「美しさ」というのが大きく関与していると思う。
それは例えば柔道のようなものだ。近年の国際柔道は、どんな格好であれ相手の背中を畳につければ一本という方向に競技の在り方が進んでいる(それは今回のオリンピックでより顕著になった)。けれども、それが「正しい柔道」かというとそうではない。なぜなら美しくないからだ。
国際大会で勝つ柔道と、正しい柔道は違う。どんな格好であれ一本を取れば良いというのは、それはもう柔道ではなく「JUDO」だ。先日放送されていたNHKの番組でも、この「柔道」と「JUDO」の違いが繊細に取り扱われていたが、両者はもう言葉として異なったものになったと言えよう。
そうして、両者を隔てる大きな要素として、「美しいか美しくないか」という価値観がある。これと同じように、言葉にも、それが美しいか美しくないかで、正しいか正しくないかは別れてくるのだ。
結論
日本語(に限らずどんな言語だって)正しい正しくないがある。だから当然「乱れ」もある。それを、生半可な知識を持ち出して「正しい言葉などない」というのはあまりに浅はかだ。要は、「一周回って」いるのである。言語学者たちがニヤニヤしていた人たちの物言いは、一周回って正しいのだ。言葉に乱れは「ある」のである。
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