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2008-09-02

美というもの価値基準

美というものの価値基準は有史以来少しも変遷していない。それは夕やけに対する人々の認識が古来より少しも変遷してないということだ。「秋は、夕暮」というやつである。

もちろんスモッグなどの影響で、夕やけそのものが美しく見えなくなったということも場所によってはあるだろう。けれどもそれは、夕やけそのものの美しさが損なわれたということではない。スモッグによって、美しいものを美しいままに見られなくなったというだけだ。


夕やけの美しさを知る人は、永遠不変の美というとああ夕やけのことかとすぐにピンと来る。彼らにとって美というのはものすごくクリアーな概念だから、それを疑いようもないのだ。

一方美というものの価値基準と言われてもピンと来ない人たちは、ちゃんと夕やけを見たことがない人たちである。彼らは夕やけをというものを知らないか、あるいは知っていてもスモッグのかかった夕やけしか見たことがないかである。だから、永遠不変の美と言われると、スモッグがかかったピントのずれた夕やけしか思い浮かべることができないため、それが確固たる価値基準ではないように思えてしまうのだ。


そういう人たちに美というものの価値基準を分かってもらうためには、やはり夕やけを見てもらうしかない。それもスモッグのかかっていない、真に美しい夕やけをである。

但し、いかにスモッグのかかっていない夕やけを見てもらったとしても、彼らの心の目にスモッグがかかっていたならば、それはやっぱり分かってはもらえないだろう。いかに美しい夕やけであったとしても、心の目にスモッグのかかった人の心にまでは、それはやっぱり届かないからだ。


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