2008-10-10
横井システムの誕生と終焉が宮本システムを作った
かつて任天堂に横井軍平という偉大なプロダクト・クリエイターがいた。
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横井軍平は、言うならば近代任天堂の開祖のような人物だ。三代目社長・山内さんの時代になって、花札を捨て新たなる道を模索していた任天堂が、指針を失い右往左往していた時に、その方向性を決定づけ、後の運命までをも決定づけるような、巨大なヒットを生み出したのが彼だった。
それがゲーム&ウォッチだった。よく「小説家の全ての要素はその処女作に表れる」と言うけれど、その意味で、ゲーム&ウォッチは近代任天堂の処女作に他ならなかった。ファミコンからWiiに至るまで、任天堂のあらゆるプロダクトの特性や哲学は、全てこのゲーム&ウォッチに詰まっているからだ。
ゲーム&ウォッチのヒットの要因
ゲーム&ウォッチは、いくつかの意味で破格のプロダクトだった。だからこそ、空前絶後の大ヒットを記録し、巨大な利益を任天堂にもたらしたのだ。そのヒットの要因は、以下の3つに集約させることができるだろう。
その1「ユーザー・エクスペリエンス」
これは、後のスティーブ・ジョブズの在り方とも通底するのだが、横井軍平には、そのプロダクトの「ユーザー・エクスペリエンス」にとことんこだわるという哲学が初めからあった。それは、ゲーム&ウォッチのプロダクト・デザインに、何より表れている。
そのデザインは、今見ても惚れ惚れさせられる。考え抜かれた画面配置。厳選されたボタン数。直感的な操作が可能なユーザー・インターフェイス。そして洗練されたデザインと、極限まで絞り込まれた文字情報。
凄い。これは本当に凄い。これを書くためにあらためて見てみたが、これは文句なく「MoMAもの」である(あるいはもうすでに収められているのだろうか?)。
その2「『捨てる』という考え方(枯れた技術の水平思考)」
後に横井軍平の最も有名な言葉となる「枯れた技術の水平思考」という哲学も、このゲーム&ウォッチから生まれたものだ。
「枯れた技術の水平思考」とは、先端の技術を用いるのではなく、枯れた技術(ある程度使い込まれた古い技術)を用い、その使い方を横にずらして新しくすること(水平思考すること)によって、大ヒット商品を生み出すことができる、という考え方である。
「枯れた技術の水平思考」には、主に3つの利点がある。
一つは、使い古された技術を使うので、コストを低く抑えられること。
二つ目は、使い込まれた技術なので、故障などのトラブルが少ないこと。
三つ目は、これが最も大切なのだが、あえて可能性を狭めることで、アイデアをより洗練し、先鋭化させることができるということ。
アイデアは、できることの可能性が広いよりも、むしろ狭い方が生まれやすい。それは小学生の作文を考えればよく分かる。先生から「なんでも自由に書きなさい」と言われると、たいていの子供たちは困ってしまうが、ある程度テーマを絞ってもらうことによって、誰でも書きやすくなる。
アイデアもこれと一緒だ。「なんでもいいので自由に作って下さい」と言われるよりは、「こういう条件で」と制限のあった方が、洗練された、研ぎ澄まされたアイデアが生まれやすいのだ。
横井さんは、経験的にこのことを知っていた。だから彼は、いつでもむしろ技術を足すのではなく、あえて捨てるような方向でものごとを進めた。後に開発したゲームボーイでも、カラー画面を用いるという選択があったにも関わらず、あえてモノクロを選んだのだ。
その3「啓蒙性」
横井さんの開発したゲーム&ウォッチの最大の特徴とも言えるのが、その啓蒙性だ。つまり、「人に教える力」である。
ゲーム&ウォッチの何が凄かったかと言えば、その「面白さを教える力」が凄かった。ゲーム&ウォッチによって、初めて「コンピューターゲームの面白さを教えられた」という人は本当に多い。それまで限られた人たちだけの楽しみだったコンピューターゲームのユーザーの裾野を、驚くほどに広げて見せた。ゲーム&ウォッチには、そうした、言うならば「コンピューターゲームの伝道師」のような特性があったのである。
その「啓蒙性」に大きく寄与していたのが、上に挙げた「ユーザー・エクスピリエンス」であり、「『捨てる』という考え方」だった。
ゲーム&ウォッチのユーザー・エクスピリエンスは、全てこの「啓蒙性」から逆算してできている。持ち運びやすい大きさ、親しみやすいデザイン、ポップな色遣いと、迷わないような最小のボタン数。誰が見ても、ほとんど瞬時にその使い方を判断することに気を遣い、面白さを教えるための障壁を極限まで低くしている。
また、「啓蒙性」を研ぎ澄ますために、余計なものは全部捨てた。チップの大きさを捨て、多機能を捨てた。画面の大きさを捨て、ボタンの数を捨てた。そうして、必要な要素をぎりぎりまで絞り込むことによって、やっぱりゲームの面白さを教えるための障壁を可能な限り低くしたのである。
横井軍平の真の偉大さ
横井さんの真の偉大さは、そうした卓越した哲学を作り上げたというだけでなく、それを他の社員にも啓蒙し、そのまま任天堂の哲学として定着させたことだ。
このことの偉大さは、いくら説明してもし過ぎることはない。なぜなら、こうした哲学を根付かせるのは、本当に大変なことだからだ。
人間というのものは、なかなかユーザー・エクスピリエンスを考えられないものである。なぜなら、どうしても自分の表現したいものの方に集中してしまうからだ。
また、捨てるのはもっと難しい。人間は欲張りだから、拾うのは誰でもできるのだけれど、捨てるとなると、それが良いことだと分かっていても、やはり大きな勇気を必要とするからである。
さらに、「啓蒙」となるとなおさら難しい。なぜなら、啓蒙というのは単なる商売を超えた、強い理想とそれを伝える情熱がなければできないからだ。しかし、こうした理想や情熱は、共有するのは至難の業だ。
ところが横井さんは、これを成し遂げたのである。これは本当に希有なことだ。そこには、もちろんそれを受け取った方の山内さんや岩田さん、宮本さんが凄かったというのもあるけれども、それを啓蒙することができたのは、やっぱり横井さんだったからこそなのである。
横井さんが「システム制」を作った
また、横井さんのもう一つの業績は、いわゆる「システム制」の有効性を、社長であった山内さんに認知させたことだろう。一人の異才に全権を委任すれば、これほど凄いことが成し遂げられる――それは、古代ローマの元老院が、戦争の総司令官には全権を委任し、大きな成功を収めたのとよく似ている――ということを、山内さんに対して証明してみせたのだ。
なにごともそうなのだが、船頭は少ないに越したことはないのだ。そのことの有効性を山内さんに知らしめたのも、横井さんの偉大な業績と言っていいだろう。
両雄並び立たず
そうして「システム制」が生まれた結果、花開いたのが「宮本システム」だったのだ。横井システムもそうだったけれど、宮本システムも、ほとんど偶然のような、奇跡のような形で生み出された。
しかしそこには、そうしたシステムを生み出す土壌がすでにあったのだ。それは、「横井システム」の有効性を確認した山内さんが、そうしたシステムが生まれる土壌を、あらかじめ用意していたからに他ならない。言うならば、宮本さんは横井さんが生んだようなものなのである。
しかし皮肉なことに、この宮本システムの誕生が、やがて横井システムの終焉を招くことになる。1996年に、54歳だった横井さんは任天堂を自主退社しているのである。
これは、誰が悪いわけでもない。理由は一つしかなく、ただ「両雄は並び立たたない」という、古代から現代まで続く、この世の逆らうことができない一つの法則に従った結果なのだ。
それはまるで、古代ローマにおける共和制時代のハンニバルとスキピオのようなものだ。あるいは三頭政治時代のポンペイウスとカエサルのようなものだ。巨大な力を持った二人は、一つところに並び立つことはできないのである。
そうして結局、横井さんは任天堂を去ることになった。そして皮肉なことだが、横井さんが去ることによって、宮本システムは初めて完成を見たわけである。
横井軍平の名は永遠に語り継がれる
横井軍平は、最後には敗れることになった。しかしそのことが、横井さんの名を汚すものには少しもならない。それはハンニバルやポンペイウスが偉大な指揮官であったことを、いや、スキピオやカエサル以上の優れた軍人であったことを、今日でも疑う者がないのと同様である。
横井軍平の名は、ゲームの歴史に永遠に刻まれるだろう。そうして、スキピオにとっての教師がハンニバルであったように、またカエサルにとっての教師がポンペイウスであったように、宮本さんにとっての教師が横井さんだったことは、なんぴとたりともこれを否定することはできないのである。
