2008-10-20
殺されるという死に方
コーエン兄弟の「ノーカントリー」という映画は面白かった。色んな意味で面白かったが、恐くて面白かった。ここには、殺されるということの恐さが(そればかりではないけれど)描かれている。とつてもない力を持った殺し屋がいて、その殺し屋につけ狙われる恐さというのが描かれている。そして実際に、情け容赦なく、無慈悲に殺されてしまうことの恐さが描かれている。殺されると分かってから、実際に殺されるまでの、その時間の恐さが描かれている。その濃密な時間が描かれている。
それにしても、一思いに殺されるのではなく、殺されるということを理解してから(もう逃げられないと理解させられてから)、実際に殺されるまでに時間があることほど残酷なものはない。それはもう本当に恐い。殺されるということには、単純な死とはまた違った恐さがある。何か、この世の暗黒を覗き見させられるような恐さがある。
ああ、それにしても殺されるというのはどういう気持ちなのだろうか? 今日は、三浦和義氏の死が自殺ではなく他殺という報道が出た。それにしても警察で殺されるというのはどういうことなのだろうか? そんなサスペンス映画のようなことが、この世には本当にあるのだろうか? もしこれが事実だとしたら、それはあまりにも非現実的すぎる。あまりにもサスペンス映画チックだ。あまりにもコーエン兄弟然としている。
これは本当なのか? これはコーエン兄弟の映画のプロットではないのか? ぼくは、好奇心は旺盛だが、こればっかりはあまり知りたくないような気がする。それはもう、コーエン兄弟の映画の中の出来事だけで良い。殺されたのだろうか? 本当に? 警察の中で? そんなことが、この世に本当にあるのだろうか?
参考
本当に大切なのは、語られた言葉ではなく語られなかった言葉だ
「ルビンの壷」というものがある。
一見するとただの壷だが、シルエットを見ると、そこに向かい合った人間の姿が見えてくる。いわゆる「だまし絵」の一種だ。そして、この絵は強烈なメッセージを放っている。そこに顔が描かれていないために、かえって強くそれを意識してしまうのだ。
それは、見る者がそれを想像力で補おうとするからだ。そこに参加するからだ。見る者がそこに自らアプローチすることによって、直接的に描かれるよりもずっと深く印象に残るのである。
「ハックルベリー・フィンの冒険」という小説に、一度読んだら忘れられない一節がある。物語の後半、囚われの身となった逃亡奴隷のジムを、ハックが助けようと決意する重要なシーンの直後に出てくる有名な一節だ。それを、ここに書き写したい。
黒ん坊の女のうしろから、小さな黒ん坊の女の子が一人と、男の子が二人、粗麻のシャツだけという姿でやってきて、母親の着物にまつわりつきながら、母親のかげから恥ずかしそうに僕のほうを見ている。黒ん坊の子供はいつもこうする。すると、今度は白人の女が家から走り出てきた。四十五歳から五十歳くらいの年格好で、帽子をかぶらず、手に紡ぎ棒を持っていた。そのうしろから、その女の白い子供たちがきて、黒ん坊の子供たちと同じようなことをした。
この一節を初めて読んだ時、ぼくは感動にしばらく涙が止まらなかった。感激にしばらく震えが止まらなかった。この一節は、これまで書かれた世界中のあらゆる小説の中でも最も美しいシーンの一つである。このシーン一つあるだけでも、「ハックルベリー・フィンの冒険」は永遠に語り継がれる名作となったであろう(しかしこの小説の真に偉大なところは、これに匹敵するシーンが少なくともあと二つはあるところだ)。
「ハックルベリー・フィンの冒険」は、南北戦争以前のアメリカを舞台にした小説である。書かれたのは南北戦争後だが、依然として差別の色濃い時代のことだ。
その時代にあって、作者のマーク・ウェインはこの一節を書いたのだ。そして、これだけである。マーク・トゥエインは、これ以上何も書かなかった。この小説の中には、これ以上、差別について何も語られていない。差別という言葉さえ出てこない。
ただ、このシークエンスが描かれただけなのである。それでいてマーク・トゥエインは、人々の差別する心に対して痛烈な一撃を放った。それは真実の持つ痛烈さだった。そして真実の持つ美しさであった。真実の持つ美しさが、人々の差別する心を痛烈に穿ったのだ。
このシーンで何より重要なのは、その「語らない」という技法である。すなわちマーク・トゥエインは、あえて何も語らないことによって、何より雄弁にそのことを語ったのだ。
それはまるでルビンの壷だった。そこに「顔」が描かれているわけではないが、しかしそれゆえ、何より痛烈なメッセージとなって見る者の心に「顔」のことを想起させる。
この小説もそうだ。この小説も、差別について何かを書いたわけではない。しかし書かなかったからこそ、他の何にも増して、読む者の胸奥深くに、そのメッセージを届けたのだった。
