2008-10-23
それにつけても面白いのは言葉の力
この増田がとても面白かった。AntiSepticさんはこれを「悪文」と言ったが、これは事実ではなく「ものがたり」なのだから仕方ないのです。「ものがたり」というよりも「夢」と言った方が良いかも知れません。あるいは「妄想」の方がしっくりくるかも。
ここに書かれていることはこの人の頭の中で組み立てられた妄想です。白日夢なんです。だから夢のように辻褄が合ってないのです。夢のように細部があやふやで不確かなのです。
そう考えると、この一文はとても興味深いものになります。なぜならこのあやふやで不確かな文章は、この人のあやふやで不確かな頭の中を実に正確に描写したということになるからです。
「文は人なり」と言うけれど、言葉というのは妄想を膨らませている人のあやふやで不確かな頭の中までも、正確に写し取ることができるのですね。
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芸大に受かる受験絵の描き方
はじめに
もうそろそろ11月になるけれども、受験勉強もこれからがいよいよ佳境というところだろう。そしてそれは、美大の受験生にとっても同じはずだ。美大の受験生にとっては、これからの数ヶ月間の過ごし方が本当にだいじになってくる。
ただし絵というのは(特に受験に必要な「受験絵」は)、普通の勉強と違って、きっかけさえ掴めれば一夜にして上手くなる。一皮むければ、一気に合格圏内に突入できる。
だから、だいじなのは「そのきっかけを掴むこと」だ。それは鉄棒の逆上がりのようなもので、ある日突然できるようになる。普通の勉強のように、コツコツとした積み重ねが必ずしもだいじというわけではない。だいじなのは脱皮することなのだ。一皮むけること。そのきっかけを掴むことである。
もちろん、それを掴むためには、日々のコツコツとした積み重ねも当然必要なのだけれど、それ以外にも、ちょっとした発想の転換や視野の広げ方で、突然それができるようになる。道が開けることがある。
そこでここでは、そうしたきっかけ作りにつながるかも知れない「発想の転換方法」や「視野の広げ方」について、自分が受験した時の体験をもとに、いくつか書いてみたい。
ただしこれらは、おそらく予備校では教わらないものばかりだ。それは、あまりに当たり前すぎて言わなかったり、あるいは予備校の文脈や建前からはそれていて、あえて説明されないことだったりするからだ。
そのためこれらは、ぼくが教わったというものではなく、ぼくが美大に向けての受験勉強をする中で、自分で気付いたり、身につけたりしたものばかりである。だから、必ずしも万人に通用するものではないかも知れない。中には、このやり方通りにやったらかえって絵が拙くなってしまう人もいるだろう。
そのため、これをそのまま鵜呑みにしてもらっては困るのだが……それでも、何かの参考にはなるかも知れないと思った。というのは、「考え方」というのは、それをそのまま取り入れることはできなくても、それをきっかけに発想を転換できたり、視野が広がったりすることがあるからだ。そうしてそれをきっかけに、自分なりの、自分に合ったやり方を発見できるということもある。その意味で、これらはあくまでもぼくのやり方だけれども、ここに書き記しておく価値はあると思った。
これらは、ぼくが美大に向けて受験勉強をする中で、どれも自分で気付いたり、身につけたりしたものばかりだ。そうしてこれらに気付いたおかげで、ぼくは合格できる絵を描けるようになる、そのきっかけを掴むことができたのである。
芸大に受かる受験絵の描き方
その1「線は真っ直ぐに引け」
これは、予備校ではあまりにも当たり前すぎて教えてもらえないのだが、それだからこそ一種の盲点となっていて、意外とできない人が多い。特にキャンバスを縦に貫くような長い線となると、知らず知らずのうちに微妙に湾曲してたりする。
しかしこれは、見る人が見れば一発で分かる。そして非常に気持ちが悪い。真っ直ぐであるべき線がほんの1ミリずれただけでも、絵は大きく歪んで見えてしまうものだ。それだけでもう、デッサンは狂ってると見なされてしまう。
だから、とにかく線は真っ直ぐ引くように心掛けた方が良い。そして、線を真っ直ぐ引くには、大した苦労は要らないのだ。そこにはとても簡単で、またとても便利な方法が一つだけある。
それは、定規を使うことだ。これは冗談ではない。美大の試験会場というのは、別に定規の持ち込みは禁止されていない。だから、真っ直ぐな線を引きたければ、定規を使うのが一番なのだ。
ただしもちろん、図面を引くような線の引き方ではダメなので、定規はあくまでもアタリを付けるためのものだ。しかしそれだけで大きく違う。それだけで、どんなに長い直線でも真っ直ぐに引けるようになるのだ。
そして、こんな簡単なことでこれほど重要なことができるようになるのであれば、これを使わない手はないだろう。
その2「絵は結局は『線』だということを知れ」
予備校で絵を習うと、まず最初に教えられるのは「絵は面で描け」ということだ。特に一番最初に習うデッサンは面をとらえる作業なので、「線という考え方は捨てろ」というふうに教えられる。
しかし長らく面を意識して描いていると、やがて「それでもだいじなのは結局線なのだ」ということに気付かされる。特に受験絵は、どの科の絵も線とは無縁でいられないから、線が拙いとお話にならないのだ。
そこでだいじになってくるのは、いかに上手く線を描くかということだ。特に鉛筆で描く場合には、鉛筆というのは基本的に線しか描けないから、取り分けそれがだいじとなる。
絵は結局線なのだ。絵は結局線の集合で、線に始まり線に終わる。「たかが線、されど線」であり、「線を笑うものは線に泣く」のだ。
だから、まずは線を描く技術を上げるために、紙に鉛筆できれいな線を描くことの練習をした方が良い。それもくり返しくり返し行った方が良い。これでもう線についてはほとんど限界だというくらいまで、自分の線を描くことの技術を修練させた方が良い。
予備校では、形を取ったり陰影を見極めたりといった、絵を描く「頭」の方を鍛えることばっかり集中することになるので、肝心要の「手」の方が疎かになっている人というのは意外に多い。だから、線を描くことの技術の向上に努めるというのは、他より抜きんでるという意味でも、大きな効果を発揮することになるのだ。
その3「『完成度』ではなく『未完成度』を上げろ」
ここからはテクニックとは少し離れた話になるが、美大――特に芸大は、完成度の高い絵は好まれない。
身も蓋もない話だが、芸大の試験官が受験生の何を評価しているかというと、絵の技術ももちろんなのだが、その人間性も評価しているのである。そうして、「受験の絵で完成度を上げてくるような『人間性』」というのは、「これから先、絵をずっと描き続けていくには向いてない」と判断されて、低い点数をつけられてしまうのだ。
これはオーバーな話でもなんでもない。予備校で絵の授業を受けていると分かるのだが、1年もやっていると、そのクラスで絵の上手いトップ3というのはだいたい固定されてくる。しかしそのトップ3がみんな芸大に合格するかというとそうではなく、そのうち2人は落ちてしまうことが多い。合格率としては、だいたい3分の1といったところだ。
ところが、そのトップ3よりは少し下がるけれども、後続につけていた第2集団の10人くらいの中からは、だいたい5人くらい合格するのである。確率は2分の1だ。つまり、絵の上手い第1集団よりも、少し落ちる第2集団の方が、合格する確率は高いのである。
なぜこういうことが起こるかというと、絵の上手い人というのは、だいたい完成度が高いからだ。そして完成度が高すぎると、「こいつは小さくまとまってしまうから芸術には向いてない」と判断されて、低い点数をつけられてしまうのである。
だから、受験絵では完成度を上げるのは本当に危険なのだ。それよりは、未完成度を上げることを心掛けた方が良い。
具体的に「未完成度を上げる」というのはどういうことかというと、例えば正方形を描く場合だったら、四隅で線をきっちり止めるのではなく、あえて少しはみ出させて描くということだ。あるいは色を塗る場合だったら、版ズレのように本来塗るべきエリアから少しはみ出させて描くということである。
これを野球のピッチャーに例えると、とにかく「ストレートに磨きをかける」ということになるだろう。変化球やコントロールは二の次で良い。とにかくストレートのスピードと球の切れを磨くことに全力を傾けるのだ。
勉強できる時間というのは、限られている。リソースは有限なのだ。だから、その限られたリソースを最大限に生かすためには、試験官から最も評価されるところに、即ち今後の伸び率(未完成度)の向上にそれを集中させるというのが、受験を戦略的に勝ち抜くためには必要不可欠なこととなってくる。
その4「キャンバスには原色しか塗るな。中間色は原色を重ねることで表現しろ」
受験生というのは、だいだい大いなる悩みの中にいるので、どの絵もたいていくすんでしまうのが特徴だ。例え受験絵といえども、絵というのは描く人の心理状態を如実に反映するものなので、受験生の絵はどうしてもくすんだ線、くすんだ色遣いになってしまうのである。
そんな状況の中では、単に発色が良かったりするだけで、他との大いなる差別化になる。他から秀でて見え、印象がとても良くなる。
だから、本番でそうした絵を描くために、今のうちから原色で描くよう訓練を積んでおくと、ライバルに対して大きなアドバンテージを築くことができるのである。
それには、パレットで中間色を作るのではなく、思い切ってキャンバス上で中間色を作るように――つまりキャンバスには原色しか塗らないような訓練を積み重ねていくと良い。これなら、発色はいやがおうでも良くなる。
もちろん、失敗したら取り返しがつかないというリスクもあるけれど、勉強の段階でこれをやっておくことは、色と色をどう重ねると狙いの色が出せるのかという、色についての知識の習得にもつながる。そして、これも非常に大きなアドバンテージになるのだ。
美大――取り分け芸大においては、野性味溢れる絵よりも、どちらかといえば理知的な、アカデミックな絵の方が好まれる傾向にある。そして、キャンバス上で色の原理を十全に理解した色遣いを展開していれば、それだけでもう、試験官の印象はとても良くなるのだ。
その5「構図には大胆さより精密さを求めよ」
これも上記の話とつながるのだが、美大――特に芸大は、構図に大胆さというものを求めていない。むしろ理知的な、精緻な構図というのを好む傾向にある。
しかし予備校というところは、まずそういうことを教えない。なぜなら、美大を目指すような学生というのは、たいてい最初はおとなしい構図の絵を描きがちなので、教える方としては、どうしてもそれを大胆にさせる方に神経がいってしまうからだ。
そうして大胆さしか教えないまま、しかしあっと言う間に受験の本番が到来して、結果的にものすごく大胆な構図で試験に臨み、あえなく討ち死にしてしまうケースというのは往々にしてある。
上でも述べたが、芸大はアカデミックな生徒を合格させたがるのだ。小さくまとまっているのは論外だが、あまり大胆すぎるのも好まれないのである。
覚えておいてほしいのは、試験官をしている教授が、仕事をする上で一番欲しているのは、当たり前のことなのだけれども「成果」である。そして大学教授である彼らにとって最大の成果といえば、「教えている生徒の絵が上手くなる」ことなのだ。
だから、教授たちは皆、「自分たちが教えたら絵が上手くなりそうな生徒」というのをどうしても合格させてしまうのである。これ以外に重要な評価基準はないと言っても過言ではない。自分たちが教えて上手くなるかどうかが、彼らにとっては一番だいじなことなのだ。
だから、彼らはアカデミックな生徒を合格させるのだ。なぜなら、アカデミックな生徒なら話が通じそうだからだ。そして、こちらの言うことを聞いてくれそうだからである。
その逆に、構図があまりに大胆すぎたりすると、「この生徒は自分の言うことを聞かないのでは?」と不安にさせられるのだ。そうして、自分がその生徒を育てる自信がなくなるから、合格させようという気はどうしても失せてしまうのである。
これは、必ずしも意識してそうなるわけではない。むしろほとんど試験官が、これを無意識のうちに行っている。だからこそ、根が深いとも言える。彼らはほとんど無意識のうちに、自分たちの言うことを聞きそうにない、大胆な構図の絵を描く生徒に対しては、不合格となる点数をつけてしまうのだ。だから、構図の大胆な絵というのは、やっぱり避けた方が賢明なのである。
その6「作品は必ず完成させろ」
これは、その3で挙げた「未完成度を上げろ」ということとは矛盾するようだが、しかし真実である。美大史上、これまで未完成の作品を提出して合格した人間は、おそらく一人もいないはずだ。
上に挙げた「未完成度」というのは、あくまでも「技術」や「考え方」の部分である。その作品についてではない。そして作品を完成させるということは、考え方以前に厳然たるルールなのだ。これを破った者には、たとえそれが途中経過として出来映えの良いものでも、合格点をつけるわけにはいかないのである。
だから、作品を完成させるというクセは、今のうちからつけておいた方が良い。特に、試験における作品作りの時間は、科によって違うだろうが、だいたい「8時間」というのが一つの目安となっているはずだ。だから、これを身体に叩き込むようにしておくと良いのである。
それは、ボクシングで言うなら3分間を身体の中に叩き込むようなものだ。ボクシングは、1ラウンドが3分と決められている。だから、全てのボクサーはこの3分という時間を身体の中に叩き込むよう訓練し、ほとんどの練習を3分単位で行う。
美大受験生も、これと同じことをするべきなのだ。つまり、どんなことをするにも8時間というのを一つの単位として、これに慣れることによって、その感覚を今のうちから身体に叩き込んでおくのである。
これは美術に限らないが、人間にとって一番重要なリソースというのは時間だ。そして一番平等なリソースも、やはり時間なのだ。これに例外はなく、全ての受験生には同じ時間しか与えられない。だから、その時間の使い方を熟知している人間の方が、してない人間よりはずっと優位に立てるということは、ここで今さら言うまでもないだろう。
まとめ
上に挙げたいくつかのことがらは、それぞれ個別のことについて言っているようだけれども、大掴みにまとめると、主に次の2点について言っている。
それらはすなわち――
- ライバルに差をつけろ
- 大学が必要とする人材になれ
ということだ。
これらは、一般の受験においては言わずもがななのだが、こと美大受験となると、忘れてしまっている人が意外に多い。それは、「美術の価値は他との比較でははかれない」とか、「芸術は世俗的な人間関係とは無縁のところで行われる」といった認識がまかり通っているからなのだが、それらははっきり言って誤りである。
美術においても、他のどの分野とも同じように、他と比較であったり、社会の人間関係やしがらみの中で価値が決まっていくものだ。取り分け美大受験はそうだ。そこでは厳然とした点数付けというものが行われ、しかもそれは受験生と試験官との人間関係によって決定付けられてしまう。
だから、本気で美大――特に芸大に合格したいと思うなら、まずは他人に先んじることを第一に考えるべきである。その上で、他人に先んじる方法として、試験官のニーズというものを読み取り、それにアジャストするように自分自身をシフトさせていくことだ。
美大受験においては、絵のテクニック以前に、そうした心掛けが本当にだいじなのである。だから、これを念頭においてこれからの数ヶ月間を過ごしてもらえたら、もしかしたら発想の転換や、視野の広がりがあなたに訪れるかも知れない。そうしてそれが、あなたの絵の技術が向上するための一つのきっかけになるかも知れないが、しかしそれは保証の限りではないので、そこのところは悪しからず。
向いてないということ
人間は、気弱になると「自分には向いてない」と思い始めるようになる。仕事が上手くいかないと「おれはこの仕事に向いてない」と思い始めるようになり、恋人との仲が上手くいかないと「おれは恋愛に向いてない」と思い始めるようになる。
ぼくが聞いて傑作だと思ったのは、知り合いのIくんが言ってた「自分には向いてない」だ。Iくんは、「おれは生きるのに向いてない」と言った。なんでも彼は、生きることそのものがとても下手くそなのだそうである。
この言葉には、最初はそんなものに向いてる向いてないがあるのだろうかと疑問に思わされたけれど、よくよく考えると、まあそういうこともなきにしもあらずなのかなと、いろいろ考えさせられるものがあった。
