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2008-10-31

とてもじゃないが「自分は無知である」などとは言えない

おそらく「無知の知」ほど多くの人に誤解されているというか、都合良く解釈されている警句、故事は少ないだろう。これは本質的には「自分が物知りだと思うことを戒めている言葉」ではない。自分が頭が良いと思っちゃいけないよ、と言ってるわけではない。その逆だ。「頭が良いというのはこういうことなんだぜ」ということを言っているのである。「おれはお前より物知りなんだぜ」ということを表している言葉なのだ。


ソクラテスは怖ろしい。彼は人類史上最高の「クレタ人メソッド」の使い手と言って過言ではないだろう。ぼくが最も憧れる存在の一人である。表向きはへりくだった謙虚さをアピールしているものの、その裏には彼の恐ろしいまでの自信と自負心、そして尊大さが垣間見える。

確かに、「無知の知」はそれ自体人の自信過剰を戒めているようにも受け取れるが、ソクラテスが伝えたかったのはそんなことではない。要は、「結局自分は世界で一番物知りなんだぜ」ということなのだ。


もしかしたら知らない人もいるかも知れないので、以下にその言葉が生まれるもととなった故事を簡単に紹介しておく。


ある時、知識に飢えていたソクラテスは自分より賢いやつを探すため、アテネにあったデルフォイの神殿に赴いてこう尋ねた。

「自分より頭が良いやつがいたら教えて下さいよ、hehehe」

すると巫女さんは、めんどくさそうにこんなふうに答えた。

「あんたより知恵のある者はこの世界にはいないよ」

それは知恵の神でもあるアポロンの託宣だった。


しかし自分の無知についてはひとかどならない自信のあったソクラテスは、

「そんなはずはあるまい、これほど無知な自分が世界最高の知恵者だなんて何かの間違いだ」

と強く感じた。その一方で、神が間違うはずがないという信仰心もあったから、その矛盾を解こうと、世間一般で知恵者だとされている何人かの賢者のもとを尋ねて、果たしてきゃつらは本当に自分よりバカなのかを確かめようとしたのだった。


そうしてソクラテスはその賢者さんとやらと実際に会って話を聞いてみた。するとそこで、ソクラテスはある事実に気づかされる。それは、そうした一般に知恵者だとされる人々は、自分では知恵者だと思ってるけど、実際は大したことがなかったということだ。しかも彼らは、「自分が無知である」ということを知らなかった。その意味で、ソクラテスは「私は彼らより優れている」と思ったのだ。「なぜなら、私は自分が無知であることを知っている」からだ。


そうしてソクラテスは、アポロンの託宣は結局正しかったということを知る。それとともに、自分は世界で一番頭が良いんだぜということを、世界に向かって高らかに宣言したのだった。


これがソクラテスの「無知の知」という言葉が生まれた現場だ。

ついでに、Wikipediaからも引用しておく。

ギリシアの哲学者ソクラテスは当時、知恵者と評判の人物との対話を通して、自分の知識が完全ではない事に気がついている、言い換えれば無知である事を知っている点において、知恵者と自認する相手より僅かに優れていると考えた。また知らない事を知っていると考えるよりも、知らない事は知らないと考える方が優れている、とも考えた。


だから、これを真に受けて、人前で「私は自分は無知であることを知っている」などと言っちゃうのは、本当は尊大きわまりないのである。本当はとてもこっ恥ずかしいことなのだ。なぜならそれは、「私はあなたより物知りです」「無知の知を知っている時点であたなより優れています」という勝利宣言に他ならないからだ。自分ではへりくだってるつもりかも知れないが、それは文字通りの慇懃無礼で、かえって居丈高な印象を人に与える。それを端から見ると、まるで鼻の大きな人が大いばりで「鼻の大きな人はあそこも大きい」と言っているようなもので、聞いていて気恥ずかしくなる。


だから、ぼくはとてもじゃないけどそんな真似はできない。とてもじゃないが、「自分は無知である」などと言うことを、誰かに向かって言うことはできないのだ。そうしてもちろん、自分の鼻が大きいなどと言うことも、人前で自慢げに語ったりすることはできないのである。


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