2008-12-14
「当たり前」という考え方が最も危険だ
マネジメントの話。二人のボスがいたとする。
ボスAは、部下が仕事の報告をするのは「当たり前」だと思っている。だから、それを報告する時の部下の気持ちは考えない。
そのため、もしそこで部下が成功を報告すれば、喜ぶし誉める。逆に、部下が失敗を報告したとしたら、遠慮なく叱責する。
Aは、それが公正な態度だと思っている。それを部下のためだと思っている。部下を育てるためにそうやっていると思っている。彼としては善意のつもりなのだ。
しかし、部下にしたら、誉められる時は良いが、叱責されたらやはり面白くない。彼はもちろん、そのボスの考える「善意」などというものは受け取らず、ただ、嬉しかったとか面白くなかったとか、そういう気持ちだけが残る。
そうして、もうあまり面白くない思いは味わわないようにしたいと思う。するとどうなるか? 良いことは報告するが、悪いことは隠すようになるのである。上司がいくら「それを報告するのは当たり前」だと考えていても、そんなことは通用しない。部下はとにかく全力でその失敗の情報を隠すようになる。
おかげでボスAは、部下の行動を正確には把握できなくなる。そうしてそのことは、後々、彼のマネジメントを失敗へと導く。
ボスBは、部下が仕事の報告をするのは「当たり前」だと思ってない。だから、まずそれを報告する時の部下の気持ちを考える。
そのため、もしそこで部下が成功を報告すれば、喜ぶし誉める。逆に、部下が失敗を報告したとしても、そこでやっぱり喜ぶし誉めるのだ。それは、部下が仕事の報告をするのは「当たり前」だと考えずに、彼が報告しやすい環境を作ることこそが自分に与えられた役割だととらえ、どうすれば部下が仕事の報告をしやすくなるかを考えた結果、成功を報告しても失敗を報告しても、何を言っても誉めてやるのが良いのではないかという結論に達したからだ。
Aは、それが別に公正な態度だと思ってない。しかしそれが組織のためだと思っている。部下が育つかどうかは知らないが、組織が成果を上げるためにやっている。彼はただ、組織の成果に対して真摯でありたいと願っているだけなのだ。
しかし、部下にしたら、何を報告しても誉められるので、報告するのが面白くて仕方ない。彼はもちろん、ボスの成果に対する真摯さなどというものは受け取らず、ただ面白いとか、この人は良い人だとか、この人を喜ばせたいという気持ちだけが残る。
そうして、もっと面白い気持ちになりたいと思う。するとどうなるか? 自分の持っている情報は、頼まれてもいないのに、ほとんど全て報告するようになるのである。上司が、いくらきみのそのプライベートに関する情報まではさすがに報告する必要はないよと言っても、そんなことは通用しない。とにかく、自分のことを全力で、良いことも悪いことも、包み隠さず知ってもらいたいと願うようになるのだ。
おかげでボスBは、部下の行動を十全に把握できるようになる。そうしてそのことは、後々、彼のマネジメントを成功へと導くのだ。
