Hatena::ブログ(Diary)

ハックルベリーに会いに行く このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-11-13

『THIS IS IT』の考察

マイケル・ジャクソンの映画『THIS IS IT』を見た。とても面白かったので2回見た。

1回目は、主にマイケル中心に見た。その一挙手一投足を見逃さないよう、釘付けになって見た。

2回目は、今度は脇の人たちを中心に見た。マイケルの周りのスタッフ・出演者たちが、マイケルにどういう接し方をしているのか――それを見ることによって、彼らに反射したマイケル・ジャクソンという人物の現場の顔、フィルムには写らなかった裏の顔を浮かび上がらせようとした。周囲の人たちに投影されたマイケルのシルエットを見ることによって、逆にマイケルの人となりに迫ろうとしたのだ。


非常に興味深いのは、映画を通して(コンサートのリハーサルを通して)、周囲の人たちの反応が変化していっていることだ。おそらく、このコンサートに集結したほとんどのスタッフ・出演者(ミュージシャン、ダンサー)は、初めは観光気分だったと思う。物見遊山だった。マイケルという伝説的な存在と一緒に仕事をするということで、マイケル自身を直に見られるという楽しみもあったし、キャリア面の損得勘定もあっただろう。だから、仕事としてきっちりこなそうという緊張感よりは、ウキウキとした浮かれ気分が大半を占めていたのだ。

ところが、リハーサルが進むに連れて、それが変わっていった。

THIS IS IT』に参加していたスタッフ・出演者は、ほとんどがマイケルと仕事をするのは初めてのようだった。会話やインタビューの様子から、それが窺われた。だから、彼らはきっと知らなかったのだと思う。最近のマイケルがどういう状態なのかを。なにしろ、彼はここ10年ほどライブをしてなかったし、新曲もほとんど出していなかった。

そのため、もっと言えば彼らはマイケルをなめていた部分もあったと思う。ここ数年、聞こえてくるのはゴシップやスキャンダルばかりだった。だから、さすがのマイケルももう過去の人なのだろうと。もちろん、だからと言ってマイケルの栄光が損なわれることはないから、リスペクトする気持ちには変わりない。ただ、それは引退した老スポーツ選手に対する尊敬に似ていて、例えばプロ野球の新人選手が、全盛期の桑田真澄なら打てっこなかっただろうけど、今の桑田なら打つこともできると思うような感覚――そんなふうにマイケルを見ていたのではないかと想像する。つまり、今のマイケルのパフォーマンスは、もはや過去のような素晴らしいものではなくなっているから、それほど気合いを入れなくても、仕事としてこなせるのではないか――そう思っていたのではないだろうか。


だから、彼らは度肝を抜かれたのではないかと思う。マイケルが、まだ現役バリバリだったことに。ぼくもそこに度肝を抜かれた。まず驚かされたのが、その音楽スキルだ!

映画の序盤に、マイケルがベーシストにベースラインを指示するシーンがある。そこでマイケルは、「ボイスベース」とでも言えばいいのだろうか、「ボンボボン」と口でベースラインを表現してみせるのだけれど、その美しさといったらないのだ! ぼくはもう長年マイケルをウオッチングしているけど、あんな技術があったとは知らなかった(※追記あり)。また、変な話「これは流行る」と思ってしまった。「ハモネプ」などの影響で一時期ボイスパーカッションが流行ったことがあったけれども、このマイケルのパフォーマンスは、ああいうブームを引き起こせるだけの力があると感じた。

それほどマイケルのボイスベースは魅力的だった。このわずか数10秒のシーンを見るだけでも、1800円を支払う価値は十分にあった。『THIS IS IT』のマイケルには、彼のファンでさえ知らなかったような隠された魅力がたくさん詰まっていたのだ。


映画を通じて印象的だったのは、コンサートのスタッフが完全にビビっていたということだ。

リハーサルの最中、マイケルが何かを言おうものなら、それがちょっとした軽口であっても、スタッフの間にはとたんに緊張が走った。特に、直接言われたスタッフは完全に色を失っていた。

「分かるだろ、マイケル。ぼくはそんなつもりはなかっんだ。だから許しておくれよ。今度からは君の言うとおりにさせてもらうからさ……」

そんなふうに、マイケルに何かを指摘されたスタッフは、懇願するような口調でその場を取り繕おうとした。

そういうスタッフたちの態度に対し、マイケルも、彼らを過度に緊張させないよう気を遣っている部分もあった。リハーサルの最中、彼は何度も「LOVE」という言葉を口にする。「愛だよ、愛。怒ってるわけじゃないんだ。L・O・V・E。ラブなんだ……」


しかしマイケルは、そういう配慮は見せつつも、時にはいたずら心で皆を困らせるお茶目な一面をのぞかせたりする。絶対的なキングの権力を振りかざし、きついジョークでみんなを苦笑いさせたりもしている。

そこが面白い。マイケルはやっぱり、舞台裏でもスーパースターなのだ。腰が低くて謙虚な一面がありつつも、そればかっりじゃない。要求は厳しいし、それに何より、そのパフォーマンスにかける情熱が半端ではない! これには本当に度肝を抜かれる。


THIS IS IT』を見ていて気づかされたのは、これはリハーサルの映像ではあるのだけれど、ただの「練習」ではないということだ。マイケルに関していえば、歌と振り付けは完璧に入っている。だから、そこで行われているのは、演出のアイデア出しであったり、細かな詰めなのだ。

それを見ながら、ぼくはふと、マイケルの練習風景を見たことがないことに気づかされる。ぼくはこれまで、マイケルが振り付けを覚えるために鏡の前で練習をしたり、ボイストレーニングをしたりする場面を見たことがない。ましてや、ランニングをしたりウェイトをしたり、腹筋背筋といった基礎トレーニングの風景は、想像すらつかない。

しかしこの映画のマイケルは、若い頃と同様の絞り込まれた細い身体と、バックダンサーにも引けを取らない俊敏な動きを見せている。これは50歳の身体ではないし動きではない!

このことから分かるのは、マイケルは陰でトレーニングを積んできたということだ。そしてそれを絶対に人前では見せないということ。彼は、人知れず努力を積んできていたのだ!

ぼくが感動させられたのはそこであるし、それはおそらく周りのスタッフや出演者もそうだったのだろう。映画が進むに連れ(リハーサルが進むに連れ)、周囲の人たちの目が色めいてくるのが分かるのだ。初めは観光気分で参加したプロジェクトだったが、やがて否応なく本気にさせられる。本気にならないと、とてもじゃないがついていけないからだ!

真剣なのだ。勝負なのである。これは決して、もう終わってしまった選手の引退試合ではない。現役選手の、命をかけた真剣勝負なのだ。


いや、それだけにはとどまらない。やがてスタッフ・出演者たちは、これからとてつもないことが起こるであろうことを予感する。このライブは、単に真剣勝負というだけではなく、もし上演されれば、エンターテインメントの歴史を塗り替えかねない大事件になるだろうことに気づかされる。そうして、自分たちはその「目撃者」ではなく、「当事者」になるということを知るのだ。目の前に、そういう大きな機会が横たわっていることを、まざまざと思い知らされる。

そのことが、彼らの緊張感をさらに高め、リハーサルをヒートアップさせていく。映画の中盤、『スリラー』を踊る場面があるのだけれど、そこにそれが象徴的に現れていた。

『スリラー』は、音楽史を塗り替えた楽曲だ。だから、その曲をマイケルと一緒に演じることは、まるで歴史の中に自分が入り込んだような、タイムスリップのような不思議な感覚にとらわれる。しかしその『スリラー』は、それだけにとどまらない。過去の栄光を再現しているのと同時に、未来の新機軸を作ろうともしているからだ!

だから、感傷に浸っている暇はないのである。それよりも、全身全霊で取り組まないと、とてもじゃないが追いついていけないのだ。


おかげで、リハーサルの後半は、みんな必死だった。みんな必死で、このエンターテインメントの新機軸を作り出そうとする一大事業に、命がけで取り組んでいた。

そして、そういう思いが結束した結果、いつしか彼らの間には強い絆が生まれ、一つの運命共同体――ファミリーを築くまでになっていった。


だから、映画を見終わった直後に感じたのは、マイケルの死によって受けた彼らの落胆の大きさは、いかばかりだったか――ということだ。

その無念さは、想像にあまりある。あと数日で、新しい歴史の扉が開くはずだったのだ。それが、想像もしてなかった事態によって、その機会を永遠に封じられてしまった。

この映画は、そんなスタッフや出演者たちの無念さを鎮めようとした、ある種の鎮魂歌として作られたように感じられた。この映画は、マイケルを見たかったファンに向けてはもちろんのこと、その歴史を一緒に作り上げるはずだったファミリー――スタッフや出演者たちに向けて、作られなければならなかったものなのである。



追記

ぼくは知らなかったのだが、マイケルはヒューマンビートボックスの名手でもあったようです。

D