日々の生活の中で感じたこと、考えたこと・・・HP管理メンバーが綴っていきます・・・
2008-03-25
主よ あなたはどなたですか?
祈りと生活 |
復活祭のあとの八日間のミサ中の福音朗読はイエスの出現の場面が読まれます。わたしはどの場面も好きですが、特に今日の福音の箇所、ヨハネ20・11〜18が心に深く入ります。イエスをこよなく愛していたマグダラのマリアがイエスの出現に出会ってもイエスだとわからず、園丁だと思ったという場面です。マリアはなぜ、イエスがわからなかったのでしょう。マリアはイエスが墓から取り去られたと思い、必死になってイエスを捜していました。マリアの心の中にどんな思いが動いたいたのでしょう。おそらく生前のイエスのイメージでイエスを捜していたにちがいありません。そのイメージが邪魔をして立っていらっしゃるイエスを「目」は見ていてもその方がイエスとは分らなかったのです。マリアがイエスだと気づいたのは「マリア」と呼ばれるイエスの懐かしい声が心に響いたときでした。その時、マリアの心の底から大きな喜びが湧き起こったにちがいありません。わたしはこの場面を黙想していたとき「私がいるではないか」とおっしゃる主のみ声を聞き、落ち込んでいた私の心に大きな喜びの心が湧き起こってきたのを思い出します。その時、本当に主は生きておられると思ったのです。以来わたしは現実の中で主に出会うために自分の心や頭のイメージ、自分の考えや思いが結構邪魔をしていることに気づきました。
私がシスターになりたてで、日常生活の人間関係に悩んだり、不条理に不満を感じていた時に、ある司祭が私に「現実はキリストです」とおっしゃいました。確かにイエスはこの現実に受肉し、生き、苦しみ、亡くなっていかれました。見える現実の中に見えない現実の真実を御父との一致のうちに生きられたイエスは復活し、時空を超えて「今、ここに」ともにいて、「イエスの命」を与えて下さっているのです。この事実を心から信じるために時間がかかりましたが、わたしは今、日々喜びのうちにこの信仰を生きる恵みに感謝しています。
主の復活を祝うこの季節に、肉眼では見えない復活の主を日常生活の中で信仰という眼を通して出会っていけるよう「二心ない心」で生きたいと思います。
「心の清い人は幸い。彼らは神を見る」(マタイ5・8)
のもと よしこ

