Hatena::ブログ(Diary)

風の歌が聞こえますか

2018-07-21

トルストイ「イワン・イリッチの死」

久しぶりに衝撃的な小説を読んだ。
トルストイの「イワン・イリッチの死」である。

主人公のイワン・イリッチは裁判官。持ち前の頭脳と如才なさで
とんとんと出世を遂げた人物で、結婚生活はうまく行っていない
ものの(イワン・イリッチは口うるさい妻から逃げるようにさら
に仕事(というよりも僕が見るところ出世)に没頭していた。)
出世運動も実り、それなりの豪邸を建て、仕事では自分の判断で
人の人生を左右できるという万能感を密かに感じつつ送っていた
(凡庸かつ俗物的に描かれているが)順風満帆な彼の人生に、
いきなり病という不条理で不可解な事象が降りかかる。

イワン・イリッチは医者を変え、手を尽くすが病気はよくならず
どんどん死に向かってゆく。この間の彼の内面の苦しみの心理描写
は徹底しており、微に入り、細に入り、実にすごいものがある。
トルストイ、すごい!と改めて思った。
病に苦しむ人間、死に向かう人間の徹底的な人間の孤独と苦しみ
そして恐怖をこれほど的確かつ微細に表現した作品がかつてあった
だろうか?そして対比して描かれる「他人たち」の「自分以外の
人間の病の苦しみと死」に対する冷淡さと無関心さ。
これはリアリズム極致ではないだろうか。

小説ではイワン・イリッチは数ヶ月、激痛と心の苦しみにのたうち
回ったあげく、最後の瞬間に「自分が死ぬことでそれに耐えている
家族の苦しみを終わらせることができる」という悟りにいたって
その瞬間、死の恐怖や苦痛から解放されて彼はこの世を去る。
彼を最後の最後に救ったのは「自分の孤独・苦しみ・人生・恐怖
を頭で考え詰めること」ではなく「他者への愛、献身」だったのだ。
アポロン的なものに対するデュオニソス的なものの勝利とも言える
だろうし、陳腐な表現かもしれないが「愛は全てを超越する」と
言うこともできるのだろう。

最後に一言。
この小説は読み手を選ぶ、と思う。
あくまで他人事として読むか、自分がイワン・イリッチだ、と思って
読むか。これによって読後感の重さは相当違うはずだ。
僕は「僕はイワン・イリッチなのだ」と思って読んだ。
いや、そうとしか読めなかったのだ。

2018-07-06

いつか星屑になる

ここに書くのは2ヶ月ぶりである。
前の記事で書いた「身体表現性障害」の手足の汗や顔のほてりといった症状は
一応落ち着いており、薬も朝一回飲むだけでなんとかなっている。
しかしながら、6月中旬の欧州出張で体調はまたガタガタになって、風邪が
ぶり返し、最初に風邪をひいてからかれこれ2ヶ月弱になるのにまだ完全には
良くなっていない。体調は徐々には回復してきているものの、まだまだ完調
には程遠い。

こうやって不調になってみて初めて健康のありがたさが身に沁みてわかる。
この三ヶ月、「すっきりした気分で青空を眺めたい」とどれほど願ったことか。
(数日前にやっと一度、そんな瞬間が訪れた。その時は本当に嬉しかった)
身体表現性障害はすぐに治癒することはなかなか難しく「付き合ってゆく」しか
ない病気(病気には分類されていないようだ。あくまで症状)らしい。
だから、僕もそう覚悟を決めないといけないとやっと思えるようになってきた。
薬を飲みながら、時々は抜きながら、だましだまし、付き合いながら、楽しい
ことを見つけて、決められた終わりの日まで人生を生きてゆくのだ。

最近、いったい自分の人生って何なんだろう?と改めて思う。
僕は動物番組が好きでよく見るのだけれど、動物は飯を食って排泄し子孫を
残して死ぬ、以上。である。
僕の人生も結局同じなのだな、と思う。
僕の父が先日手紙をくれたのだが、こう書いてあった。
「神のご加護とはいえ、未だに自分が命を拾って元気なのは我々が宇宙の一部
である事なのだと考えます。宇宙とともに仏教の言う輪廻転生キリスト教
永遠の命を繰り返すビッグバンの星屑となって私達の家族も生き続けられるよう、
ただただ感謝したいと思います」

僕も、いつかは宇宙を構成する星屑になる、それだけだ、と思った。
そう思うと少し気持ちが楽になった。

2018-05-02

仕事をやめれば良くなるのだろうか

これで抗不安薬を飲み始めて5週間になる。ここ4週間は比較的状態は安定
しつつあって、起床時の手足の汗や、顔のほてり以上の症状(耳閉感とか
ひどい倦怠感とか)が起きるのは週に一回程度。
薬のお陰で日常生活を送っているという状況だ。
もっとも、会社を休みたい、とか、辛くて仕事が手に付かないという状況
ではないので客観的には大した事ではないのだが、とにかく不快感はあるし
僕は仕事においては常に100%のパフォーマンスを出したい人間でもある
ので非常に気分がよろしくない。

僕の症状は「自律神経失調症」ではなく「身体表現性障害」というものに
分類されるらしい。なぜ「自律神経失調症」ではないかというと、主たる
ストレス源が特定できないからのようで、つまりは交感神経と副交感神経
のバランスが原因不明で狂っている、ということらしい。
もっとも、ストレス源が特定できていないとはいえ、ここ数年間のストレス
の積もり積もり方は、ひとつひとつのストレス源というよりもいろいろな
ものの積み重なりであることは、誰よりも自分が一番わかっている。

・今のこの役員の仕事そのものが好きではなく義務感と責任感でやっていること。
・単身赴任のしんどさ、辛さ、出張に次ぐ出張による疲れの累積
・この10年間、とにかくがむしゃらに仕事をし(義務と責任を果たし)
 ターボを思い切り効かせて全力疾走してきたこと。

このあたりが積もり積もった原因であることは想像に難くない。
薬を日に三回飲んでおり、飲酒、カフェインは禁止。
その他はいつもの生活を送って良いということだが、体調が悪い時に心の底から
楽しめるか、というと、まだ僕はそこまでうまく心の整理ができていないようだ。

昨日、心療内科でもう2週間分の薬をもらった。
「朝から体調がいいと思うときは、昼の薬を抜くチャレンジもしてみて下さい」
「症状のことを考えすぎないように。戦うのでなく付き合う感覚がいい」
「楽しいことを見つけて下さい。健康体なのだから過度に気にしないこと」
などのアドバイスと共に。

2017-10-05

カズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞

ひとりの読者として本当に嬉しいニュースだった。
彼の小説についてはこのブログでも何回か取り上げたが、このように
静謐でリリックでありながら深い内容の小説が正当に評価されたこと
を本当に嬉しく思う。
おめでとうございます!

2017-07-12

鳥を見ながら思うこと

ここを最後に更新したのが3月。
気がつけば7月に入っている。
この3ヶ月半は体調不良との戦いだった、という気がする。
完全に復調したとは言い切れないけれど、少なくともこうやってブログ
更新をする程度の元気は出てきた。

3月18日のブログに書いた耳の不調にはしばらく悩まされたがその後
解消。ところがその後は目のピントが合わず、生理的飛蚊症がひどく
肩こりがひどく体が疲れやすくだるい、という症状が続いた。
今もそれは解消されたとは言えないが、眼鏡をかけたりすることで徐々に
改善されつつある。深い部分での疲れが(コップから溢れ出ていた疲れが)
徐々に水位が下がっている、ということだろうか。

もっともこの期間、休みの日を寝て過ごしていたわけではない。
むしろずいぶん積極的に外に出ていた。
家内と共にバードウォッチングにハマってしまったのである。
日本野鳥の会に入り、探鳥会に(家内と共に、あるいは一人で)行き、
双眼鏡、カメラ、望遠鏡と図鑑を買い、バードウォッチング旅行にも
行っている。
この歳になってこんなにハマれるものが出来たことは幸せである。
昔、僕は天文少年だったのだけれど、この歳になって天体観測は辛い。
夜遅くまで(あるいは場合によっては徹夜して)星を見るのは本当に体力
が要るのだ。ピアノも楽しいのだけれど最近、ピアノを弾くとひどく肩が
凝る。滅多に弾かない上に弾き方が宜しくないから余計にそうなるのだろう。

バードウォッチングの良いところは「開放系」の趣味であることだ。
ピアノ演奏は「集中系」の趣味なので、今の仕事に対する趣味のマッチング
としては厳しいものがある。
鳥を見ている間は、何も考えない。
鳥を探して歩いている間も、何も考えない。
バードウォッチングをしている人たちは、どちからというとシャイで人付合い
が得意ではない感じの口数の少ない人達が多いのだが、それも心地よい。
しばらくはこの趣味にハマって心身のリカバリーを目指したい。