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風の歌が聞こえますか

2007-09-22

構造的無知

今やすっかり有名人になられた内田樹先生のブログより日本の教育に関しての一文。


【引用始まり】 ---

教育現場が死んでいるということは、教育理論も、教育行政も、政府主導の

教育改革も、およそこれまで教育について語られてきた言説となされた実践

のほとんどは「死んでいた」ということである。

残念ながら、教育再生会議はそこまでは知恵が回らなかった。

というのは、会議に招集された「有識者」たちは全員がこの「教育の死」に

加担してきたことを否認したからである。


まずその事実を認め、自分たちがそれまで行ってきた教育実践はこの事態の

到来を防ぐことができなかった点について程度の差はあれ有罪であるという

「有責感の自覚」から会議はスタートすべきだったと思う。

しかし、彼らはそうする代わりに「実現されなかった正しさ」の代弁者と

いう立場を取った。


それでは「教育の死」が彼ら自身をもまきこんだ巨大な構造的な問題である

可能性には思い至ることができない。

人はそのようにして構造的無知の立場を先取してしまう。

ショートスパンの「正しさ」を手に入れる代償に、ロングスパンの「無知」

を呼び入れてしまうのである。

人間は不注意から愚鈍になるのではない。

愚鈍さはつねに努力の成果である。

【引用終わり】 ---


内田先生のこの指摘は鋭い。

未だに日本では、社会は建築物のように相互関係の希薄な構成要素の積み上げに

よって機械的に構成されたもの(還元主義)で、どんな問題でも線形的な論理的

・合理的分析と判断によって解決策は見つかる、という誤った認識が支配的だ。

実際は、この世界は一見無関係に思える部分部分が深く複雑に絡み合った動的

ネットワークであり、部分は全体を変えることでしか制御できない一方、全体

の変量が部分に及ぼす影響が大きく非線形的である、という極めてやっかい

で制御可能性が低い「複雑系」であることはもはや常識だろう。


さて、自らが「全体(社会)」の一部として問題になっている部分(教育)に

対して責任がある、という有責感を持たず、加えて前時代的な還元主義的社会

構造認識しか持たない『有識者』たちを集めて議論させた結果、出てくる結論

はどうなるか。


【引用始まり】 ---

メディア知識人は教育について「そこで何が起きているのか熟知して

いるような顔」をしている。

だからきわめて切れ味よく、危機の原因が何であって、それを補正する

ためには何をすればいいのかをぺらぺらと説明してくれる(もちろん、

彼らが言うようなシンプルな政策で教育危機はどうにもならない)。

【引用終わり】 ---


これは、教育問題に限らず全ての大きな社会問題に共通する傾向ではないか。

もちろん、この「構造的無知」を自分でメタ認知したからといって問題の解決策

がすぐ出てくるほど事は簡単ではない。

しかし自らの無知をメタ認知することには大きな効用がある。

一見合理性のありそうな解決策、対処療法、弥縫策をいくら打ち出しても問題は

解決できないことを深く認識した上で、議論を始められることだ。

「私は何も知らないということを知っている」というソクラテスの名言があるが

大きく複雑な問題について議論を始める前に心すべき事柄は、この言葉に尽きて

いると思う。