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風の歌が聞こえますか

2016-03-20

「意識はいつ生まれるのか」

ジュリオ・トノーニ「意識はいつ生まれるのか」読了。
この本は僕にとって本当に衝撃的、かつ、決定的な一冊だった。人間の意識が
いかにして生まれるか、を「統合情報理論」という仮説を元に実験を積み上げて
立証した過程を丁寧に読みやすく説明した本なのだけれど、全てが立証され検証
されたものではないにしても、多くの謎であった現象がこの理論で説明ができ、
かつ、有力な反証が上がっていない、という点で「統合情報理論」は物理学
おける一般相対性理論に近い位置づけ、つまりは脳・意識科学の「一般理論」
と呼べる位置づけに至っていると理解できた。

この理論によれば「意識」は種々の情報(知覚、記憶、感情、行動等)を司る
大脳皮質のそれぞれの部位の神経細胞が一定以上の数になり、加えてそれらの
間に単なる直接的・直線的な形を超えた複雑な電気的・化学的接続数がある一定
レベルを超えれば発生するもの、とある。著者のトノーニ教授は意識の量を
この二つのパラメータ関数として表す数式も導いており、その結果を深い睡眠
時(=意識がない状態)の被験者や植物状態とみなされている被験者の脳に
外部から電磁的刺激を与えそれが脳の部位をどのように活性化させるかをモニタ
ーすることによって検証を重ねてきている。

詳しくはこの本を読めばわかるが、僕の理解では

1)死は神経細胞の活動停止をもたらすため、意識(自我)は消える。
2)人間に限らず、一定量の脳神経細胞からの信号が一定以上の複雑さを持って
  統合される場合、そこには意識が生まれる。(=高等哺乳類には原始的で
  あっても自我が存在するであろう)
3)同様に、コンピュータ上で神経細胞を模したものを、十分な数、十分に複雑に
  統合できるように設計すれば、そのコンピュータは意識を持つであろう。
ということになる。
極めてスリリングで刺激的な結論、と思う。

さて、僕が死ぬとき、脳は死の直前に脳辺縁系プログラムされている通り
大量のセロトニンを放出して幸福感を伴った(臨死体験的によくある)夢を見
させる。その後、僕の脳神経細胞は活動を停止し、僕の自我(意識)は失われ
(それは深い睡眠と何ら変わりない)、最終的に死に至る。
「魂」はどうなるか、って?
「僕の魂」などというものはなく、自我が消えて全て終わる、以上。

なんとなく悲しい結末のようだけれど、僕はあまりがっかりしてない。
何故なら、人間を含む高等哺乳類は毎年何億も生まれている。そして赤ん坊の
うちには自我を持っていないものの、年月が経つにつれ、神経細胞の回路は
複雑さを増し、僕達自身がそうであったように「自我」が生まれる。
そして気づいた時には「自分の中に閉じ込められた意識」が生まれるのだ。
それは「彼(または彼女)」であって「この僕」ではない別の自我ではあっても
新たな意識の冒険が始まる。
僕自身が知らないうちに「自分の中に閉じ込められた意識」として生まれ育ち、
ここまで生きてきたように、新たな意識体験はそこら中で発生していて、それは
「この僕」でなくても(ひょっとしたら人工的な意識である可能性すらある)
「どこかの誰か」として生きてゆくことがあり得るのだ。
残念ながら前世の記憶は一切ないとしても。

思えば現代脳科学が導き出したこの結末は、仏教輪廻転生に偶然にも似通って
いないだろうか?
僕はなんとなくこの結論に勇気づけられ、納得している。

通りすがり通りすがり 2016/03/21 13:56 統合情報理論も一つの仮説の段階のようです

NHKの番組でもやってましたが死は全て終わりという仮説と同時に魂を肯定する仮説もあります。

意識は様々な仮説があり未だに意見が分かれているようです。量子脳理論は肯定する仮説のようです。
https://www.youtube.com/watch?v=CbsBZguL9CM

通りすがり通りすがり 2016/03/21 14:18 昨日発表された興味深い記事を見つけました


米国カロライナ大学の研究者らは、肉体の死後に入るのは天国と地獄ではなく、ある種のパラレルワールドである、と主張している。

研究グループを率いるロバート・ランツ氏によれば、人間のライフサイクルは植物にたとえられる。すなわち、咲いてはしぼみ、新しい開花を繰り返す。何度も、何度もだ。物理的な死の後、その体の破片、正しくはその不滅の精神は、宗教が主張するように天国か地獄かではなく、全く異なる次元に入っていく。

また、ランツ氏は、パラレルワールドで死を繰り返すうち、私たちのこの次元で再び再生することもある、とする。この理論はビッグフットや人魚、さらには宇宙からの飛来者といったものの存在をも説明する、という。

http://jp.sputniknews.com/life/20160320/1815709.html

主流の記事でないものの科学の世界にも認められつつあるようです。

awayaway 2016/03/21 18:36 コメント2件、ありがとうございます。
クリストフ・コッホとジュリオ・トノーニの唯物論には説得されます
が、パラレルワールド仮説やペンローズの量子脳仮説とも魅力的ですね。
特に僕は、宇宙論においてのパラレルワールド仮説は正しいと思って
いますので。脳科学においても仮説が立証され、死後も魂が存在し
続けることが立証されることを、僕は心から望みます。
(統合情報理論に反証することができないので、認めざるをえない
ですが、その結論は魅力的とは言えません)
僕が生きている間に何らかの結論が出ればいいのですが。。。

通りすがり通りすがり 2016/07/15 18:02 本書を読んでいないのでもしかしたら突っ込まれているかもしれませんが、
こちらから観測できない独立した「魂」が脳に情報を送り、それを再統合して「意識」として発現している可能性もあるのではと思います。
(そもそもどんな可能性も完全に否定はできないのでしょうがそれはそれとして)

以下の記事のどちらも(真偽はともかく)「嘘」をついているとは思えないので、ある程度信用できるはずです。
もっとも、そう言っている私自身が信じ切れていないのだろうとも思いますが・・・。
ただ、消滅を恐れるのならそういった「信仰」にすがるのも一つの手ではないかと納得するようにしています。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/36824
http://wired.jp/2013/05/02/consciousness-after-deathall/

awayaway 2016/07/16 15:46 こんにちは。コメントありがとうございます。
臨死体験については立花隆の「臨死体験」に感銘をうけました。週刊現代の記事も
ほぼそこに記載された事例と同様ですね。WIREDの記事も興味深く拝読しました。
バーニア医師は救急救命医のようですが、同じく日本でも救命医の矢作直樹先生の
「人は死なない」は大変興味深く読みました。
死の直前に多くの場合、人は何かを見ることは間違いないようですが、その後、
本当の「あの世」に行くことになるのかどうか、がわからないのがどうにも
もどかしいです。さらなる研究・発表が出てきたらいいですね。

riverriver 2017/06/30 08:54 先日 茂木先生に死後の世界について質問しました
そうしたところ 意識の発生のメカニズムがわからない以上 科学的にはどうとも言えないと言っていました とゆうことは 意識の発生のメカニズムが解明されれば 死後は無であるとゆうことになるのでしょうか? そして科学は死後の世界はないと証明することはできるのでしょうか? コメントなのに質問ばかりですいません

awayaway 2017/07/01 20:47 riverさん、コメントありがとうございます。
僕がこの本を読んで理解した限りにおいては、意識は脳の活動によって生み出されるものであるようです。(少なくとも僕はこの本に書かれたことに対する有効な反証を
あげることができません)。つまり「論理的に説得された」状況になっています。
意識が脳の活動の産物であることを認めれば、死=特定の個人の意識の消滅、となることを認めざるを得ません。ただ意識と魂は別物である、という理屈はあるのかもしれません(この仮説を科学が立証することはちょっと想像できませんが)。

あいうえおあいうえお 2017/07/08 17:52 んー、統合情報理論というのは、客観的に情報を細かく捉えていって、
その情報量を計算する(細ければ細かいほど情報量は増えるみたいな)、
という意識の一つの客観的な観測手段であって、
それを様々な医療的な機器を使って確かにしていく、というものだったはずです
あくまで、”客観的に意識の有無について観測するという事”だと思います

意識が脳に起因するという唯物論的な形の証明ではないような気がするのですが、
どうでしょうか

著者であるジュリオ氏の主観、客観をうまく読み取れていますか

これは個人的な考えなのですが、
結局唯物論的な形で証明されたとして、
果たして人は幸せになれるのでしょうか?
他で証明された事と自分の経験が合わないのは、
理にかなっていないと思うのです。
我々は死んだ事があるという経験と記憶が無いので、
未だによく分からない死を憂えても仕方ないという立場です。
死が絶対的・確実的なものとして誰にでも当てはまるように証明されたら、
僕らは一体何をすれば良いのでしょうか。
君の考えた個人的な人生の意味なんて無いよ、と無責任に手のひらを返すのでしょうか。
心脳問題、生と死の問題は未だ不確定なものであり、慎重であるべきだと思うのです。

awayaway 2017/07/10 21:06 あいうえおさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
この本で述べられているのは「意識が脳に起因するとすれば
説明可能なことが多い」ということであろうかと思います。
なお、事実がどうである、ということが証明されたとして
それが、人の幸せにつながるとは限らない、とは思います。
ただ僕個人は、事実がどうであろうと自分はこう信じる、と
いうことが出来ないタチなので、もっとも信憑性の高いと
思われる筋に基いて、自分の思いも組み立てざるを得ない
な、と感じています。
このあたりは人それぞれ、いろいろだろうと思います。

加藤優志加藤優志 2017/12/24 23:47 こんばんは。はじめまして。仙台の大学生です。
たまたま精神分析関連の記事を見つけてそこから色々と面白く読ませていただいています。
最近デレク・パーフィットの『理由と人格』の一部を授業のために読んだのですが、ジュリオの考え方と似た部分があるのかなと思いました。というのもパーフィットもまた人格とは何かという問いへの答えとして、非人格的な答え方、つまり様様な心理現象の連関とその継続として私たちがあるのであり、なんらかの超越的な自我の存在に否定的な見方を取っているからです。訳者が維摩経の無我についての一節を解説で紹介していたのもジュリオとの近さを連想させました。参考までに。

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