■とてもひさしぶりの更新をしようとしているが、なにを書けばいいのだろう。

■そしてこれを書く前、ひさしぶりに、主に震災後の記事を読み返していたのだけれど、当時の心境がよみがえってきて、とても神妙な心持だ。


■私にとっての震災後とは、こどもという存在があらわれるとても特別な日々のことだ。

■震災直後に妻の妊娠がわかり、その年の11月に娘が生まれ、翌年2月、それまで5ヶ月ほどの一人暮らしののちに、実家で過ごしていた妻と娘が戻ってきて3人の暮しが始まる。

■そして今、来月2歳になる娘がやっと寝て、静かな時間。となりの部屋からは妻の足もみの音、テレビの小さな音。ビールを飲みながら。

■今日からまた定期的に書こうかなという心境。どうなることやら。

■雨が降っている。よく降っている。


■休日でゆっくりと過ごしている。妻は美容院に行って、私と娘で留守番をしている。テリーライリーの「inC」を小さな音で聴きながら娘を抱えゆらゆらしていたら寝てしまった。そっと布団の上におく。いつもならこのタイミングで目を覚ましてしまうことが多いのだがすやすや眠っている。この雨が眠りを誘っているのか。


■キッチンのテーブルでパソコンをいじりながら、妻からの連絡を待っている。小さく開けたふすまの隙間からとなりの部屋で眠る娘が見える雨の日曜日の午前中。

■もうひと月更新が滞ってしまいました。

■今、こんなことをやっています。


■匙屋というおみせをお借りして、古本を販売しています。とてもいい空間。今日も店番してきたところです。明日も夕方から開けます。あさって27日は最終日午前10時から。

古本泡山の店番日誌 http://d.hatena.ne.jp/furuhonawayama/

匙屋 http://www.sajiya.jp/home.html



■ひさしぶりに連休でとくに予定がないこともあって、遠出はせずにのんびりと過ごした。

■庭がにぎやかになってきていてうれしい。いつのまにかつつじが咲いていて、まじまじと見つめる。娘を抱いて庭に出てなにをするでなく佇んでいるだけで気持ちのよい今日、コートを羽織ることなくかるい装いで近所を散歩したり、窓を開け放して昼寝などしたり、もう寒さとはおさらばだという気持ち。春、春、春!


■私と妻が蒸し鶏やがんもどき(ひさしぶりに食べたら美味い!)を食べる横で娘に粥を初めて食べさせてやった。なんだこれはという微妙な表情がしぶかわいかった。

■桜が散って、なんとなく落ち着いた気持ちになるのはなんだろう。桜が嫌いなわけではない。ただ、満開の桜を見るとこころがざわつくのだった。

■庭には植物が伸びてきており、ながめるのがたのしい。あれはなんという花だ、と妻にひとしきり聞く。

■ぐんぐん成長していく娘と接して、映画「PINA」を観て、からだを動かす現場仕事の毎日にあって、身体について考える。娘を風呂に入れると湯をパシャパシャと一心不乱に叩く動きはどちらかといえばぎこちない。それは、自分の腕を動かすということに意識しているように見え、身体の発見があるようだ。「PINA」ではピナ・バウシュのもとで踊っていたダンサーたちのダンスが堪能できるのだが、最後のほんのわずかなピナバウシュ自身のダンスのその力の抜け具合に、他のダンサーたちと一線を画していることがありありとわかり唸ってしまった。そして現場仕事では足場を上り下りするときに、作業をするときに、無理な体勢になって、どこに力を入れ、どこの力を抜くかによって身体の疲労がまったく違うことに気づく。

■それにしても最近はとにかく眠い。午後10時ころにはうとうとし始める。そして早くに床につくのだが、ぐっすり朝までというわけには行かない。眠れないということはないのだが、2度3度、目を覚まし、娘の寝顔を見つめまた眠るのだった。妻はいびきがうるさいと言う。そういえば朝起きるとのどが痛い。呼吸を整えていきたい、とこれもまた身体の話だろう。


小沢健二のコンサートに行った。自分ではチケットをとることができずあきらめていたのだが、友人が誘ってくれた。二年前には浜松の公演に行ったのだった。そのときは、公演の日が近づくにつれてドキドキして何がなんだかわからなくなったものだが、今回はちょっと冷静に観ることができ、どちらの体験も忘れえぬ大切な体験であることには変わりないのだが、とても良かった。ギターを弾き歌うKOのほかには、コーラス、4人のストリングス、ベース、というシンプルな編成で楽曲そのものを存分に味わうことができた。「ある光」、「夜と日時計」がとてもよかった。そしてなによりも前回と違い良かったのは東京で観ることができたことだろう。「東京の街が奏でる」と謳い全公演初台のオペラシティでやるということについて考えている。公演前に新宿で友人と待ち合わせ、オペラシティまで歩き、PUBでビールをたくさん飲んで会場に入ったこと、公演後、新宿駅まで歩きながらコンサートについてため息まじりにことばを交し合ったこと。東京の、街が、奏でる。

■友人は公演の次の日、オーストラリアに旅立った。東京にコンサートの余韻を封じ込めたままにしておけるなんて、心底うらやましいと思った。


■朝、雨は降っておらず、天気予報も曇りのち晴れだったもんだから、当然のように現場仕事に出かけたら、雨。すぐにやむだろとファミレスで待機するもなかなかやまずコーヒーを何杯もおかわりし、結局解散。突然空いた午後、渋谷へ。


富田克也監督の「サウダーヂ」を観た。とても素直な映画だと思った。観客にこびるところがなく、共感も求めない、しれっとしたところがあってとてもかっこいい。描く世界もそうだが、映画そのものにも不良性を感じる。かといってゴリゴリの作品かといえばそうではなくて、チャーミングでくすっと笑うシーンもいくつもある。優等生は出てこない、みんないびつだったり、不安やジレンマを抱えていたり、いらついていたり、痛かったりする登場人物たち。そんなやつらがとてもいい顔をしている。しかしそれらの人物たちをことさら魅力的に描こうとしていないところがすごくいい。あくまでフラットにそこにあるもの、こと、ひと、を撮っているという感じ。いい映画だった。

■鼻の下のひげをそってもうひと月以上経つのだけれど、会うひと会うひとだーれも指摘しないのね。で、我慢できずにときには自分からどこか違わない?と聞いてみるのだけれど、それでもわからなかったりして、そんなものか、と落ち込むほどでもないんだけど、なんか肩すかしを食らった気分。まあ顎下のひげは残ってるからインパクトに欠けるよね。剃るときはえいっ!て感じだったんだけども。

■なぜ剃ったかといえば、今年の頭にずっと入院している祖母に会いに行ったときに私の顔をまじまじとみつめて、ひげなんか生やしてそんな汚い顔だったかねー、といきなり言われ、じゃあ次会うときはさっぱりした顔を披露しようと思ったから。ずっとひげ面だったのになんでいきなり、と驚いたけれど、祖母は近頃会うたびむかしの話を繰り返すようになってて、きっとわたしの子供時代のつるんとした顔をおもいだすことが多かったから、そんなふうに思ったんではないだろうか。つるんとした鼻の下を見て祖母は喜んでくれた。うんうんとうなづき満足そうだった。

■そんな祖母に今日も会いに行った。初ひ孫との対面に感激していた。娘は泣くことなくじっと曾ばあちゃんを見つめていた。なんだかとても不思議な瞬間だったね。