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2012-07-08

「平治の乱」へのおさらい5

18:13 | 「平治の乱」へのおさらい5を含むブックマーク 「平治の乱」へのおさらい5のブックマークコメント

源左馬頭義朝

赤地の錦の直垂に黒糸威の鎧、鍬形を打った五枚兜の緒を締めて、怒物作りの太刀を帯び、黒羽の矢を背負い、節巻の弓を持って、黒鴾毛の馬に黒鞍を置いて、日花門に引いておいた。年三十七、眼差しも面魂も他の者とは違っている。

嫡子悪源太義平

生年十九歳、練色の魚綾の直垂、八龍といって胸板に龍を八つ打ってつけた鎧を着て、高角の兜の緒を締めて、石切という太刀を帯び、石打の矢を背負い、滋籐の弓を持って、鹿毛の馬ではやり立つのに、鏡鞍を置いて、父の馬と同じ向きに引いておいた。

中宮大夫進朝長

生年十六歳、朽葉色の直垂に澤潟といって、澤潟威にした代々伝わる鎧に、星白の兜をかぶり、薄緑という太刀を帯びて、白箆に白鳥の羽で作った矢を背負い、所籐の弓を持って、葦毛の馬に白覆輪の鞍を置き、兄の馬にそえて引いておいた。

右兵衛佐頼朝

十三歳、紺の直垂に、源太が産衣という鎧を着て、星白の兜の緒を締めて、髭切という太刀を帯び、十二本さした染羽の矢を背負い、滋籐の弓を持って、栗毛の馬に、柏と木菟を摺った鞍。

平治物語より)

すべてが滅ぶことに備えた死化粧である。

2012-07-01

「平治の乱」へのおさらい4

10:14 | 「平治の乱」へのおさらい4を含むブックマーク 「平治の乱」へのおさらい4のブックマークコメント

先週見逃した「平清盛」を再放送で観たが、今日の回はもう「平治の乱」なのか。

少し進行が早いので驚いた。これで一年持つのか心配だ。

自分の知っている限りでは平治の乱以降、源氏勢力は完全に滅ばないまでも体を成さない状況。平氏は旭日昇天の勢いで、平治元年の翌年の永暦元年に清盛は、官位は太宰大弐のまま一階級飛び越して従三位となり、同年中に参議、右衛門督、翌年の応保元年に検非違使別当、権中納言、翌年は従二位、三年後の永万元年に権大納言、兵部卿、翌年仁安元年に正二位内大臣、二年に左右大臣を経ずに太政大臣に昇った。

一門の栄達も長子重盛が内大臣となり、公卿十六人、殿上人三十人以上、国司六衛府の武官が八十余人と伝わっている。(源平盛衰記)

平治の乱を収めた平氏に朝廷も一目置かざるを得ない上、結婚政策で深く公家と結びつき、清盛の女徳子が高倉天皇中宮となり皇子を生みそれが安徳天皇となり、遂に天皇の外祖父となるのである。

しかしそれもライバルが居ないのだから当然で、その間は政治工作ばかりで大きな戦も無く、鹿ケ谷事件や福原遷都、鳥羽院上皇を幽閉するなど歴史上の大事件はあっても一般的にあまり知られていない上に陰謀が渦巻く陰湿出来事でテレビドラマで受けると思えない。

余程に良い脚本を作らないと、視聴率はさらにピンチになるかもしれないと予想している。



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鎌倉悪源太義平

2012-06-30

「平治の乱」へのおさらい3

18:20 | 「平治の乱」へのおさらい3を含むブックマーク 「平治の乱」へのおさらい3のブックマークコメント

藤原信頼はある意味では「平治の乱」の一方の主役である。

大河ドラマでは違った容姿だが、伝わっているのは大変な美男子で、幼少のころから後白河に寵愛された。愚管抄には「あさましき程に御寵愛ありけり」(巻五)とある。

2012-06-04

「平治の乱」へのおさらい2

13:24 | 「平治の乱」へのおさらい2を含むブックマーク 「平治の乱」へのおさらい2のブックマークコメント

碩学信西入道は不仲であったが藤原頼長を、「日本一の学生」と褒めている

一方の頼長も相当な自信家であったが信西のことを「天才之才子 絶代之高才」と自身の日記「台記」で絶賛をしている。

信西の知識は和漢に通じ、残っている書物、「信西入道蔵書目録」を見ても知識の深さには驚かされる。

2012-06-03

「平治の乱」へのおさらい1

20:16 | 「平治の乱」へのおさらい1を含むブックマーク 「平治の乱」へのおさらい1のブックマークコメント

源義朝には男子がたくさんいるが母親はそれぞれ違う。

長男、悪源太義平の母は三浦大介義明の女(むすめ)、次男朝長の母は相模秦野の波多野義通の妹、次の頼朝の母は熱田大宮司藤原季範の女、次の希義の母は駿河藤原の友忠の女(頼朝と同母の説もある)、次の範頼の母は遠江池田の遊女、そして今若、乙若、牛若の母が有名な京の常盤。

これで気づくことがありますか。

そう、義朝の本拠地鎌倉から京への街道筋の女たち。京への出仕の道すがら同衾した結果に間違いはない。常盤に三人の子どもがいるのを特別に寵愛したからと後年言われているが、単に京での滞在が長かったからかもしれないと思っている。