short peace 「GAMBO」

最上領と二つ引両


あらすじ
***
ときは16世紀末。
戦国時代の末期に入った東北地方の山間部で、巨大な白熊と戦う野武士の一団があった。
白熊の圧倒的な力に壊滅状態の野武士たち。

青年部下自分の最後を覚悟するが、白熊は止めを刺そうとはしなかった。


ときをおなじくして、天空から何かが山中に落下する。
その直後、山中の寒村に巨大な鬼が姿を現す。
鬼は、略奪と暴力の限りを尽くし、さらに次々と女を連れ去っていった。


熊との戦いに敗れ、村に助けを求めた野武士たちは、そこで村の惨状を目にする。
すべての女は連れ去られ、次には小さな少女を差しだすしかない。
そんな状況に憂う少女は、彼岸花の咲く川辺で白熊と出会い、助けてほしいと願う。


その言葉を聞きいれたように、鬼の住む場所に向かった白熊は鬼の住処を破壊する。
あらわれた鬼と退治する白熊。外から来た「力」と山を守ってきた「力」が遂にぶつかり合う。

(パンフレットより抜粋)
***

人間と言うのは、実に愚かなもので
立場が違うだけで同じ人間でも敵と見なす心弱き生き物である。


最上領と二つ引両
自分のルーツに迫るキーワードに心躍ります。

というのも、母方の祖父母の産まれは山形県最上郡。
この話の舞台となったであろう寒村の生まれ。
自分にとって最上郡とのかかわりは薄いが、親近感がわいた。
(祖母の半生は戦後版「おしん」そのもの)


ストーリーは若干のSF要素が入りつつも、
神話的存在の白熊が程良くバランスをとっている気がした。


鬼の背後にある、彼自身のストーリーも妄想が膨らむが
SF好きとしてワクワクしたのは「異人種でも子どもが作れるのか」というところ。

小型の宇宙船を開発できたのだから、
異人種との子孫繁栄手段は訳のないところであるのか、
はたまた「鬼」そのものが地球外生命体の実験動物としての地球上陸だったのか、
ガチで侵略しに来た宇宙人だったのか…妄想が膨らむ。

複数の小鬼を孕んでいることや鬼自身のフォルムの生理的気持ち悪さと相まって、
だいぶショッキングなシーンではあったけれど。



そして、物語後半。
熊と鬼が戦う最後に、武士の軍団が到着する。
家紋は「二つ引両」、足利氏の家紋である。


映画を観た段階では、「二つ引両」が足利氏のみの家紋であったと誤認していた。
そのため、舞台は栃木か?と勘違いもしていた。
(最上領のくだりも、上映後に買ったパンフから知った)


しかしまぁ調べてみると、最上氏も同じく「二つ引両」の家紋を使っていたとのこと。
最上氏がついていた軍勢遍歴をみるとそれも納得する。
時代もちょうど「関ヶ原の戦い」あたりなので、最上義光の時代とかぶる。
最上義光wikihttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E4%B8%8A%E7%BE%A9%E5%85%89





登場する熊や鬼は寓意的な意味合いについては、映画内でもパンフでも言われているので割愛したいところ。

この物語では、白熊がでてくる。
個人的に「白」という色に対する日本人の古来からの考えは好きだ。
どうでもいい主張だが、結婚式は絶対白無垢がいいというのが私の勝手な考えである。
穢れのない「白」、あの世とこの世を繋ぐ意味での「白」。
「自分の存在がどこにも属さない」という意味を現す色。
この考え方はとても“日本的”な気がしている。


日本の山奥、寒村、閉鎖的社会は昔から魅力を感じている。
岩井志麻子の「ぼっけぇきょうてぇ」や「狗神」、
横溝正史の「犬神家の一族」などの作品を読むと
心を抉るような好奇心に襲われる。


外から来たもの、人で非ざる者に対する「鬼」という
形容詞/固有名詞は万能だなという印象。
マジョリティから観た「悪」は「鬼」として例えられ、
そんな「鬼」の所業は、例え彼らの正義だとしても成敗の対象になる。
あな恐ろしや。


この作品、そんな奥深いところまで考えられちゃうところが素敵だと思う。
荒俣さんの解説もとっても面白い。一読の価値あり。


しかし、この後生き残った少女カオの未来は幸せなのだろうか。
決してハッピーで終わらないのが、本来の昔話であろう。


「己が願ったことならば、最後まで見届けよ」



キャラクターデザインは貞本さん。
おおかみこどもの雨と雪」でも感じたが、子どもキャラが可愛すぎる。



GAMBO
安藤裕章
2013