とにかく向かいたい先へ

9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学

苦しくても、ただただ自分がやりたくてがんばった先にある姿。
この本を読んでいる間、ずっと主人公と共にハラハラドキドキ、応援する気持ちだったので、感動しました。
そしてガイドさんたちが私たちを見ているときって、こんな気持ちなのかなと思いました。

P360
 Junko先生のアナウンスのあとに舞台に上がり、日本から唯一持って来た一張羅に身を包み卒業コンサートのカウントオフ。緊張に潰されそうになりながらも夢中で演奏し、気づくとジョーもジョナサンも笑っていた。全てを終えて舞台を下りるとファカルティ(教授)のひとりであるジミー・オーエンズ(TP)が近寄って来てぎゅっと強い力で肩を抱きしめてくれた。
「千里。俺は知っている。おまえは最初何も出来なかったんだ。オリエンテーションの日。そしてあれから徐々にジャズが形になってきたのも覚えている。たくさん努力をしていた」
 学校で一番厳しくて口も悪く恐い先生だったジミー。彼の授業で「千里はこの学校始まって以来の劣等生だ。出て行け」と怒鳴られたことがある。僕が携帯の譜面ソフトを見ながら演奏をしていたときだ。シーンとなったクラスで僕はひたすら頭を下げるしか無かった。その厳しかった先生が肩を震わして僕のために人目も憚らず泣いてくれている。
「本当にありがとうございます」
 僕もひたすら流れ落ちる涙を拭うのを忘れていた。
 ・・・
 Zinc Barにも大勢の人が聴きに来てくれて大盛況だった。80歳を超えた父が初アメリカ上陸で一緒に祝ってくれた。パチパチ、パパラッチのように52歳の息子の門出をカメラで撮りまくる父。大きな会場で行われたニュースクールの卒業式でも、あの卒業の帽子を被って同級生に交じり通路を歩く僕にパチパチ、パパラッチは容赦なかった。その音を僕は今も忘れない。
 父は下咽頭癌で声帯をとっているので喋れないのだが、2人で行ったFred Herschのソロピアノコンサートのラスト、すくっと立ち上がり、拡声器(バイブレーターのようなもの)を喉に当て「ブラボー!」と叫んだのだ。その時、偶然会場にいた僕の一枚目のアルバムの宣伝マン、ユダヤ人マットが駆寄って来て、父としっかり抱き合った。
 僕は涙がこぼれた。
 ・・・
 一つしかない決して小さくない人生に与えられたたった一つの命という名のチャンス。それを歯磨き粉のチューブの最後の一押しまで使い切る人生をイメージしてみる。吹けば飛ぶような人生かもしれないが、そこには鮮やかな色彩のフレーズやハーモニーが溢れている。

 この最後の文章「吹けば飛ぶような人生かもしれないが、そこには鮮やかな色彩のフレーズやハーモニーが溢れている。」6月29日〜の「明るい終活セミナー」でも、こんな風に感じてもらえたらと思います。
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