私はすでに死んでいる

私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳

この本、結構読み応えがありました。興味深かったです。
このタイトルは、自分はもうすでに死んでいるのだ、と主張する患者さんのエピソードからとられたものです。
印象に残ったところを書きとめておきます。
こちらは記憶と自己感覚についてのお話です。

P62
 自己感覚と聞いてまず思いうかぶのは、自分という人間を描くさまざまなストーリーだろう。自分のことを誰かに(自分自身のこともある)語ろうとすると、自分がどういう人間かを説明するエピソード記憶のアルバムを開く必要がある。それがナラティブ・セルフだ(ナラティブ・セルフの一部は認知にとどまらず、体現もされているとピア・コントスは強調する)。ナラティブとは、つながりあった一連のエピソードのことだ。私たち人間は、そうしたストーリーを未来に投影することもできる。つまりナラティブ・セルフは覚えている過去であると同時に、想像する未来でもあるのだ。未来のシナリオを書くとき、過去を思いだすのと同じ脳内ネットワークが使われていることは、ここ一〇年に多くの研究で確かめられている。
 ・・・
 一連の実験からわかるのは、アルツハイマー病の疾病失認はたんなる記憶力の問題ではないということだー自己そのものも大きく関わっている。「他者ではなく自分に関する情報だけが更新できなくなるのです」とザンボーニは私に言った。
 ・・・アルツハイマー病の疾病失認は、診断を覚えていないのはもちろんだが、それ以上の問題に根ざしているというのだ。自分自身に関する知識―自己表象システム―に関する意味記憶は、特別な形式を持っているとモリスは主張する。それは言ってみれば「個人データベース」であり、一般的な事実や対象物に関する意味記憶とは一線を画している。「自己表象にだけは特別な何かがあるんです」ロンドンにある研究室でモリスは言った。アルツハイマー病になると、「新しく入ってきた情報を自己表象に統合できなくなる」というのが彼の仮説だ。
 モリスによると、自己表象はもともとエピソード記憶だが、何らかの変化で意味記憶になったのだという―「意味化した」エピソード記憶ということか。自分自身に関するエピソード記憶が他のエピソード記憶とは別に、意味化された形で取りこまれ、保存されている・・・
 自己表象システムが正しく機能していれば、エピソード記憶は次々と意味記憶へと変換され、「私はこんな人間だ」の中身になっていく。