加藤清さんの話

ハーモニーの幸せ (角川文庫)

加藤清さん、ほんとにすごい方がいるのだなとびっくりして本を読んだ記憶があります。
その加藤清さんとのお話です。

P41
 2001年10月、精神科医の加藤清先生をゲストにお迎えして「聴くことの時代/トーク・デ・ナイト」というイベントを行った。
 ・・・
「そういうことがあるんです。家族の一人がタナトス、つまり死の方にひっくり返ってしまうと、周りも巻き込まれるんです。そのきっかけになるのがエロスです。だからエロスも危険なんです、急にエロスに傾くと今度はタナトスにひっくり返る」
「な、なるほど、そう言えばそういうことありますね。一人が死の方向にひっくり返って向かいだすと、まるでドミノ倒しのように家族がバタバタと白から黒へとひっくり返っていくことが……」
 私はそのとき、他人のことを語るような口調で、実は自分の家族のことを考えていた。
 兄が引きこもり始めたときに、家族のなかに起こったなんともいえない陰うつな気分の連鎖について思い出していた。
 一瞬の間、その記憶に浸っていたように思う。
 そうだ、兄と母が死んでから、私はより人の死に多く遭遇するようになった。そして、いつも死について考えている……。私は長いタナトスを生きている……。
 するといきなり先生の声が私の方へまっすぐに飛んできたのだ。
「だから、あんたは生き残ってますやろ」
 はっと我に返って、何を言われているのかわからなかった。
 だって私は、自分の家族のことは話していない。他人の家族のことのように語ってみた。自分の家族のことは、記憶のなかに押しとどめておいた。
 ただ、確かに、私がいま心のなかで考えていたことは、私の家族のことだった。
 どうして、先生は、私の考えがわかるんだろうか。私はどぎまぎしながら先生の顔を見た。
「あの?私のことですか?」
 先生は相変わらず無表情に、でも、どこかに人なつっこさを残して私を見据える。
「そうです、あなた一人だけ生き残ってるでしょう」
 一人だけ、生き残っている……?どういうことだ。
 言われてみれば私は確かに家族の死の連鎖には引きずり込まれていない。
 家族だけではなく、他人の感情的トラブル、狂気、それらの死に向かうような力にいつもあまり巻き込まれることなく自分の人生を築いてこれた。
 でも、それはなぜなのか。
「それが、病む力なんです」
 断言されてびっくりした。
「病む力ですか?私、病んでるんですか?」
 先生は初めて、ほっほっほと笑った。
「あたりまえでしょう、病んでなかったら小説なんか書けません」
 ううううっ、わかるようなわからないような。
 トークショーの最中だと言うのに、私はその場を忘れて自問自答を始めた。
「じゃあ、どうしたら、病むことを力まで高められるんだろう。病んで死んでしまう人もいる。でも、病む力によって死へ向かう力を生に向かう力に転換する人もいる。どうしたらそのひっくり返す力をもてるんでしょうか」
 先生ははぐらかすように会場を見る。
 舞台が明るいので、会場を埋めている観客の顔は見えない。
「それは……、わかりませんね。生きてみないと。業みたいなものですから」
 業……、業ときたか。
「カルマ、ということですか?」
「そうですね。業が熟さないと、なかなかそううまくはいきません」