パリの空の下で、息子とぼくの3000日

パリの空の下で、息子とぼくの3000日

 辻仁成さんと息子さんの日常を綴った一冊。

 いろんなことを感じながら読みました。

 

P124

 7月某日、不意に息子が友だちのアンナちゃんと、そのご両親、その姉妹、その姉妹の友だちとベルギーとの国境に近い海沿いの村に旅行に出かけることになり、なにせ、それを知ったのがつい昨日のことで、慌てて寝袋やお土産を買いに走ったり、トランクに服とか歯ブラシとか寝具類をパッキングした。2週間ほどそこで共同生活を送るというので、・・・

 ・・・

 ・・・お父さんはいるにしても、18人もの女性だらけの合宿みたいな旅に参加したい、と言い出すのだから、ある意味、息子の成長ぶりに驚きもあった。・・・

「アンナと君が一番年上だということだから、アンナのお父さんの手伝いとか、力仕事とか、率先してやるように。いいね」

「うん、わかった」

「着いたら、必ず、連絡するように」

「うん、わかった」

 ・・・

 ・・・息子がアンナちゃんの家族と夏休みの合宿旅行に出てから1週間ほどが経った。毎日、「Ça va ? (元気?)」とメッセージを送っていたが、「oui(うん)」しか戻ってこないので、それが何日も続くものだから、さすがにこのやりとりだけじゃいかんと思って、ついに、父ちゃんは重い腰を上げ、息子に直接、電話をかけることになった。

「毎日、何してんの?どんな生活おくってるの?」

「うん、楽しいよ。大丈夫」

「あのさ、大丈夫って、もうちょっと具体的に教えてくれない?一応、ひと様の家に息子を預けてる親の身としては心配なんだよね?手伝いとかしてんの?」

「あ、ご飯食べたら、僕も食器洗ってるよ。順番で片付けないとならないんだ」

「へー、皿洗いとかできるの?だいたい、そこ、どんなところなの?」

「とっても田舎の家だよ。周りに何もない、畑とか草原とかの途中にぽつんと建った、ほんとうに小さな村の一角の古い家、豪華じゃないけど、でも、とっても居心地のいいところだよ。庭があって、ハンモックが木と木のあいだにぶら下がっていて、そこで昼寝することもあるし、庭で食べる時もある。パリとはぜんぜん違う。家が周りにないから、星がきれいで、みんなといろんなことを話すんだ」

 ・・・

「・・・あのね、こういう幸せもあるんだって、気がつくことができた。経験になった。大家族っていいなぁ、と思った。僕も大人になったら、誰かと結婚をして、家族を作って、田舎で暮らして、子供たちと一緒にご飯を食べたい。高級料理じゃなくても幸せなんだ、昼も夜もシンプルなピザとかパスタだけど、でも、みんな幸せなんだよ」

「・・・お手伝いって、すごく楽しいんだよ。そこに参加できること、誰かに認めて貰えること、信頼して貰えること、大人として扱って貰えていること、すべてがとっても素晴らしいんだ。僕は家では何もやらない子だけど、でも、ちょっと変わったかもしれないよ。これをやりなさい、あれしなさい、というのがなくても、しなきゃって勝手に身体が動くんだ。自分から仕事を見つけていくというのか、直したり、片付けたり、誰かに何か言われる前に、自分で率先して考えてその中の役割をこなしている。毎日、そんな自分にびっくりしているよ。そういう家族の中にいられて、今はとっても幸せだから、心配しないでいいよ。メールで書けないんだよ。パパはフランス語読めないし、僕は日本語書けないし、だから、いつもouiだけだけど、でもそのÇa va ? (元気?)とoui(うん)のあいだにこんなにたくさんの大切なことがあるんだよ。だから、心配しないで。パパはパパの時間を楽しんで。もっと話したいことがあるけど、それは帰ったら、ちゃんと話すからね」

 ・・・

 ・・・

「あのね、パパは誰かいないの?」

 いきなりだったので、ハンバーガーが喉につっかえてしまった。

 コーラで胃に流し込んでから、変なこと聞くなよ、と戻した。

「家族っていいよ。確かにパパが懲りてるのはわかってるけど、僕が結婚して家を出たら、パパ一人になる。考えてみてよ。100歳まで生きるならまだ人生、残り40年もあるんだよ。パパは絶対長生きする。白髪もないし、ストレスないでしょ?」

「あるよ」

「でも、今はいいけど、そのうち寂しくなるよ。いつまでも自分を責めて生きても仕方ないよ。僕は勝手に大人になるし、パパはほっといてもおじいちゃんになる。寂しさを埋めるためじゃなく、同じような価値観を持ってる人がい。心の痛みを分かち合えるし、逆に、楽しく生きればいいじゃない。きっとパパの料理を喜んでくれるはずだ。僕も寂しくなくなるし」

「……」

「家族って、日々に意味を教えてくれる存在なんだと思う。僕はアンナの家族からたくさんのことを教わった。一人一人の役割りとかがちゃんとあって、羨ましかった。お父さん、お母さん、娘たち、従兄がいて、その友だち……。パパと二人で生きることができてよかったけど、ずっと二人っきりというわけにはいかない。僕が家族を作るまでにはまだまだ時間がかかる。僕のことなんか気にしないで、探しなよ」

「パパは向かないんだよ。一人が好きだし、ご存じの通り、なかなか難しい人間だからね。こういう変な人間と好んで生きてくれるモノ好きはなかなかいない、ってか、パパはもう期待してない。期待しすぎるから、人間は苦しくなんだよ」

「それ、パパの口癖だけど、間違いだ。アンナの家族はみんな期待し合ってた」

 ぼくは驚いた。居心地が悪くなった。

「アンナのお父さんは、アンナに期待していたし、アンナはお母さんに期待していたし、妹たちも、アンナに期待していた。みんな、ものすごく家族に期待していた。僕は羨ましかった。期待し合えるってすごいことじゃない?」

 息子の視線から目を逸らしてしまう。

「パパはきっと期待をしなかったんだよ。期待を裏切られるのが嫌で……。でも、期待をすることの方が大事だ。たとえ裏切られても、期待し合える関係って僕は素敵だと思う」

 息子に説教をされてしまう。途中からフランス語になっていた。

「田舎の暮らしって、期待しかないんだ。人数が少ないから逃げ場がない。だから、開かれた期待をする。僕は期待されたから、掃除をしたり、朝ご飯を準備したり、片付けたりしたけど、それは悪くなかったし、嫌じゃなかった。むしろ、みんなに期待されたことで、自分の存在理由が、役割が、意味がわかった。期待の向こうに、ありがとう、があった。ありがとう、と言われると、またがんばろうって思える。それは、悪いことかな?人間らしい。パパ、他人に期待してもいいんだよ。期待しないだなんて、思うからうまくいかなくなるんだ。知ってるよ、パパがいつも最後は人を許していることを……。でも、そろそろ、パパも誰かに期待をして生きてもいいんじゃないの?」

 地平線の向こうに、夕陽が沈もうとしていた。

イタリア人マッシがぶっとんだ、日本の神グルメ

イタリア人マッシがぶっとんだ、日本の神グルメ

 そこまで美味しかったっけ?と思うくらい絶賛されていておもしろかったです。

 

P56

 今では大好物だが、初めて見たときは5分くらい言葉が出なかった不思議なアイスが「あいすまんじゅう」だ。

 バニラアイスのボディの中に、なんと小豆あんが入っている。僕がそうだったように、イタリア人には絶対にない発想で、説明を聞いても想像がつかないようなアイスだ。

 そのときは買わなかったが、その後、何回も見かけ、まるで僕を呼んでいるかのように感じた。そしてついに、あいすまんじゅうの思惑どおり、僕はまんまと買わされてしまったのだった。

 一口食べた瞬間、北海道の小豆パラダイスに飛ばされたような気分になり、気が付けば涙が出ていた。外側は、硬めのバニラアイスで濃厚さがなんとも言えない。中からトロッとした小豆が出てきて、まさしくアイスを超えたまんじゅうだった。

「人間がこのようなものを作れるなんて!」と一人でつぶやき、一人で感動し、現実に戻ったアイスが溶けていて食べるのが大変だった。

「次は早く食べないと溶けちゃう!」と思いながら、2回目のあいすまんじゅうも同じ結果になったので、笑った。3回目にやっときれいに食べることができ、相変わらずおいしかった。

 日本の市販アイスの魅力は、季節ごとに味が変わり、期間限定のものが定期的に出て、一年中楽しめることにある。あいすまんじゅうは和栗味もあって、食べたときに改めて感動した。ある日、あいすまんじゅうのことを調べようと思い、検索してみたら息が止まった。僕が知っているほかにも、なんとさまざまな種類があるではないか!死ぬまでに全部の味を食べようと決め、現在、あいすまんじゅうを食べ尽くす計画を進行中だ。

 

P62

 日本に住み始めた最初の頃、日本人の同僚に勧められて購入した「炊飯器」。これは本当に僕を悩ませた。まずイタリアでは「ごはんを炊く」という感覚がなく、どちらかというとリゾットのように「お鍋で調理する」という感覚だ。

 お米をふわふわにするためだけの機械があるなんて想像できず、スーパーでドキドキしながら買った精米を早く炊いてみたかった。

 ところが、家に帰って炊飯器を用意したのはいいものの、使い方がまるでわからない。当時は説明書を丁寧に読めるだけの日本語力はまだなくて、書いてあることがさっぱりだった。辞書を使いながら翻訳して、なんとか炊飯器のスイッチを押すところまで成功したのだった。

 ・・・

 いつの間にか、「このお米は何県産か?」とか「炊き方」を気にするようになった。そのとき、初めて自分の変化に気が付いたのだ。日本人のように、新米の時期を楽しみにしている自分に。

 普通のお米ももちろんおいしいけど、新米はさらに何倍もおいしく、神様からいただいた特別な贈り物のように感じる。ごはんとみそ汁、ごはんと漬物、ごはんとのりといったシンプルなおいしさは、今でも泣きながら完食してしまう。

 ・・・

 最初の方に炊飯器とのストーリーを書いたけど、当時は僕を困らせた炊飯器も、今では「これで本当に人生が変わった」と思えるくらいに使いこなしている。

 タイマーの設定、調理設定、お米の種類によって炊き方は変わるけど、ボタンを押すだけで済む。お米と一緒に野菜や魚も入れたら、炊き込みごはんができる。日本人にとっては当たり前だけど、僕は炊飯器を使うたびに感謝している。もっと早く、イタリアにいた頃に出会えればよかった。「おいしいごはんを炊いてね」と声をかけてしまうくらい好きな存在だ。

 ごはんに出会ったことで、日本のシンプルな味の奥深さを僕は知ったのだった。

 

 

ベーシックインカムの給料制度

社会を変える学校、学校を変える社会

 植松さんの実践されていること、印象に残るところがたくさんありました。

 

P77

植松 僕は評価がものすごく嫌です。だから、基本的にうちの会社でプラスに評価する部分があるとすれば、どれだけ新しい人と会ったかと、どれだけ新しいことをやったかということですね。後はうちの会社の給料は基本的にその人の家族構成とかを基に決めていて、生活するのに困らないだけの給料を払うようにしてるんです。

 

工藤 「ベーシックインカム」ですよね。・・・こんな考え方があるのかと本当にビックリしました。

 

植松 僕は日本の給与体系には問題があるように感じています。日本では「時間給」を制度にしている会社が多いです。でも、時間給は「誰がやっても時間当たりの成果が同じ」仕事の時だけ有効です。時間給では「人より頑張ると損をする」ことになります。だから、仕事の能率を上げるモチベーションが生まれないです。・・・「能力給」にも問題があります。この制度だと、家族が病気になったり、自分が怪我をしたりして、働くことができなくなると給料が出ません。これでは安心できません。だから僕は、最低限の所得補償をする「ベーシックインカム」の給料制度がいいと思っています。でも、「ベーシックインカムになったらどうする?」と日本の学生に質問すると、「お金がもらえるなら働かない」と言うことがあるんですね。かたや外国の学生は、「生活の心配がないなら思いっきり挑戦できる」という意見でした。このモチベーションの違いも、とても大きな問題だと思っています。

 ・・・

 それで、評価のことに戻りますと、会社で僕は基本的には褒めていなくて、とにかく感謝だけして、「こんなことできるんだ、ありがとうね」って言うようにしています。僕は「エライね」とかのように、「褒める」って評価のような気がするんです。

 

工藤 褒め方って、実際難しいですよね。

 

植松 難しいですよね。・・・ロケット教室でも、子どもたちが作っているのを見て歩くわけですけども、この時に僕も「きれいだね」とか「すごいね」とかって言わないようにしているんですよ。「この糊の付け方いいね、ばっちりくっついてるよ」とか、他の子たちもなるほどね、と思えるくらいの感じで言った方がいいですよね。・・・「このデザインいいね」って言ったりすると、他の子たちのがっかり感が伝わってくるんですよね。自分のは言われなかったのにという感じになる。

 

P100

植松 僕は会社を経営しているので「どんな人材が欲しいですか?」という質問をよく受けます。そんな時、僕は「雑談が弾む人。いい文章が書ける人。優しい人」と答えています。雑談が弾む人、いい文章が書ける人は、間違いなく地頭がいいです。人間は言語で思考します。だから、言語がたくさんあるほど思考も深くなっていきます。そして、その頭の良さを生かすのが「優しさ」だと思っています。こういう人たちは、自分からどんどん学び、世の中の問題を解決しようとしてくれます。・・・

 

P110

工藤 ・・・これまでの教育では何かトラブルが起きると、保護者も教員も「とにかく反省しなさい」となりがちでした。子どもに反省させて、それで終わりということが多かったですよね。

 

植松 でも反省だけだと改善につながらないですよね。僕もロケットが失敗した時、記者会見で失敗の原因と解決策と次のアイデアを話したら、記者から「反省の色がない!」と言われました。「反省の色って何色ですか」って言い返したくなりましたが、さすがに僕も大人ですから言わなかったです(笑)。反省は「お辞儀の角度×お辞儀の時間+涙」だと思ってる人って多いですよね。

 

工藤 自責や他責をせずに、ありのままを受け入れて、どうすれば改善につながるのかを考えていく習慣こそが成長を促すのだと思います。まさに、植松さんの言う「だったら、こうしてみたら」で改善していくということですよね。

 

P116

植松 僕はこの世からいじめや暴力、児童虐待を本気でなくしたいと思っています。

 人の自信と可能性が奪われない社会を作りたいんです。

 大人もストレスにさらされることが多い時代だから、社会全体が、みんなイライラしているのかもしれませんけど、僕もかつて、会社のお客さんから、商品の不具合のことで、「今すぐ来て土下座しろ!」と言われたりしました。でも、いくら土下座しても問題は解決しないんですよね。僕はいつも「頭はいくらでも下げますが、大事なことは問題を解決するためにどうするかですよね」と問い掛けてきました。

 そもそも、人は、怒ると冷静な判断ができなくなります。相手をやっつけたくなったり、物を破壊したくなったりもします。そんな時はまずは深呼吸をしながら、「結局のところ、自分はどうしたかったのか?」と思い直すといいと思います。そして、合理的で低コストな解決策を考える方がいいんですよね。

 

P119

植松 日本では、我慢は美徳のように言われがちですけど、これも違いますよね。我慢は苦しい状態に耐えているだけで、頑張って我慢していることは努力だと思ってしまう人が少なくないです。でも実は、それでは何もしていません。耐えているだけです。状態は一つもよくならないです。確かに我慢も必要な時があります。でも、その時にも、「どうやったら解決できるかな」を考えてもがくことがすごく大事です。・・・

 

 

 ところで明日はブログをお休みします。

 いつも見てくださってありがとうございます(*^^*)

社会を変える学校、学校を変える社会

社会を変える学校、学校を変える社会

 大事だなーと思うお話ばかりでした。

 

P19

植松 麴町中では、多くの学校では当たり前にされている、先生が生徒にやたらと「勉強をしなさい」とか、そういうこともあえて言わなかったんですよね。

 

工藤 はい。子どもは主体的な存在ですから、本当は誰かに言われなくても、自分自身が興味があることや、やると決めたことには取り組むんですよね。でも、中学1年生段階ですでに主体性を失ってしまっている子どもたちにはそれを取り戻すための「リハビリ」から始めないといけないことがあります。

 特徴的な一例を挙げると、数学の授業でほとんどの生徒たちはタブレットのAI型教材で自由に自分のペースで学ぶ形を取っていたのですが、中学1年生ぐらいだと全く勉強する気がない子どもたちが何人もいるんです。

 ・・・

 ・・・たった一人だけいつまで経っても、やらない子がいたんです。・・・しかし、7カ月が過ぎた頃のある日、ついにその子がやる気になったんです。人が変わったように猛烈なスピードでタブレットでの学びに取り組み始めたんです。結局、その子はたった1カ月半程度で1年分の内容を終えてしまいました。・・・

 長い時間がかかりましたが、この子の忘れていた「学びたい気持ち」を復活させるのに、約7カ月という時間が必要だったのだと思います。後から調べて分かりましたが、こうした「教えない授業」によって、数学は学習指導要領が定める標準的な時間よりも短い時間で全員が学ぶ内容を終えて、しかも、点数はそれまでより良かったのです。

 特に興味深かったのは、「先生が教える授業」では、「先生の教え方が悪い」と文句ばかり言う子どもたちが、「教えない授業」をすると、自らの意思で先生に質問して、「先生ありがとう」と感謝するようになったことです。自律することこそが、学びの基本だと改めて思いました。

 

P26

植松 ・・・なぜ大卒や大学院修了の人たちではなく、高卒人材を採るのかというと、僕が大卒理系を採らないと決めているからです。その理由は、僕は大卒理系にあまり魅力を感じないからです。

 ・・・

 ・・・彼らの多くは失敗を避けようとして、習った知識の範囲から出ようとしないことがあるからです。・・・

 ところが、高卒文系の子たちは、どんなことでも「どうやればいいんですか?」と聞いてきます。そしてトライして失敗します。でも、失敗から多くを学んでくれて、やがては「できなかったこと」が「できた」になっていくんです。その時の彼らの顔は輝いています。その笑顔を見ると、僕も幸せになるんです。

 ・・・

 時々、「なぜ、そんなことができるようになる社員が多いの?」と聞かれることがあるのですが、僕は、その答えは、「放置しているから」だと思っています。ほったらかしておいても、周りの社員と連携して、できるようになってくんですよね。そんな僕の会社が気を付けていることが五つあるんです。それは、

 

①部と課と役職がない

②ノーペナルティ

ベーシックインカム

④目標稼働率は30%

⑤やりたいことをやろう

 

です。

 僕は、会社と社会は相似形で、会社は社会を映すものだと思っています。もしかすると僕はこの会社で、僕が希望する社会の実験をしているのかもしれません。僕は会社の仲間に幸せになってほしくて、自分が幸せになるためには、周りのみんなも幸せにならなければいけないことを理解してほしいとも思っています。

 ・・・

 ・・・日本のさまざまな会社は今「社内に使える人がいない」と言って、とても苦しんでいます。・・・会社で人材育成がうまくいっていない理由は、現在の日本の受験の仕組みが関係しているのではないかと思っています。・・・

 これを変えるためには、まず「大学に行けば何とかなる」「大学に行かないと就職先がない」という常識を打ち破ることが効果的なように思います。

 ・・・もちろん、大学は「学びたいこと」や「自ら学ぶ意欲」がある人にとっては素晴らしく能力を高めてくれる環境だと思っています。でも、学歴という他者評価のためだけに行くには時間とお金がもったいないです。

 そこで、こうしたシステムを変えるためには企業が採用条件から「学歴」を外せばいいと考えています。外すだけですから、学歴があってもなくてもかまいません。・・・

 

P35

植松 ・・・残念ながら今の日本では、「違う」は「おかしい」と言われます。・・・

 ・・・

 でも、人口が減っている今では、・・・言われたことを言われた通りにやる仕事はどんどん自動化されています。残念ながら、人口増加期の「成功の秘訣」は、ほぼ全てが「負ける秘訣」になってしまっています。これからは、新しい仕事や価値を生み出す仕事をしないと、かなり厳しいです。

 ・・・

 大人は、自分が経験した進路指導が古くなっているという可能性を自覚すべきです。20年前の常識で行動している人が多いです。大人こそ、積極的に現実の社会を見て、常識や教育をアップデートする方がいいと思います。

にぎやかだけど、たったひとりで 人生が変わる、大富豪の33の教え

にぎやかだけど、たったひとりで 人生が変わる、大富豪の33の教え

 たしか前に読んだような・・・と思ったら、4年前に読んでました。

 なんとなく再読したくなったので、今回印象に残ったところを書きとめておきたいと思います。

 

P42

 仕事は選べるもんじゃない。そりゃ好きな事にこしたことはないけど、まず、好きな事っていうのは嫌いになる可能性を一つ持っています。男女交際もそう。好きな事っていうのは、意外と続かなかったりするんやけど、「出来ること」とか「やってきたこと」は「出来ない」がない。

 果たして日本は「好きな事」ばっかりで職人を生んできただろうか?みんなが田植えが好きとは到底思えん。親父がやってるから、自分がこれを継承せな、次に残さなならんと努力を惜しまなかったんや。自分の為やなかった。好きな事っていうのはまさに自分の為で、そんなことが果たして残っていくんだろうかと思います。

 

P123

 ・・・童心に返るとか、リミッターを外していく。リミッターを外したり、感情を取り戻すのにいい場所がある。例えばね、一人でちょっと自然の人気のないとこ行って、河原で魚でもザリガニでもなんでもええねん。昔相手にしてたことを、もう一回相手にしてみてください。それでもう外れていくから、どんどん。童心にも返るし、リミット外れると思うよ。

 子供の時平気でちぎっとったザリガニの腕が、今日もうちぎれない。僕出来るわ。余裕や。

 やらかしたという感情がもう一回自分の中で芽生え始めるから。しもうたと。小さい殺生でええねんで。でっかい殺生したらあかんで。・・・そうしたら自分の中で沸々と大きく湧いてくるのが、やらかしたという感情ね。その感情があまりないので、近年の人には。やらかしてごらんよ。そしたら、もっと表情とか感情が豊かになるはずで、えらいことしてもうたっていう。えらいことしてみるんやって。そのために自然を置いてくれたんや。相手も本気、こっちも本気や。命を頂くという尊さをもう一度きちっと噛みしめる必要があると僕は考えてる。

 釣り人っていざとなったらものすごい優しかったり、いろいろ応援してくれる人がたくさんおる。

 殺生続けてるからだと思うな。でもそれは、家族の為だったり、生活の為だったり、生きるということを、本当に考えてる人なんやな。

 ・・・

 リミッターが外れた人というのは自分が薄まった状態にあります。

 リミッターが外れない人間は自分の命を大切にします。例えばね、自分の考え方を最重要視します。とにかく自分が大切です。この状態から遠くかけ離れた人、これがリミッターの外れる状態。

 だから僕には元々、自分がないので。人のことばっか考えてます。いっつも。お前なんか食うたんか。自分がなんか食うてようが、いまいが関係ない。自分の腹積もり分かってるのは自分なので、そんなものは後まわしで、何ぼでも辛抱のきく人やから。なんやったら、冬の間冬眠したろうかなくらいの(笑)。人に尽くし続けることで、成熟と成果をうむ。豊かになる。

 自分とこは刈り取ったさかいに、人のところはどうでもいいじゃなくて、刈り取ったものの、まだ元気も勇気もあるもんで、あのじいさんとこに行ったろうかな、たぶん一人でやっとるで。そしたらみんなで押しかけて、手伝うたんやな、これが我々です。尽くし続けたら、豊かさがやってくる。オートマチックやったんやな、なんと。

 ・・・

 追い風も向かい風もあんまり感じることはない。運ぶという考え方に変えたほうがいいかもね。「運」というよりも、「運ぶもの」やっていう。必ず相手があるので、運って考えたら自分に向いてるので。僕、自分中心の考え方が苦手。「運」っていうのは、どっちかって言ったら、自分の得や利益考えた時に出てくる言葉で、相手がある時には相手に利益を「運ぶ」という。だから同じ言葉でもどっちもある場合があるねんね。だからそういうとり方を常にしてきたように思います。とにかく相手があるほう、相手があるほうにとってきた気がするね。

 ・・・

 ・・・より多くの人の為になるだろう。より多くの人の心に残るだろう。まあ、そういうことを意識したらええんちゃう。そうやるとツキが回ってくる。

 どんどんくる。

 あのね、幸せっていうものは人が運んでくるもので、自分自身が構成出来るものではないということを、まず認識しないとダメなんや。

 残念やけど、そういう事なんや。人が運んでくるんやもん。全部普通にきれいな海も、青い海も、見て幸せだなって感じることは、僕たちの先人が残してくれたこと。それは手塩にかけたり、必死の思いだったかもしれませんねってことを、汲み取る人間がどれくらいいてるかなってこと。

 僕思うねんけど、同じ分野とジャンルの人達で、銘柄が違うのいっぱいあるよね。

 例えばパナソニックソニー。自分の事しか言いよれへんわな。ところが、パナソニックがある日突然、電通を介してソニーのコマーシャルうってみ、世界のソニー、素晴らしいよって、パナソニックが言うてみ。えー?合併したのか、こいつらって。何にもしてませんよ。さあ、ここから一気に微笑ましさを取り戻せると思わへんか。ソニーが次、どんな広告うつのか、パナソニックの。そんなのが日本やったら、天下取るって話や、もう一回、世界で一番になりよるよ。

 

P162

 ・・・僕はね、自分の事を自分で選んだことがないねん。どれ着たらええって聞いてみたり、アイスクリーム屋さんいくやん。アイスクリームがたくさんあるやん、カラフルに。サーティワンでもなんでも、そしたらお姉ちゃん、どれが美味しいの、私これが好きって言ったら、じゃあこれって言うから。自分何にも選ばへん。ほぼほぼ選ばへんよ。あそこに書いてあるやん。従順・一途・裏切らない。従順や、僕は。知らん人に従うよ。

幸せでも不幸せでもない、と感じている人の比率がもっとも高い

生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある

 自殺率が低い=「幸せ」と感じている人の比率が多い、という訳ではないという調査結果は、なるほどと思いました。

 

P87

 ではここで、これまで述べた海部町コミュニティの特性について理解を深めるために、町の成り立ちと歴史について触れたいと思う。

 江戸時代の初期、海部町は材木の集積地として飛躍的に隆盛した。・・・

 近隣町村はいずれも豊かな山林を有しているのだが、海部町には山林という資源に加えて、山上からふもとまで丸太を運搬するための大きな河川があり、さらには大型の船が着岸できるだけの築港が整備されているという、理想的な地の利があった。短期間に大勢の働き手が必要となった海部町には、一攫千金を狙っての労働者や職人、商人などが流れこみ、やがて居を定めていく。この町の成り立ちが、周辺の農村型コミュニティと大きく異なる様相を作り上げていったことに関係している。海部町は多くの移住者によって発展してきた、いわば地縁血縁の薄いコミュニティだったのである。

 ・・・

 町の黎明期には身内もよそ者もない。異質なものをそのつど排除していたのではコミュニティは成立しなかったわけだし、移住者たちは皆一斉にゼロからのスタートを切るわけであるから、出自や家柄がどうのと言ってみたところで取り合ってももらえなかっただろう。その人の問題解決能力や人柄など、本質を見極め評価してつきあうという態度を身につけたのも、この町の成り立ちが大いに関係していると思われる。そして、人の出入りの多い土地柄であったことから、人間関係が膠着することなくゆるやかな絆が常態化したと想像できるのである。

 

P180

 海部町とその両隣に接する町を比較した場合、海部町の住民幸福度は三町の中でもっとも低い。つまり、「幸せ」と感じている人の比率がもっとも小さい。

 初めてこの結果を目にしたとき、私は非常に意外な気がした。

 これら三町はいずれも徳島県南部の太平洋に面し、地形や気候、人口分布、産業構造など、共通する特性は多い。一見すれば、非常に似通った三つの田舎町に過ぎない。そうした中にあって、海部町の自殺率だけが突出して低いということ自体がそもそも不思議だった。

 住民幸福度に関するそれまでの私の漠然とした考えは、自殺の少ない地域では幸せな人がより多く、自殺の多い地域では不幸な人がより多い―端的に言ってしまえばそういうことだった。私自身の考えというよりも、このことはある種の通説になっていた。この通説を当てはめるとすれば、自殺率が突出して低い海部町の住民幸福度は、これら三町の中でも突出して高くなければならないということになるが、実際には通説と真逆の結果が出ている。

 分析結果を見ると、「幸せ」と感じている人の比率は海部町が三町の中でもっとも低い一方で、「幸せでも不幸せでもない」と感じている人の比率はもっとも高い。また、「不幸せ」と感じている人の比率は三町中もっとも低かった。

 ・・・

私はこの幸福度に関する調査結果―海部町は周辺地域で「幸せ」な人がもっとも少なく、「幸せでも不幸せでもない」人がもっとも多い―という結果を示して、海部町の住民や関係者たちに感想を聞いて回った。興味深かったのは、海部町民自身がこの結果をすんなりと受け入れ、さほど意外とも思っていない様子だったことである。

「ほれが(幸せでも不幸せでもないという状態が)自分にとって一番ちょうどええと、思とんのとちゃいますか」そう言った人がいた。〝ちょうどいい〟とは、分相応という意味でしょうかと私が尋ねると、その人は少し考えたのちに、「それが一番心地がええ、とでもゆうか」と言い足した。同じようなことを言った人が、ほかにも数人いた。

 なるほど。この人たちの言いたいことが、ぼんやりとであるが伝わってきた。「不幸せ」という状況に陥りたくない人は多いだろうが、では「幸せ」ならよいのかというと、考えようによってはさほど結構な状況でもないのかもしれない。「幸せでも不幸せでもない」という状況にとどまっていれば、少なくとも幸せな状態から転落する不安におびえることもない。そういうことを、この人は言いたいのかもいしれないと思った。

 ・・・

 さらにいえば、「不幸でない」ことに、より重要な意味があるとも感じる。「幸せであること」より「不幸でないこと」が重要と、まるで禅問答のようでもあるが、海部町コミュニティが心がけてきた危機管理術では、「大変幸福というわけにはいかないかもしれないが、決して不幸せではない」という弾力性の高い範囲設定があり、その範囲からはみ出る人―つまり、極端に不幸を感じる人を作らないようにしているようにも見える。

 この考えを海部町のある男性に話したところ、彼は自分の膝を叩くようにして、「ほれ、そこがこの町のいかん(駄目な)ところや」と大きな声を出した。男性は、「そこそこでええわ、と思ってしまう。ほやからこの町には大して立身出世するもんがおらん」と嘆いた。もちろんいないわけなどない、現実には大勢の人が立派に出世しているのだが、彼の言わんとすることは理解できる気がする。私も薄々気づいていたのだが、海部町の人々には執着心というものがあまり感じられない。艱難辛苦を乗り越えてでも、という姿をイメージしにくいのである。

いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい

生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある

 この辺りも印象に残りました。

 

P81

 海部町住民のうつに関する意識を垣間見るのに、このようなことがあった。私は、六十歳~八十歳代の女性たち七、八名からなるグループへのインタビューを行っていた。この日もまた話は本題から徐々にそれて、にぎやかな井戸端会議状態となりつつあった。そのとき、ひとりの女性が「そういや、よ」と周りを見回し、

「知っとる?○○さんな、うつになっとんじぇ」と切り出した。

 これを聞いた途端、残りの女性たちは一斉に、「ほな、見にいてやらないかん!」「行てやらないかんな!」と異口同音に言った。うつになったその隣人を、見舞いに行ってやらねば、と言っているのである。

 傍で聞いていた私は、彼女たちの反応が非常に面白かった。

 まず感じたのは、この人たちは、うつになったという隣人に対しそんなふうに接するのかという、ちょっと新鮮な驚き。どうやら、当事者を遠巻きにしたりそっとしておいてあげようという発想はあまりないらしい。さっさと押しかけていくのだ。

 もうひとつ興味深かったのは、彼女たちの「行てやらないかん!」という意思表明が、打てば響くようにほぼ同時に発せられたということだった。あなたはどうするの、お見舞いに行く?あなたが行くならわたしも一緒に行こうかな。私の周囲でよく見られるこうしたやり取りが、ここでは一切省略されていたのである。

「あんた、うつになっとんと違うん」と、隣人に対し面と向かって指摘する海部町の話を他の地域で紹介すると、いつも小さなどよめきが起こる。特に自殺多発地域であるA町での反応は大きかった。うつに対し偏見の強いこの地域では、うつについてオープンに話し合うような状況はほとんどなく、まして本人に直接指摘することなどありえないという。

「ほないなこと、言うてもええんじゃねえ」。A町在住のあるお年寄りは目を丸くしていた。その言葉は明らかにひとりごとだったので、私もあえて取り上げないでいた。少し眺めていると、彼女はもう一度、まったく同じことをつぶやいた。

 ほないなこと、言うてもええんじゃねえ。

 

P94

 ・・・調査結果のデータを数量的分析を行って検討したところ、第二章で挙げた以下の五つが、海部町に特に強くあらわれ、自殺多発地域においては微弱だったり少なかったりする要素であることが明らかとなった。

 

 いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい

 人物本位主義をつらぬく

 どうせ自分なんて、と考えない

 「病」は市に出せ

 ゆるやかにつながる

 

 抽出されたこれら五つの要素が、コミュニティにおいて自殺の危険を緩和する要素、すなわち、「自殺予防因子」である。

 

P96

 私は調査を開始した当初から、海部町内に住む人々やその関係者から話を聞く以外に、同町の出身だが町を離れて長い年月を経ている人、中でも海部町とは対極に位置するような都会に住む人など、違った角度からの話を聞くべきと考えていた。

 ・・・

 私は、海部町の外から海部町を眺めたときの彼らの心境に関心があった。特に、東京のような国際的大都市に住み始めた当初はどうだったろう。さだめし戸惑い、衝撃を受けたであろうことは想像に難くない。そう思って、私は必ずこの質問をするようにしていた。上京してきたとき、カルチャーショックを感じましたか?

「そりゃあ、感じましたよ」

 どの人も、当然ではないかとばかりに即答した。まず、故郷の人々とは共有できていた常識や価値観が通用しない。たとえば自分が生まれ育った町では、たとえ他人の物であろうと、外に干した洗濯物がにわか雨に濡れるのをただ眺めている者などいなかったが、東京では、近所の留守宅の洗濯物を取りこんだ結果、二度とこのようなことをするなと怒鳴られた。呆然とし、人格を否定されたような気分になった。

 相手によって態度や意見を変えるという方便も、海部町出身の人々にとっては難題だったらしい。上司から「いい大人が、それくらいのことわからないかな」と苦々しげに言われ、深く傷ついた。程度の差こそあれ、誰しもがそうした感覚を体験していた。

「ただ……」と、そのあとに言葉を継ぐ、彼らの述懐が興味深かった。

 私がインタビューした、海部町を離れて長い年月を経た東京在住の人々は、年齢はニ十歳代から六十歳代、男性と女性、サラリーマン、教員、主婦など、さまざまだった。インタビューの日時も場所も違った。にもかかわらず、彼らはそれぞれの表現で、しかしほぼ同じ意味のことを語った。

「ああ、こういう考え方、ものの見方があったのか。世の中は自分と同じ考えの人ばかりではない。いろいろな人がいるものだ」。そう思って納得がいき、徐々に気にならなくなったと言うのである。

 ・・・

 彼らのこの弾力性こそが、海部町が多様性を重視したコミュニティづくりを推進してきた根拠となっているのではないか。もちろん、海部町の先達がこうした因果関係を意識していたとは考えにくく、多様性を認めざるをえなかったという町の成り立ちから、知らず知らずのうちに身につけた処世術であった可能性は高いのであるが。