カオスなSDGs グルっと回せばうんこ色

カオスなSDGs グルっと回せばうんこ色 (集英社新書)

 これが正しいとか、あれは間違ってるとかではなく、いろんな視点を持っておくことはやはり大切だな、と思いつつ読みました。

 

P95

 SDGsは、私の理解では「みんなが楽しく幸せに暮らせるようにしよう」という話です。この「みんな」は、基本的に人間のこと。目標の中には生態系の保護なども含まれているので、ほかの生き物のことも念頭には置かれているでしょうが、この「持続可能な利用」も推進するというのですから、海や陸の生き物には人間のための資源という面もある。SDGsの理念である「誰ひとり取り残さない」という言葉は、やはり「人間をひとりも取り残さない」という意味でしょう。

 ですから、人間の自己都合で地球資源の使い方を決めるのが悪いとは思いません。ただ、それを「地球にやさしい生活」といったキレイな言葉で包むことには違和感があります。二酸化炭素が循環してもしなくても地球にとっては痛くも痒くもないのと同様、人類がどう行動しようが、地球は喜びも悲しみもしません。

 地球そのものは、おそらく太陽の寿命が尽きる五〇億年後まで持続するでしょう。その前に小惑星と衝突するなどして崩壊すれば「地球に厳しい事態」と言えるかもしれませんが、広い宇宙では、日常茶飯事としていくらでもそんなことが起きているはず。地球がなくなっても、宇宙という自然界にとっては痛くも痒くもないわけです。

 いずれにしろ、「地球にやさしい生活」という言葉は欺瞞でしかありません。そういうキレイゴトで人間の自己都合を覆い隠すから、ローカルな個別の事情を脇に置いて、あたかも「グローバルな正義」があるように思い込んでしまう。「正義」に目覚めた若者が先鋭化して過激な行動に走るのも、キレイゴトをそのまま素直に受け入れてしまうせいかもしれません。逆に「どうせ人間の都合だ」と思っていれば、無理に自分を追い込んでサステナブル疲れなど感じることもないでしょう。

 前にもお話ししたとおり、地球環境問題が世界で注目されるようになったのは、「二酸化炭素地球温暖化を引き起こす」というハンセン証言がきっかけでした。じつは、それが国際的な重要課題になったのも、純粋な正義感のみに基づくわけではありません。

 というのも、ハンセン証言があったのは一九九八年のこと。米ソ対立による東西冷戦構造が終焉を迎え、ベルリンの壁が崩壊する前年です。

 それまでの世界にとって政治的な最重要課題は、言うまでもなく核戦争の防止でした。米ソ両大国のあいだで核戦争が始まれば、一瞬で人類が滅亡してしまう可能性もあるのですら、これ以上の危機はありません。

 ですから、国際社会を舞台に活動する政治家たちにとっては、いかに東西両陣営の緊張をやわらげるか、あるいは双方が所有する核弾頭の数をいかに減らすかといった問題が何よりも大事でした。・・・

 しかしハンセン証言が行われたとき、すでに東西冷戦は終わろうとしていました。ソ連ゴルバチョフ書記長と米国のレーガン大統領が首脳会談を重ねることで、東西の緊張緩和が一気に進んだのがこの頃です。・・・

 これによって、それまで核軍縮などに取り組んでいた多くの政治家が重要な活躍の場を失いました。そんな彼らが「次の国際的な課題は何だ」と新たな仕事を虎視眈々と模索していたところに浮上したのが、地球温暖化問題です。・・・国際社会がグローバル化に向かおうとしているときに、まさにグローバルな課題が出てきた。このバスに世界の政治家たちが一斉に乗り込んだことで、地球温暖化は国際社会の重要課題となったわけです。

 大学で地球科学に取り組んでいる私たち研究者は、当時、急に地球環境の話が政治問題になったことに戸惑いました。大気中の二酸化炭素濃度が高まっていることは、もちろん知っています。でも、それによって地球が温暖化するかというと、たしかにその可能性は高いように思われるけれど、それほどでもないかもしれません。確実なことは誰にもわからないのです。

 したがって、仮に人間による二酸化炭素の排出をすべて止めたとしても、それによって気温がどう変化するかはわかりません。地球の気候はきわめて複雑なシステムなので、何が気温の変動要因なのかを突き止めるのはとても難しい。「人間が二酸化炭素排出量を減らせば気温が下がる」という単純な話ではないのです。

 ・・・

 地球はこの一〇〇万年くらいのあいだ、氷期間氷期を約一〇万年サイクルでくり返してきました。そのサイクルがどうやって決まるのかはいまだに謎ですが、その一〇万年のうち、間氷期は一万~二万年しかありません。現在の間氷期は、すでに一万年ほど続いています。そのため一九七〇年代までは、そろそろ氷期になってしまうのではないかと言われていました。温暖化ではなく、寒冷化が心配されていたのです。

 もちろん、一〇万年サイクルがいつまでもくり返されるという保証もありません。・・・過去には温暖な状態が長く安定していた時期もありました。直近では、一億年ほど前の恐竜がいた時代がそうです。

 ・・・

 どちらにしても、現在の間氷期の気候が何万年も続くことは期待できません。現在の気候は決してサステナブルではないので、この状態が「地球の正しい姿」と思うことは危険です。

 しかし、どうなるかはまだ誰もわかりません。そういうタイムスケールの気象メカニズムを理解するには、海の深層対流のことを知る必要があります。

 ただし、一〇年や二〇年の観測ではその影響を知ることはできません。グリーンランドで冷たい海水が深層に沈み込み、それが地球を一周して戻ってくるまで、一〇〇〇年もかかります。つまり、その対流が一周するあいだに気象がどのように変化するかは、まだ一度も確かめられていないということです。・・・

 

今を生きるあなたへ

今を生きるあなたへ (SB新書)

 瀬戸内寂聴さんの声がそのまま聞こえてくるような本でした。

 

P169

まなほ 本能的なものも含めて、そうした自分の感覚を大切にすべきだと思いますか。例えば、自分はこれが好きだとか、これは何となくイヤな感じがするとか……?

 

寂聴 それは、すごく大切にしたほうがいいと思います。生まれたときから身についているような感覚ですから、何かあったときにはそうしたものに従えば、だいたい正しい方向に進めると思います。

 

まなほ 先生は「直感」というようなものを信じていますか?

 

寂聴 はい、信じています。

 

まなほ 直感で何かを決めたということはありますか?

 

寂聴 だって、ものを買うときは、あれは直感でしょう。

 

まなほ 洋服のようなものではなく、例えば出家するとか……。

 

寂聴 それも突き詰めていったら、結局、直感だったと思います。昔から「なぜ出家したのか」と、よく聞かれました。いちいち答えるのが面倒くさかったこともあり、そのつど、「男との不倫の関係を断ち切るため」とか、「自分の文学を高めるため」とか、いろいろなことを言ってきましたが、それだけではなかったと思います。

 最近では「更年期のヒステリーだった」と答えたりしていますが、結局、「わからない」というのが本音です。あえて言うなら、それは直感としか言いようがないものでしょう。でも、私は出家したおかげで、小説家としての人生の難局をうまく乗り切ることができたと思っています。

 

まなほ 多くの人から聞かれたことだと思いますが、先生はなぜ「寂聴」という法名なのですか?

 

寂聴 なぜ、と言われても……。そもそも自分でつけたわけではありません。「寂聴」という法名は、お坊さんとしての私の師匠、つまり師僧にあたる今東光先生が授けてくださったものです。・・・ちなみに「聴」の字のほうは、今先生の法名である「春聴」から一字取ったものです。

 

まなほ 先生は、この「寂聴」という名前を気に入ったのですね。

 

寂聴 だって、きれいではありませんか。「寂」という字は、一般には「淋しい」と同じ意味ですが、仏教ではもっと深い意味があり、「煩悩が収まった静かな心の状態」を表しています。煩悩とは簡単に言ってしまえば、「あれが欲しい」、「これが欲しい」という際限のない欲望や、心をかき乱す妄想、嫉妬や執着などのこだわりです。そうした心身をさいなむ煩悩の苦しみから解放されて、心がおだやかに静まった状態が「寂」です。

 

まなほ では、「聴」にはどんな意味があるのですか。「聴く」という字ですよね。

 

寂聴 何を聴くのかというと、今先生は「梵音」を聴くことだとおっしゃいました。梵音とは、仏様の妙なる声や読経の声、あるいは仏教の音楽である声明などのことです。

 でも私は、仏教だけに関係した音ではなく、もっと広い意味でとらえています。例えば小川のさらさら流れる音、松の枝を風が渡る音、波が汀に打ち寄せる音、鳥がさえずる音、恋人同士が睦み合う音など、もう森羅万象のあらゆる音を梵音だと思っています。そうしたすべての音に心静かに耳を傾けるのが、「聴」の意味だと思います。

 

まなほ そう言えば、寂庵のご本尊の観音様も「音を観る」と書きますね。

 

寂聴 観音様は正式なお名前を「観世音菩薩」といいます。これは世の中の悩める人々が発する音声を観ずる、世の中の人々の救いを求める声を聴いて救済する菩薩という意味です。やはり、音を観ずる、音を聴くということは、仏教や仏様の基本なのでしょう。

 

まなほ 今東光先生からは法名を頂戴した他にも、何か特別なことを教えてもらったりしたのですか?

 

寂聴 五十一歳で出家した直後に、「これからは一人を慎みなさい」と言われました。今先生から教わったのは、その一つだけです。・・・

「誰も見ていないと思っても、仏様がきちんとお前さんを見てくださっている。だから、一人でいるときこそ慎みなさい」ということです。私は、その教え一つで十分有り難いことだと思いました。

 ・・・

 ・・・世間から悪口を言われたり、身に覚えのないようなことで誹謗中傷されたりしても、仏様は私のことをちゃんと見てくれていて、私のことをわかってくれていると思うと、のびのびと清々しく生きることができます。

 おかげさまで、私は出家してから、かえって自由を感じることができるようになりました。それもこれも、仏様がいつも見守ってくださっていると安心して信じることができるようになったからです。

交通事故で頭を強打したらどうなるか?

交通事故で頭を強打したらどうなるか?

 他の本に引用されていたこの本、興味深い内容でした。

 マンガなので、文字の部分だけの引用になりますが、書きとめておきたいと思います。

 

P89

脳挫傷から36日経過―

 他の問題は無意識にやっていたが算数の時だけ再び意識が(一瞬)戻った

 九九はできたようだが繰り上がりで混乱した

 いったん数字を保留しその上で次の数字と足す

 という思考ができなかったのだと思われる

(一桁の足し算だけならできた)

 

 好きな人を聞かれ存在しない人物の名前を言った

 

 囲碁は無意識のままできたようだ

 勝ったと言っても昔の家庭用ソフトなので

 難易度が高いわけではない

 

 ピアノの時は比較的長い時間意識が戻った

 20秒程度だと思われる

 ピアノは中学生以降やっていないので

 完全に意識が戻っても同程度しか弾けなかっただろう

 

 事故から2回目になる実家への帰還を終え 

 それから3日後―

 

 脳挫傷から36日―

 ついに元の意識が目覚めた

 

 元の意識が戻ればもう大丈夫だと

 この時はそう思っていた

 ・・・

 そんなことが…

 正直……

 まるで信じられなかった

 他人事のようだった

 しかし「突然の病院」

「未整理の断片記憶」

「よく見えない目」などから

 母の言っていることは

 事実だとすぐに信じられた

 私は―

 トラックと衝突したのだ

「私」が目覚める かなり前から この体は動いており―

 記憶は全くないが返事 食事 簡単な会話から始まり 囲碁などもできていたらしい

 誰が……

 誰が体を動かしたのか?

 私が私であると思っていた「この」人格―意識―

 この意識は「大和ハジメ」そのものであると思っていた

 この体は「大和ハジメ」が自由に動かせると思っていた

 が 

 違ったのだ

「私の中」に脳という器官が存在するのではない

「脳」の一部の機能として私が存在するに過ぎないのだ

 

P200

 いくら親が望もうと理解できない授業を受け続けることに引け目を感じていた

 高い授業料が無駄になると

 保険金のおかげで 私は堂々と大学に通えるようになった

 堂々と―生きられるようになった

 無理に理解しようとしないで授業を受けることを続けた

 これで試験がどうなるかはわからない……が

 もう授業料の心配はしなくていいので以前よりずっと気が楽だ

 板書をノートに写すだけの作業を続け―

 やがて試験期間がやってきた

 私は試験の点が取れるのだろうか?

 結果は―点数が取れた科目と0点に近い科目があった

 英語 数学系は駄目だった

 そう……この受講方法では限界があるのはわかっていた わかっていたはずだが―

 気が 抜けてしまった

 希望が持てない 

 勉強を続けても頭を打てば一瞬で無に帰す……?

 いや……「無」どころか「マイナス」か

「障害等級8級」は労働能力が45%「喪失」した者に認定される―と国土交通省の資料に書いてあった

 つまり私は将来 労働者として45%劣る人間にしかなれないという事なのでは?

 だとしたら―

 もう 無理じゃないか

 何をしたって無駄じゃないか

 何が大学だ 何が勉強だ

 馬鹿馬鹿しい 嫌だ もう嫌だ

 事故にさえあわなければ―

 ―駄目だ このような考え方をしては駄目だ!

 目を背けるな―私は交通事故で頭を強打した後遺症を負ったのだ

 これは変えようがない

 だったら―

 だったら―

 この変化した脳を―

 おかしな頭を―

 プラスに働かせることはできないのだろうか?

「事故は無駄じゃなかった」

 ―更に言えば―

「事故にあって良かった」とそう思えるような行動を取れば良いのではないか?

 これからそういう生き方をすれば良いのではないか?

 私は前を向いて生きられるのではないか?

 あるのだろうか?そんなものが

 ―あるとすれば―

「人と違う」という要素が欠点にならないようなこと?芸術?創作?

 ―漫画?

 ―そして私は生まれて初めて漫画を描いた

 ・・・

 自分の作品を載せるためホームページを作った

 様々な作品を入れる箱―という意味を込め サイト名は「ANBOX」とした

 イラストや 漫画を公開したが 閲覧は数人で反応は全く貰えなかった

 しかし更新は続けた

「創作を取り柄にしたい」という目的があったからだ

 障害の影響で下を向くと焦点が「大幅にずれる」ためとても絵が描きにくかった

 創作を続けるにあたりこの問題は致命的だと思ったので漫画を描く前にペンタブレットを購入

 ・・・

 さて創作は続けるとしてまずは大学だ

 たとえ身に付かない―就職に繋がらないとしても通う以上は卒業するべきだろう

 幸い数学系の単位は必修ではない

 他の単位をどうにかすれば卒業はできる―かもしれない

 プログラム言語が心配ではあるが……

 駄目で元々 当たって砕けろ

 やるだけやって その上で卒業できなかったのなら仕方がない

 それが私の限界だということだ

 

ビンボー魂 おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力

ビンボー魂 おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力

 お母さんもお父さんも出て行って、祖父母に育てられた風間トオルさんの様々なエピソード・・・、こんなこともあるんだと驚きつつ読みました。

 

P64

 ・・・祖父母から何を一番教えてもらったのだろう?と改めて振り返ってみると、何をしたら人が悲しみ、何をしたら人を喜ばすことができるのかといった、人の気持ちを想像することの大切さだったように思います。

 特に祖母は、街で大きな荷物を持って歩いている女性を見かけると、決まって僕に、

「なぜ男なのに手伝ってやらないんだ」

「なぜ男なのにドアを開けてあげないんだ」

「なぜ男なのに順番を譲ろうと考えないんだ」

 と、いわゆるレディーファーストの教えを説きました。

 とはいえ、見知らぬ人に「荷物を持ちましょうか?」と声を掛けるのは勇気のいることです。

 だから最初は「えっ!」と思って躊躇していたのですが、勇気を振り絞って声を掛けると、笑顔と共に「ありがとう!」という言葉がもらえたのです。

 こうして僕は人に親切にすると幸せな気分になれることを学んだのでした。

 親切にする対象は女性だけではありません。

「あのおじいさんは腰が曲がってるね。階段が大変そうだ」

 と祖母に促され、僕は「大丈夫ですか?」と声を掛けに走る。

「あのお兄さんは、松葉杖で切符が買えるのかねぇ」

 と祖母に指摘され、僕は「手伝いましょうか?」と申し出る。

 時には無視されることもありましたが、「そんなことはどうでもいいんだ」「それがどうした」

 と諭してくれたのも祖母でした。

 感謝されないなら親切にする意味がないと、子どもの僕は思っていたのですが、今ならもちろん理解することができます。

 きっと祖母は、「感謝されることを期待しない。それが男の優しさというものだ」と僕に伝えたかったのでしょう。

 それにしても祖母はお人好しでした。

 ある日カニの行商の人が我が家を訪ねて来て、「遠くから天秤を担いで来た」なんて聞くと、「そりゃ大変だたね~」と始まり、相手の苦労話に耳を傾けた挙句、全部買ってしまうといった具合。

 もちろん行商の人は喜んでいました。代金を払ったら、残りの生活費が5円になってしまったなんてこともありました。

 僕は「えーっ!」とのけぞって、今月はカニばかり食べ続けるのかと思ったのですが、祖母は有り金をはたいて買った大量のカニを前に、「今日中に食べてしまわないと傷んでしまう」などとつぶやいて、近所の人にポンポン振る舞ってしまうのです。

 またもや僕はのけぞって、思わず、

「えーっ!あげちゃうの?お金ないのに明日から大丈夫なの?」

 と尋ねると、

「明日は明日。いいの、いいの、なんとかなるから心配しなくても大丈夫!」

 などといって、あっけらかんと笑っていたのです。僕は祖母の笑い顔を不思議なものでも見るように、ポカンと眺めていたのではないかと思います。

 近所の人はみんな裕福ではなかったので、ドカンとお返しが届くわけではないのですが、小さなお裾分けの積み重ねがバカにならない。

 そーなんだ、ホントになんとかなっちゃうもんなんだと深く納得した体験から、僕は生き延びる命の術を学びました。

 お金は回る。でも本当に回っているのはお金ではなく人の情です。人情を持って人と接すれば、人情が返ってくるのです。

 僕は祖母から、人を大切にし、人との繋がりを断たない限り、何があってもなんとかなるのだということを深く教えられた気がします。

 

P191

 ある時、お台場に手からパワーを出すことで有名な気功師が来るという情報を知り合いの方から得て、たまたま近くにいたこともあり、面白そうだなと思って行ってみたことがありました。ところが気功の先生から「あなたのほうが気が強くてダメだ」と言われてしまったのです。

 その時に「あなたは怪我をしたりしても、自分で治癒してきましたよね?」と訊かれて、そういえば……と。

 たとえば、高校時代、バレーボールの試合中にブロックをした衝撃で右手の中指と薬指が中にめり込んでしまったことがありました。「アレッ?」と思って見てみたら2本の指が第一関節を残して消えていて、これはヤバいと思いましたが、試合を続行しなければいけなかったので、一気に指を引き上げ、そのタイミングで来た球を咄嗟にブロック。激痛が走るかなと思いきや、なんともない。すっかり完治していたのです。

 何かの拍子に勢いよく後ろに倒れて後頭部を強打した時の体験も、不思議といえば不思議でした。

 頭をザックリと切ってしまい、壁や床に飛び散るほどの血が噴き出たのですが、なにやら強い睡魔に襲われて、そのまま布団で寝てしまい、起きてみたら傷口が見事に塞がっていたのです。

 ・・・

 本当なら眠れないという時に、熟睡してしまう。これこそが自己治癒の大きなポイントなのですが、もう一つ、お臍の下に位置する丹田と呼ばれる辺りにグーッと力を入れて瞑想していると、免疫細胞の働きがグーンと高まって、腹痛が治まったり、熱が下がるということがあって、具合が悪い時はいつも実践しています。

 ・・・

 40代に入った頃、『オーラの泉』という番組に出演しました。

 ・・・

 ・・・僕の前世はエジプトの神官で、陰陽師のような呪術的なことをしていたそうです。自分で自分の身を守る力があると聞いて確かにそうだと思い、「これまでにも奇跡的な体験があるのではありませんか?」と訊かれ、迷わず「あります」と答えました。

 その時に話したのは、小さな頃、裏返しにしたトランプの数字を言い当てるゲームをしていて、あまりにも当たるので怖くなって途中でやめたこと。仕事でアフリカへ行った時に巻き込まれたセスナ機の着陸失敗事故の話もしました。

 ・・・機体の先端部が地面に刺さって、ビヨヨヨーンと漫画みたいな感じで止まったということがあったのです。

 幸い炎上することはなく、死者も出ませんでしたが、同乗していたスタッフはみんな血だらけ。ところが僕だけは無傷でした。

 それ以外にも絶体絶命のピンチから奇跡的に逃れたことが幾度もありました。

 ・・・

 僕の奇跡的な体験の話を受けて、江原さんから「風間さんの波動が事故を引き寄せているということも言えるので過信してはいけませんよ」とアドバイスを受けましたが、もっとも心に残っているのは、次に続く言葉です。

 ーさきほどから、ずっと風間さんの後ろにお母さんの想いが視えるんですよ。生きている方であっても念を送っているのです。お母さんはいつも風間さんのことを見ています。見守ってくれていますよ。

 とても意外な言葉でした。それまで僕は、5歳の時に別れたきりの母は、僕のことなど忘れているだろう、風間トオルは芸名なので、テレビで観ていたとしても気づいていないだろうと考えていました。

 でも母が見守ってくれているという江原さんの言葉を聞いた僕は、その時、ハッキリと思っていたのです。そうであったら嬉しいなと。

パリの空の下で、息子とぼくの3000日

パリの空の下で、息子とぼくの3000日

 辻仁成さんと息子さんの日常を綴った一冊。

 いろんなことを感じながら読みました。

 

P124

 7月某日、不意に息子が友だちのアンナちゃんと、そのご両親、その姉妹、その姉妹の友だちとベルギーとの国境に近い海沿いの村に旅行に出かけることになり、なにせ、それを知ったのがつい昨日のことで、慌てて寝袋やお土産を買いに走ったり、トランクに服とか歯ブラシとか寝具類をパッキングした。2週間ほどそこで共同生活を送るというので、・・・

 ・・・

 ・・・お父さんはいるにしても、18人もの女性だらけの合宿みたいな旅に参加したい、と言い出すのだから、ある意味、息子の成長ぶりに驚きもあった。・・・

「アンナと君が一番年上だということだから、アンナのお父さんの手伝いとか、力仕事とか、率先してやるように。いいね」

「うん、わかった」

「着いたら、必ず、連絡するように」

「うん、わかった」

 ・・・

 ・・・息子がアンナちゃんの家族と夏休みの合宿旅行に出てから1週間ほどが経った。毎日、「Ça va ? (元気?)」とメッセージを送っていたが、「oui(うん)」しか戻ってこないので、それが何日も続くものだから、さすがにこのやりとりだけじゃいかんと思って、ついに、父ちゃんは重い腰を上げ、息子に直接、電話をかけることになった。

「毎日、何してんの?どんな生活おくってるの?」

「うん、楽しいよ。大丈夫」

「あのさ、大丈夫って、もうちょっと具体的に教えてくれない?一応、ひと様の家に息子を預けてる親の身としては心配なんだよね?手伝いとかしてんの?」

「あ、ご飯食べたら、僕も食器洗ってるよ。順番で片付けないとならないんだ」

「へー、皿洗いとかできるの?だいたい、そこ、どんなところなの?」

「とっても田舎の家だよ。周りに何もない、畑とか草原とかの途中にぽつんと建った、ほんとうに小さな村の一角の古い家、豪華じゃないけど、でも、とっても居心地のいいところだよ。庭があって、ハンモックが木と木のあいだにぶら下がっていて、そこで昼寝することもあるし、庭で食べる時もある。パリとはぜんぜん違う。家が周りにないから、星がきれいで、みんなといろんなことを話すんだ」

 ・・・

「・・・あのね、こういう幸せもあるんだって、気がつくことができた。経験になった。大家族っていいなぁ、と思った。僕も大人になったら、誰かと結婚をして、家族を作って、田舎で暮らして、子供たちと一緒にご飯を食べたい。高級料理じゃなくても幸せなんだ、昼も夜もシンプルなピザとかパスタだけど、でも、みんな幸せなんだよ」

「・・・お手伝いって、すごく楽しいんだよ。そこに参加できること、誰かに認めて貰えること、信頼して貰えること、大人として扱って貰えていること、すべてがとっても素晴らしいんだ。僕は家では何もやらない子だけど、でも、ちょっと変わったかもしれないよ。これをやりなさい、あれしなさい、というのがなくても、しなきゃって勝手に身体が動くんだ。自分から仕事を見つけていくというのか、直したり、片付けたり、誰かに何か言われる前に、自分で率先して考えてその中の役割をこなしている。毎日、そんな自分にびっくりしているよ。そういう家族の中にいられて、今はとっても幸せだから、心配しないでいいよ。メールで書けないんだよ。パパはフランス語読めないし、僕は日本語書けないし、だから、いつもouiだけだけど、でもそのÇa va ? (元気?)とoui(うん)のあいだにこんなにたくさんの大切なことがあるんだよ。だから、心配しないで。パパはパパの時間を楽しんで。もっと話したいことがあるけど、それは帰ったら、ちゃんと話すからね」

 ・・・

 ・・・

「あのね、パパは誰かいないの?」

 いきなりだったので、ハンバーガーが喉につっかえてしまった。

 コーラで胃に流し込んでから、変なこと聞くなよ、と戻した。

「家族っていいよ。確かにパパが懲りてるのはわかってるけど、僕が結婚して家を出たら、パパ一人になる。考えてみてよ。100歳まで生きるならまだ人生、残り40年もあるんだよ。パパは絶対長生きする。白髪もないし、ストレスないでしょ?」

「あるよ」

「でも、今はいいけど、そのうち寂しくなるよ。いつまでも自分を責めて生きても仕方ないよ。僕は勝手に大人になるし、パパはほっといてもおじいちゃんになる。寂しさを埋めるためじゃなく、同じような価値観を持ってる人がい。心の痛みを分かち合えるし、逆に、楽しく生きればいいじゃない。きっとパパの料理を喜んでくれるはずだ。僕も寂しくなくなるし」

「……」

「家族って、日々に意味を教えてくれる存在なんだと思う。僕はアンナの家族からたくさんのことを教わった。一人一人の役割りとかがちゃんとあって、羨ましかった。お父さん、お母さん、娘たち、従兄がいて、その友だち……。パパと二人で生きることができてよかったけど、ずっと二人っきりというわけにはいかない。僕が家族を作るまでにはまだまだ時間がかかる。僕のことなんか気にしないで、探しなよ」

「パパは向かないんだよ。一人が好きだし、ご存じの通り、なかなか難しい人間だからね。こういう変な人間と好んで生きてくれるモノ好きはなかなかいない、ってか、パパはもう期待してない。期待しすぎるから、人間は苦しくなんだよ」

「それ、パパの口癖だけど、間違いだ。アンナの家族はみんな期待し合ってた」

 ぼくは驚いた。居心地が悪くなった。

「アンナのお父さんは、アンナに期待していたし、アンナはお母さんに期待していたし、妹たちも、アンナに期待していた。みんな、ものすごく家族に期待していた。僕は羨ましかった。期待し合えるってすごいことじゃない?」

 息子の視線から目を逸らしてしまう。

「パパはきっと期待をしなかったんだよ。期待を裏切られるのが嫌で……。でも、期待をすることの方が大事だ。たとえ裏切られても、期待し合える関係って僕は素敵だと思う」

 息子に説教をされてしまう。途中からフランス語になっていた。

「田舎の暮らしって、期待しかないんだ。人数が少ないから逃げ場がない。だから、開かれた期待をする。僕は期待されたから、掃除をしたり、朝ご飯を準備したり、片付けたりしたけど、それは悪くなかったし、嫌じゃなかった。むしろ、みんなに期待されたことで、自分の存在理由が、役割が、意味がわかった。期待の向こうに、ありがとう、があった。ありがとう、と言われると、またがんばろうって思える。それは、悪いことかな?人間らしい。パパ、他人に期待してもいいんだよ。期待しないだなんて、思うからうまくいかなくなるんだ。知ってるよ、パパがいつも最後は人を許していることを……。でも、そろそろ、パパも誰かに期待をして生きてもいいんじゃないの?」

 地平線の向こうに、夕陽が沈もうとしていた。

イタリア人マッシがぶっとんだ、日本の神グルメ

イタリア人マッシがぶっとんだ、日本の神グルメ

 そこまで美味しかったっけ?と思うくらい絶賛されていておもしろかったです。

 

P56

 今では大好物だが、初めて見たときは5分くらい言葉が出なかった不思議なアイスが「あいすまんじゅう」だ。

 バニラアイスのボディの中に、なんと小豆あんが入っている。僕がそうだったように、イタリア人には絶対にない発想で、説明を聞いても想像がつかないようなアイスだ。

 そのときは買わなかったが、その後、何回も見かけ、まるで僕を呼んでいるかのように感じた。そしてついに、あいすまんじゅうの思惑どおり、僕はまんまと買わされてしまったのだった。

 一口食べた瞬間、北海道の小豆パラダイスに飛ばされたような気分になり、気が付けば涙が出ていた。外側は、硬めのバニラアイスで濃厚さがなんとも言えない。中からトロッとした小豆が出てきて、まさしくアイスを超えたまんじゅうだった。

「人間がこのようなものを作れるなんて!」と一人でつぶやき、一人で感動し、現実に戻ったアイスが溶けていて食べるのが大変だった。

「次は早く食べないと溶けちゃう!」と思いながら、2回目のあいすまんじゅうも同じ結果になったので、笑った。3回目にやっときれいに食べることができ、相変わらずおいしかった。

 日本の市販アイスの魅力は、季節ごとに味が変わり、期間限定のものが定期的に出て、一年中楽しめることにある。あいすまんじゅうは和栗味もあって、食べたときに改めて感動した。ある日、あいすまんじゅうのことを調べようと思い、検索してみたら息が止まった。僕が知っているほかにも、なんとさまざまな種類があるではないか!死ぬまでに全部の味を食べようと決め、現在、あいすまんじゅうを食べ尽くす計画を進行中だ。

 

P62

 日本に住み始めた最初の頃、日本人の同僚に勧められて購入した「炊飯器」。これは本当に僕を悩ませた。まずイタリアでは「ごはんを炊く」という感覚がなく、どちらかというとリゾットのように「お鍋で調理する」という感覚だ。

 お米をふわふわにするためだけの機械があるなんて想像できず、スーパーでドキドキしながら買った精米を早く炊いてみたかった。

 ところが、家に帰って炊飯器を用意したのはいいものの、使い方がまるでわからない。当時は説明書を丁寧に読めるだけの日本語力はまだなくて、書いてあることがさっぱりだった。辞書を使いながら翻訳して、なんとか炊飯器のスイッチを押すところまで成功したのだった。

 ・・・

 いつの間にか、「このお米は何県産か?」とか「炊き方」を気にするようになった。そのとき、初めて自分の変化に気が付いたのだ。日本人のように、新米の時期を楽しみにしている自分に。

 普通のお米ももちろんおいしいけど、新米はさらに何倍もおいしく、神様からいただいた特別な贈り物のように感じる。ごはんとみそ汁、ごはんと漬物、ごはんとのりといったシンプルなおいしさは、今でも泣きながら完食してしまう。

 ・・・

 最初の方に炊飯器とのストーリーを書いたけど、当時は僕を困らせた炊飯器も、今では「これで本当に人生が変わった」と思えるくらいに使いこなしている。

 タイマーの設定、調理設定、お米の種類によって炊き方は変わるけど、ボタンを押すだけで済む。お米と一緒に野菜や魚も入れたら、炊き込みごはんができる。日本人にとっては当たり前だけど、僕は炊飯器を使うたびに感謝している。もっと早く、イタリアにいた頃に出会えればよかった。「おいしいごはんを炊いてね」と声をかけてしまうくらい好きな存在だ。

 ごはんに出会ったことで、日本のシンプルな味の奥深さを僕は知ったのだった。

 

 

ベーシックインカムの給料制度

社会を変える学校、学校を変える社会

 植松さんの実践されていること、印象に残るところがたくさんありました。

 

P77

植松 僕は評価がものすごく嫌です。だから、基本的にうちの会社でプラスに評価する部分があるとすれば、どれだけ新しい人と会ったかと、どれだけ新しいことをやったかということですね。後はうちの会社の給料は基本的にその人の家族構成とかを基に決めていて、生活するのに困らないだけの給料を払うようにしてるんです。

 

工藤 「ベーシックインカム」ですよね。・・・こんな考え方があるのかと本当にビックリしました。

 

植松 僕は日本の給与体系には問題があるように感じています。日本では「時間給」を制度にしている会社が多いです。でも、時間給は「誰がやっても時間当たりの成果が同じ」仕事の時だけ有効です。時間給では「人より頑張ると損をする」ことになります。だから、仕事の能率を上げるモチベーションが生まれないです。・・・「能力給」にも問題があります。この制度だと、家族が病気になったり、自分が怪我をしたりして、働くことができなくなると給料が出ません。これでは安心できません。だから僕は、最低限の所得補償をする「ベーシックインカム」の給料制度がいいと思っています。でも、「ベーシックインカムになったらどうする?」と日本の学生に質問すると、「お金がもらえるなら働かない」と言うことがあるんですね。かたや外国の学生は、「生活の心配がないなら思いっきり挑戦できる」という意見でした。このモチベーションの違いも、とても大きな問題だと思っています。

 ・・・

 それで、評価のことに戻りますと、会社で僕は基本的には褒めていなくて、とにかく感謝だけして、「こんなことできるんだ、ありがとうね」って言うようにしています。僕は「エライね」とかのように、「褒める」って評価のような気がするんです。

 

工藤 褒め方って、実際難しいですよね。

 

植松 難しいですよね。・・・ロケット教室でも、子どもたちが作っているのを見て歩くわけですけども、この時に僕も「きれいだね」とか「すごいね」とかって言わないようにしているんですよ。「この糊の付け方いいね、ばっちりくっついてるよ」とか、他の子たちもなるほどね、と思えるくらいの感じで言った方がいいですよね。・・・「このデザインいいね」って言ったりすると、他の子たちのがっかり感が伝わってくるんですよね。自分のは言われなかったのにという感じになる。

 

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植松 僕は会社を経営しているので「どんな人材が欲しいですか?」という質問をよく受けます。そんな時、僕は「雑談が弾む人。いい文章が書ける人。優しい人」と答えています。雑談が弾む人、いい文章が書ける人は、間違いなく地頭がいいです。人間は言語で思考します。だから、言語がたくさんあるほど思考も深くなっていきます。そして、その頭の良さを生かすのが「優しさ」だと思っています。こういう人たちは、自分からどんどん学び、世の中の問題を解決しようとしてくれます。・・・

 

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工藤 ・・・これまでの教育では何かトラブルが起きると、保護者も教員も「とにかく反省しなさい」となりがちでした。子どもに反省させて、それで終わりということが多かったですよね。

 

植松 でも反省だけだと改善につながらないですよね。僕もロケットが失敗した時、記者会見で失敗の原因と解決策と次のアイデアを話したら、記者から「反省の色がない!」と言われました。「反省の色って何色ですか」って言い返したくなりましたが、さすがに僕も大人ですから言わなかったです(笑)。反省は「お辞儀の角度×お辞儀の時間+涙」だと思ってる人って多いですよね。

 

工藤 自責や他責をせずに、ありのままを受け入れて、どうすれば改善につながるのかを考えていく習慣こそが成長を促すのだと思います。まさに、植松さんの言う「だったら、こうしてみたら」で改善していくということですよね。

 

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植松 僕はこの世からいじめや暴力、児童虐待を本気でなくしたいと思っています。

 人の自信と可能性が奪われない社会を作りたいんです。

 大人もストレスにさらされることが多い時代だから、社会全体が、みんなイライラしているのかもしれませんけど、僕もかつて、会社のお客さんから、商品の不具合のことで、「今すぐ来て土下座しろ!」と言われたりしました。でも、いくら土下座しても問題は解決しないんですよね。僕はいつも「頭はいくらでも下げますが、大事なことは問題を解決するためにどうするかですよね」と問い掛けてきました。

 そもそも、人は、怒ると冷静な判断ができなくなります。相手をやっつけたくなったり、物を破壊したくなったりもします。そんな時はまずは深呼吸をしながら、「結局のところ、自分はどうしたかったのか?」と思い直すといいと思います。そして、合理的で低コストな解決策を考える方がいいんですよね。

 

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植松 日本では、我慢は美徳のように言われがちですけど、これも違いますよね。我慢は苦しい状態に耐えているだけで、頑張って我慢していることは努力だと思ってしまう人が少なくないです。でも実は、それでは何もしていません。耐えているだけです。状態は一つもよくならないです。確かに我慢も必要な時があります。でも、その時にも、「どうやったら解決できるかな」を考えてもがくことがすごく大事です。・・・

 

 

 ところで明日はブログをお休みします。

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