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結婚して広島県に来て、すでに5年
カフェ、ケーキ屋さん、パン屋さん、おいしいランチ、飲食店、雑貨屋、観光地、地域のお話、(我が家のおバカ話 笑)などなど、福山市を中心とする備後地方の情報を日々更新中!!!感想は個人的なもの、店舗情報は来店した時点での情報ですので、ご了承ください

2012-01-07

平家谷、福山市「平清盛」ゆかりの地とその歴史 源平の戦い(福山市沼隈町中山南)

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NHK大河ドラマ平清盛が明日からスタート(^○^)

先日の記事に書いた通り本や雑誌を読んでいたらなんだか平家のゆかりの地などに急に興味が湧いてくるという、完全にすぐに世の中の流れに流されてしまうタイプの私(笑)

さっそく正月3日から福山市沼隈町中山南にある「平家谷」に行ってきたので、すぐにでも記事を書こうと言っていたいたのですが・・・・・・・・

【平清盛にはまった、私の過去記事はこちらから】

この「平家谷」には平通盛(平清盛の甥っ子にあたる)に関する歴史のお話になるはずなんですが、インターネットでぱっと検索すると平通盛と福山のつながる話があまり出てこない!!!!

歴史が苦手の私は、あれ?ってなり、福山市図書館がスタートする4日に図書館に行き学生の頃のように調べ物をする事態に発展(笑)

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広島県観光ホームページにも「平家谷横倉」として、平清盛ゆかりの地としてマップに掲載されている〜〜〜。

【↑の平清盛ゆかりの地マップPDFはこちらから】

【広島県観光ホームページのトップページはこちらから】


ってわけで歴史な苦手な私が、平家谷について今現在出会った本の内容や、伝承されていると書かれていたことや、色々なサイトで目にしたものを忘れる前にまとめてみようと思います。

(色々と諸説あるようですので、矛盾点が出てくる場合もあるかと思いますがご了承ください)

とにかく誰でも知っている平家源氏の戦いですが、最後は源氏方の勝利

その「源平の主な戦い」として←の本(91ページでは)、17の戦いの名前が書かれていました。

その平家滅亡までの最後の大きな戦い3つ、「一の谷の戦い1184年2月」「屋島の戦い1185年2月」「壇ノ浦の戦い(平家滅亡)1185年3月」あたりが、この平家谷の歴史を調べていると関係する時代の戦い

「一の谷の戦い(現在の神戸市)」で源義経・範頼に敗れた平家は、がっつりと勢力が弱くなり西へ西へと敗走。

そして「一の谷の戦い」から1年後に「屋島の戦い(現在の香川県高松市)」でも源義経たちに敗れる平家

※古文の授業で学生時代にでてきた『平家物語 扇の的』は、この「屋島の戦い」で那須与一が扇の的を射る場面のお話だったことを今更再認識する私。

そして1か月後くらいには「壇ノ浦の戦い(現在の山口県下関市)」で源義経・範頼に完全に敗れて、平氏滅亡へ

大三島の「大山祇神社」の国宝館に、源義経とか頼朝の鎧などがあったのも今更ながらに納得。

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さぁ〜〜て、さて。

そんな歴史背景の中、福山市沼隈町中山南にある通称『平家谷』にある↑の神社通盛神社」は平通盛(清盛の甥っ子)とその奥様の木像を御神体としている神社

ここからは地元の郷土史的な言い伝えや伝説も入ってくるようですが、平家谷周辺の歴史の方面へ。

屋島の戦い高松市)」で敗れた後、壇ノ浦に敗走していった平氏たちの流れが歴史では数多く書かれていますが。

福山市沼隈町能登の方に逃げてきた平家がおり、「能登原の戦い」に。

f:id:ayaka1014:20120107200054j:image:left能登原ってどこだろう???

って検索してみてびっくり、『阿伏兎観音』のある所の住所がまさしく福山市沼隈町能登原でした!!!

源平合戦の時に、阿伏兎観音の石仏は海中に沈んでいるらしいですよ

(1570年〜91年くらいの間に鞆の浦の漁師さんによって引き上げられたとか)

【阿伏兎観音に行った私の過去記事はこちらから】


平氏は「能登原」に陣を構え、源氏は「鞆の浦能登原の目の前の「田島」に陣を構えることに。

※この田島の方が那須与一の軍勢だったらしい。

田島とかもすごく素敵な景色の場所ですよね〜〜〜〜〜♪

【田島の私の過去記事はこちらから

f:id:ayaka1014:20120107200055j:image:left最終的に源氏が鞆からと田島からと攻めてきて挟み撃ちにあい、平家は総崩れとなり切腹するもの、海に逃げるもの、山に逃げるものにわかれる。

その「能登原の戦い」に敗れて、山に逃げた平家達が隠れていた場所が『平家谷』

みたいです。


さてさて簡単にまとめてみたものの、私が文章の中で平家と総称して書いており、平家の誰かってことをあまり書いていないんです。

実はこれが今回図書館に行って本などを読むことになった理由

平家谷にある「通盛神社」ですが、この平家谷に平通盛が実際に来たか来ないかって話になっちゃうんですよね。

実は『平家物語』などでは、平通盛さんは「一の谷の戦い」の際に湊川で亡くなっているということに。

そして「能登原の戦い」の歴史を読んでいると良く出てくる、平教経(通盛の弟)も一の谷の戦いのときに亡くなっているらしくって。

(教経さんは壇ノ浦の戦いまで生きていたという説もある)

もし平家物語』の方が事実だとすれば、時代の順番的に通盛が福山の地で隠れ住むのは不可能

では「平家谷」に、通盛は来なかったのか???????

ひとつの説は実際には通盛は来ておらず、後に通盛を祀って神社が作られたという説。

もうひとつの説は、「一の谷の戦い」で湊川討ち死にした通盛は影武者であったという説(だから平家谷にもいたかも?)


どちらにしても平通盛りさんがいたかどうかの明確な答えはわかりませんが、平家の一族がここに住んでいたことは間違いないみたいです(*^^)v

(さてさて、長くなったので平家谷の写真は次の記事に〜〜〜)


●追記●

【平家谷に行った写真が載っている記事はこちらから】


参考文献  

「図説福山・府中の歴史」監修土井作治 2001年出版

「図説写真備後の3000年」編著者村上正名 昭和57年出版

「備後の歴史散歩 上」著者森本繁 1995年出版

平清盛宮島」著者三浦正幸 2011年出版  

NHK大河ドラマストーリー 平清盛」 2011年出版 などなど



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さんよーさんさんよーさん 2012/01/08 12:02 歴史に思いを馳せるのは本当に楽しいもんです。
遠方に豪壮な建物を見に行くのもそれはそれでとっても面白いですが、普段馴染みのある場所、建物、人物。そういった所にも確実に自分達のご先祖や、英雄の足跡はあるわけで、そこに着眼し当時の様子に考えを膨らませるととっても面白いですね。

ayaka1014ayaka1014 2012/01/08 12:11 旦那さん(さんよーさん)へ>
え?え??え???
なんでそんな良い人風のコメントの書き方なの(笑)
あらもしかしたら旦那じゃないかも、そうだったらすみません・・・・。
最近備後弁ばかりで話したり書いてるのを見るから、標準語コメントだと旦那がいい人に見えたのは秘密(笑)

で、思いを馳せるのはいいですね、ですね、ですね〜〜〜(*^^)v
今年はいっぱい鞆の浦とかに行きましょうね〜〜〜(^○^)
見てないとこらだけなのよ私〜〜〜〜

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