ぼんやり上手 このページをアンテナに追加 RSSフィード

◆マンガ『なぞの岩戸』

◆マンガ『かえってきた小鳥』 ◆『かえってきた小鳥 第2章』(連載中)

2010-07-06

[]みんなボヴァリー夫人 みんなボヴァリー夫人を含むブックマーク


ボヴァリー夫人 (河出文庫)

ボヴァリー夫人 (河出文庫)

冴えない田舎医師ボヴァリーと結婚した美しき女性エンマは、小説のような恋に憧れ、平凡な暮らしから逃れるために不倫を重ねる。甘美な欲望の充足と幻滅、木曜日ごとの出会い。本気の遊びはやがて莫大な借金となってエンマを苦しめていく。


 たいへん身につまされる小説でした。深みにはまる不倫の恋や莫大な借金っておそろしいね、というのももちろんあるけど、それよりなにより、日ごろ好んで小説なんか読んでるような、夢見がちな人間の救いがたさが描かれているところが一番こわい。現実を物語との二重写しでしか見られず、そこここに運命の恋を見出そうとするエンマは、風車を巨人に見立てて突撃する女版ドン・キホーテのようです。


 作者のフローベールが「ボヴァリー夫人は私だ」と言ったの言わないのというのは有名な話ですが、それを言ったら、小説や映画、その他フィクションのたぐいが三度のご飯よりも好きなあなたや私は、みんなボヴァリー夫人になってしまいます。物語から現実を見てとるよりむしろ、現実を物語の枠に押し込めようとしてしまう人。現実の生活にリアリティや満足を感じず、本を開いている時にこそ充実感を覚えてしまう人。ご用心ご用心。


 それにしても、『赤毛のアン』のアンや『あしながおじさん』のジュディ、それからアンネ・フランクのような、想像力豊かで魅力的な少女たちが、大人になってからエンマみたいな運命を送らなかったとどうして言えるでしょう。エンマがあんな甘美な地獄めぐりをしたのも、他の少女たちに比べてかわいさ特盛り、ちょっぴり愚かな設定だったから……ということではなく、折に触れてロマンチックな物語に親しみ、心奪われ、いつしか物語の世界にまるごと支配されてしまったからです。物語や小説との出会いというのは、時代性や流行、偶然にも左右されるものだから、こればっかりはエンマが不運だったとしかいいようがない。


 子どもの頃、本を読んでいると、「本が好きな子だねえ」と大人から感心されることがあったけれど、そこにはいつもうっすらと心配するようなニュアンスがつきまとっていたのを覚えています。これというのも、良きにつけ悪しきにつけフィクションが持つ力の大きさ、夢見がちな人間に育ってしまうことのおそろしさを、みんな無意識のうちに知っていたからですね。


 でも、すでにフィクションの味を覚えてしまって、それなしでいられなくなった人はどうすればいいのかというと、一つの物語にからめとられないように、漁色家のように物語から物語の間を渡り歩くしかないのではないかと、そんな風なことをぼんやりと思ってしまうこの頃です。ご用心ご用心。