全受容、ゆえに存在する。

8月6日の日野の日記、お〜、悩んでるなぁ。
http://d.hatena.ne.jp/satokohino/20070806
 
いい感じじゃなかと思った。
そういうことって、あるよね。
自分にとても近い役を演じる場合、陥ってしまう罠。
傍から見るとそのままやればいいんじゃないの、と思えるのに、
本人、どうしても自分のままいられない。
そういう時って苦しいね。
で、その苦しさがちょっとした快感に昇華すると、あとは楽しいぞ。
 
日記を読むと日野も少し分かっているように思ったけど、
全てを受け入れてみると見えてくるものがある。
うまくいかなくても、下手にあがかないで、そのままうまくいかないことを受け入れてみる。
うまくいかない理屈など考えずに、そのまま全受容。
全部をひっくるめて受け入れてみると、
次になにをすべきなのかが自ずと見えてきたりする。
受け入れる前に、先読みして先手を打たない。無理に挽回など試みない。
その先手は、ほとんどの場合解決の邪魔になっちゃう。余計にパニクる。
 
受け入れる。
そうしている限り、唯一必ずそこに、自己は存在している。
だって、全てを受け入れている自分は、少なくともいるから。
 
この考え方、一つのコツみたいなものだと思う。
このコツを覚えると、本番中でも応用できる。
本番の舞台での失敗が怖くなくなるし、
例え失敗してもすぐに善後策をその場で思いつくようになってくる。
ちょっと不思議な感覚。
 
俯瞰。
 
制作の石塚が以前(15年くらい前)僕がとても落ち込んでいたときに言ってくれた言葉、
「自分の人生を、戯曲だと思ってみてみたら」
名言。
 
そんなことできるか〜、と苦悶最高潮の時には言ってしまいそうだが、
ちょっと努力してやってみると結構いろいろな要素が見えてくる。
要は、僕ら俳優が普段役づくりのときに当たり前にやっている戯曲分析。
作品全体の劇構造を探り、そこから自分に与えられた役の役割を導き出す。
人物の動機を見つける。
 
「自分の人生」という作品の、戯曲分析。
そうすると、ある興味深いことに気がつく。
 
観客として芝居を観るとき、その人物が苦悶苦闘しているときに
観客である自分の感情が最も動かされたりするでしょ。
そして、その人物が幾多の障害を乗り越え幸福となる、
あるいは、押しつぶされ破滅する。
いずれにしても、そこまでの過程にワクワクする。
芝居の面白さって、そんなトコにある。
 
ということはですね、
自分の人生を俯瞰して、そして上演目的で戯曲を読む時のように全受容でもってみるとですね、
ものすごく苦しんでいる今現在が、最高に面白い場面であるといえる。
  
苦しいのは、面白いのか?! という大発見。
「どうするんだろう、俺っていうこの登場人物は、これからの人生を?!」ってな感じ。 
 
そんな風に考えたりするから、
俳優が総じてマゾっちやうゆえんかもしれないですなぁ。