東北六魂祭で見られなかったわらじまつり

東北六県のお祭りが仙台に集結!東北六魂祭に行ってきました!

東北六魂祭 公式サイト

隣県からなのに朝6時に出発するという気合の入れよう。
仙台に着いたらとりあえず腹ごしらえ。駅の喫茶店ゆでたまご

会場に向かいがてら、久々の仙台を満喫!買い物しまくります。
そしてもちろん仙台といえば牛タン。

でもここまで来てハラミを頼んでしまう私。

これが絶品でした…!セットでついてきたテールスープのまたうまいこと…!

お店の前に小さな公園があって、姪がブランコに乗りたいというので一緒に遊びました。

震災以来はじめてのブランコ。
福島の公園では今、遊具で遊ぶことができなくなっています。
思う存分、遊んでもらいました。

で、肝心のお祭りは…。実は写真を一枚も撮ることができなかったんです。

私は秋に仙台で開かれる定禅寺ストリートジャズフェスティバルが大好きで、毎年行ってたんですね。今回と同じ定禅寺通りがメインなんですが、その時の警備は誘導がしっかりしていて、とてもいい雰囲気で楽しめるんです。だから何の心配もしてなかったですが、とんでもなかった。どうも予想を遥かに超えて人が集まったらしく、5万人の見込みに対して13万人が詰めかけたそうです。

人の流れに沿って歩いていたら、いつの間にか前が詰まって気付いた時には四方びっしり。一歩も動けないまま、子どもが熱中症にならないように必死でうちわで風を送っていました。

予定の時間になっても始まらず、私の周りで「人が倒れたぞー!」「救急車呼べー!」「道を開けろー!」「押すなー!」という騒ぎが少なくとも3回は起こっていました。でも叫び声が聞こえるだけで何も見えないし、動けないし…。「中止しろー!」っていう怒号も聞こえてたりして。

それでもなんとかパレードが始まりました。ほんの少し頭が見えるくらいでしたが。

ところで企画の段階から、他の有名なお祭りに福島のわらじまつりは対抗できないんじゃ…?と私の周りではさんざん言われていたのですが、案の定、観客からは「わらじまつりは大したことないんじゃない?」「わらじは別に見なくてもいっか」「どうせわらじ持ってるだけでしょ?」って声がいっぱい聞こえてきたよ!うん、そうだよね!

「人ごみツラいし、わらじまつり見たら帰ろっか?」
と私が言うと、
「わらじまつりなんていつでも見られるじゃない。もう帰ろうよ」と連れ。
「何言ってんの!東北の祭りが集まるこの仙台で堂々と立つわらじを見るってことに特別な意味があるんでしょ!」

と力説してみましたが、

わらじまつりは地元ではリア充のイベント…。
縁遠くてほとんど見たことないから見たかった…。

とは言えず。

まぁでも実際、よく知ってる音楽が聞こえてくるとテンションが上がりましたよ。
「ほら、ダンシングそーだナイトが流れてきたよ!」と子どもに言うと、にっこり笑って喜んでました。

それでも危険なため、ろくろく見えないままにパレードは中止。潰されそうになりながら引き揚げました。後でニュースを見たら、肝心のねぶたも竿燈も中止だったようです。

翌日公式サイトの生中継で脳内補完。映像のほうが生より楽しめたりして。同時に流れるみんなのつぶやきも眺めていたのですが、やっぱりわらじまつりは微妙な評価でしたね。本当はわらじまつりは2部構成で、1部は普通のわらじ音頭、2部が現代風アレンジなんですよー。

<17日のUstを見て勝手に表彰!>

六魂大賞……ねぶた祭
文句なしに祭りのメイン!今回これを楽しみに来た人は多かったのでは?伊達正宗のねぶたを持ってきたところが粋な計らい。さすがに観客への見せ方を知っている動き。と言ってもねぶたは夜に見るのが本当な気がするので見たければ青森に行ってください。

かっこいいで賞……竿燈まつり
見た目のインパクトがすごい!竿燈同士がぶつかったり木に刺さったり倒れたりするのがハラハラしてエンタメ性が抜群。体の一部で竿を支えるテクニックは素晴らしいが今回は一部の人しか見られなかったはず。これは秋田で見てほしい。

踊りがすごいで賞……さんさ踊り
太鼓を叩きながら体を左右に揺らすハードな動きが迫力満点。まったくのノーマークだったものの、あまりの派手さに一気に好きになった。年配の踊り子さんも手の動きが神懸かっていてすごい。掛け声がなんて言ってるのか聞き取れないのであとは盛岡にGO!

ビジュアル賞……花笠まつり
個人的に音楽がすごく好き。女性がしなしな踊るのが素敵。仕草美人。この途中に安全のためパレードが一時中止になったけど、踊り子さんたちがアカペラで歌い踊ってくれたのが感動的。そして花笠を持って声援に応える姿を見て恋におちたらもう山形に行くっきゃない。

地元賞……仙台七夕まつり
演歌で踊ってた!盆踊り風!たぶん本来の七夕まつりは踊りがメインじゃないような…。このへんのカップルはみんな七夕まつりに行く。仙台に行けばいいじゃないか。愛を語ればいいじゃないか。

イロモノ大賞……わらじまつり
大わらじを山の上の神社から持ってきて踊ったのちにまた奉納するという本来の伝統とはまったく関係のないHipHop?レゲエ?ラップ?だかなんだかよく分からない変な音楽。昔は福島=桃の名産ということで「ピーチサンバ」だったのにいつの間にか「ダンシングそーだナイト」になっていたダジャレ好き。今回踊ったのはダンススクールの子たちなので上手です。どう見ても周りからは浮いていたけど頑張った。そして大わらじを人がかついで運ぶのも、わらじに高さがないもんだから横から見ると人が普通に歩いているだけ、という…。これはやっぱり福島市に観光に来ていただいて地元民がはしゃいでいるのを見ながら「なーんだただのダンス大会じゃん」とツッコミを入れるのが正しい選択ですね!

第50回福島わらじまつり

安全だから遊びにおいでよ、なんて私は言えないし、観光産業に携わってるわけでもないからね。でも今、福島に来てくれた人がいたら嬉しいな。あまりにも普通に暮らしてる人たちを見て拍子抜けするんじゃないかなって思う。

あと、これは本当に自分勝手な考えなんだけれど、この夏に福島に来て、楽しかったりつまらなかったり不安だったり、どんなことをみんなが思うのか、知りたい。

川俣シャモとデンプシーロール

いらっしゃい、川俣町。」というイベントに参加してきました。

有名漫画家にサインがもらえて、しかも無料で肉が食べられるという夢のような催し。これは行くしか…!なんでも風評被害に悩んでいる川俣を元気づけようと、東京吉祥寺ホルモン焼き「わ」さんとカイジでおなじみ福本伸行先生が発案してくださったようです。ちなみに計画的避難地域になった山木屋は、会場となった川俣町体育館よりひと山超えて峠を攻めまくった先にあります。

なんといってもメンバーが豪華!!

【現地参加漫画家】
板垣恵介 (グラップラー刃牙
浦沢直樹 (20世紀少年
かわぐちかいじ (太陽の黙示録
かざま鋭二 (風の大地
こしばてつや (Deep Love Real)
西原理恵子 (毎日かあさん
佐藤秀峰 (ブラックジャックによろしく
葉月京 (CROSS and CRIME)
東村アキコ (ママはテンパリスト
福本伸行 (賭博黙示録カイジ
真鍋昌平 (闇金ウシジマくん
本そういち (夢幻の軍艦大和)
森川ジョージ (はじめの一歩)

しかしそれでも、今の川俣に人がどれくらい集まるかまったく見えません。しかも予報は雨。ガラガラだったらどうしよう…。せっかく来てくれる漫画家さんたちがガッカリしないかな…。不安になっている私に、仕事で不参加の同居人が言います。「ぜーったい混むだろうけど福本のサインもらってきて。お前のはどうでもいいから、とにかくカイジだけはヨロシク!」

とりあえず、はじめの一歩の最新刊と同居人に買ってもらった色紙5枚を準備して、いざ!となり町の川俣へ。

30分前に着いたにも関わらず、そこにはすでに体育館を取り囲む行列が。そして開始予定時刻を1時間ほどオーバーしたところでようやく漫画家さんたちのバスが到着。

ぽかーん

本当なら歓声が上がるところですが、なんてこった、どれが誰だか分からない…!みんな普通のおじさんに見える…。拍手をするところなのか迷ったけど、漫画家さんじゃなくてスタッフかもしれないし。あ、西原理恵子先生と東村アキコ先生はばっちり分かりました!遠目から見てもおしゃれだったなー。

結論から言うと、4時間並んでサインはもらえませんでした。人、来すぎ…!朝から行くべきだった!ほとんど先生方の姿も見られず、ヤワラちゃんの色紙を持つ子どもが取材を受けてるのを眺めて終わりました。ああ、幕之内…。海月姫…。

炊き出しもすごい行列です。

食べるのに夢中で写真を全然取らなかった!焼肉、ホルモン、きゅうり、川俣シャモの親子鍋、たこやきなどがありました。お酒も配ってました。

川俣シャモはブランド鶏なので、地元といえども一度も食べたことがなかったんですが、もうびっくりするほどおいしくて何回もおかわりしちゃいました(鍋が大きすぎて、あの人数でもさばき切れなかったらしく余ってた)。朝食抜いて行くべきだった!次は自分で買おうっと。

主催のホルモン屋さん。

のれんの写真を撮りたいと言ったらちゃんと写るようにと下のほうを抑えてくれました。いい人だ!お揃いのスタッフTシャツも素敵です。


途中で浦沢直樹先生の生歌が!

あれだけ面白い漫画を書いて、ギターとハーモニカを操って歌もうまいなんてすごい。隣で手拍子してるのは西原理恵子先生です。曲は20世紀少年の「グータラスーダラ」。家に帰ろう、終わらない日常を過ごそうって歌詞なんですよね。今の状況でこの歌を聴いたら、なんだか泣きそうになってしまいました。ニコニコ動画の中継では「盛り上がってない」ってコメントされてたけど、現場はヒューヒュー言ってましたよ。

私は見なかったけど、この前にサマータイム・ブルースも歌ってたみたいですね。その選曲はどうなんだ。

体育館はスクリーニング会場にもなってました。えっ、ちょっとやってみたい!やるやるー!と大はしゃぎで振り向いたら、迷彩服の男性がぬっと現れて。

「あっ、すみませ…あの…軽い気持ちでやるもんじゃないですよね?」
「皆さんの安心のためにやってますから、どうぞどうぞ」

炊き出しは行列なのに、スクリーニング会場はガラガラでした。順番を待ってる人より検査してる人のほうが多いくらい。両手を広げて立つように促され、頭の先から足の裏まで機械をあてられます。

この間、計器をじーっと見てたんですが…。針がふれない!全然!時々ぴくっと動くくらい。えーちょっと待ってよ、私4時間も屋外に立ってて雨にも濡れてるのよ、全然検出されないってほんとなの?壊れてんじゃないの、電池入ってんのかァァー?

「あのー、最高で何マイクロシーベルトですか?」
シーベルトじゃないよ、カウントカウント。でもまぁマイクロシーベルトにしたら0.01くらい?まぁ全然問題ないねぇ」

スクリーニング済証は、安っぽいただの紙切れに、しょぼいハンコを押しただけ。こんなものがあるかどうかで、差別を受けたりするの?

証明を渡す係員の隣で、なぜかミニカーが配られていました。

そうしてイベント会場から帰ったあと、
「ごめんね、混みすぎてサインもらえなかったよ」同居人に謝って、
「だから言っただろ?川俣をナメるな!と…」慰めてもらいました。

安全か危険か、あまりにもいろんな意見がありすぎて、もう分からなくなっている今日この頃。でも私自身のことだけを言えば、しばらくここに住み続けるし、売ってる農作物も普通に食べるし、今までと変わらず過ごすかな。

ところで川俣といえば世界一長い焼き鳥への挑戦で有名でしたが、そのライバルである和歌山県日高川町が「日高川ジビエ猪・鹿・鳥料理まつり」を中止して、震災直後にその肉を支援物資として送ってくれました。

記録挑戦より支援 日高川町、福島・川俣に焼き鳥の材料
http://mytown.asahi.com/areanews/wakayama/OSK201103140035.html

その時のセリフ。
「ライバルに元気になってもらわないと。復興してもらい、正々堂々と闘い、お互い世界一に挑戦しましょう」

カッコよすぎるだろ!

このサイトは川俣町と日高川町とこのイベントに参加してくれた漫画家さんたちを応援します!

いらっしゃい、川俣町。
http://fuku-fight.sakura.ne.jp/

原発風評被害を吹き飛ばせ!〜マンガ家チャリティイベント@福島県川俣町 - ニコニコ生放送
http://live.nicovideo.jp/watch/lv47388777?ref=ser

Togetter - 「福島県川俣町に人気漫画家集結ッッ【いらっしゃい、川俣町。】 #baki #kaiji #ippo .」
http://togetter.com/li/127167

で、差別はあるのか?ないのか?

私は福島市に住んでいます。

姉妹が関西に住んでいて結婚秒読みだったんですが、原発事故が起きて、まず初めに心配したのは「破談になったらどうしよう」ということでした。そのとき福島にいなかったといっても、もしかしたら福島出身だというだけで向こうの親族に反対されるんじゃないか、と。

もちろん一か月以上たった今でも、そんな話は入ってきてないんですけどね。
でも、ふと思ったんです。
差別を恐れるというのは、差別を認めるということなんじゃないか?

福島市の方からのメール - Chikirinの日記
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110419

これから体にどんな影響があるのか、何もないのか、まだわかりません。結婚の予定もありませんが、今は子供を産むことは諦めています。

これ、ものすごく気持ち分かります。
大変デリケートな問題で表に出すのが躊躇われるんですが、誤解を恐れずにはっきり言ってしまうと、生んだ後の結果が怖いんですよね。そして希望が叶わなかったとき自分のせいにされるのが怖いんですよ。そういう認識があるから、受け入れてくれる男性がいないように感じてしまうし、暗澹たる気持ちになるんです。断っておきますが、これは障害児に対する偏見とはまったくの別問題です。

でも、そういった心配は女性だけが背負うものでしょうか。これは男性でも思うことなんでしょうか?そこのところが、ちょっと私には観測の範囲外でうまく想像できません。放射能を浴びたら嫁がもらえなくなる!という男性はいますか?子どもが作れない、と思う男性は?

どうもこの問題を考えると、話が複雑になってくるのです。

Togetter - 「非モテのオタクも福島の嫁となら結婚出来るかも知れない」からジェンダーの話へ+α
http://togetter.com/li/115118

↑だんだん訳が分からないことに…。

低被曝が長いあいだ続いたらどんな影響が起こるのかまだ解明されていません。じゃあ福島の女性は生み控えるべきなのか?もしそうだとしたらいつまでなのか?誰も何も言えない。差別や、それに関する不安を払拭するために、正確なデータを出すのは当然ですが、個人的にはそれだけじゃ足りないと思うんですよね。何しろ「妊娠中に火事を見たら痣のある子どもが生まれる」という迷信がまだ有効な時代なんですから。だから国や自治体や個人が「大丈夫だよ!」と言い続けるしかないと思います。今のところ、放射能のせいで結婚ができなくなったという話は聞きません。だからこれはまだ「女性が不安がっている」という段階です。

そして結局、差別はあるのか?ないのか?はっきり分からなくてモヤモヤします。正体が見えれば戦う気にもなるんですが。

例えば、宿泊拒否やがれきの受け入れ拒否、いじめ問題。これは個人的には差別だと思うけれども、「静岡での給油お断りの貼り紙」については誰が一次ソースが表に出てこなくてどうやらデマっぽいという雰囲気。

そしてつくばも。

Togetter - 「つくば市放射線検査要求はマスコミによる曲解報道のようです」
http://togetter.com/li/126247

なんだか…どう見ても…今のところ、圧倒的に差別しない!差別ゆるさん!って言ってくれる人の方が多い気がする…。楽観的すぎるかもしれないけれど。

それでも実際に傷ついた人たちはいる訳で、それは決して否定できない。
私たちは、差別とどう向き合っていったらいいんでしょうか?まだ答えがみつかりません。

福島には原発が必要だった(補足)

前回のエントリ(福島には原発が必要だった)について、たくさんのコメントをいただきましたが個別に返事するのが難しいので、補足させていただきます。

まず初めに、ここは公的機関でも何でもないただの個人のブログなので、あれは「私の」意見です。福島県民の意見を代表するつもりは全くありません。「県は」という時、一般的に県の機関決定を指すものだと思っていたので、それを「福島県民みんな」のことと受け取られてしまったことに戸惑っています。私の書き方が悪かったかもしれません。

無知だ、幼稚だ、何も分かってない。
Exactly(そのとおりでございます)。
私は無知を恥じるつもりはありません。堂々と知らない!って言います。
本当に恥ずかしいことは、知ろうとしない、学ぼうとしないことだと思うからです。

何もない家で生まれて、さっさと出て行けと言われながら育ったので、私は福島について人よりちょっと知らないことが多いです。例えば、5年前まで相馬野馬追を知らなかった。相馬出身の後輩が野馬追があるから休みをとりたいと言うのに対して「のまおいってなーに?」と聞いたら、
「えェ〜〜ッ!?野馬追を知らねェんすかァ〜!?マジすかァ〜!!福島に住んでるのに!?
 うわ〜〜……」
とショックを受けていたので覚えました。

当該記事の中で明記するべきだったと反省しているんですが、事故が起こってから、私はこれまで原発に関して地元でどのように報道されていたのか知りたかったので、古い新聞を引っ張り出しました。でも、何しろ膨大な量だし、どう調べていいかも分からなかったので引っ掻き回して目に付くものを手当たり次第に拾っていきました。そしてそれを切り貼りしながらあの文章を書いたんです。

最終的に参照したのは、福島民報の以下の記事です。

2002年6月28日(前知事の時代)
立地町、国、東電の三者の考えが一致し、中間に位置する県と反発する構図は気になります

2010年8月7日
プルサーマル受け入れ 県の判断を歓迎 立地4町コメント

2010年8月8日
プルサーマルを推進するため、国は交付金制度を設けている。しかし、交付額は大幅に減額された。60億円が交付された「核燃料サイクル交付金」は平成20年度で打ち切りに。/本県では14年の事前了解の「白紙撤回」で実施が先送りされ、その間に交付金が減ってしまったことに立地町は不満を抱く。/財政悪化で県内唯一の早期健全化団体となった双葉町交付金を福祉・教育関連事業に充当し、他の財源を債務返済に回す青写真を描く。町幹部は「県には、できるだけ早く申請してほしい。住民サービス向上のためにも、ぜひ必要だ」と語気を強める。/計画が具体化すれば建設工事関連の雇用が増え、立地予定地の双葉町は固定資産税などの税収が増える。

2010年9月10日
原子力安全確保の在り方に関する検討会は9日、東京都の経済産業省で開かれ、原発立地県の代表として佐藤雄平知事が意見を述べ、同省からの原子力安全・保安院の分離の必要性などを訴えた。

2010年10月19日
浪江町の設備業者は東電からの工事発注が地元経済活性化の鍵を握っていると指摘した上で、「公共事業が減り景気回復に明るさは見えない。7、8号機の増設に理解がほしい。それが県政への唯一の願いだ」と打ち明けた。

2011年2月24日
脱原発福島ネットワークなどの市民団体は23日、福島第一原子力発電所1号機の40年を超える運転に反対し、情報公開と県民説明会の開催を求める申し入れ書を東京電力に提出した。


拾い方が恣意的だと言われたら謝るしかないのですが、私なりの「地元報道の要約」でした。だから、事実と違う!と言われると、ちょっと困ってしまいます。

反対運動については、探せばもっとあるはずなんですが「要望書を提出した」というものしか見つけられなかったので、「一部の反対運動もありましたが」と書きました。ずっと前から反対していた人たちの声が、それまで私には届いていなかったんです(これは責めたいのではなく、ただ、届いていないという事実を伝えたいだけです)。コメントで触れてくださった方もいましたが、どんな反対運動があり、それがどのように押し切られてしまったのか、これからじっくり調べようと思います。

こういった新聞記事を読むと、なぜ町長たちが原発を受け入れようとしたか理解できました。タイトルに違和感があるという指摘をいただきましたが、「原発が必要だった」というのは、自分自身を含め、原発を肯定的に捉えていた人に対しての、受容であり、慰めであり、言い訳であり、懺悔であり決別なんです。
だからタイトルは変えません。

次に、私は熱心に原発を推進し活動していた一人ではなく、心の中で勝手に賛成しただけだということをはっきりさせておきます。多くのお叱りを受けて、なんだか私が最終決定のハンコを押したかのような気分になってしまったのですが…。放射性廃棄物のワークショップに参加した経緯について誰も望まないかもしれませんが少し自分語りします。

とある会の理事長と、つきあい始めた彼氏がちょっとした知り合いで、庭のザクロをお裾分けしてもらうような関係でした。理事長は時々、子どもたちへの科学教室のような講座を開いていました。そこで私は「ふねはどうして うくのかな?」という紙芝居で女の子役を担当したり、ポンポン船をつくるための発泡スチロールを切ったりするお手伝いをしていました。

もちろんバイト代は出ませんでしたが、その帰りに、理事長はたくさん科学の話をしてくれました。金属の分子構造なんかについて教えてもらったり、炭、エネルギー、核融合、製鉄…様々な分野の勉強会にも呼んでくれました。製鉄の様子は別のブログに載せてました。

それまで私は「親の金で大学行ったヤツみんな死ね!」と思っていた暗い人間だったので、大学の先生や研究所の方のお話を聞くのは夢みたいに楽しい時間でした。理事長と出会って初めて、人は何歳になっても学ぶことができる、ということに気付きました。世界が開かれたような気がしました。放射性廃棄物のワークショップも、「こういうのあるけど、来る?」「行く行く!」と二つ返事で参加したんです。理事長とはその後、喧嘩別れのようになってしまって連絡をとっていませんでした。

今この状況を見て、理事長だったら何て言うんだろう。
事故が起こってから、ずっとずっと考えています。
でも話を聞くことはできません。
彼は震災が起こる少し前に、脳出血で倒れたところを大学の駐車場で発見されたのでした。

私と知り合うより以前、理事長は自分で買ったガイガーカウンターを持って原発の見学に行ったそうです。昨日、彼氏に教えてもらいました。そのとき針は振れなかったそうです。
ガイガーカウンター借りに行きたいね。」
「うん、自分で測ってみたいよね。」
「でも、無理だね。」
「…そうだね。」

私が、いいことの何ひとつなかった、他に行くあてがないからという理由だけで住んでいたこのふるさと福島を好きになったのは、理事長や彼氏にくっついてあちこち回り、いろんな人に会って話を聞いたからなのに、片方は入院してるし、もう片方は「俺べつに郷土愛とかないんだよなー」とか言ってるし、山に住む親の家(実家ではない)に行けば、父が「くよくよしたって仕方ない」と田んぼの手入れをしてるし、街へ出れば品揃えが悪いだけで日常は戻りつつあるし、福島の子どもたちを守ろう!と叫んだって、私には守るべき子どもがいない。予定もない。

もう何をどうしたらいいのか、サッパリです。
私にできるのは、その時、その時で、思ったことを表現するだけ。

賛成だったのに問題が起これば反対だなんて、思慮が浅い。そんなコメントもありました。
でも、気持ちは変わるんです。
大嫌いな福島を好きになったこと、恨んでいた両親を今は尊敬していること、原発は賛成だったけど今は反対していること。
安易だと笑われたっていい。変わることは、良いことだ。
それに変わった後だって、過去の気持ちを無かったことにしたくない。嘘をつきたくない。
過去を受け入れて、分析して、明日につなげたい。
自分の気持ちを正直に出していきたい。
これからも、そうするつもりです。

たくさんのコメントやTwitterでのリプライ、ありがとうございました。
様々なご意見、それらの言葉が頭の中でぐるぐる回っています。何度も読み返したいと思います。

福島には原発が必要だった

3月11日から一カ月。今日も震度5の余震がありました。
福島第一原発冷温停止にもまだ時間がかかります。
福島の震災はずっと現在進行形です。

地震津波原発事故、風評被害の四重苦だ――。そんな声を、あちこちで聞きます。

原発によっておいしい思いをしてきたんだろう。交付金ハコモノじゃなく安全のために使うべきだった。他県の方はそう思うかもしれません。原発が相双地区(福島県の太平洋側)の財政を潤してきたのは事実です。福島県民ならみんな知っています。そして産業が少なく魅力的な雇用がほとんどないというのもまた、福島県全体の共通の認識ではないでしょうか。

そもそも、福島は経済的にはとても貧しい土地なんです。

大学進学率は、一昨年は47都道府県中40位でしたが2010年には3つ上がって37位になりました。女子だけだと42位で、女子の早婚率は全国1位です。だいたいの女子は高校を卒業するとちょっと働いて結婚する、という流れが福島ではとても一般的でした。県庁所在地の若者は休日になると、片道800円で高速バスに乗り、仙台で遊びます。そんな土地です。学校を出て、「こんな仕事がしたい!」と思っても、会社がないのです。過疎化がどんどん進んでいました。

福島県は、原発の誘致にとても積極的でした。私も内心では賛成派でした。土地を提供すれば、交付金が貰える。建築業も潤う。発電所で雇用が生まれる。人が増えれば周辺産業も潤う。いいことずくめじゃないか…そう思っていました。

2年前、福島市で高レベル放射性廃棄物のワークショップが開かれました。放射性廃棄物地層処分がいかに安全か説明された後、いくつかのグループに分かれ議論する…という趣向でした。経済産業局資源エネルギー環境課長、大学教授、市議、環境エネルギー関連のNPO…そこへ来ていたのはほとんどが推進派で、原子力発電環境整備機構(NUMO)の職員も来ていました。

「もし、絶対に安全なら、あなたの家の下に放射性廃棄物が保管されてもいいですか?」
そう問われ、私は「もちろんです!」と、元気良く答えたのでした。
日本の科学技術を心から信じていました。

佐藤雄平知事が推進派だった、知事に責任があるという意見もあります。確かに前知事である佐藤栄佐久氏が2006年10月に収賄罪で逮捕・起訴され知事の座を退いてから、プルサーマル計画は前進しました。けれど雄平現知事は安全・安心を原子力政策の根幹とし、経済産業省での検討会でも原子力安全保安院の分離の必要性を訴えていました。本当に乗り気だったのは双葉郡の立地町と、関連企業たちです。国・東電・立地町長VS県…という構図だったのです。

この知事交代については陰謀論もありますが、私には真相は分かりません。

プルサーマルの導入は遅れに遅れ、国からの核燃料サイクル交付金は打ち切りになり、その後の共生交付金は当初の金額よりだいぶ減らされたものでした。交付金の申請も安全運転を確認してからとされました。

この新聞記事を読んだ当時、私は「知事がモタモタしているから、貰えるお金が少なくなったじゃないか!」と憤りを感じたものです。双葉町交付金を福祉・教育と、債務返済に充てる予定でした。それほど町の財政は悪化していたのです。

2010年8月6日、知事はプルサーマルの受け入れを表明しました。
以下はそれに対する福島第一原発の立地4町長のコメントです。

富岡町長「知事の結論を評価し、敬意を表したい。」
大熊町長「地元として県の判断を歓迎する。」
双葉町長「エネルギー資源の乏しいわが国では、核燃料サイクルの確立は大きな課題だ。プルサーマルがスタートすることは意義深い。」
楢葉町長「プルサーマル受け入れの表明は、わが国の原子力政策を推進する上で大きな転換期を迎えたもの。」

昔の資料は手元にないので40年前の様子は私には分かりませんが、プルサーマルでこうなのだから、原発設立当時はもっと歓迎されたのではないかと思います。

そしてプルサーマルの次は、7・8号機の増設案です。「古里の将来を考えた場合、増設は悲願。東電と県の前向きな姿勢に期待したい」これは双葉町商工会長の言葉です。一部の反対運動もありましたが、実に多くの人が原発を「善きもの」と思っていました。

もちろん、こんな結末が待っていると知っていたら誰も受け入れなかったでしょう。
でも、分からなかった。
福島には原発が必要だったんです。
40年前から、あの日あの時までは。

東京の大手メディアは事故が起こると、一目散に逃げました。でも地元の報道局はずっと被災者の声を伝えていました。そこには原発で働く人やその家族、原発関係者で成り立っていた地域の人たちの声もありました。農業や漁業で働く人たちと同じくらいに、ちゃんと取り上げられていたのです。農家。漁師。原発関係者…。それは複雑な構図ですが、それぞれ生の声でした。

原発は必要でした。
首都圏のために電気を送って、地域はその代わりにあらゆる恩恵を受けました。
だからといって今回の事故を許してはなりません。
ずさんな安全管理と隠蔽体質による、人災なのだから。
福島県民よ、引け目を感じるな!そう言いたい。
たとえ協力会社の社員を身内に持っていたとしても、私たちが先頭に立って東電を糾弾していくべきです。

農業も漁業も少しずつ元に戻っていくかもしれません。
それでも福島は「原発事故のあった土地」として世界中に記憶されてしまいました。残念ながら事実です。県民はそれを受け入れなくてはなりません。そしてそれでも生きていくために、風評被害と戦うんじゃなくて、風評を逆に利用するくらいのあざとさで、新たな産業を開拓していくしかない。そう思うのです。

原発は必要だった。
でも、もういらない。

原発はもういらない。






【2011年4月12日 訂正】
佐藤雄平知事が原発推進派だった、知事に責任があるという意見もありますが、的外れです。知事は安全・安心を原子力政策の根幹とし、プルサーマルに関しても「凍結を含め考えなければならない」と従来より否定的な考えを示しており、経済産業省での検討会でも原子力安全保安院の分離の必要性を訴えていました。
     ↓
佐藤雄平知事が推進派だった、知事に責任があるという意見もあります。確かに前知事である佐藤栄佐久氏が2006年10月に収賄罪で逮捕・起訴され知事の座を退いてから、プルサーマル計画は前進しました。けれど雄平現知事は安全・安心を原子力政策の根幹とし、経済産業省での検討会でも原子力安全保安院の分離の必要性を訴えていました。本当に乗り気だったのは双葉郡の立地町と、関連企業たちです。国・東電・立地町長VS県…という構図だったのです。
この知事交代については陰謀論もありますが、私には真相は分かりません。

プルサーマルの凍結を検討していたのは前知事である佐藤栄佐久氏でした。コメントで指摘がありました。参照した新聞記事が「佐藤知事」となっており、就任時期と照らし合わせなかったことによるミスです。お詫びして訂正します。

それでも非公式RTを使いますか?

非公式RTにはいくつか問題点があるが、私には関係ないと思っていた。私は有名人でもなんでもないし、非公式RTを使いまくるユーザーをリムーブすればいいだけなのだから。

非公式RTが抱える問題点
http://anond.hatelabo.jp/20100118164647


だから以前この増田を読んだ時も、正直「へー」としか思わなかった。

が、この中のひとつ、

4.原文が削れる。

非公式RTが連鎖して行くと、追加された発言やユーザーIDにより原文が削られやすくなる。これも言ってみれば、ひとつの改竄。場合によってはIDが削られ、無関係のユーザーに@が飛ばされることも。


これが最近もう本当に我慢できなくなってきた。

私の@欄はひどいことになっている。





迷惑メール振り分けサービスが始まる前のメールボックスのようだ。

私のアカウントは「ayua」だが、どうやら世界中には「ayuaなんとか」さんが大勢いて、非公式RTを使って会話を楽しんでいるようだ。
最初の内は各ユーザーをいちいちブロックして自分の@欄に表示されないようにしていたが、毎日増えていくので面倒になり、放置してある。外国語なので単なるスパムにしか見えず分かりやすいものの、最近はこの中に日本語のツイートも紛れるようになってきた。もううんざりだ。

アカウントを作り直すのもなんだか面倒だし、フォロワーさんがまたフォローしてくれるとも限らないので悩んでいる。

どうしたらいいんだろうね、これ。みんなはどうなの?

高校野球の何がおもしろいの?

夏。それはある種の人々にとっては、高校野球の季節である。プロ野球には興味がないのに高校野球が好きな人は珍しくない。私は同居人の影響で、まったく興味の無かった高校野球を3年前から観るようになった。あくまで印象だけれど、プロ野球に比べるとエラーや逆転劇が多く、最後までハラハラして見られるのが良い。

ところがその世界を知れば知るほど、疑問が湧いてきた。

まず、チームが地元選手ばかりでないのはどういうことだ。「野球留学」などと言って他県から有望な選手を引っ張ってきている。特にエースなどの主要な選手。せっかく都道府県の代表が出揃うというのに、チーム内の出身がバラバラでは代表の意味がない。これでは有望な選手をシャッフルした高校生オールスターゲームではないか。

それから、地元チームが勝ち進むことを素直に喜べない人がいる件。試合結果が仕事に響く職場では、地元チームが早く負けてくれた方が仕事が楽なので、抽選で強いチームとあたることを願う者もいる。また聞いた話によると、応援のための遠征で出費がかさむため、関係者の中には寄付金の要請に頭が痛い家庭もあるそうだ。

そしてそれでも、地元校の試合はやはり盛り上がる。朝から浮き足立って試合開始の時間を待ち、試合中は全力で応援する。勝てば心から祝福し、負ければ「実力差だよ当然の結果だ」とあまのじゃくな悔しがり方をする。

試合終了のアァァァーという叫び声のようなサイレンを聞くと、みんな泣きそうになってる。負けた方が都合がいいのに、と言ってた人も。

高校野球って、どうしてそんなに魅力的なんだろうね?