もうちょっと

せっかくなので、もう少し、若かりし頃のミミ!自分で言うのもなんだけど、かわいーい♪
  

今はもう顔の輪郭(?)なんかも変わってしまったけど、それはそれでご愛嬌。そして、あの悲しそうな、物憂げ〜な瞳も、なんだか憎めません。弱虫というか、ほかの2匹のネコには完全に虐げられ、我が家の長老であり、ドンであるシルキーには、見つかると同時にすごい勢いで威嚇&飛び掛ろうとされるほどの嫌われっぷり・・・。まぁ、猫の世界でも好き嫌い、掟なんかがあって大変なんだろうけど、どんなに嫌われてる子でも、私にとってはかわいい子です♪

もしかして、この弱虫っぷり、人間に守られてる、って感じがシルキーには気に食わないのか?それとも・・・人間界で人種差別があるように、もしや国籍のせい?!シルもシルでかわいがってあげないといけないし、「みんなを平等に!」ってのは動物相手でもなかなか難しいもんです。

選択

今ふと思ったこと。全然、何にも深刻なこと考えてたわけでもなく、パソコンの前でボーっとしてただけなのに、「私はこのままワーホリなんかでドイツに行ってしまっていいのかな」って。

「(今後の2人の将来のことを考えるために)一緒に暮らす」というだけの理由じゃ、ドイツに行ったときに、私がいろんな面で相手に依存してしまい、結局自己嫌悪から始まって最終的に相手を責めたり、すべてを相手のせいにしてしまうんじゃないか。言葉の問題、交友関係、いろんなことでストレスが溜まりに溜まったとき、言ってはいけないことを言ってしまいそうで。
「私は好きな仕事もしないで(あきらめて)、あなたのためにわざわざドイツに来たのよ!」的なこと。自分の人生、結局決めるのは自分なんだから、そういう状況になったときも「自分が選んだ道」なのに、それをすっかり忘れて、相手への僻みで、こんなことを言ってしまう状況が来るんじゃないか・・・。否定は出来ない自分がいる。

自分自身、仕事をしたり、それなりに生活が充実しているときは、そういう言葉も出てこないとは思うけど、すべてがうまくいかない(ように思える)とき、嫌なことが重なったとき、そういうふうに八つ当たりしてしまいそうで嫌だ。冷静なら、そんな言葉が状況の改善にはなんの役にも立たないことはよくわかっているけど・・・。

なってもいない状況のことを、こうして不安に思うのって、無意味なのかもしれない。だけど、何にもしていないときに、そんなことがフッと頭をよぎるのは、心のどこかで、「ワーホリに行く」ってことにまだやっぱり抵抗がある証拠なのかな・・・。