自己愛との付き合い方

「いいね!」時代の繋がり―Webで心は充たせるか?― エレファントブックス新書

「いいね!」時代の繋がり―Webで心は充たせるか?― エレファントブックス新書

シロクマ先生の2作目。今回も自己愛が大きなテーマ

「例えば昭和以前の日本では自己愛の充たし方は「集団との一体感や繋がり」に頼るのが主流でした。地域共同体や大家族といった社会集団に所属し、仕事や行事を皆でこなしながら自己愛を充たしあう風景が全国あちこちで見られました。首都圏では共産党新宗教、企業が共同体的な受け皿として機能してました。
対して平成以後の日本では「個人レベルで称賛やまなざしをかき集めて自己愛を充たす」が主流になってきます。「他人の目を惹くようなガジェット」「ライバルよりも一歩先の流行」を追いかける人が増加し、バブル景気が起きると日本人は世界中から奢侈品をかき集めるようになったのです。
だから年配の人が最近の若者は自己中心的だというのも無理はないのですが、実際には自己愛充当のトレンドが変化しただけなのです。」

さて、現在のネットが自己愛を充たすツールとして機能してます。ブログのアクセス数。はてなのブックマーク。フェイスブックのいいねボタン。ツイッターのお気に入り。興味深いのはホンの5年程度前までは、ブログのアクセス数を伸ばそうとする行為は非難されるべきものだった。アクセス乞食と呼ばれ軽蔑されていた。それが今ではみんな認めてる。「だってブログをやる理由って、いいねやアクセス数を通じて自己愛を満たす。結局それしかないじゃん。」

それがいい事なのか、悪いことなのか正直よく分からない。いい事だとすれば、皆が素直に自分の自己愛を認められるようになったこと。悪いとすれば、世の中に対して言いたいことがなくなってしまったが故、ブログをやる理由が注目されて自己愛を満たすことでしかなくなってしまった点だ。

だがコフートも言うように自己愛とは決して不健康なものではない。確かに満たされた子供時代を送ってないと、自己愛に飢えるというのは事実だ。だが自己愛は誰にでもあるものだ。そして自己愛は克服するものではない。成熟するものだ。キリスト教全盛の時代性欲は汚らわしいものとされたが、今では健康的なものでありそれを認めることにより、成熟しコントロールしようという方向に向かっている。自己愛も同じだ。たとえば、芸術、音楽、映画アーティストが作品を作る際にも自己愛への飢えはあると思う。スポーツ選手も同じく。特にやっかいなのは左翼活動、平和運動、反原発運動なんかだと思う。自分自身は正義のためにやっているという認識があるから、無意識の自己愛に気付きにくい。こうした活動が最後にはうまく機能しなくなる原因であると思う。

自分の自己愛を素直に認められるのはいいことだ。でも言いたいこともないのにモチベーションが自己愛しかなくなってしまったら、それは空虚なものしか生まない気がする。人間の行動をもう一度自己愛視点から見直して見るのもいいかもしれない。


参考記事
ブロガーは反応してあげると喜びます - 北の大地から送る物欲日記
ブログは「言いたいことがある人だけ生き残る」マラソンレース - Hagex-day info


シロクマ先生一作目の読書感想
ロスジェネ心理学を読んで - 社会考察日記 azalea