承認欲求を生む発展社会、と所属欲求を生む維持社会

最近ずっと、承認欲求を手放そうと努力してる、でも承認欲求を手放したらそこに空いた穴を何かで塞がなければいけない。それが所属欲求なんだという感覚が最近分かってきた。なので33歳にもなって最近習い事を幾つか始めた。

我々は発展社会しかしらない。100歳のおじいちゃんでも・・むしろ年寄りの方が発展することに慣れきってしまってる。経済発展や人口の増加はすでに終わり始めてる。しかし、発展社会に慣れきった私たちはその思考習慣、行動習慣からなかなか抜け出せない。

それは、常に新しい新商品を求める消費者思考だけでなく、反資本主義的な人たちの脳にも染み付いている。アートの世界であっても常に新しいものでなくては価値がない、ポップミュージックでもビートルズレディオヘッドみたいに革新的でなくては価値がない。左翼活動でも反原発だ・・安倍降ろしだ・・次はなにをしたらいいのだ?

少子化の原因にこれ以上の経済発展は望めないから・・というものがあるが、例えば人口が常に横ばいだった江戸時代の村とかであればどうなのだろう?我々はおじいちゃんと孫で食べ物や生活習慣も全く違うけど、当時おじいちゃんも孫も同じような人生を送ってたはずである。今では子供が生まれたら自分よりもいい生活させてあげたい・・と思うのが普通で親心としては健全かもしれないが・・当時は子供の人生は親の俺と同じようなものだろうが、それでも村を維持するために子供を産んでたのである。でも今は子供の人生が自分と同じようなものならカワイソウで産めないのだ。

発展発展を求めて私たちは維持したいと思えるような社会にたどり着いていない。子供にも継いで欲しい職業、残したい風景、街の情感、コミュニティ、そういうものを得ていない。

以前にも書いたが、60年代70年代の頃は運や才能に恵まれてたものや極端に承認欲求に飢えてた一部のものが10年20年かけて東京で一旗あげて承認欲求を満たしてた。それが、段々誰にでも最先端の消費で承認欲求を満たせるようになり、スマホがあれば10秒20秒で承認欲求を満たせる時代になった。我々は承認欲求に支配された。そしてもう承認欲求じゃだめだ・・ていうのがアドラー心理学ブームなのだと思う。

そしてそれがこれからの社会・・
「消費をやめる」をアドラー心理学的視点から解釈してみた。 - 社会考察日記 azalea
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