きびをむく少女の指先傷つきてラムの琥珀酒カリブの海より来たる このページをアンテナに追加 RSSフィード

2004 | 12 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2009 | 01 | 02 | 07 | 09 | 10 | 11 | 12 |

2005-04-25 (Mon) 絵巻につづられたスペクタクル

azamiko2005-04-25

[][][] 「絵巻 山中常盤」牛若丸と常盤御前ー母と子の物語  「絵巻 山中常盤」牛若丸と常盤御前ー母と子の物語を含むブックマーク  「絵巻 山中常盤」牛若丸と常盤御前ー母と子の物語のブックマークコメント

岩波ホールで一週間だけ特別上映されている羽田澄子監督のドキュメンタリー映画『絵巻 常盤御前』を観に行った。久しぶりの岩波ホールはやはり、過ぎた年月を感じさせる。クッションがだいぶ痛んできたようで、座布団がくくりつけられてあった。

途中から聞いた上映前の監督羽田澄子さんのお話しは、絵巻物が日本のアニメーションの源流ではないかというもの。う〜む、なるほど。

『伴大納言絵巻』『信貴山縁起絵巻』にしても、物語性といい、描写力といい、すばらしいですものねえ!

『山中常盤』を描いたという奇想の絵師岩佐又兵衛は織田信長に叛旗を翻して、一族600名が処刑された伊丹有岡城主荒木村重の遺児(当時一歳)で、密かに乳母によって救い出され京の本願寺門徒に匿われて成長したという。

この絵巻物は、寛永年間松平藩に伝えられたもので、浄瑠璃(語りもの)を題材に12巻に及ぶ。2万5千ドルでドイツ人に買い取られようとしているところを、長谷川巳之吉氏が海外流出を防ぐため、家を抵当に資財を売り払って入手したとか。

お話は、常盤御前(源義朝の妻、今若、乙若、牛若丸の母)が牛若丸恋しさのあまり、奥州平泉に向け、侍女をともに出立。旅の途上で六人の盗賊に襲われ、惨殺される。平泉でしきりに母の不吉な夢をみる15歳になった牛若丸は京へ向かう途中で、塚をみつけ、宿の主人より母の死を知らされると、ひとりで六人を討ちとり、墓前に報告する。18歳になった義経は再び10万余騎を引きつれ、京に上る途上墓参し、宿屋の主人に礼をする。という史実ではないお話しだが、絵のみごとさ、リアルさ、首が撥ねられ、血しぶきが飛び散っているさまなど表情、動き、風俗といい、生き生きと伝わってくる。添えられた浄瑠璃の詞書の字もうつくしい。

絵巻の映像とともに、鶴澤清二郎によって詞書から新たに作曲された浄瑠璃がお話を追って流れるのも、浄瑠璃を聞くことなど、ほとんどない私にとって、とても新鮮で、三味線の音も心地よかった。

この映画の中で常盤御前に、岩佐又兵衛が21歳で信長によって処刑された母たしを想い、母の仇を撃つ義経にわが身をダブらせ、絵を描いたのではないかというアプローチもとても納得させられる。

2004年度日本映画ペンクラブ賞ノン・シアトリカル部門、第一位

文化庁映画賞優秀賞

次回上映予定は、『ベアテの贈り物』。

日本国憲法に男女平等を盛り込んだベアテ・シロタ・ゴードンという日本で育ったアメリカ女性のドキュメンタリー。監督は藤原智子さん。

憲法草案に男女平等を盛り込むことは大変なことだったようです(笑)

[]ご質問について ご質問についてを含むブックマーク ご質問についてのブックマークコメント

『「国旗・国歌強制に反対する」をめぐって」』は10をもちまして終了いたしました。

ご質問に関しましては、今までのコメント等をお読みいただいた上、HP、ブログのURL、信頼に足るメールアドレスをお願いいたします。

みなさまへのレスが遅れて、大変申し訳ありません。

tosukinatosukina 2005/04/25 12:47  azamikoさん
 映画の色彩はどうだったのでしょうか、
「血しぶきが飛び散っているさまなど表情、動き、風俗といい、生き生きと伝わってくる。添えられた浄瑠璃の詞書の字もうつくしく、絵巻の映像とともに…」とあるので鮮やかなまま残っているのかと推測しますが。

 私も昨日、映画を見ました。データをそのまま貼り付けます。
タイトルが地味ですが…
≪兼子 Kaneko≫
(2004年/日本/1h20) 劇場初公開作品 16mm上映
監督、脚本、渋谷昶子、ナレーター、加藤治子
「87歳まで現役で活躍した日本有数のアルト声楽家・柳兼子の没後20年記念作品。兼子が声楽家を志した理由や夫・柳宗悦との出会いなどを、自身が歌う日本歌曲20曲を織り交ぜながら兼子の人間性に迫り、一人女性心の軌跡として描く。」

 兼子に関心があったわけではなく、ゲストでコメントする
方が知人なので見に行きました。

 色彩は淡く、本人の映像も過去にテレビで撮影されたものでした。
意外だったのは鶴見俊輔さんが映画の中で兼子に関するインタビューに答えていたことです。

 柳宗悦の民芸収集の活動を支えていたのは柳兼子の声楽家と
しての収入だったようです。
 駒場の民芸館に行ったのは30年近く前でしたが、また
行ってみようかと思います。

アレクセイアレクセイ 2005/04/25 14:40 ☆ ポポフさま
> この話題をまだ続けるのでしょうか?

「国旗国歌の強制」問題ならば、すでに決着はついていると思います(笑)。
で、私が問題としているのは、「公に向けての意見表明責任の自覚」みたいなことです。

>【意思の表現】
> ネット上のblogに対してだろうと、公的な機関に対してであろうと、
> 意見の表明の方法を間違えると、「荒らし」として扱われるということでしょうか。

もちろん、そうでしょう。「愛情表現」だといって「人殺し」をやられても困るのと同じです。たとえ本人は大真面目にそう思っていたとしても、です。
つまり、「考え方の相違」なんてことを安直に口にする人がいますが、現実は、それでは済まされないんですね。たしかに極論すれば「考え方の違い」なんだけど、誰だってそれで済ますことが出来ないからこそ、できるかぎり多くの人が納得できるような説明や基準、つまり「客観的説明・基準」というものが必要となってくるんです。これは、この社会に対し、責任を担って関与しようとする人なら、苦しくても避けえない問題なんですが、もともと初歩的な空理空論で満足しているような人は、通り一遍の原則論が「純粋」であり「正しい」だなんて思って、そこで止まってしまうのです。

>【ブロガー】
> blogを持っている人をブロガーと言うそうですね。
> 管理する権限だけではなく、何らかの意見(まあ、通常は日記)を表明する当事者でもあるので、管理者よりは、ブロガーのほうが良いかな、と私は思いますけれど。

「どちらが」良いかではなくて、ブロガーには「管理者」の側面(性格)が含まれるということなんじゃないですか。『blogを持っている人をブロガー』と呼ぶというのは事実的定義であり、「ブロガーは管理者である(あるいは、執筆者である)」というのは性格的定義ですから。
私が問題視するのは、多くのブロガーが、「管理者」的側面の重要性やその意味が分かっていない、ということなのです。

> 反対意見だからという理由だけで、コメント欄の削除を行なっているblogを、幾つか見ました。それに比べてこちらではそのような事は見られなかった。これは高く評価すべきだと思っています。

いいえ、もともとブログというのは「(管理人)個人のもの」ですから、その管理者が「仲間内だけ」と決めたのなら、それはそれで大いに結構なことで、「反対者も含む」と決めたブロガーよりも「価値が低い」とか「ダメ」とか「偉くない」などとは、一概には言えません。例えて言えば、「SF・ミステリー・ホラーを扱うブログ」の方が「SF専門ブログ」よりも「中身があるとか」「視野が広い」といった保証はどこにも無い、というようなことですね。――要は、その管理人が、どれだけ明確な意図をもって、その場所を規定し、その内容を豊かにするように努めるかなのです。もとより「野放しが、一番豊かだ」というようなことはないはずです。しかし、こうした「勘違い」は多いのですが。

> 批判すべき点ですが、
> アレクセイさんが仄めかしていますが、(違ったらごめんなさい)同じ長文を、何度も貼りつける行為。> これは2ちゃんねるでは荒らしとされるものです。もちろんここは2ちゃんねるではありませんが。
> 例外を認める行為は反発を招きやすいでしょうね。

言うまでもなく、「荒らし」に定義はありません。要は、それが「荒らし」として機能しているかどうかであり、「荒らし」の客体である「ブログの管理人」が、それを「荒らし」と感じ、そう名指すかどうかですよ。
つまり、おっしゃるとおり、『2ちゃんねる』が定めた「荒らし」のアウトラインは、便宜上のものでしかなく、「ここでは、こういう行為を、荒らし行為の一種として規定し、禁止しよう(禁止します)」ということでしかない。つまり、こういう「規定」は、「そこの管理人の考え方」しだいなんですね。

> また、私のメールアドレスなどは強く要求しましたか?
> もっとも、わたしはHP、blogを一切持っておりませんし、仕事用以外のメールアドレスも持っておりません。要求されても「捨てblog」「捨てメールアドレス」を用意することしか出来なかったでしょうが。blog廻りを始めたのも最近からですし。

そもそも「荒らし」にあたるような(中身のない)書き込みをしなければ、「身元証明」を求められないわけですよ。私やazamikoさんが求めているのは、「責任ある発言」であって、「身元証明」そのものではないんですから。つまり逆に言えば、「住所・本名・生年月日」を明かしても、「荒らし」は「荒らし」であり、「身元証明」によって、その人が「荒らし」でなくなる、ということはないのです。
――「何が批判され」「何が求められているのか」、その「主旨」を考えずに、「身元証明」だけをうんぬんする程度の人間だから、「荒らし」は「荒らし」らしく、主旨からはずれた『「捨てblog」「捨てメールアドレス」』を提示するなんてことをするんですよ。

>>アレクセイさま
> 終わった事だと思うので恥をしのんで聞きますが、私へのレス
> >私は、ここでも何度も書いているとおり、「偽善的」な態度や「しらじらしい」態度が、とても嫌いです。
> これは皮肉で言っていますよね?もしそうならば、ちょっと嬉しいですが(笑)。

いいえ、申し訳ないが、これは私の率直な気持です。貴方は、よくも悪くも正直だと思いますよ。私はそういうのが好きですが、そのように誉められても嬉しくないという人もいるでしょう。ただ、私は、誉めたいものを誉めたいように誉める主義ですので、それで相手が喜ぶかどうかなんてことは、あまり関係ないんです(笑)。

> 国家という集団に敬意を表することを、強制できないと言うのはわかる。
> 何か不満を持っている人は居るだろうし、それは否定できない。(すべきではない)
> でもその不満の表明の方法が、非礼という手段をとるならば、
> 「管理人バカじゃねぇの?」「つまんね」というコメント、このblogで『荒らし』と呼ばれる類のものと同列なのではないのか?
> その表現から、何かしら不満を持っているというのはわかるけど、何を言いたいのかわからないと言う稚拙な手段。だから相手にされないのではないか?
> 現在の日本国という集団に不満を持つならば、別の方法があるのではないか?
> そんな事をこのblog内でのやり取りから思った。

この議論は、混乱しています。お酒が入っているせいかも知れませんが、より根源的には、「当事者」として考えぬいた上での意見ではなく、「傍観者」の立場からの漠然たる感想となってしまっているからでしょう。
「自分=私」が、ある他人の意見あるいは行動を批判する時、いったいどういう風に批判するのか、できるのか? 私が、ある見も知らぬ他人から批判された時に、どのような態度でそれに応じるのか? そういう具合に「私の問題」として考えていかないかぎり、考えは深まらないと思います。

> また、blogにコメントを書きこむという行動は、そこのblogの主に伝えたいと言う行動なのだろうと思う。世間に向けての表現手段は多々あるが、blog主に伝えると言う点では、そのコメント欄に書きこむというのが、もっとも手軽で、わかりやすい方法だ。
> その意味で、アレクセイさんに代わりに答えてもらっても、コメント者の欲求は満たされないのだと思う。もちろんブログ主の対応能力には限界があるのは承知の上で。

それならばなぜ、azamikoさん個人にメールで質問しなかったのか、ということですよ。「公の場に書く」ということは、それが形式上、誰か個人に当てて書かれたような形になっていても、その本質は「公」に向けて(顕示的に)書かれたものに他ならないんです。だから、そうした意見は「公」に供されたものとして、不特定多数からの批評の対象にもなる。これは当然のことなんです(例・公開往復書簡など)。しかし、こうした自覚の無い人が多いというのも、また事実なのでしょう。

> 今回の「荒らし」は荒らしだったか?
> それにしてはやけに皆紳士的だ。突然提示されたルールの変更に、従おうとした。(私は従わなかった)

真情の無い(上辺しかない)存在だからこそ、詐欺師は紳士(真摯)面をするのですよ。
言うまでもなく、「荒らし」にも、単なる「ちんぴら」もいれば「知能犯」もいる。たしかに「見かけ」は大いに違いますが、その「中身」の低劣さでは、大差は無い。つまり、我々に求められているのは、本物の紳士と偽者の紳士を見抜く眼力です。言い換えれば、鍛え抜かれた「読解力」。
――ポポフさん、そんなことを言っているようでは、まだまだのようですね。「お人好し」過ぎますよ。でもまあ、それが好ましいところでもあるんですが(笑)。

> 信頼するに足る自blog、自HPの提示など、無茶もいい所だ。それを達成するためには、明らかに長期にわたる期間が必要だ。もともとblogやHPなどを持っていない者には、不可能である。言いがかりに等しい物だ。
> 荒らすことができるのは、コメント者だけか?

こうした「誤解」は、「何が問われているのか」という、その「本質」を見誤っている証拠です。――言うまでもなく、大切なのは「身元証明」ではなく「真摯な意見表明」です。しかし、それが出来ない人には、せめてご自身の発言の責任くらい担ってもらわなくては、その発言権を保証することも出来ない、ということですよ。だから、私は、一律に「身元を明かせ」とは言わなかったんです。つまりそうした「条件付け」は、それが必要な人(「真摯な意見表明」ができない人)にだけ求めれば良いことだ、ということですよ。
例えば、未成年または未成年に見える人がタバコを買いにいけば、成人であることの証明を求められるようなものです。明らかな「大人」は、そんな証明など求められないんです。

> 稚拙な表現という手段をとる可能性があるのは、blog主も同じ事。
> 意見を表明するという立場に立つ者は、皆この危険を犯す可能性がある。
> 意見の表明する者、論者としての立場は、コメント者もblog主も同じではないのか?
> ただ、物理的な場を用意してもらっているという点で、遠慮はあるのだけれども。

そんな「遠慮」など必要ありません。ただ、正々堂々と「対等」に「公正(フェア)」にやろうとし、それが現に出来るのならば、何も問題ない。ですが、自分から積極的にそれをする人がほとんどいない(甘やかしてもらいたがる人が多い)から、仕方なく管理人の方から要求せざるを得ない、ということなんですよ。

> 以上、別に名文とは思わないけれど、各自転載の上、無慈悲な突っ込み、批判、攻撃は自由。
> 著作権がどうのという、最近の流行りらしい難癖は、つける気は無いので。

こうした断り書きは、覚悟を持った発言者には、無意味です。なぜなら、このようなことは、わざわざ断るまでもない、当然の前提だからです。逆にいえば、こういうことを言ってしまうところに、貴方の弱さ(覚悟の足りなさ)が露呈しているとも言えるでしょう。

> とりあえす、Azamikoさんのblogで色々学べた事に、非常に満足している。
> 早く平凡なエントリに平凡なコメントを(今でもそうか。え?平凡以下?)つけるような客になりたいものだが。

いやいや、こういう経験は二度と出来ないかも知れませんよ。「思えばあれは、充実した時間だったなあー」と(笑)。

> お酒入ってて、ごめんね。

こちらは一向にかまいませんが、後でご自身、後悔なさらないといいのですがねえー(笑)。


☆ その他の会社員 さま
> 管理人様
> 申し訳ありませんが、
> 捨てアドレスでないメールアドレスは仕事用のものしかないのです・・・
> ですので、私は卑怯者で荒らし扱いになるのでしょうね。

貴方が『卑怯者』かどうかは、貴方が貴方自身の胸に聞くことですよ。つまり、自分の身元証明ができる材料が出来た時に、貴方はそれを私やazamikoさんのように明かして、責任ある発言ができるかどうか、ということです。
今、現にそうした材料が無い時に『荒らし扱いになるのでしょうね。』みたいな「泣き言」を言っているようでは、「この先にも期待できない」と思われるのは、当然のことです。なぜ「これからは、どこでも○○○というハンドルで書き込みをし、ネット上での自己を確立して、責任ある発言をしてみせます」と言えないのでしょう。貴方にその気があるのなら、行動で示して下さい。「子供」ではないんですから、他人が評価してくれることを期待する前に、評価される自身になるよう努力してください。また、こうした意識の違いは、文章にも如実に表れるでしょう。

> しかし、私のいいたい事は風見敬吾様が言って下さったので満足しています。
> 考えは人それぞれなのです、考えに賛同する人が多いか少ないか、ただそれだけです。

azamikoさまも書いておられましたが、貴方自身『考えは人それぞれ』という事実に満足できないから、そんな蛇足的な感想を、あえて付け加えなくちゃならないんですよ。――『考えは人それぞれ』なんてことは、誰だってわかっています。だから、肝心なのは「でも、私は、こうこうだから、こう思う」という意見表明なのです。
また、問題なのは『多いか少ないか、ただそれだけ』ではなく、「質の高低」ということもあるんですよ。『SFの90%はクズである──ただし、あらゆるものの90%はクズである』という「スタージョンの法則」にも明らかなとおり、数さえ多ければ良いというものではないんですね。つまり「99作の駄作よりも、1作の傑作」の方が価値がある、ということもあるんです。

>>「ただ、それだけ」ではすまないんですよ。イラクでたくさんの人が殺されたことも賛同する人が多かった。ただ、それだけ。でそれでいいんですか?(<azamikoさん)

> 何故「賛同する人が多い」のか考えてみたらよいと思いますよ。
> 私の稚拙な答えですが、「犠牲を払ってでもイラクを平定したら、自分達の利益になるから」
> と考えた人が多かったからだと思います。

これも同じです。そんな「明らかな事実」を指摘しても、意味はありません。そんなことは、azamikoさんも自明の前提とした上で、「どう考え」「どうするか」と問うているんです。貴方がいつも「明らかな事実の指摘」でお茶を濁すのは、自分で「自分の見解」の責任を引き受ける覚悟が無いからです。そして、そういう人たちによって、こうした「好ましからざる事実(=直視されない事実)」が構成されるんですね。「その事実(=直視されない事実)」も知って下さい。


☆ azamiko さま
> ☆アレクセイさま
> 評論、コメントありがとうございます。
> また、コメントラッシュは、3月28日からだったと思いますが、多大な時間と労力を傾けていただいたことを、ほんとうに、ありがとうございます。

いいえ。基本的には、好きでやっていることですので、その点でも決して「恩に着ないでください」。私は常に「五分以下の条件」で議論したいと思っていますから(笑)。

> ふたたび、荒らしが来て、そこにアレクセイさんがいなかったら・・・そういうことを念頭に置きながら読ませていただきました。

大切なことです。――例えば、「戦争になって、見も知らぬ外国兵が家に押し込んできて、家族を殺そうとした場合、銃をもっている貴方は、どうするのか?」等と考えていくことが大切です。私の場合なら、その兵に恨みはなくても、家族を守るためなら銃を使うし、必要なら射殺もする。しかし、そんなことはしたくないからこそ、戦争にならないように、戦争に反対して闘う、ということです。

> 荒らしが来たときに、はてさてどうしようかと思案しました。今までも、週に一、二回更新していたというペースで、時間的にもゆとりもありません。
> コメント欄を閉じるということもできます。削除することもできます。しかし、これらは最終段階でいいと思いました。それで、できるだけやれるところまでやろうという気持ちでいたのです。それは、ひとつには、ブログという個人の日記を書くという個人的な場ということがたぶんにあったと思います。個人の責任でやれることをやればいい。コメントは私に向けられたものです。ですから、管理者という意識ではなかった。
> そして、それ(やれるところまでやればいい)が可能だったのは、アレクセイさんが、国旗・国歌強制を擁護する人たちがどういう人であるかを知らしめるのも価値があることだといわれたことが励みにもなり、力づけてくれるものでもありました。
> そして、それだけでなく、実際にここでの有意義な議論の多くはアレクセイさんによって交わされたと言っていいと思います。
> だから、アレクセイさんにお任せしておけば、大丈夫と甘えていたのは事実です。
> 強制のことについていえば、3月12日の日記で校長先生と交わしたお話しの中で言っているように教育は強制をともなうものであると思っていますし、強制(管理)がなくて、秩序が保たれないのは誰も否定できないでしょう。問題はむやみな強制、むやみな管理ということになってきますね。
> この場も管理はなるべくしないほうがいいと思っているのも事実です。

『なるべくしないほうがいい』という言い方は、「管理人として何も言っていない」に等しい。そんなことなら、今の政府与党だって言うでしょう。管理責任者がしなければならないのは、そういう一般論でお茶を濁すことではなく、責任をもって「どう管理する」という基準を示し、それに沿って管理することです。現実に「管理」し「強制」するんですから、そこをレトリックで誤魔化し(逃避し)てはならないんです。

> HP、ブログ、公表できるメルアドをもたない人は多く、今までも制限なしにしてきました。
> しかし、コメントラッシュによって絞る必要がでてきた。
> それで、意見交換の場合は、HP、ブログ、信用に足るメルアドをという制限にしたわけですが、ここから零れ落ちる人もいます。
> 私の管理者としてブログの「運営方針」といえば、結局のところこの場を有効に生かそうという意思があるかどうかだけです。これが理想でしかないととしても、それならブログをやっている意味もないんですね。
> ですから、「強権の発動」は最終でいいと思ってきましたし、なるべく、先送りにしてきたということはあります。

ここが、azamikoさんもポポフさんも、間違っているところです。何が正しくて何が間違いなのかを決めるのがその場の責任者の責務であり、その判断についての責め(結果責任)を負うのも同じ責任者なのだということがわかっておられない。だから「身元証明」で「公平に」に制限を加えようとしたりするんです。でも、これだと、ポポフさんのような善意の「匿名」者も、たくさんいた悪意の「匿名」者(=荒らし)も、同じ扱いになってしまう。だから、大切なのは、管理者であるazamikoさんが、それぞれの書き込み内容を検討して、「貴方は匿名のままで書き込んでもかまいません。なぜなら、貴方の書き込みは真摯なものだと、私が判断したからです」あるいは「貴方は匿名のままで書き込みをしてはなりません。なぜなら、貴方の書き込みは真摯ではないと、私が判断したからです。それでもここで意見表明がしたいのなら、せめて発言の責任の所在を明確にしなさい」と、言えば良かった。あるいは、そう明言することによって「自分がこの場の責任を引き受ける」という態度を明示すれば良かったのです。
実際「身元証明」を求めるというのは、発言の内容水準を多少は支えるものとはなりえても、本当に質の悪い相手には通用しません。むしろ善意の「匿名」者を排除することになる。なぜ、こんなことになるのかと言えば、「何が正しくて、なにがいけないことなのか」を、管理者であるazamikoさんが、「自分の言葉」で引き受けなかったからなのです。

> それが可能だったのは、もちろんアレクセイさんの力に負うところが大きかったわけですが。
> 思いあがりと言われれば、それまでですが、「荒らし」への「甘やかし」つまり「容認」ということについて、若い彼等が、そういう行為をしていることに、アレクセイさんのように簡単には切れないところがあります。アレクセイさんが「呪い」をかけるのとは違う形で、私は彼等に呪いをかけた。それだけです。

半端な「呪い」は、相手には効かなくても、自分には返ってきます。azamikoさんの「呪い」が、誰に効果したのかを、冷静に反省してみて下さい。


☆ micronさま
> 国旗・国歌についてNET巡回をしていたら、櫻井よしこさんのホームページに
> 日の丸について興味深い説明がありましたので紹介します。
> http://blog.yoshiko-sakurai.jp/archives/2000/12/post_8.html
> なるほど、日の丸は国旗として1000年の歴史があったようです。
> 学校では教わりませんでしたが、日の丸には面白い歴史があるようです。

『このような日の丸の成り立ちを識ってみれば、たとえ一時期、それが侵略の非難を受けている戦争に使用されたといっても、日の丸が日本の国印、国旗であることを受け容れることを、多くの人が納得できるのではないか。逆にいえば、この種の説明なしに、法律によって日の丸を国旗とすることにどれだけの意味があるかということである。あの時、野中広務幹事長らは、天皇陛下即位10周年記念に合わせるために、日の丸と君が代を合体化させて法案化した。そして彼らが国民に対して行った説明は、「それが日本の文化だから」というものだ。
 だが、明らかにその種の説明だけでは不十分なのだ。納得しない人は、おそらく今でも納得していないに違いない。政治家であればこそ、自分の主張の根拠を国民に語りかけるべきだ。』
             (「日の丸が国旗であることの背景説明を政治家は尽くせ」)

櫻井よしこさんがおっしゃっているのも、要は「日の丸にはこれだけの歴史がある、ということをきちんと教えれば、一時期の過ちを反省した上ででも、日の丸を国旗として愛することは十分可能だ。なのに、政治家は法律で決めたり、強制するとかばかりで、日の丸の歴史を語ろうとしない。きちんと語るべきことを語って、納得してもらわなければ、ダメだ。」ということですね。つまり、私やazamikoさんが言ってるのと同じことですよ。「強制じゃなく、話し合い・議論による納得を」ということなんですからね(笑)。

> これからの国際社会の中で、自分の国、歴史、文化に誇りをもてない人間は
> 他国の歴史、文化も尊重できず、信用もされないでしょう。

「誇り高い」人は、自身の過ちを自身に許さない「厳格さ」を持っています。まただからこそ、自身を「高く」「清らか」に保つことも出来ます。もちろん、「誇り高い」ということと「(無反省な)傲慢」とは、同じではありません。これは「国」においても同じです。
つまり、日本が「誇り高い国」として他国から尊敬されるようになるためには、「日本は世界一の国だ」と自己満足の自慢をしていてもダメで、真摯に自己の過ちを正し、自身を高く保とうとする姿勢が必要なんですね。戦後、ドイツが尊敬されたのは、自らの過去の過ちから目をそらさず、過酷なまでの反省を自身に強いたからです。つまり大切なのは、よそからやいやい言われながら、嫌々やってもダメだということ。言われなくても、自身の反省すべき点は、粛々と反省し自ら正していく。そういう主体性があってこそ、評価もされるんですよ。

> 卒業式で先生方が国旗、国歌に敬意を示されない様子を生徒が見て
> どのように思うのか、気の毒でなりません。
> そう考えると、この強制というのは行き過ぎではないのかな?とも思うのです。
> 先生方がどのような理由で国旗・国歌に反対するのかわかりませんが
> それは生徒に見えない形で表現(都議員選挙など)されたほうがよいように思いました。

いいえ、大人の社会の矛盾(現実)を見るのも、子供には勉強になるでしょう。もちろん、それは見ていて「気持の良いものではない」かも知れませんが、そこから「なぜ、こんなことで揉めているんだろう?」と思う子供が出てくるのは、喜ばしいことです。なぜなら、そんな子供なら、大人に教えてもらわなくても、自分で勉強し、自分で答を見い出していく可能性が高いからですよ。

>> アレクセイさん
> 現代思想っていう本は本屋さんにも図書館にもありませんでした(;´д⊂)oO(もう売り切れちゃったのかな?)

『現代思想』は、バックナンバーはあるはずですから、今月号(4月号)なら大丈夫ですよ。大型書店に取り寄せを頼んでみてはいかがですか。版元「青土社」の詳細は、次のとおりです。
  〒 101-0051  東京都千代田区神田神保町1-29
TEL 03-3294-7829  FAX 03-3294-8035
URL http://www.seidosha.co.jp

> 先生方が国旗国歌に反対する理由を、もし知ってたらコッソリ教えてくれませんか?

私がすべてを知っているわけはありませんよ(笑)。
ただ、はっきりと言えることは、櫻井よしこさんもおっしゃっていたとおり、「国旗や国歌が本当に良いものなのであれば、強制せずとも理解は得られるはずだ」、つまり「強制は無用だ」ということです。また「それが、民主主義というものだ」ということです。

>> みんなが、それぞれの立場で、地道な活動をしていくしかないでしょう。なにしろ私たちには「強権」が無いんですから(笑)。

> わしたちには選挙権という強権がありますよ(*’-’)b

残念ながら選挙権は「強権」ではなく「ささやかな権利」でしょうね。もちろん、そんな「ささやかな権利」でも、大切に育てていかなければ、私たちには「何の権利も無い」ということになってしまうんですが(笑)。

> いかついおっさんの例え話は大変わかりやすかったです。
> 実はわたしは前回の都知事選挙は石原さんに投票したのですが
> 東京ではMXテレビというテレビ局で、都知事の記者会見を毎週みれちゃうんです。
> それを見る限り的はずれな政治は行ってないようにみれるのですが
> ・・・まぁこれは人それぞれ感じ方がちがうのかなぁ

ま、それに石原さんもバカじゃないし、文章と同様、おおぜいのブレーンがついていますからね。
また、見せたいところしか見せないようにしてるし、ウケるところを派手にアピールする。それがマスメディア時代の「ポピュリズム政治」というものですよ(笑)。

【追加分】

☆ ちょっとだけ質問 さま
> すみません、サイトのURLがいるようでした。でもサイトはありません。どうしましょう。困りました。

簡単です。いさぎよく先の質問を取り下げて、ここへの書き込みをやめればいい。それが論理的な答ですよ(笑)。

> Azamikoさんの行為は純客観的には「何らかの政治的内容を持った文書を建物管理者の意思に反して配布しようとした」ですよね。これに問題があるか無いかはさておき、逆にもし誰かが「天皇陛下万歳、子供達に教育勅語を」という内容をもった文書をAzamikoさんと全く同じ行為で渡そうとした場合、Azamikoさんはその人を擁護できるでしょうか。

貴方のように矛盾したことを平気でやれる臆面の無さがあるのなら、その人を擁護しないでもおれるでしょうが、私なら論理的一貫性を求めるから、文書の内容にかかわりなく、同じ行動であったならば擁護するでしょうね。

ついでに言っておくと、貴方の『純客観的』要約とやらは、普通に「客観的」ですらない「純恣意的」なものです。――ここには、azamikoさんが「卒業生の母親として」学校へ行き、「お世話になった先生方に対し」「手紙」を渡そうとした、というような重要な要素が「恣意的」に排除されています。つまり、貴方の要約は、どこから見ても単なる「恣意的」「党派的」な要約だということになるでしょう。

> これは余談なのですけれど「新しい教科書」でも同じ感想を得ました。その昔、かなり左派知識人の支持を得た「家永教科書」が検定不可となった時、教科書検定は「内容に着目して排斥するものであるから検閲である」と主張しました。現在、左派の方は「『新しい歴史教科書』は内容悪辣であるから検定不可にせよ」と主張しています。この左派の見解はおかしくないですか?、政府に検閲せよと主張しています。
私はこれを二律背反だと思うのです。

「検閲だからいけない」と言ってるんですか? それは確かにおかしいですよね。「教科書検定」は、内容の着目して、間違いだと思えるものについては訂正をさせるもので、これはある種の「検閲」であり、私が思うに「必要な検閲」でしょう。ただ、「家永裁判」において左翼側が言った「検閲」とは、「その検閲」が「敗戦前までの国家主義的な検閲」という意味であることは、明らかでしょうね。

ともあれ、「天皇の先祖は、天から降りてきた神様」とか書くような、頭のおかしい歴史学者が実在するそうですから、一定の「検閲」は必要でしょう。そんなのを認めたら「アメリカ大統領の先祖は、宇宙の彼方から円盤で飛んできた異星人」だなどと書く歴史学者がいても、認めなくてはならなくなる(笑)。ま、ですから、「歴史」に関して言えば、科学的「事実」に反する記述や、「事実」の裏づけがない事柄に関して「思想的な色合いの濃い解釈」が付されている場合や、日本国憲法の精神に反する「天皇の神格化」や「戦争や軍隊保持の容認」といった記述があるのなら、それは「削除」されるべきでしょうね。日本国憲法の立場に反する「個人」的な意見や「党派」的な意見は、国家が進める教育のなかで採用される「教科書」に書かれるべきではなく、個人的に出版されるものに書かれるべきだと思います。
『新しい歴史教科書』なんてものは、中国や韓国から批判されるまでもなく、日本人が自主的に否定すべき、じつにみっともない「ナルシズム(自己愛的)歴史教科書」であり「ナショナリズム(愛国的)教科書」とすら呼びたくないシロモノです。


☆ KMRさま
> 他所のブログのことはいいから、ご自分のブログに精をおだしなさい!(<azamikoさま)

他人のことはいいから、ご自分のことに精をおだしなさい!(自分を磨き高めよ)
そんなことばかりしてるから、侘びしいネットストーカーになるんですよ。――「匿名」の「かまって君」は、みっともないと知るべきです(笑)。

azamikoazamiko 2005/04/25 17:50 ☆tosukinaさま、
書きたいことはいろいろありますが、とりあえず、今日のことについてです(笑)

>映画の色彩はどうだったのでしょうか、

実に繊細に描かれているのが映像が舐めるように映し出します。巻によって、損傷に違いはあるのでしょうが。
大名の、若や姫がお菓子を食べこぼした跡などもあるようですよ(笑)。
私は絵巻にたいする興味からですが、古典芸能や歴史に興味のある方にもいいかもしれません。

>≪兼子 Kaneko≫
(2004年/日本/1h20) 劇場初公開作品 16mm上映
監督、脚本、渋谷昶子、ナレーター、加藤治子
「87歳まで現役で活躍した日本有数のアルト声楽家・柳兼子の没後20年記念作品。兼子が声楽家を志した理由や夫・柳宗悦との出会いなどを、自身が歌う日本歌曲20曲を織り交ぜながら兼子の人間性に迫り、一人女性心の軌跡として描く。」


柳兼子さんは宗悦氏のお連れ合いだったんですか!(無知/爆)
この映画については、情報誌でちらと見て、観たいと思っていました。
モーニングショーだったんですね。『仮面ライダー』も観れなかったし・・・(^−^;
6,7月に日本民芸館の柳宗悦展で上映されるのですね(嬉)。そのときには是非!
貴重な情報をありがとうございました。

☆アレクセイさま

みなさまへの丁寧な返信を、いつもありがとうございます。
私が書くと、一、二行で終わってしまうのです(−_−;
それで、どうしたものかと、ついつい遅くなってしまって・・・。

アレクセイアレクセイ 2005/04/25 19:15 ☆ azamikoさま
逆に、私の場合は、長くなり過ぎる方だから、いいんじゃないですか。私が書いたことに、補足の必要なところを書かれたらいい。同じことを書くのは、時間の無駄ですからね。だから、再録もアリ(笑)。

tosukinatosukina 2005/04/25 22:59 azamiko さん
 レスは気にせずにazamiko さんのぺーすでどうぞ。
「兼子」の上映は土曜の夜と日曜の朝だけでした。
土曜のトークは監督自身。
 上映した映画館にも『ベアテの贈り物』上映を支援している人たち
が来て受付横でパンフなどを紹介していました。
 日曜朝はしっかりと「仮面ライダー」を半見していました。
(笑)エンディングには「少年」というタイトルの曲が流れま
す。歌うのは布施明です。

 「兼子」には二人の息子たちもインタヴューで
出演していますが、皆、母親派ですね。
 皆さん高齢の域ですが。

 土曜に私がナレーション朗読をした布施辰治のドキュメンタリー
映画は危うく流れるところでした。
 こちらがビデオプジェクターまで用意することになり、借りる
先から会場まで知人に自動車を出してもらい運んだのですが、渋滞が
予想以上で予定より25分も遅れ到着する事態になりました。
 プログラムの都合で5分遅かったらカットされるところでした。
ナレーションは無事、映像とほぼシンクロさせることができました。
 美声からはほど遠いのですが大きい声だけは出るので、居眠り
をしている方はいなかったようです。(笑)

その他の会社員その他の会社員 2005/04/25 23:24 >「天皇の先祖は、天から降りてきた神様」とか書くような、頭のおかしい歴史学者が実在するそうですから。

それを言ったら
「神はチリから人間を作った」というお話がありますが・・・これはどうしますか?

歴史でも、宗教でも信じる信じないは人それぞれですよね?
それを一方的に「頭がおかしい」などと言われたら、信じている人は怒ると思いますよ?

アレクセイアレクセイ 2005/04/26 01:33 ☆ その他の会社員さま
>>「天皇の先祖は、天から降りてきた神様」とか書くような、頭のおかしい歴史学者が実在するそうですから。

>それを言ったら
> 「神はチリから人間を作った」というお話がありますが・・・これはどうしますか?
> 歴史でも、宗教でも信じる信じないは人それぞれですよね?
> それを一方的に「頭がおかしい」などと言われたら、信じている人は怒ると思いますよ?

それを「比喩的事実」ではなく、「物理的事実」だと信じているのであれば、やはり「頭がおかしい」の範疇だと私は思いますよ。「宗教とは、多かれ少なかれ狂気の範疇に属するものである」という有名な言葉もありますしね(笑)。

ところで貴方は、他人が『怒る』からと言って、自分の思いを隠しつづける人なんですか? そうじゃないですよね。だから、現にこんなにつまらない「ツッコミ」を入れてるんです。要するに、貴方は、自分では何も生み出せない人だから、他人の意見に難癖をつけることで、ようやく自分の存在価値を確かめているんでしょう。
――この解釈、当っていようとはずれていようと、貴方には嬉しくないものだとは思いますが。

風見敬吾風見敬吾 2005/04/26 19:02 >「ただ、それだけ」ではすまないんですよ。イラクでたくさんの人が殺されたこ>とも賛同する人が多かった。ただ、それだけ。でそれでいいんですか?

別に問題ないでしょう。
むしろ、何の問題があるか、聞いてみたいですね。

前エントリに書き込めなかったのでここで書いておきます。

その他の会社員その他の会社員 2005/04/26 23:01 >アレクセイさん
宗教は多かれ少なかれ狂気の範疇ですか、間違ってはいませんが、その言葉は神様を信じていない人の前だけでしか言いませんよね?

私の言うことはつまらない突っ込みということですが、
「つまらない突っ込み」ですめば、「聖地を踏み荒らす外国人に死を!!」と
イスラム過激派も暴れないのですけどね・・・

後はアメリカの選挙の時に「人工中絶、同性愛は認めるか認めないか」でニュースになることも無いと思いますが・・・どうでしょうか?

アレクセイさんの宗教に対する考え自体は尊重しますけど、それを他人に押し付けるのはやめて下さいね?

それと、何も産み出せなくて何か問題でもあるのですか?
そもそも何をもって「自分では何も生み出せないのか」が判りません

生み出すと聞いて思ったのが蟻ですが、アレクセイさんが女王蟻、私がはたらき蟻だと思いますが、それで何か問題があるのでしょうか?

azamikoazamiko 2005/04/27 03:34 ☆ 風見敬吾さま
>「ただ、それだけ」ではすまないんですよ。イラクでたくさんの人が殺されたことも賛同する人が多かった。ただ、それだけ。でそれでいいんですか?

> 別に問題ないでしょう。
> むしろ、何の問題があるか、聞いてみたいですね。
>
> 前エントリに書き込めなかったのでここで書いておきます。

核兵器を隠しもっているという理由で、攻撃したわけですが、そんなことももちろん、貴方は、ゼンゼン問題ないと思われるんでしょうね。
そして、また、アメリカが日本に原子爆弾を落としたことも、「賛同する人が多かった。ただ、それだけ」「別に問題ない」といわれるのでしょうね。

azamikoazamiko 2005/04/27 03:46 ☆ ちょっとだけ質問さま

>もし誰かが「天皇陛下万歳、子供達に教育勅語を」という内容をもった文書をAzamikoさんと全く同じ行為で渡そうとした場合、Azamikoさんはその人を擁護できるでしょうか。

ベターな制度として民主主義を重んじているので、私は擁護しませんけれどね。擁護する人がいても不思議じゃないないかもしれませんね。
そんなことをしなくっても、「天皇陛下万歳、子供達に教育勅語を」になりつつあるのが東京の現実でしょう。

> これは余談なのですけれど「新しい教科書」でも同じ感想を得ました。その昔、かなり左派知識人の支持を得た「家永教科書」が検定不可となった時、教科書検定は「内容に着目して排斥するものであるから検閲である」と主張しました。現在、左派の方は「『新しい歴史教科書』は内容悪辣であるから検定不可にせよ」と主張しています。この左派の見解はおかしくないですか?、政府に検閲せよと主張しています。
> 私はこれを二律背反だと思うのです。

「政府に検閲せよ」ということではなく、実証学的にみて正しい歴史検定をせよ。ということでしょう。二律背反ではなく、一貫しているとおもいますよ。

>すみません、サイトのURLがいるようでした。でもサイトはありません。どうしましょう。困りました。

メルアドがあるはずでしょう(笑)?

azamikoazamiko 2005/04/27 04:12 ☆ その他の会社員 さま

だんだん、わけが分からない方向へ・・・。
貴方は実証的であるべき歴史と宗教そのものとを完全に混同しています。
何らかの宗教の信者さん?

> アレクセイさんの宗教に対する考え自体は尊重しますけど、それを他人に押し付けるのはやめて下さいね?

別に押し付けてはいないでしょう。ご自分の意見を言われているだけですよ。
そういえば、たしかに貴方はご自分の意見を表明されませんね。
ご自分で意見を言わない、言えないから、意見表明する人が気に障る?
ひとそれぞれ、というのが貴方の唯一のご意見?
でも、ほんとうに、貴方のいうように、人それぞれだと思えば、人が何を言っていても気にならないはずですよね。
自分の意見を言えない人、自分の意見に自信のない人、自分の意見がない人が自分の意見を表明する人を黙らせようとしているというのが、客観的に観ているものの印象です。

> 生み出すと聞いて思ったのが蟻ですが、アレクセイさんが女王蟻、私がはたらき蟻だと思いますが、それで何か問題があるのでしょうか?

面白い発想ですね。

アレクセイアレクセイ 2005/04/27 14:24 ☆ 風見敬吾さま
>>「ただ、それだけ」ではすまないんですよ。イラクでたくさんの人が殺されたことも賛同する人が多かった。ただ、それだけ。でそれでいいんですか?(< azamikoさん)

> 別に問題ないでしょう。
> むしろ、何の問題があるか、聞いてみたいですね。
> 前エントリに書き込めなかったのでここで書いておきます。

私が思うに、問題は大いにありますよ。『別に問題ない』としか思えない、貴方の「思考そのもの」に問題がある。でも、それは貴方自身には自覚できないことですから、貴方を納得させる説明は、ひとまず不可能ですね。たとえそれが、世間的には、自明な事実であるとしても。
――ともあれ、貴方は「その他の会社員」さんと似たような「傾向」をお持ちですね。たいへん興味深いことです。


☆ その他の会社員さま
>アレクセイさん
> 宗教は多かれ少なかれ狂気の範疇ですか、間違ってはいませんが、その言葉は神様を信じていない人の前だけでしか言いませんよね?

貴方は、いま現に言ってますよね。お気づきですか?――たぶん、この言葉の意味も理解できないでしょうが。

『宗教は多かれ少なかれ狂気の範疇』なんてことは、まじめに宗教をやってる人なら、誰だって考慮していることですよ。私の友だちにも信仰者は多いですが、『宗教は多かれ少なかれ狂気の範疇』だということは、宗教に無知無関心な人以上に、真剣に考えています。なぜなら、他人事ではないから、怒って済ませられないからですよ。

> 私の言うことはつまらない突っ込みということですが、
> 「つまらない突っ込み」ですめば、「聖地を踏み荒らす外国人に死を!!」と
> イスラム過激派も暴れないのですけどね・・・

貴方の『つまらない突っ込み』と「宗教的テロリズム」とでは、次元が違いますよ(笑)。もちろん、後者は思考するに値する重要テーマであり、前者は取るに足らない妄言です。

> 後はアメリカの選挙の時に「人工中絶、同性愛は認めるか認めないか」でニュースになることも無いと思いますが・・・どうでしょうか?

逆です。『宗教は多かれ少なかれ狂気の範疇』にあることだからこそ、そういう問題も出てくるんです。つまり「理性」だけでは解決できなくなるんですよ。貴方自身の問題と同じです。

> アレクセイさんの宗教に対する考え自体は尊重しますけど、それを他人に押し付けるのはやめて下さいね?

被害妄想が出てますね。

> それと、何も産み出せなくて何か問題でもあるのですか?

あります。自分で何も生み出せない人は、生み出せる人に対し勝手に劣等感を感じ、そのあげく被害妄想を持ったりして、おかしな言動に走ることが、ままあります。こういうことを世間では好ましくない「問題行動」だと考えます。

> そもそも何をもって「自分では何も生み出せないのか」が判りません

それはそうでしょう。自覚できないから反省も出来ないんですね。

> 生み出すと聞いて思ったのが蟻ですが、アレクセイさんが女王蟻、私がはたらき蟻だと思いますが、それで何か問題があるのでしょうか?

違います。貴方は何も生まないし働きもしないのに、働き蟻の足を引っ張ることを生きる慰めとしている「働かない蟻」とでも呼ぶべきでしょう。もちろん、大いに問題ありです。

――すこしはご自分が見えてきましたか? 貴方の場合、そこで扱われている「問題そのもの」よりも、その問題を扱っている「貴方ご自身」に問題と言うか、一種の「歪み」があるんですね。だから、どんな話題であっても、ピントがズレてしまう。しかし、そのズレは、ご自身ではなかなか気づきにくいものなんですね。そこが、貴方の難問。ですから、焦らずにじっくり修正していきましょう。


☆ azamikoさま
中村雄二郎ではないですが、私的には臨床的な知の取り組みとして興味を感じます(…)。

azamikoazamiko 2005/04/27 18:03 ☆ ポポフさま,

> また、blogにコメントを書きこむという行動は、そこのblogの主に伝えたいと言う行動なのだろうと思う。世間に向けての表現手段は多々あるが、blog主に伝えると言う点では、そのコメント欄に書きこむというのが、もっとも手軽で、わかりやすい方法だ。
> その意味で、アレクセイさんに代わりに答えてもらっても、コメント者の欲求は満たされないのだと思う。もちろんブログ主の対応能力には限界があるのは承知の上で。

レスが書けなくて、ごめんなさい。
いつも気になりつつ、何をどのように書いたらいいかとはたと止まってしまって、フリーズしてしまうことがあります。それでもわからないなりに書くということが大切だとは思っているのですが。分からないからこそ話すんですものね。間違いを怖れず書くことが大事なのだとは思うのですが・・・。なかなか、アレクセイさんのようにはいかなくて。

> 荒らすことができるのは、コメント者だけか?
> 稚拙な表現という手段をとる可能性があるのは、blog主も同じ事。
> 意見を表明するという立場に立つ者は、皆この危険を犯す可能性がある。
> 意見の表明する者、論者としての立場は、コメント者もblog主も同じではないのか?

最近の私のコメントされる方への対応をご覧になっていてこのように思われているのだと思います。
確かに稚拙な表現だし、第一「忙しいとは心をなくす」ものらしい。
忙しさのせいにするわけではないのですが、友人・知人に書くレスと違って、相手の一部しか見えないので、ときどきわからなくなってしまいます。なにをどうかいていいか。
自信たっぷり言っているようでも、そういうわけではないんです(^−^;
たぶんに、間違ったこと、誤解していることもありますね。だから、どうぞ、遠慮はなさらないで。

ともあれ、ゴールデンウイークも近いですね。
職業柄連休中の方がお忙しいのでしょうか?

風見敬吾風見敬吾 2005/04/27 18:06 やっぱり、判らないです。
その思考そのものがおかしいと言われましても、
自分から言わせてもらえば、
そちら側の意見はその思考そのものからおかしいと言うしかないですね。

ちなみに、自分は「人を殺すのは良くない」などと思ってはいません。
ここがまぁ、おそらく管理人さんとの意見の相違なのでしょうがね。

azamikoazamiko 2005/04/27 18:08 ☆アレクセイさま
>中村雄二郎ではないですが、私的には臨床的な知の取り組みとして興味を感じます(…)。

あーん!もう、ごくろうさま!!

azamikoazamiko 2005/04/27 18:15 ☆風見敬吾さま
>ちなみに、自分は「人を殺すのは良くない」などと思ってはいません。

このへんはもう少し語っていただかなければ分かりません。
『自分は「人を殺すのは良くない」などと思ってはいません』というのは、当然「人が人を殺すこと」ではなく、『「自分が人を殺すこと」がよくないとは思っていない』ということのはずですよね。そうでなければおかしいですよ。

風見敬吾風見敬吾 2005/04/27 20:13 「人が人を殺すこと」の、意味で言ってますよ。
その中には「自分が人を殺すこと」も入っていますけれどね。
なぜおかしいのでしょうか?

アレクセイアレクセイ 2005/04/27 20:18 ☆ 風見敬吾さま
> やっぱり、判らないです。
> その思考そのものがおかしいと言われましても、
> 自分から言わせてもらえば、
> そちら側の意見はその思考そのものからおかしいと言うしかないですね。

そりゃあ、そうでしょうね。貴方から見れば、こちらが『おかしい』と映るのは当然です。

> ちなみに、自分は「人を殺すのは良くない」などと思ってはいません。
> ここがまぁ、おそらく管理人さんとの意見の相違なのでしょうがね。

『管理人さんと』というよりも、「世間一般と」ということでしょう。
以前、ある子供の発した「なぜ人を殺してはいけないの?」という疑問が、衝撃的な問いかけとして、随分もてはやされたことがありましたが、「汝、殺すなかれ」という命題に、根源的な根拠はありません。あれこれ理由付けすることはいくらでも可能ですが、そうした理由があるから「殺してはいけない」のではなく、「殺す」というのは、「生命(生きる)」という「すべての根源(=前提)」の否定だからいけないんだと思います。
つまり、貴方の場合、「生きているという実感」に乏しいから『自分は「人を殺すのは良くない」などと思ってはいません。』ということになるんでしょうね。これは「その他の会社員」さんについて私が評した「貴方は何も生み出さない人」という評価と重なってくると思います。つまり、「生きる」ということは「何かを生み出している」と実感することですから、それが無ければ、その主体は空虚なものになり、自ずと客体についても「生きている」ものとの実感が持てず、だから「殺すのはよくない」存在だとも実感できないんでしょう。

風見敬吾風見敬吾 2005/04/27 22:54 生きているという実感に乏しい、ですか。
自分はそうは思いません。
充実した毎日を過ごしていると、考えています。
何かを生み出し続けて生きていると、思っています。
もちろん主観ですが、管理人さんよりも自分は自分のことについては判ってる(というか、こんな少しの文章で自分の考えを判った、と考えるのは早計でしょう)のです。
ゆえに、『「生きているという実感」に乏しいから』というその評価は自分にはそぐわないです。

その他の会社員その他の会社員 2005/04/27 23:01 >アレクセイさん
そうですね、認識の違いはどうしようもないですね。
アレクセイさんの考えは尊重しますし、考え方にも問題があるとは思いません。

ただ、世の中を見る限りアレクセイさんと違う考えを持つ人が多いようですね。
他人に対して「貴方は何も生み出さない人」という評価を出す人はアレクセイさんしか見たことがありません。

>何故人を殺してはいけないの?

人を殺したら、自分もいつか殺されるかもしれないから、というのもありそうですね。

しかし、遭難時や「殺されなければ殺される」など極限状態になったらそんな事も言っていられませんね。

アレクセイアレクセイ 2005/04/27 23:26 ☆ 風見敬吾さま
> 生きているという実感に乏しい、ですか。
> 自分はそうは思いません。
> 充実した毎日を過ごしていると、考えています。
> 何かを生み出し続けて生きていると、思っています。
> もちろん主観ですが、管理人さんよりも自分は自分のことについては判ってる(というか、こんな少しの文章で自分の考えを判った、と考えるのは早計でしょう)のです。
> ゆえに、『「生きているという実感」に乏しいから』というその評価は自分にはそぐわないです。

まあ、「他人の実感」と比較するわけにはいきませんから、そうおっしゃるのも当然でしょう。要は、私の意見は、貴方の発言や意見に見られる「特殊性の説明」に過ぎませんから、あなたの主観までフォローすることはできません。第三者に対して説得であればよい、という程度のことです。もちろん、貴方は私の解釈を否定すればいい。それはごく自然な態度です。


☆ その他の会社員さま
>> アレクセイさん
> そうですね、認識の違いはどうしようもないですね。
> アレクセイさんの考えは尊重しますし、考え方にも問題があるとは思いません。
> ただ、世の中を見る限りアレクセイさんと違う考えを持つ人が多いようですね。
> 他人に対して「貴方は何も生み出さない人」という評価を出す人はアレクセイさんしか見たことがありません。

そうではありません。私と同じように考えていても、本人にそのまま直截に告げる人は少ない、というだけのことです。例えば、ある小説を読んで「これは駄作だ」と思っても、作者本人を目の前にして、その評価をそのまま正直に告げる人は、ほとんどいません。しかし、私は必要があれば、ご本人にでも「忌憚なく」それを告げる。だから「毒舌」などと言われるですよ(笑)。

>> 何故人を殺してはいけないの?
> 人を殺したら、自分もいつか殺されるかもしれないから、というのもありそうですね。
> しかし、遭難時や「殺されなければ殺される」など極限状態になったらそんな事も言っていられませんね。

そうですね。そういう風にして、少しずつ考えを深めていって下さい。そこで止まったら、幼稚すぎますから。

その他の会社員その他の会社員 2005/04/28 00:04 なるほど、アレクセイさんは自分にも他人にも正直に生きているのですね。
考え方もすばらしいと思います。

しかし残念な事に、その考えを理解できる人が日本にはあまりいませんね。
一つ思ったのですが、アレクセイさんの望む世の中はどんな物ですか?

私は今の様に特に不自由な事も無く、理不尽な強制も感じない日本を維持していきたいです。

アレクセイアレクセイ 2005/04/28 00:48 ☆ その他の会社員さま
> なるほど、アレクセイさんは自分にも他人にも正直に生きているのですね。
> 考え方もすばらしいと思います。
> しかし残念な事に、その考えを理解できる人が日本にはあまりいませんね。

ありがとうございます。しかし、それも正確に言うならば、私の『考えを理解できる人が日本にはあまり』いないのではなく、それを理解することは出来ても、実践できる人はあまりいない、と言うべきでしょうね。
ま、何ごとにも、プラスマイナス両面がありますが、私の場合、正直なせいで、十分に満足いく生き方が出来ているように思います(笑)。

> 一つ思ったのですが、アレクセイさんの望む世の中はどんな物ですか?

それは難しい質問ですね。とても一言では語れそうにありませんので、ご容赦下さい(笑)。

> 私は今の様に特に不自由な事も無く、理不尽な強制も感じない日本を維持していきたいです。

貴方が個人的に感じている日本の現状と、今の日本における各種の現実の間には、かなりの開きがあると思いますよ。それは、現実を知ろうとすればするほど、痛切に感じられるギャップだと思います。
一般に、無知な人ほど、何ごとであれ、自身の「それまでの(ささやかな)知見」だけで判断・評価できると過信しがちだし、自分の実感をそのまま現実だと思い込んでしまう傾向がある。つまり「知らないからこそ、知っているつもりになれる」という逆説があるんですね。ですから逆に、知的な人ほど、現実に対して謙虚であり、常に「学び」の姿勢を忘れないんだと思います。

その他の会社員その他の会社員 2005/04/28 07:03 >アレクセイさん
なるほど、アレクセイさんの考えですと、此処に書き込んでいる人全員
知的な人ではない、と言う事ですね。

私は無知です、(私にとっては)余計な事を考えずに生きられるので、幸せです。

azamikoazamiko 2005/04/28 08:20 ☆ 風見敬吾 さま、
>生きているという実感に乏しい、ですか。
> 自分はそうは思いません。
> 充実した毎日を過ごしていると、考えています。
> 何かを生み出し続けて生きていると、思っています。
> もちろん主観ですが、管理人さんよりも自分は自分のことについては判ってる(というか、こんな少しの文章で自分の考えを判った、と考えるのは早計でしょう)のです。
> ゆえに、『「生きているという実感」に乏しいから』というその評価は自分にはそぐわないです。

http://vane.seesaa.net/
これは、貴方のブログですね。貴方が充実して生きていると自信を持っていうならば、どうして今まで、ご自分のブログも公開しなかったのですか?

>自分は「人を殺すのは良くない」などと思ってはいません。
>人が人を殺すこと」の、意味で言ってますよ。
>その中には「自分が人を殺すこと」も入っていますけれどね。
>なぜおかしいのでしょうか?

女児を殺害した小林薫は、「殺したことを後悔していない。少女を殺したことに満足している。社会にでたら、また同じことをしてしまうから、死刑にしてほしい」と言っています。
同じことを大阪の小学校で小学生たちを殺害した宅間も言っていたと思います。つまり、実際に殺人を犯した彼らも人を殺すことはいけないこと。反社会的なこと。だという認識はあるのです。
しかし、貴方は「人を殺すことはよくない」とは思わない。「自分が人を殺すことも入っている」と言われている。だから、いっそう不気味なんですね。
これが言葉だけなのか。ほんとうの気持ちなのか私のはよく分かりません。
また、貴方がほんとうに高校生なのか、どうかもわかりませんが。

azamikoazamiko 2005/04/28 08:23 ☆その他の会社員さま
>アレクセイさん、なるほど、アレクセイさんの考えですと、此処に書き込んでいる人全員知的な人ではない、と言う事ですね。
>私は無知です、(私にとっては)余計な事を考えずに生きられるので、幸せです。

人と同じでないといられないんですね。「此処に書き込んでいる人全員」なんて言って、ひとりじゃないように思い込もうとしている。
みんな一緒ならば無知でも楽しくて、幸せと思いたいんでしょうが、それでは満たされないから、こうして何度も書き込みするのでしょう?

アレクセイアレクセイ 2005/04/28 14:56 ☆ その他の会社員さま
>> アレクセイさん
> なるほど、アレクセイさんの考えですと、此処に書き込んでいる人全員
> 知的な人ではない、と言う事ですね。

全員とは言いませんが、「匿名」の人については、概ねそういう感じはしますね。実際はどうなのか知りませんが、志が低いと言うか、そのレベルで満足してて本当にいいのか、と問いたくなる人が多いのは事実です。

> 私は無知です、(私にとっては)余計な事を考えずに生きられるので、幸せです。

したがって、貴方にも『そのレベルで満足してて本当にいいのか』、いいえ「それで本当に満足できると思うのか?」と問いたくなるんです。azamikoさんも書いておられましたが、貴方は決して『満たされ』てはいませんし、より問題なのは、その満たされなさが「自分一個」に止まっているところです。志の高きが故に満たされないのならばともかく、貴方の場合、問題となるのは、常にちっぽけな自分一個です。でも逆に、それに止まるかぎり、自分一個すら満たされることはないと思いますよ。「まず最初に自分が満たされ、それから他人のことも」ということではないんですよ、これは。「他人のことに努力しているうちに、自分のこともいつしか満たされている」といった、そういうものなんですね。


☆ azamiko さま
>☆ 風見敬吾 さま、
> 女児を殺害した小林薫は、「殺したことを後悔していない。少女を殺したことに満足している。社会にでたら、また同じことをしてしまうから、死刑にしてほしい」と言っています。
> 同じことを大阪の小学校で小学生たちを殺害した宅間も言っていたと思います。つまり、実際に殺人を犯した彼らも人を殺すことはいけないこと。反社会的なこと。だという認識はあるのです。
> しかし、貴方は「人を殺すことはよくない」とは思わない。「自分が人を殺すことも入っている」と言われている。だから、いっそう不気味なんですね。
> これが言葉だけなのか。ほんとうの気持ちなのか私のはよく分かりません。

たぶん『これが言葉だけなのか。ほんとうの気持ちなのか』かは、ご本人にもわかっていないでしょう。ただ、そういう流行りの「目立ち方」に惹かれ、それを「口まね」しているうちにだんだんとその気になってきて、そうした人の中に、それを実行してみなければという強迫観念に駆られる過剰に律儀な人も出てくる、といったことなんじゃないかと思います。つまり、こうした人たちの特徴は、精神が非常に脆弱で「主体性(自律性)に欠ける」ということなのではないか(「私」という輪郭が、曖昧)。例えば「人を殺す」ということがどういうことなのかを、「自分」で勉強して見たり、「自分」の頭をひねって考えてみるといったことができない。そこまでの堪え性がない。ただ、手っ取り早く、なんとなくカッコ良さそうな、流行りみたいなものの「口まね」をして、それと同化することで自分も「一人前」になったような、刹那の満足感を得ようとする。つまり、彼らが口にする言葉は、どれひとつ取ってみても、彼ら「自身の言葉」ではないんです。それらはすべて「借り物」であり、賞味期限が過ぎればあっさり廃棄される程度のものでしかない。しかし、彼らにはそうした言葉しかないから、そうした「刹那の言葉」を自分の言葉だと思うしかないんですね。だから、安易に「私は満足している」とか「幸せだ」などと言えるんでしょう。
私の言う、彼らは「生きているという実感に乏しい」とか「何かも生み出さない」というのも同じことで、彼らは常に私が言うような「実感」から隔てられたところで、亡霊のような、テレビの画面を流れ去るような、実態のない言葉をなぞっているのではないでしょうか。

その他の会社員その他の会社員 2005/04/28 19:59 >アレクセイさん、管理人様
満たされないからではなくて、色々勉強になって面白いから書き込んでいるのですよ?
そのようにとられるのは残念ですが、私の書き方がいけなかったようですね。

しかし、一つだけ確実なことがあります、アレクセイさんは生まれてくる場所と時代を間違えましたね、帝政ロシア末期や第一次大戦終了後のドイツどちらかで政治活動できていれば、教科書に載るような立派な指導者になれたと思います。

アレクセイアレクセイ 2005/04/28 21:00 ☆その他の会社員さま
> アレクセイさん、管理人様
> 満たされないからではなくて、色々勉強になって面白いから書き込んでいるのですよ?
> そのようにとられるのは残念ですが、私の書き方がいけなかったようですね。

別に、貴方の『書き方がいけなかった』というわけではないと思います。ただ、貴方の書かれたことに対する、私やazamikoさんの解釈と、貴方ご自身の解釈とが違っていたということに過ぎない。で、どちらが正しいかは一概に言えませんし、どちらか一方だけが正しいとも言えません。お互いに、それぞれの解釈を出し合う中で、より理解が深まればいいんだと思います。それが民主的な議論というものでしょう。

> しかし、一つだけ確実なことがあります、アレクセイさんは生まれてくる場所と時代を間違えましたね、帝政ロシア末期や第一次大戦終了後のドイツどちらかで政治活動できていれば、教科書に載るような立派な指導者になれたと思います。

いいえ、たぶん私の場合は、いつの時代であれ、『指導者』にはなれないでしょうね。なにしろ、主流に属することが嫌いな、へそ曲がりですから(笑)。

風見敬吾風見敬吾 2005/04/28 21:41 自分は、過去の記事にトラックバックしていたんですがね。
気づかれなかったようです。

>管理人さん
この考えを持っていたって、人殺しにはならないですよ。
人を殺すことが悪くないからといっても、日本で殺人を犯せば殆どつかまりますし、そうでなくてもこの世界に居る限りは安息の日々は無いでしょうからね。
自分が殺意を抱くような人間なんてのは、自分にとってつまらない人間です。
自分はそんな、つまらない人間のために自由や平穏を捨てるような短絡的な生き物じゃないです。
だから、意図的に殺人を犯すことなんて、ありえない。
つまらない人間のために、自分の人生を捨てるなんて、大馬鹿ですよ。

>アレクセイさん
その言葉はそちらにお返しします。
貴方は貴方の言う自分の言葉を持てているのでしょうか。
自分には、あなたは世間一般でよく聞くような意見しか話せていないように感じます。自分は同じたぐいの言葉を何十回も見てきたんですよ。
「ただ今のことだけに生きる刹那主義者」「自分の確固たる思想を持てず、精神的に脆弱なもの」「流行に乗り、実体は何も持っていない」etc…

貴方の言う、自分の言葉って何ですか。

アレクセイアレクセイ 2005/04/28 23:23 ☆ 風見敬吾さま
>> 管理人さん
> この考えを持っていたって、人殺しにはならないですよ。
> 人を殺すことが悪くないからといっても、日本で殺人を犯せば殆どつかまりますし、そうでなくてもこの世界に居る限りは安息の日々は無いでしょうからね。
> 自分が殺意を抱くような人間なんてのは、自分にとってつまらない人間です。
> 自分はそんな、つまらない人間のために自由や平穏を捨てるような短絡的な生き物じゃないです。
> だから、意図的に殺人を犯すことなんて、ありえない。
> つまらない人間のために、自分の人生を捨てるなんて、大馬鹿ですよ。

と、そんな「単純な論理」で殺人をしないで済むのなら、今時の高学歴者は誰も殺人なんて犯さないでしょうね。

>> アレクセイさん
> その言葉はそちらにお返しします。
> 貴方は貴方の言う自分の言葉を持てているのでしょうか。

さあ、それは私自身が語っても、仕方のないことですよ(笑)。

> 自分には、あなたは世間一般でよく聞くような意見しか話せていないように感じます。自分は同じたぐいの言葉を何十回も見てきたんですよ。

そのわりには、あまり学習なさっていないようですね(笑)。

> 「ただ今のことだけに生きる刹那主義者」「自分の確固たる思想を持てず、精神的に脆弱なもの」「流行に乗り、実体は何も持っていない」etc…

そういうありがちな言葉を使いながら、しかし全体としては「アレクセイ(田中幸一)節」になっているなどと評価されるんですよね。――決して誉められてるわけではないんでしょうが(笑)。

アレクセイアレクセイ 2005/04/28 23:42 ☆ 風見敬吾さま
> 貴方の言う、自分の言葉って何ですか。

このコメントへのレスを忘れていました。前回ので、十分に回答になっているとは思いますが、せっかくだから補足を。

『自分の言葉』とは「GHOST IN THE TEXT」である。――とでも言っておきましょうか(笑)。

風見敬吾風見敬吾 2005/04/29 00:27 >と、そんな「単純な論理」で殺人をしないで済むのなら、今時の高学歴者は誰も>殺人なんて犯さないでしょうね。
なぜ、でしょうか。根拠を教えてください。

>そのわりには、あまり学習なさっていないようですね(笑)。
学習しようにも、学ぶところが何にもないんですよ。

ああ、そうそう…もう一つ質問を
「人は人を傷つけてはならない」は、正しいとお考えでしょうか?

azamikoazamiko 2005/04/29 13:17 >☆ 風見敬吾さま
> この考えを持っていたって、人殺しにはならないですよ。
> 人を殺すことが悪くないからといっても、日本で殺人を犯せば殆どつかまりますし、そうでなくてもこの世界に居る限りは安息の日々は無いでしょうからね。
> 自分が殺意を抱くような人間なんてのは、自分にとってつまらない人間です。
> 自分はそんな、つまらない人間のために自由や平穏を捨てるような短絡的な生き物じゃないです。 だから、意図的に殺人を犯すことなんて、ありえない。
> つまらない人間のために、自分の人生を捨てるなんて、大馬鹿ですよ。

そうですね。確かに考えを持っているだけでは人殺しにならない。
でも、あなたの考えはアレクセイさんが言われるように

>ただ、手っ取り早く、なんとなくカッコ良さそうな、流行りみたいなものの「口まね」をして、それと同化することで自分も「一人前」になったような、刹那の満足感を得ようとする。つまり、彼らが口にする言葉は、どれひとつ取ってみても、彼ら「自身の言葉」ではないんです。それらはすべて「借り物」であり、賞味期限が過ぎればあっさり廃棄される程度のものでしかない。しかし、彼らにはそうした言葉しかないから、そうした「刹那の言葉」を自分の言葉だと思うしかないんですね。(<アレクセイさま)

といわれていたものだと思います。
なぜなら、「そうでなくてもこの世界に居る限りは安息の日々は無いでしょうからね」というのは矛盾しています。人を殺すことは悪くないと思っているなら、「安息の日々はない」なんてことないでしょう?
「意図的に殺人を犯すとことはない」というのは、非合法的にはないということなのでしょうね。
たとえば、戦争のように殺人が合法であれば、戦場に行って、殺人もするということなのでしょう。

>>と、そんな「単純な論理」で殺人をしないで済むのなら、今時の高学歴者は誰も殺人なんて犯さないでしょうね。(<アレクセイさま)
>なぜ、でしょうか。根拠を教えてください。

現実が根拠だということですよ(笑)。・・・この言葉どこかで。

>ああ、そうそう…もう一つ質問を
>「人は人を傷つけてはならない」は、正しいとお考えでしょうか?

なぜ、この質問が出てきたのかわかりませんが、今までのアレクセイさんの書かれている物を読めばいわずもがなでしょう。

>>例えば、ある小説を読んで「これは駄作だ」と思っても、作者本人を目の前にして、その評価をそのまま正直に告げる人は、ほとんどいません。しかし、私は必要があれば、ご本人にでも「忌憚なく」それを告げる。だから「毒舌」などと言われるですよ(笑)。(<アレクセイさま)

それでも相手に質問したいのであれば、私はこう思うけれど、どうですか?というのでなければ相手にしてもらえませんよ。

azamikoazamiko 2005/04/29 13:31 ☆その他の会社員さま

>満たされないからではなくて、色々勉強になって面白いから書き込んでいるのですよ?
そのようにとられるのは残念ですが、私の書き方がいけなかったようですね。

貴方は、人それぞれだといいながら、みんなと一緒であることに価値を見つけているように思えて心配になります。

>しかし、一つだけ確実なことがあります、アレクセイさんは生まれてくる場所と時代を間違えましたね、帝政ロシア末期や第一次大戦終了後のドイツどちらかで政治活動できていれば、教科書に載るような立派な指導者になれたと思います。

そうまで思われるのであれば、この時代に出会えたことに感謝して、この機会を大事にしてくださいね。

風見敬吾風見敬吾 2005/04/29 15:11 >1)なぜなら、「そうでなくてもこの世界に居る限りは安息の日々は無いでしょうからね」というのは矛盾しています。人を殺すことは悪くないと思っているなら、「安息の日々はない」なんてことないでしょう?
日本にはかなり優秀な警察が存在しますから。逮捕される可能性が高ければ、安息は得られないでしょうよ。
ただ、時効や海外への高飛びなどがあるので「安息の日々は無い」までは行きませんね。
しかし、「安息の日々を得るのは難しい」ですね。

>2)「意図的に殺人を犯すとことはない」というのは、非合法的にはないということなのでしょうね。
>たとえば、戦争のように殺人が合法であれば、戦場に行って、殺人もするということなのでしょう。
その通り。ま、そんな危険なところに行きたくはないですがね。

>現実が根拠だということですよ(笑)。・・・この言葉どこかで。
現実は根拠になりえません。なぜなら、高学歴者といえども、この「単純な論理」が守れない人間も存在するからです。

>>例えば、ある小説を読んで「これは駄作だ」と思っても、作者本人を目の前にして、その評価をそのまま正直に告げる人は、ほとんどいません。しかし、私は必要があれば、ご本人にでも「忌憚なく」それを告げる。だから「毒舌」などと言われるですよ(笑)。(<アレクセイさま)
それで作者が自殺してしまったらどうでしょう。立派に、間接的な殺人ですよ。

アレクセイアレクセイ 2005/05/01 00:04 ☆ みなさま
『間接的な殺人』者と呼ばれし男 アレクセイの、風見敬吾さまへのレスは、スペースの都合上、つぎのエントリー『2005-04-29 (Fri) クロノスカルテットを聴きながら』(http://d.hatena.ne.jp/azamiko/20050429)の方へ書き込みましたので、そちらをご参照下さい。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/azamiko/20050425
Connection: close