きびをむく少女の指先傷つきてラムの琥珀酒カリブの海より来たる このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2005-04-29 (Fri) クロノスカルテットを聴きながら

azamiko2005-04-29

みなさま、おはようございます。

今日から、長いお休みのかたも多いと思います。

いかがお過ごしでしょうか?

[]はなちゃんはキッチンがすき 若竹くぐる風に撫でられ逝きました。 はなちゃんはキッチンがすき 若竹くぐる風に撫でられ逝きました。を含むブックマーク はなちゃんはキッチンがすき 若竹くぐる風に撫でられ逝きました。のブックマークコメント

Mさんの愛犬はなちゃん死す(合掌)

[]『吠える犬は噛まない』ネタばれあり 『吠える犬は噛まない』ネタばれありを含むブックマーク 『吠える犬は噛まない』ネタばれありのブックマークコメント

先日、借りたビデオを一日延滞して返しました。

しかし、『夢二』は映像が悪く、赤く写って、音声も聞き取れないため途中で断念、いかにも清順さんらしくて、なかなか面白かったのですが。

もう一本、ららさんにもお奨め戴いたポン・ジュノ監督『吠える犬は噛まない』は、なかなか面白かったです。高志さんは、最後まで観れなかったといわれていましたが、その気持ちも分かります。ドラマだと分かっていても、犬が虐待されるシーン、愛犬家ならなおのこと、観れませんよね。それと、最後が多少気になりました。

韓国の高学歴社会の現状。大学でいいポストを得るために教授のつけとどけをするわけですが、こういうことが実際に行われていて、いわば、社会的に悪しき伝統でありながら、よくあることとして黙認されているからこそ映画として成立するということがあるのだと思います。だからこそ、最後には、妻の退職金をケーキの箱の底に入れて教授に渡し、大学教授になる。こういうことは、日本でもありうることなのだけれど、社会的に認知されてはいない。日本映画でこのことを前提に描こうとすると無理があるとおもいます。

そういう意味で、少しづつ変わり行く韓国社会を描いているわけですが、付け届けをして教授になった主人公が高学歴社会から逸脱した少女たちが山を散策するのを遠く見やり、ここに韓国社会が変わり行く可能性を見出すという最後のシーンに、どれだけの説得力があるか。高学歴社会と、そこを逸脱した社会とをまみえることなく対比しただけに終わってしまってはいないか。そんなことを思いました。日本映画の現在にとって、このテーマはすでに過去のものになっているのではないか。それだけ、日本社会が多様化しているということのように感じました。

しかし、韓国映画一般の魅力として、喜怒哀楽。その振幅が大きいということがあります。そして、この映画はその魅力を充分もっています。

『子猫をお願い』に出演していたペ・ドゥナが『子猫をお願い』以上に魅力的です。最後の方の走るシーンは殊に記憶に残るシーンでした。

[]商いについて〜ささやかなことですが。 商いについて〜ささやかなことですが。を含むブックマーク 商いについて〜ささやかなことですが。のブックマークコメント

で、ビデオを返却に行って、その顛末(笑)

応対した店員(女性)に『夢二』が観れなかったというと、店の奥に持って行って、「お店のビデオデッキではちゃんと観れます」というのです。

「それなら、見せてください」と店の奥にいこうとすると、店長(男性)が奥はダメだといいます。そこで、ビデオデッキを店の奥から店内にもってきて、店にあるDVD専用の画像に繋ぎました。

そのとき、「これはVHS用ではないので、下の方に線が入りますが」と言って、写した映像は、とても暗くて観れるようなものではありませんでした。

「これで観ろというんですか?」と言うと、「ちゃんと、奥では観れました」と繰り返します。

「家のビデオデッキは古くありませんよ」事実、3年も経っていないし、録画は別のデッキを使っているので、再生専用にしています。最近はDVDで見ることも多く、使用頻度も決して多くありません。

この間、隣の店長は私に一度も目をくれることもなく、お客をさばきながら、店員に「観れたんだろう?ビデオチェックにすればいいじゃん」と言っています。そんな指示ばかりするなら、権限のある自分が交代して応対すればいいのにと思いました。『ペパーミントキャンディー』があったので借りるつもりでもっていましたが、一本だけだし、これも『夢二』と同じようだったらいやだなと思ったので、

「『夢二』は一本しかないし、ビデオも古く、耐用を過ぎているのだと思いますよ。こちらの『ペパーミントキャンディー』も同じようだと困るけれど問題ないかしら?」と言うと、

「ビデオに問題があれば、前に観た人からクレームがきて、チェックするので問題はないと思います。クリーニング用のビデオを無料で貸します」(デッキに問題があるといいたいの?)と言って、『吠える犬は噛まない』の延滞料金と『ペパーミントキャンディー』のレンタル料金を要求しました。家に帰って、『夢二』の料金を返金してもらっていないことに気付きました。小額ではあるけれど、筋を通したくて、店に電話。さきほど応対した店員に代わると消沈した声で、

「返金はできないので、次回無料券をお渡しします。さきほどは対応が悪くて、申し訳ありませんでした」と謝りました。

店員(たぶんアルバイト)を責めるつもりはありません。店の客への対応マニュアルがおかしいということです。

(以下は蛇足ですので、読まなくていいです/笑)

客としては、観たくて借りたビデオが観れなかった上に、ビデオデッキに問題があると思われ、待たされ、電話をしなければならなかった。次回行く時にも嫌な思いをしなければなりません。お店にとっては、本来店がチェックしなければならない観れないビデオをチェックしてもらったわけです。こういう嫌な思いをするから、観れなくても黙って返却してしまい、いつまでも観れないビデオが置かれたままになるのではないか。お店の信用に関わるというのに。

店員は奥のデッキでは観れたと繰り返していた。ほんとうに観れたのだろうか。店の奥で確かめたかった。とても、映像も音声も料金をとって貸す代物ではなかったのに。もしも、そういうふうに接客するように言われているのならば、それこそ問題だ。料金先払いのシステムで、観れたのに、観れなかったと返金を要求する客がどれだけいるというのだろうか。万一、お店の奥のビデオデッキが高感度でほんとうに観れたのだとしても、店で繋いだた画像ではとても観れるようなものではなかったのだから、その時点で観れないビデオとして対応するべきだ。家庭用のデッキで見れなければ何の意味もないのだから。

このレンタルショップの別支店で以前借りた時、やはり、期限内に観れなくて3日ほど延滞して返却したことがあるが、高い延滞料を取られた上に「期限内に返してください!」と横柄な態度で言われあっけにとられたことがある。延滞料金をとって商売をしておいて、貸してやっているというような態度。今どき、公共の図書館で無料で図書やCDを借りても、遅れたからと言って、他からリクエストが入っているならばともかく、期限に返せと言われることはない。案の定、数年で閉店したが。

と、少々エキサイトした一日でした(笑)。


【訂正】

先日tosukinaさんへのレスで6,7月の日本民藝館の柳宗悦展で『兼子』の上映がある旨を書きましたが、平成16年の催しでした。

年度を確かめず、はやとちりしてしまいました(^−^;

同じように喜ばれた方、ほんとうにごめんなさい!またの機会を楽しみに・・・。

【お願い】

最近、メーラーの調子が悪く、戴いたメールが届いていなかったり、送信したメールが送られていなかったりすることがあるようです。大変申し訳ありませんが、万一、メールをくださっても、返信がないという方は、お電話をくださるか、もう一度メールをお願いいたします。

高志高志 2005/04/29 21:08 いえいえ、わたしは、動物が嫌いじゃありませんが、犬嫌いでも犬好きでもありません。『吠える犬は噛まない』は、出だしで、物語に入り込めなかったので、観るのを止めたのです。近頃は、わたし、40歳半ばを過ぎて、こらえ性が無くなっているようで、『シルミド』という韓国映画も、出だしがヤクザの更生物語のカリカチュアか、安手の漫画っぽくって視聴継続困難でした。アリキタリの言い方ですが、出だしで引き込んでくれないと2時間も付き合えないということです。だからと言って、アメリカ映画(ハリウッド映画)の俗っぽさは、一層嫌いですけど。出だしから最後まで良かったのは、最近観た作品では、マイケル・ムーアの『ザ・ビッグ・ワン』かな。

★追記★
(高学歴社会というテーマは)日本映画の現在にとって、このテーマはすでに過去のものになっているのではないか。それだけ、日本社会が多様化しているということのように感じました。

という、コメントについては、わたしは理解できません。日本はまさに、高学歴(による差別・選別の生き地獄)社会じゃありませんか。この国が“生き地獄”であることは、21世紀に入っての今後1年1年、月々、日々ますます明らかになるのだと思います。どこが“多様化”しているのかな?

azamikoazamiko 2005/04/29 22:55 ☆高志さま
>いえいえ、わたしは、動物が嫌いじゃありませんが、犬嫌いでも犬好きでもありません。『吠える犬は噛まない』は、出だしで、物語に入り込めなかったので、観るのを止めたのです。近頃は、わたし、40歳半ばを過ぎて、こらえ性が無くなっているようで、『シルミド』という韓国映画も、出だしがヤクザの更生物語のカリカチュアか、安手の漫画っぽくって視聴継続困難でした。。だからと言って、アメリカ映画(ハリウッド映画)の俗っぽさは、一層嫌いですけど。出だしから最後まで良かったのは、最近観た作品では、マイケル・ムーアの『ザ・ビッグ・ワン』かな。

それは、どうも大変、失礼しました。私が思ったような安直な理由ではなかったのですね(^−^;
できれば、最後の方の走るシーンを観て戴きたかったです。
私は、このシーンだけで満足なくらいです。
マイケル・ムーアの『ザ・ビッグ・ワン』を知らないので検索してみました。
http://www.cinema-today.net/0402/09p.html
なるほど。面白そうです。機会があったら観たいです。

>>(高学歴社会というテーマは)日本映画の現在にとって、このテーマはすでに過去のものになっているのではないか。それだけ、日本社会が多様化しているということのように感じました。

>という、コメントについては、わたしは理解できません。日本はまさに、高学歴(による差別・選別の生き地獄)社会じゃありませんか。この国が“生き地獄”であることは、21世紀に入っての今後1年1年、月々、日々ますます明らかになるのだと思います。どこが“多様化”しているのかな?

少数の勝ち組と大多数の負け組。高学歴でありさえすれば社会的に安泰の時代は終わった。勝ち組に残ろうとすると生き地獄であることは確かですね。
ただ、もうそんなところから降りようというところに来て久しいのではないでしょうか?また、高学歴者だから能力があるとはいえないということは分かってしまったことではありませんか。少なくとも、日本映画の中で高学歴社会とそれを逸脱したものとを対比して描いているものを私は思いつきません。それとも映画のテーマとして諦めているということなのでしょうか?

azamikoazamiko 2005/04/30 03:25 ☆ 風見敬吾さま、
>>1)なぜなら、「そうでなくてもこの世界に居る限りは安息の日々は無いでしょうからね」というのは矛盾しています。人を殺すことは悪くないと思っているなら、「安息の日々はない」なんてことないでしょう?

> 日本にはかなり優秀な警察が存在しますから。逮捕される可能性が高ければ、安息は得られないでしょうよ。 ただ、時効や海外への高飛びなどがあるので「安息の日々は無い」ま
> では行きませんね。 しかし、「安息の日々を得るのは難しい」ですね。

なんだ!?捕まるのが恐くて安息が得られないということだったの?(笑)
つまんないの。

> >2)「意図的に殺人を犯すとことはない」というのは、非合法的にはないということなのでしょうね。たとえば、戦争のように殺人が合法であれば、戦場に行って、殺人もするということなのでしょう。

> その通り。ま、そんな危険なところに行きたくはないですがね。

要するに安全に人殺しをしたいということなのね。
心配しなくても、戦争になったら真っ先に前線に連れて行かれますよ(笑)。
でも、どうしてそんなに人を殺してみたいんですか?

> >現実が根拠だということですよ(笑)。・・・この言葉どこかで。
> 現実は根拠になりえません。なぜなら、高学歴者といえども、この「単純な論理」が守れない人間も存在するからです。

だからこそ、現実が根拠なんですよ。
高学歴だからといって、思慮分別があるという保証ではないんですもの。
それが現実でしょ?

>>例えば、ある小説を読んで「これは駄作だ」と思っても、作者本人を目の前にして、その評価をそのまま正直に告げる人は、ほとんどいません。しかし、私は必要があれば、ご本人にでも「忌憚なく」それを告げる。だから「毒舌」などと言われるですよ(笑)。(<アレクセイさま)
> それで作者が自殺してしまったらどうでしょう。立派に、間接的な殺人ですよ。

人殺しをしたい人が、自殺されることを恐がるんですか?なんだか、へンですね(笑)
プロの作家であれば、作品に対しての率直な批評は受けるべし。
いじめじゃないんですから、自殺する自殺しないは本人の責任です。自殺されることまで、気にしていたら、評論家は正しい評論はできないということですね。

azamikoazamiko 2005/04/30 05:17 ☆tosukinaさま

>レスは気にせずにazamiko さんのぺーすでどうぞ。

どうもありがとうございます。
趣味のことに関しては、ただただ楽しみで書かせていただいているので、困ることはないんですが・・・。
『兼子』のことは、とんだ早とちりでした(笑)。
残念ですが、またの機会を待ちます。
歌曲も聴いてみたかったです。DVDにならないものかしら?

>布施辰治に関して韓国のテレビ局がドキュメンタリー番組を
制作し、ナレーションの翻訳をある方が下記サイトにアップしています。
http://www.salusalu.com/maruse/books/husetatuji.html
>土曜に私がナレーション朗読をした布施辰治のドキュメンタリー映画は危うく流れるところでした。
 こちらがビデオプジェクターまで用意することになり、借りる先から会場まで知人に自動車を出してもらい運んだのですが、渋滞が予想以上で予定より25分も遅れ到着する事態になりました。 プログラムの都合で5分遅かったらカットされるところでした。
ナレーションは無事、映像とほぼシンクロさせることができました。
 美声からはほど遠いのですが大きい声だけは出るので、居眠りをしている方はいなかったようです。(笑)

ドキュメンタリーにとってナレーションで映像の印象はずいぶん違いますから、大きな声はなによりです(笑)。上記のナレーションをされたのでしょうか?かなり、長いナレーション。これだけ語るのは大変だったでしょう。
関東大震災のときのデマによる朝鮮人の犠牲者が6000人もいたことに驚きました。
朴烈と金子文子の弁護。金子文子の獄中での死の真相。
日本統治下の土地買収の様子など、布施辰治を通して克明に伝わってきます。
布施辰治が「私は弱者を弁護する使命から成長した自然発生的な解放運動家」と言っていたとか。 
  生きべくんば民衆とともに
  死すべくんば民衆のために
イデオロギーではなく、人としての熱情によって突き動かされていた人なのでしょうね。

> 明日、たまたまビデオプロジェクターを使用してビデオ上映をするのですが、字幕や日本語音声はないので、解説とナレーションをすることになりました。
http://www.ocv.ne.jp/~kameda/kannosuga.html

と書かれていたので、管野すがについての上映かと思っていたんです(笑)。
このURLを読んで、連座した人が14人もいたことを知りました。
「このまま体がとけて了って、永久の眠りに入る事が出来たらどんなに幸福で有うと考える」
というのが実感として伝わってきます。

>「四月の空」に青をイメージします。
正確な文言は忘れましたが、韓国の1960年ころの学生運動(4.19闘争)の闘争宣言の書き出しに「四月の空はかくも青いのか…」を想起しました。

どうもありがとうございます。なんだか胸が痛くなる一節ですね。

>「炎上」したのは、突然やってきた連中だと私は思うのですが

そうでしょうか(笑)
韓国の学生運動に比べたら、ブログの炎上なんて、どうってことないですね(笑)

>深夜放送を聞き始めたころは、マリアンヌ・フェイスフルの曲が頻繁にかかっていました。
 
マリアンヌ・フェイスフルは早熟な友人に誘われて観にいったマンディアルグの原作『オートバイ』の映画化『あの胸にもう一度』を思い出してしまいます。黒い革のスーツに身を包んだマリアンヌ・フェイスフルが魅力的でした。このDVDが5月11日に再販されるそうで、やっぱり買ってしまうでしょう(笑)。パトリス・ルコント監督の『橋の上の娘』のテーマソングに彼女の歌が使われていて、ハスキーな気だるい歌い方がなかなかです。

>昔から早起きで夜明けころに一年を通して起きるのですが、日曜の朝は、原稿を書き
ながら、テレビもつけています。
 静かなカフェも好きなのですが、原稿を書くときはドトールコーヒーのように人の出入りが雑然としていないと集中しません。
 客が私一人になってしまう状況だと、どうも落ち着かない性分で…

今はパソコンという方も多いと思いますが、原稿用紙に書かれるのでしょうね。
ドトールはよくものを書いている人がいますね(笑)
雑然としていた方が集中できるというのが分かるような気がします。

tosukinatosukina 2005/04/30 12:18 azamiko さん

 私の場合は連休中は仕事がほとんどで、今日と二日、三日が「休み」
です。
 レンタルビデオは年に数回程度の利用なのですが、テープの劣化は
何度か経験しているので一般的な確率も高いと思います。
 幸い、これまで不誠実な店の対応は経験していないのですが…
 自分で録画、再生のためのDVDのディスクの不良率も高く、20枚
しか購入していない段階で2枚も新品の不良ディスクに当たったので、
さすがに腹が立ち、メーカーに問い合わせをしました。
 先に交換用のディスクと、返却用のパッキングセットを送って
もらいました。

 兼子はDVD化されて会場でも販売していました。
一般の流通ルートにのっていないようでしたら、連絡先を
調べてみます。

 布施のドキュメントは50分で、日本人の研究者へのインタヴューが
出てくるときだけが気を抜けました。
登場者の発言も同じトーンでやったので、メリハリはなかったかと
思います。飛び込みで会場に着き、飲み物も用意せずそのままやり
ました。
 ただ韓国の研究者の「金子文子妊娠説」は間違いで、布施自身も
直後に『改造』誌で否定しています。
 (金子文子に関して韓国でコメントした人は皆、知人なのですが
日本語の文献を全て把握しているわけではないのが残念です)
 管野須賀子のURLはコメントを書くつもりが、そのまま送信してしまいました。
今もそうですが、ダイレクトに狭い窓に書き込んでいるので、助詞のミスの
見逃しが結構あります。別にテキスト原稿をつくるのも、どうも気分がのらない
ので。
 管野須賀子、幸徳秋水と共に大審院に付されたのは二人を含めて26人
でうち24人が死刑判決。12人が減刑。人数が多く、フレームアップの構造が
判りにくい事件です。
 管野、新村、宮下、古河は1910年の始めまでは、爆弾を投げつけるという
「意思」だけは持続していましたが、その後の情勢の変化で、その相互に
確認した意思も宮下と古河は希薄になってゆきました。
管野と新村だけは持続していましたが…
 
 「原稿書き」というのは実際はノートパソコンへのタイピングです。
以前はワープロも嫌いで、ながらく拒否していたのですが6,7年くらい前
に転向してしまいました。(笑)
 手書きこだわり時代の尻尾を引きずり、「カナ」入力にしています。(笑)
家族と共有のPCがあるのですが、皆「ローマ字」入力なので、まず入力設定
の変更から始まります。

 「四月の空はなぜかくも青いのか」(なぜが抜けていました)
は1960年のイ・スンマン政権打倒の
闘争で学生が官憲による実弾射撃で168名、射殺されたことを毎年
想起する闘争宣言の書き出しでした。

 マンディアルグのは原作も翻訳で読んだ記憶があります。
映画館で私も見ました。
 年末か年始にケーブルテレビのチャンネルで放映したので
数十年ぶりに見ました。

風見敬吾風見敬吾 2005/04/30 15:36 まず一つ、自分は人を殺したいわけじゃない。
別に人の生命を奪うことに快感を覚えるタチじゃないですよ。
「殺さなければならない」時でもない限り、殺しませんよ。
ただ私は「人殺しはいけない」を否定しているだけであって
「人殺しはよい」を肯定しているわけではないのですがね。
どこをみて自分が「人を殺したい」とお思いになったのでしょうか。

>だからこそ、現実が根拠なんですよ。
>高学歴だからといって、思慮分別があるという保証ではないんですもの。
>それが現実でしょ?

では、どうしろというのでしょうか。
道徳を使い、「人を殺してはいけない」という洗脳をしろということでしょうか。

>プロの作家であれば、作品に対しての率直な批評は受けるべし。
>いじめじゃないんですから、自殺する自殺しないは本人の責任です。自殺される
>ことまで、気にしていたら、評論家は正しい評論はできないということですね。

つまり、自分が正当な意見だと思えば、それによって間接的な殺人の可能性があっても、問題ないわけですね。

アレクセイアレクセイ 2005/04/30 19:23 ☆ 風見敬吾さま
>> と、そんな「単純な論理」で殺人をしないで済むのなら、今時の高学歴者は誰も殺人なんて犯さないでしょうね。

> なぜ、でしょうか。根拠を教えてください。

簡単です。人は「損得打算だけ」で、殺人(犯罪)を犯したりはしないからです。「私はそんな割に合わない殺人なんか犯さない」という貴方のご主張は、ハッキリ言って、単純幼稚すぎます。
それに、貴方自身が、azamikoさんへの反論として、

> 高学歴者といえども、この「単純な論理」が守れない人間も存在するからです。

だなんて書いて、それを認めてしまっているじゃないですか(笑)。
貴方が『高学歴者』かどうかは知りませんが、どっちにしろ、貴方のおっしゃるとおり『高学歴者といえども、この「単純な論理」が守れない人間も存在する』のだから、貴方ご自身の殺人可能性だって、貴方の「単純な論理」だけでは否定できない、ということですよ。――わかりますか? だいぶ、こんがらがってこられたようですが(笑)。

>> そのわりには、あまり学習なさっていないようですね(笑)。

> 学習しようにも、学ぶところが何にもないんですよ。

学ぶところは、何処にでもありますよ。学校や塾や図書館はもとより、近所の井戸端も繁華街の路上も、あるいは家族との夕食の場にも。――要は、学ぶ気があれば、どこからでも何かしら学べるということです。逆に言えば、それに気づけない貴方は、「学び」ということを理解していないから、学べないのだということですよ。

> ああ、そうそう…もう一つ質問を
> 「人は人を傷つけてはならない」は、正しいとお考えでしょうか?

>>例えば、ある小説を読んで「これは駄作だ」と思っても、作者本人を目の前にして、その評価をそのまま正直に告げる人は、ほとんどいません。しかし、私は必要があれば、ご本人にでも「忌憚なく」それを告げる。だから「毒舌」などと言われるですよ(笑)。(<アレクセイさま)

> それで作者が自殺してしまったらどうでしょう。立派に、間接的な殺人ですよ。

これを『殺人』だと言うのなら、貴方も立派な殺人犯ですよ。貴方の書かれた文章を読んだがために、日本の将来を儚んで自殺する人もいないとは限らない(笑)。

> 日本にはかなり優秀な警察が存在しますから。逮捕される可能性が高ければ、安息は得られないでしょうよ。
> ただ、時効や海外への高飛びなどがあるので「安息の日々は無い」までは行きませんね。
> しかし、「安息の日々を得るのは難しい」ですね。

う〜む、容易ならざる「子供の論理」ですね。まずは『罪と罰』くらい、読んでみてはいかがでしょう。むろん、「読んで、考えて」みては、ということです。

> まず一つ、自分は人を殺したいわけじゃない。
> 別に人の生命を奪うことに快感を覚えるタチじゃないですよ。
> 「殺さなければならない」時でもない限り、殺しませんよ。
> ただ私は「人殺しはいけない」を否定しているだけであって
> 「人殺しはよい」を肯定しているわけではないのですがね。
> どこをみて自分が「人を殺したい」とお思いになったのでしょうか。

普通に考えれば「人殺しはいけない」というのは、自明な大前提だからです。その「自明な大前提」を、貴方は『ただ私は「人殺しはいけない」を否定しているだけ』だとおっしゃるから、『「人殺しはよい」を肯定している』と取られるんですよ。
「人殺しはいけない」という自明な大前提を、貴方が理解していたら、『ただ私は「人殺しはいけない」を否定しているだけ』という理屈は、出てこないんです。だって、相手を殺したら、こうした議論自体、成立しないでしょう?(笑) ――「殺す」「抹殺する」ということは、「何も生み出さない」「何も始まらない」ということだから、ダメなんです。貴方自身、今なさっていること「行為」のすべてが、「人殺しはよくない(=汝、殺すなかれ)」という大前提の上に立ってのものなんですね。ところが、その大前提が、あまりにも大きすぎて(普遍的すぎて)、貴方の狭い視野には入っていないだけなんですよ。

> では、どうしろというのでしょうか。
> 道徳を使い、「人を殺してはいけない」という洗脳をしろということでしょうか。

いいえ。貴方がしなければならないのは、ご自身の「幼稚」「無知」「無教養」「卑屈」「狭量」といった現実を直視し、それを反省して、そこから謙虚に向上していくことです。――明解な回答でしょう(笑)。

>> プロの作家であれば、作品に対しての率直な批評は受けるべし。
>> いじめじゃないんですから、自殺する自殺しないは本人の責任です。自殺される
>> ことまで、気にしていたら、評論家は正しい評論はできないということですね。(<azamikoさん)

> つまり、自分が正当な意見だと思えば、それによって間接的な殺人の可能性があっても、問題ないわけですね。

ね。azamikoさんのこんな「平易な説明」ですら、素直に理解できない貴方は、ご自身の「幼稚」「無知」「無教養」「卑屈」「狭量」を、ご自分で証明なさっているんですよ。だから、その事実を反省して、そこから出発して下さい。

――なお、私のこの「明解な助言」によって貴方が自殺なさる場合は、遺書にその旨、しっかりと書き残しておいて下さい。それで、日本の『かなり優秀な警察』が動くかどうかは知りませんが、少なくとも「アレクセイ伝説」の1ページに刻まれることは確かでしょう(笑)。

風見敬吾風見敬吾 2005/04/30 22:31 >いいえ。貴方がしなければならないのは、ご自身の「幼稚」「無知」「無教養」
>「卑屈」「狭量」といった〜(以下略

残念ですがね。
自分は『「単純な論理」を守れない人間』の殺人を、
どうすれば食い止められるかをたずねているのですよ。
貴方の回答はこの風見敬吾を対象としている時点で的外れなのです。
自分ではなく『「単純な論理」が守れない人間(例えば宅間守のような)』の殺人を防ぐにはどうするかですよ。

>普通に考えれば「人殺しはいけない」というのは、自明な大前提だから〜(以下略
貴方の見ている世界の方が広いという証明をどうぞ。
今現在の世界ですら、「人殺しはいけない」は全世界の人間にはいきわたっていませんよ。
アフリカの治安の悪いところとか、例はたくさんあります。
過去にさかのぼれば、奴隷など地位の低い人間なんかは殺しても文句は来なかった時代も長く存在しています。
貴方のほうがこの現在の日本のみの「普通」を見ている、狭い視野の人間としか思えません。

「幼稚」「無知」「無教養」「卑屈」「狭量」ですか。
こういうありあわせの言葉じゃなくて、なんか無いんですかね。
もっと、知性を感じさせるような、言葉は。
もっと、何らかの感情を揺さぶらせるような、言葉は。

アレクセイアレクセイ 2005/04/30 23:41 ☆ 風見敬吾さま
> 残念ですがね。
> 自分は『「単純な論理」を守れない人間』の殺人を、
> どうすれば食い止められるかをたずねているのですよ。
> 貴方の回答はこの風見敬吾を対象としている時点で的外れなのです。
> 自分ではなく『「単純な論理」が守れない人間(例えば宅間守のような)』の殺人を防ぐにはどうするかですよ。

あはは。それ、本気で尋ねているんですか? ――まさか、そんな『的外れ』なことを、本気で尋ねてくるとは思いもよりませんでした(笑)。

>> 普通に考えれば「人殺しはいけない」というのは、自明な大前提だから〜(以下略

> 貴方の見ている世界の方が広いという証明をどうぞ。

すでに証明はされていますよ、ここで、何度も。ただ、それが貴方には見えていないだけです(笑)。

> 今現在の世界ですら、「人殺しはいけない」は全世界の人間にはいきわたっていませんよ。
> アフリカの治安の悪いところとか、例はたくさんあります。

「人を殺してはいけない」という了解と、「人殺しがない」という事実とは、同じではないんですね。わかりますか? そんな子供じみた屁理屈は、読者の失笑を招くだけですよ。いや、ここまでくれば、哀れみの同情を招きうるかも知れないな(笑)。

> 過去にさかのぼれば、奴隷など地位の低い人間なんかは殺しても文句は来なかった時代も長く存在しています。

生物学的な人間であったとしても、それを人間と認識できなければ、「人を殺してはいけない」という認識が働かないというのは、当然のことです。そういう事例は、今も昔もたくさんあるのです。
また、そういう「認識と事実」が一致しない端的な例が、貴方ご自身でもあるでしょうね(笑)。

> 貴方のほうがこの現在の日本のみの「普通」を見ている、狭い視野の人間としか思えません。
> 「幼稚」「無知」「無教養」「卑屈」「狭量」ですか。
> こういうありあわせの言葉じゃなくて、なんか無いんですかね。
> もっと、知性を感じさせるような、言葉は。
> もっと、何らかの感情を揺さぶらせるような、言葉は。

これは、どんなに適切な助言も、それを理解する能力や意志のない人間には、「無益」だという好例でしょう。
――何度でも申しますが、私は、私の「見解」を押しつける気はありませんから、それを拒絶したければ拒絶なさればいい。でも、その拒絶の素振りによっても、貴方はご自身の「幼稚」「無知」「無教養」「卑屈」「狭量」を、自ら、ますます証明してしまうことになるのですよ。

アレクセイアレクセイ 2005/04/30 23:42 ☆ みなさま
私の ここでの「やり取り」は、先日も申しましたとおり「臨床的な知の取り組み」として、それなりに楽しんでいただける即興芸的なものになっているかとも思いますが、もちろん、だからといって、厳密な理論構築というものを蔑ろにするわけにはいきません。ですから、現実にかかわる一方、基本的・理論的な「勉強」も蔑ろにしないというのは、とても重要なことなのです。この両輪がバランスよく回転してこそ、人は真に進歩・成長していけるのだと思います。

――というわけで、ここでは本日読了したばかりの、 高橋哲哉『戦後責任論』(講談社学術文庫) を、こちらをお読みの皆さん、特に先日の「国旗国家の強制」反対問題をめぐるやり取りをお読みになられた皆さんに、是非ともお薦めしたいと思います。

この本、おおまかに言えば、「今の日本人が、なぜ戦後責任を引き受けなければならないのか」という問いに応える前半部と、「戦後責任を引き受けるためにはまず自国の死者の追悼を、と主張する加藤典洋の『敗戦後論』への反駁」の後半部とで構成されており、このブログ上でかわされた「国旗国家の強制」反対問題をめぐるやり取りとも密接にかかわる議論が展開されていて、とても刺激的で面白い評論集になっています。

例えば、
『2005-04-16 (Sat) 「国旗・国歌強制に反対する」をめぐって 9』から、
http://d.hatena.ne.jp/azamiko/comment?date=20050416#c
『2005-04-18 (Mon) 「国旗・国歌強制に反対する」をめぐって 10』にかけて行われた、
http://d.hatena.ne.jp/azamiko/comment?date=20050418#c
私と バーソロミューさんとの議論で、私が『旧日本軍に蹂躙されたアジアの民衆の感情は、それ(国家間の賠償)だけでは収まらないでしょう。』『(日本が、中国や韓国・朝鮮などの戦争被害国に対して支払った)そうした賠償金が、実際に被害にあった人たちにまで届いていなければ、そんなものは被害当事者を置き去りにした「戦争責任者どうしの手打ち」にしかならないからです。』と書いたのに対し、バーソロミューさんは、

> 国家間の賠償問題についてはカタはついております。
> しかし、被害者の方々、ゆかりの方々は永久にその事を忘れないでしょう。自分の身になって考えても許せるものではありません。
> ですが金銭的な賠償は日本に求めるべきではありません。現在、日本に賠償金を求めている人は、歴史を勉強していない(知らされていない)と言い切ってしまっていいでしょう。

と「従軍慰安婦」などの「個別的な謝罪・賠償要求」は、感情的にはわかるが、「賠償の問題」としては既に『カタはついております。』と断言なさいました。
その際、私は「国家間の賠償問題」の具体的な中身を知りませんでしたから、バーソロミューさんがそこまで断言なさるのなら、「公式には」そういうことになっているのだろうと譲歩した上で、しかし、それならば、つまり本当に『カタがついて』いるのであれば、その後に、(バーソロミューさんが紹介なさっていたような)『ODAという名目』での賠償金などといった「筋違いの金」を、どうして日本は支払いつづけたのか、それはおかしいではないか、不自然ではないか、と指摘し、

> そこで、では、なぜ日本は、被害当事者が、筋違いの怒りをぶつけてくるというのに、相手国に対し、強く被害当事者への賠償金支払いを要求したり、実際の賠償金の使い道の開示を求めたりしないのでしょうか。それは、日本が相手国とおこなった「国家間賠償」が、もともと被害当事者を置き去りにした、「丸投げの賠償」であり、所詮は「戦争責任者どおしの手打ち」だったからではないでしょうか。

と、日本の「戦後賠償」の問題点の「残存」の可能性を指摘したのでした。
で、高橋哲哉の『戦後責任論』を読んでみると、こんな事実が報告されています。

『 問題は、戦争の「記憶」にある。『戦争の記憶――日本人とドイツ人』(TBSブリタニカ、一九九四 / ※ ちくま学芸文庫)を書いたイアン・ブルマが指摘しているように、戦争の記憶をめぐる日本の状況は「一九九〇年代初頭」に大きく変化した。ブルマはその理由として、いくつかのことを挙げているが、最も重要な理由の一つが、いわゆる従軍慰安婦問題の急浮上にあることは明らかである。朝鮮半島出身者だけでも数万は下らないという被害者を出したこの戦争犯罪は、驚くべきことに、戦後半世紀近くにわたって「公的」歴史からは消し去られていた。元慰安婦の存在がまったく知られていなかったわけではないし、七〇年代以降は、日本でも韓国でも、この問題をテーマとする書物がいくつか出版されてさえいた。にもかかわらずこの犯罪は、国家間の賠償交渉、公教育、公共放送・マスメディア、その他さまざまな宜駝嬰記憶兇料反ゲ修両賁未如△つて一度も存在しなかったも同然だったし、大多数の一般市民の〈戦争の記憶〉からも完全に脱落していたのである。この状況が変わるためには、一九九一年八月、「いつかはこれは日本に訴えなければならないと思っていた」韓国人元慰安婦・金学順が口火を切り、その後アジア各地で元慰安婦たちが次々と名乗り出て、証言しはじめるのを待たねばならなかった。』(P208〜209)

つまり、バーソロミューさんの『国家間の賠償問題についてはカタはついております。』という力強い断言は、そこで語られた「国家間賠償」の後に露見した「従軍慰安婦」問題の存在によって、じつは、今や完膚なきまでに否定され、崩壊して果てていたということなんですね。

『 日本政府のいう「見舞金」による「お詫び」というような発想が、ことの本質をまったく見誤っている所以の一つはここにある。元慰安婦たちは当然、そんな解決を拒否している。しかし、(※「過去」から目を背ける態の)あらゆる「現在中心的」および「未来思考」解決が不十分なものにとどまるのは、何よりも(※ もう被害者であることを訴え出られなくなった、慰安婦だった多数の)死者たちがいるからであり、とくに、名前さえ奪われて歴史の闇の中に永遠に葬りさられかねない死者たちがいるからである。これらの死者たちへの責任は、少なくとも、事件の全貌を明らかにし、その法的・政治責任の所在を厳密に究明することなしには果たしえない。ところがまさにこの点こそ、日本政府があくまでも回避しようとしていることなのである。眼の前にいる「他者」の訴えの中に、訴える機会を奪われた「他者」の訴えをも聞くこと。それなしになされるすべての儀菽絲兇六犲圓燭舛遼叉僂任△蝓⊃靴燭幣攀魃L任砲眦しい「忘却の政治」の反復であろう。』(P211)

ここでも、示されているように、日本政府は、「従軍慰安婦問題」が、それまでの「国家間賠償」ではカタがついていない(未対応)問題であることを承知しています。だから、元慰安婦たちには主旨の曖昧な「お見舞い」金を渡そうとしたり、相手国に対してはバーソロミューさんが紹介したような『ODAという名目で賠償金』などといった筋違いの金を渡して、「丸め込み」や「誤魔化し」を試みたんですね。それで「真相究明の責任」という戦後責任の引き受けを、うやむやのうちに回避しようとしたんです。

ともあれ、このように、日本の戦争加害責任についての『国家間の賠償問題』が、まったく『カタ』がついていないというのは、「歴史的事実」として明らかになったのですが、もしも私が以前からこの事実をはっきりと知っていたら、バーソロミューさんとのやり取りも、もっとシンプルなかたちで片づいただろうということなんですね。つまり私自身、今回のことを通して、「現実(=事実)」を知る勉強の重要性を再確認させられたのでした(笑)。

次に、どなただったか「日本の過去の過ちを真に引き受けるためにも、私たちはあえて日の丸を引き受けなければならない。旗を代えて事足れりとするのは間違いだ」という主旨のご意見を書かれていた方がいらっしゃいましたよね。私は、このご意見に対し「おっしゃりとおりだと思います。しかし、国旗の変更という問題については、私はそれも「あり」だと考えます。必要に応じて、その選択肢は残しておくべきだと思うんですね。罪責感からそれに「執着」するというのは、むしろ病的だと思います」という主旨の意見を述べたと思うのですが、ここでこの方が語られたご意見は、どうやら加藤典洋の「敗戦後論」そのままだったようです。

『 日の丸はこれまで侵略国日本の象徴だったから、これはやめて別の旗に代えるべきだという意見がある。しかし、[中略]日の丸が悪いイメージを引きずっているのは、戦後の日本がいまだに戦争の負債を返済しきれていないからで、日の丸はそのことの象徴なのである。もしこれが悪いイメージの汚れた国旗だというなら、それを引き受け、それを少しでもよいイメージのものに作り変えてゆくことが戦後の日本に求められていることだろう。もしこれを簡単に捨て去るなら、そのことこそ、被侵略国の心ある住民の不信の種になるはずである。』(加藤典洋『可能性としての戦後以後』。高橋哲哉『戦後責任論』P266〜267からの孫引き)

高橋哲哉も論駁しているとおり、加藤典洋のこの論理は「倒錯的」であり「病的」であるのは明らかでしょう。『戦後の日本がいまだに戦争の負債を返済しきれていない』その一つの証左が他でもない、ドイツなどのように国旗を代えてしまうことすら出来なかった、日本の「日の丸への過剰な執着」だとも言えるのですから。それを『もしこれを簡単に捨て去るなら』などと仮定するのは、およそナンセンスなんですね。
加藤典洋がここで言っていることを、例えて言えば、――ここに「泡銭百億円」があって、その金を「貴方」と加藤典洋とが、どう山分けするかで相談をしているとします。もちろん、二人ともできるだけ多く分け前が欲しいんですが、そこで加藤典洋は文芸評論家らしく、こんなレトリックを弄するのです。曰く「泡銭というものは、人の人生を誤らせる魔物だというよ。だから僕は、君のためを思って、この魔物を一身に引き受けたいと思う。」だから、君はその「覚悟と思い遣り」に涙せよ、と加藤典洋は要求しているんですね(笑)。

ともあれ、こんな具合に、とても興味深く面白い本ですから、ぜひ皆さんにも読んでいただきたいと思います。

アレクセイアレクセイ 2005/04/30 23:55 ☆ azamikoさま
『チョムスキー 9.11』のジャン・ユンカーマン監督の新作ドキュメンタリー『映画 日本国憲法』の上映が始まったそうですね。とても楽しみです。できれば劇場でみたいのですが、どっちにしろDVDも買うつもりです。ひとまず、チョムスキーファンですから(笑)。
http://www.cine.co.jp/kenpo/

exteriaexteria 2005/05/01 01:07 ドイツについて少々補足を・・・

・ドイツの国旗
戦前のドイツの国旗は現在の国旗でした。
ナチスの党旗である「鍵十字(ハーケンクロイツ)」が国旗であったのは戦中のみです。
なので「国旗を代えた」というより「国旗を戻した」というほうが表現として適切な気がします。

・ドイツの賠償
ドイツの賠償は原則として「個人賠償」です。
各個人が証拠を集め、実証し、請求します。
そして『なぜか』賠償の大部分を占めるのはドイツ人に対する個人賠償です。(これが今問題になっています。)

ポポフポポフ 2005/05/01 04:14 現在、仕事が忙しくてちゃんとした返事を書けません。
>Azamikoさま
稚拙な云々は一般論として申し上げただけですので、あまりお気になさらないよう。
【不具合の理由】
店員の態度は宜しくないです。しかしながら、ビデオデッキの方に問題がないとは証明されていませんよね?
ビデオテープが劣化するよりも、ビデオデッキのヘッドが汚れる方が、現象としては起き易いです。ヘッドが汚れていても、ビデオテープ上の信号の強さによっては、見れる場合もありますが。せっかく無料でクリーニング用のテープを貸すというのですから、できる事は試してみたらいかがでしょうか?
うまく行けば夢二が見れますし、やはりテープに問題があるにしても、ビデオのヘッドは定期的にクリーニングを行うことがのぞましいですから。
【延滞料金】
私は逆に「ありがとうございます」と言われて、面食らいました。
そりゃ、お金は払っているんですけども。
返却が遅れると次の人の迷惑になりますから、可能な限り期限を守りましょうね。
盆踊りの時期は、それは大変です(笑)

>アレクセイさま
あ、皮肉じゃなかったんですか。それは大変に失礼しました。

取り急ぎこれだけ。

黄金週間はお金になるから黄金収監!

風見敬吾風見敬吾 2005/05/01 08:58 >あはは。それ、本気で尋ねているんですか? ――まさか、そんな『的外れ』な>ことを、本気で尋ねてくるとは思いもよりませんでした(笑)。
自分はそれを聞き続けています。で、答えられないのでしょうか。
的外れなのは、貴方のほうですよ。

>「人を殺してはいけない」という了解と、「人殺しがない」という事実とは、同>じではないんですね。わかりますか? そんな子供じみた屁理屈は、読者の失笑>を招くだけですよ。いや、ここまでくれば、哀れみの同情を招きうるかも知れな>いな(笑)。
果たして無法地帯に「人を殺してはいけない」了解が存在するのだろうか。
いや、そこにある了解は、「自分が生き延びればよい」程度だろう。
戦場に「人を殺してはいけない」了解が存在するのだろうか。
いや、そこにある了解は、「味方を殺さないようにする」程度だろう。

あと、貴方は「なぜ殺人をしてはいけないのか」という問いに
「何も産み出さないから」という答えを出しました。
何を持って「産み出す」とするのでしょうか。
自分が、今ここで文章を打っていることも「産み出す」といえる。
また、科学上の発見をすることも「産み出す」といえる。
何かものを作ることも「産み出す」といえる。
貴方の定義をお教えください。

また、なぜ産み出さないことがダメなのか。というのも答えてもらいたい。
「産み出す」の定義が良くわからないと答えようがないでしょうがね。

昔の答え「あります。自分で何も生み出せない人は、生み出せる人に対し勝手に劣等感を感じ、そのあげく被害妄想を持ったりして、おかしな言動に走ることが、ままあります。こういうことを世間では好ましくない「問題行動」だと考えます。」
は、ここでの回答にはなりませんしね。

追記:『宗教は多かれ少なかれ狂気の範疇』って言葉、アレクセイ氏を見ると痛感しますよ。己の信仰している「殺人はよくない」という宗教教義を、狂的に死守しようとしている。と。

風見敬吾風見敬吾 2005/05/01 12:16 あまりにも論点とか論ずることが多くなって来てしまったので論点を絞ります。

1)なぜ人を殺すのは良くないか
2)「単純な損得勘定(単純な論理)」を守れない人間の殺人を防ぐにはどうするか

この二つです。
1)に関しての貴方の答えは確か「何も産み出さない(反創造的)から」
あたりの答えを出されていたかと思います。
違ったらあらためて言ってください。
で、私は何も産み出さないことに問題はないと考えているので、
産み出さないことの問題を述べてくださいと主張しています。
昔の答えはまた別のものでしょうから、新しい答えを出してください。

2)に関してはまだ反駁らしい反駁が来ていないのでお答え願います。

アレクセイアレクセイ 2005/05/02 00:03 ☆ exteria さま
> ドイツについて少々補足を・・・

ご教示、ありがとうございました。

> ・ドイツの国旗
> 戦前のドイツの国旗は現在の国旗でした。
> ナチスの党旗である「鍵十字(ハーケンクロイツ)」が国旗であったのは戦中のみです。
> なので「国旗を代えた」というより「国旗を戻した」というほうが表現として適切な気がします。

たしか、ドイツが国旗を代えたというようなことを『戦後責任論』で読んだ(はずな)ので、そう書いたのですが、終戦後、東西に引き裂かれた段階では、当然、東西共に、「鍵十字(ハーケンクロイツ)」でないのは無論のこと、戦前のドイツ国旗でもなかったんですよね? そのへんはまったく無知なもので、申し訳ありません。東西が統一された後に、元のドイツ国旗に戻ったのだとしたら、高橋哲哉が書いていた、国旗を代えたというのは、終戦後の東西ドイツの国旗のことなのではないでしょうか?

> ・ドイツの賠償
> ドイツの賠償は原則として「個人賠償」です。
> 各個人が証拠を集め、実証し、請求します。
> そして『なぜか』賠償の大部分を占めるのはドイツ人に対する個人賠償です。(これが今問題になっています。)

各人の自主的な「個人賠償請求」というのも、実際にはなかなか面倒で、無理があるでしょうね。そのうえ、やっぱり身内(自国人)優先になってしまう。まあ、原則論としては、「個人賠償」の方が筋が通っているように思いますが、一長一短はあるんでしょうね。


☆ ポポフさま
> あ、皮肉じゃなかったんですか。それは大変に失礼しました。

いいえ、私が馬鹿正直なせいですからね、誤解はつきものですよ(笑)。


☆ 風見敬吾さま
>> あはは。それ、本気で尋ねているんですか? ――まさか、そんな『的外れ』なことを、本気で尋ねてくるとは思いもよりませんでした(笑)。

> 自分はそれを聞き続けています。で、答えられないのでしょうか。
> 的外れなのは、貴方のほうですよ。

「それ」とは、次の2)の問いですよね。

>2)「単純な損得勘定(単純な論理)」を守れない人間の殺人を防ぐにはどうするか

この問いに「これが正解です」というようなものがあれば、警察がすでにそれを採用していますよ(笑)。
貴方は、脳天気にも『「単純な損得勘定(単純な論理)」を守れない人間』と言いますが、その人物が殺人などの犯罪を犯す前に、どのようにしてその人物を『「単純な損得勘定(単純な論理)」を守れない人間』だと判定するんです。それが不可能(他人の頭の中は完全に理解できない)だから、犯罪に対し、完全な予防措置をこうずることなど、原理的に出来ないんですよ。それを無理にやろうとすれば、必ず人権侵害になる。なぜなら、まだやってもいない人を「犯罪者」扱いにするんだから、それは人権侵害以外のなにものでもないということです。
で、こんなことは「普通の判断力と常識」があればわかることだから、自ずと「そんな都合のいい方法(正解)などない」というのは、普通なら誰でも知っていることなんですね。ですから『まさか、そんな『的外れ』なことを、本気で尋ねてくるとは思いもよりませんでした。』ということになるんですね。
――ま、どっちが『的外れ』かは、読者が自ずと判断してくれるでしょう(笑)。

>>「人を殺してはいけない」という了解と、「人殺しがない」という事実とは、同じではないんですね。わかりますか? そんな子供じみた屁理屈は、読者の失笑を招くだけですよ。いや、ここまでくれば、哀れみの同情を招きうるかも知れないな(笑)。

> 果たして無法地帯に「人を殺してはいけない」了解が存在するのだろうか。
> いや、そこにある了解は、「自分が生き延びればよい」程度だろう。
> 戦場に「人を殺してはいけない」了解が存在するのだろうか。
> いや、そこにある了解は、「味方を殺さないようにする」程度だろう。

あのね、「人を殺してはいけない」という了解は、「普通の人間」には当たり前にあるものなんですよ。『無法地帯』というのは「当たり前でない人」が大勢いる場所のことだし、『戦場』とは(「当たり前=平時」ではない)「有事」「非常時」と呼ばれる「例外状況」下にあるされる「政治的時空」なんですね。だから、「人を殺してはいけない」という了解が、そこでは「政治的」に否定されており、その影響下にある人は「人を殺してはいけない」という了解を、止むなく「保留」しなくてはならなくなっているだけなんです。つまり、例外状況における「一時保留」「棚上げ」による「殺人を犯してもよし」という了解の発生は、あくまでもその前提として「人を殺してはいけない」という了解があり、あえてそれを否定しているに過ぎないんですね。言い換えれば「本当は人殺しはいけないことなんだけど、ここは無法地帯だから、生き延びるためには、仕方がない」とか「本当は人殺しはいけないことなんだけど、ここは戦場だから、生き延びるためには、仕方がない」というだけのことなんですよ。
――これも「普通の判断力と常識」がある人には言わでもがななことなんですが、貴方には説明しても理解できないでしょうね。なにしろ「普通の判断力と常識」が無いんですから。

> あと、貴方は「なぜ殺人をしてはいけないのか」という問いに
>「何も産み出さないから」という答えを出しました。
> 何を持って「産み出す」とするのでしょうか。
> 自分が、今ここで文章を打っていることも「産み出す」といえる。
> また、科学上の発見をすることも「産み出す」といえる。
> 何かものを作ることも「産み出す」といえる。
> 貴方の定義をお教えください。
> また、なぜ産み出さないことがダメなのか。というのも答えてもらいたい。
> 「産み出す」の定義が良くわからないと答えようがないでしょうがね。

「言葉の定義がわからないのでは答えられない」というのは、「荒らし」がよく言うことです(笑)。
では、聞きますが、「言葉の定義」とは何ですか? それは一つだけに限定されるものなんですか? されないとしたら、いくつあってもいいものなのかな? だとすると、それは定義にならないんじゃないですか?

「なぜ殺人がいけないのか?」という問いへの、私の答は「それは、存在そのものの否定であり、すなわちそれは何も生み出さないものだからだ」というような簡明な説明は、これ以上、説明の加えようがありませんよ。あとは、貴方がこれを理解できるか否かだけ。貴方に「普通の判断力と常識」や「理解力」が無いことまで、私は責任をとれませんからね。この説明で、理解できなければ「貴方には、私の意見を理解する能力が無い」という、ただそれだけのことです(笑)。

> 昔の答え「あります。自分で何も生み出せない人は、生み出せる人に対し勝手に劣等感を感じ、そのあげく被害妄想を持ったりして、おかしな言動に走ることが、ままあります。こういうことを世間では好ましくない「問題行動」だと考えます。」
> は、ここでの回答にはなりませんしね。

私の文章は、常に「普通の判断力と常識」や「理解力」があることを前提として書かれております。私には、石仏や馬を説得できるような、異能はありません。したがって『ここでの』回答になっているものが、貴方には「貴方(風見敬吾)にとっての、ここでの」回答になっていなくても、それは、どうしようもないんですよ。

> あまりにも論点とか論ずることが多くなって来てしまったので論点を絞ります。
> 1)なぜ人を殺すのは良くないか
> 2)「単純な損得勘定(単純な論理)」を守れない人間の殺人を防ぐにはどうするか
> この二つです。
> 1)に関しての貴方の答えは確か「何も産み出さない(反創造的)から」
> あたりの答えを出されていたかと思います。
> 違ったらあらためて言ってください。

1)については、上記のとおり、その理解で結構です。

> で、私は何も産み出さないことに問題はないと考えているので、
> 産み出さないことの問題を述べてくださいと主張しています。
> 昔の答えはまた別のものでしょうから、新しい答えを出してください。

その前に、貴方はなぜ『何も産み出さないことに問題はないと考えている』のかをお答え下さい(笑)。

> 2)に関してはまだ反駁らしい反駁が来ていないのでお答え願います。

これは上記のとおり、つまり『あのね〜が無いんですから。』です。
それに第一、貴方は『反駁』されるほどの意見など、一度も言っていないじゃないですか。「私はこう思う」というだけで、その「根拠」が示されていないんですから。つまり、貴方の「私は人を殺してもかまわないと思う」という「だけ」の意見には、「反駁」などできないんです。ただ「貴方はおかしい(まともじゃない)」という感想を返すのみですよ。「論理的な根拠」が示されなきゃ「反駁」なんて不可能なんです。わかりますか?

> 追記:『宗教は多かれ少なかれ狂気の範疇』って言葉、アレクセイ氏を見ると痛感しますよ。己の信仰している「殺人はよくない」という宗教教義を、狂的に死守しようとしている。と。

必死だな(笑)。―― という評価がどちらに当てはまるかは、読者の判定に任せましょう。それこそ、お互い、必死に言いつのっても無意味ですからね。
私は、普通の「判断力」や「常識」や「理解力」のない人を説得できると思うほど、バカではありません。バカは、おのれのバカぶりを曝すに任せます。……いや、それを「補助します」かな?(笑)

ま、たまには貴方も、多少は利口に見えるようなことを書いてみせて下さい。でないと、恥の上塗りを重ねるばかりですよ。
――貴方自身、自分が人からどう見られ、どう評価されているか、それに薄々は気づいているんでしょう? ならば、その認識を潔く受け止めることです。歴然たる力量の差を認められずにつまらない意地をはって、引き際を誤るというのは、貴方が愚か者である何よりの証拠なのです。

exteriaexteria 2005/05/02 20:06 戦前のドイツ国旗 -> 現在の国旗
戦中のドイツ国旗 -> 鍵十字(ハーケンクロイツ)
戦後の西ドイツの国旗 -> 現在の国旗
戦後の東ドイツの国旗 -> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:East_Germany_flag.png

「高橋哲哉」なる人が書いた言葉の真意は分かりませんが、おそらく日本人が無知であることを利用し、日本が「如何に不誠実であるか」を刷り込ませようとしたのではないでしょうか。
そして「高橋哲哉」なる人はこの事実は知っていたのではないかと思います。

azamikoazamiko 2005/05/02 23:40 ☆ アレクセイさま
> 『チョムスキー 9.11』のジャン・ユンカーマン監督の新作ドキュメンタリー『映画
> 日本国憲法』の上映が始まったそうですね。とても楽しみです。できれば劇場でみたいのですが、どっちにしろDVDも買うつもりです。ひとまず、チョムスキーファンですから(笑)。 http://www.cine.co.jp/kenpo/

情報ありがとうございます!早速注文しました。そうそうたるメンバーによる映画化。楽しみです♪

>というわけで、ここでは本日読了したばかりの、 高橋哲哉『戦後責任論』(講談社学術文庫) を、こちらをお読みの皆さん、特に先日の「国旗国家の強制」反対問題をめぐるやり取りをお読みになられた皆さんに、是非ともお薦めしたいと思います。

戦後補償の問題は、国民としてちゃんと知っておく必要があると痛感しました。ホットな話題ということでしょうか、今日書店で新刊図書として並べられていました。
ところで、ドイツ国旗ですが、exteriaさんも言われているように、ウィキペディアの
「国家社会主義ドイツ労働者党」の項に以下のようにあります。

1933年から1945年までナチ党の組織は政府の組織とほとんど同一視され、党の組織であった大管区、管区、支部、細胞、班はそのまま国家の行政区分になった。鉤十字の党旗は国旗となり、『ホルスト・ヴェッセルの歌』は第二の国歌のように全国で歌われた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9

ハーケンクロイツは党旗のみんならず、国旗だったんですね。ですから、高橋哲哉さんは戦中ハーケンクロイツが国旗であり、戦後それを変えたということを言っているのではないでしょうか?

azamikoazamiko 2005/05/02 23:57 ☆風見敬吾さま

>まず一つ、自分は人を殺したいわけじゃない。
別に人の生命を奪うことに快感を覚えるタチじゃないですよ。
「殺さなければならない」時でもない限り、殺しませんよ。
ただ私は「人殺しはいけない」を否定しているだけであって
「人殺しはよい」を肯定しているわけではないのですがね。
どこをみて自分が「人を殺したい」とお思いになったのでしょうか。

「人を殺すことは良くないことだとは思わない」「自分の殺したいと思うような人間はつまらない人間だ」「日本の警察は優秀なので捕まる可能性が高いから安息の日々はない」と言われていたから、人を殺しても捕まらない可能性が高ければ、殺したいと思ってるのだと理解したのだけれど・・・。
いずれにしてもアレクセイさんが言われていた

>>ただ、手っ取り早く、なんとなくカッコ良さそうな、流行りみたいなものの「口まね」をして、それと同化することで自分も「一人前」になったような、刹那の満足感を得ようとする。つまり、彼らが口にする言葉は、どれひとつ取ってみても、彼ら「自身の言葉」ではないんです。それらはすべて「借り物」であり、賞味期限が過ぎればあっさり廃棄される程度のものでしかない。しかし、彼らにはそうした言葉しかないから、そうした「刹那の言葉」を自分の言葉だと思うしかないんですね。(<アレクセイさま)

と思えるんですよ。ご本人にはその自覚がないのだけれど。

azamikoazamiko 2005/05/03 00:15 ☆ポポフさま
おいそがしそうですね(笑)。

> 店員の態度は宜しくないです。しかしながら、ビデオデッキの方に問題がないとは証明されていませんよね?

お店に証明ですか?デッキをもって行かなければできないでしょうね(笑)。
『ペパーミントキャンディー』は普通に見れましたよ。
料金前払いで、ビデオを借りるということが、そもそもビデオ鑑賞可能なデッキがあるということではありませんか?それ以上の証明って・・・?

> ビデオテープが劣化するよりも、ビデオデッキのヘッドが汚れる方が、現象としては起き易いです。ヘッドが汚れていても、ビデオテープ上の信号の強さによっては、見れる場合もありますが。せっかく無料でクリーニング用のテープを貸すというのですから、できる事は試してみたらいかがでしょうか?
> うまく行けば夢二が見れますし、やはりテープに問題があるにしても、ビデオのヘッドは定期的にクリーニングを行うことがのぞましいですから。

もちろん、そうでしょうが、程度の問題ということはあるでしょうね。問題があっても観たくて借りたビデオなんですから、もちろん、観れるものなら観たいですよ。観たのならばクレームはつけません。それに、本来は気にしない方なんですが、傷んだビデオを無理して観るとデッキを傷めますしね。ヘッドをクリーニングするというのも結局ヘッドを削っていることなんですよね。

> 【延滞料金】
> 私は逆に「ありがとうございます」と言われて、面食らいました。
> そりゃ、お金は払っているんですけども。
> 返却が遅れると次の人の迷惑になりますから、可能な限り期限を守りましょうね。

ポポフさんは律儀な方なのですね。
私は料金も期限も経済流通上便宜的に設定されたものと思っているのでだけれど(笑)


> 盆踊りの時期は、それは大変です(笑)

盆踊り?お囃子とか?これからですね〜。

風見敬吾風見敬吾 2005/05/03 00:28 まず一つ「普通の判断力と常識」
これは貴方が言って大丈夫なのでしょうかね。
かつて多重ハンドルによる自作自演をした貴方が。
管理人氏の学校への無断侵入を支持した貴方が。
常識から言えばずれているのは貴方も同じ、
いや、実行しているぶんそれ以上に常識はずれですよ。
もちろん、この自分の「殺人は良くないわけではない」という意見が
少数派であることは事実ですがね。

1)の理由の根拠である以下の一文についての反論
>存在そのものの否定、すなわちそれは何も生み出さないから
殺人(存在そのものの否定)によって歴史が動く(新たなものを生み出す)ことだってあるじゃないですか。
フランス革命とか、独立戦争とか、その最たるものでしょう。

2)について
確かに主張を入れ忘れていました、これは申し訳ない。
しかし、アレクセイさん、つまり貴方は
「単純な損得勘定(単純な論理)」を守れない人間の殺人を防ぐにはどうするか、
については何も意見を持ち合わせてはいないのですよね。
自分は持っています。ただ、それは「単純な論理」を守らせるようにすることで殺人を防ぐようにするものです。
ちなみに、その方法は、「道徳を捨てること」です。
(人間は平等だとか、差別はいけないだとか、自分の立場をわきまえるべしなどの考えを捨てることです)
道徳を捨てることによって、道徳によって生ずる怒り、例えば「理不尽による怒り」だとかは消失します。
ゆえに、「感情に流されて単純な論理が守れない人間」は「感情に流されず単純な論理が守れる人間」へと変化します。

>ま、たまには貴方も、多少は利口に見えるようなことを書いてみせて下さい。で>ないと、恥の上塗りを重ねるばかりですよ。
>――貴方自身、自分が人からどう見られ、どう評価されているか、それに薄々は>気づいているんでしょう? ならば、その認識を潔く受け止めることです。歴然>たる力量の差を認められずにつまらない意地をはって、引き際を誤るというの>>は、貴方が愚か者である何よりの証拠なのです。

えー、なんと言いましょうか、自分には
「鏡を見てください」としか言える言葉がないのです。
どっちが鏡を見ていると思われるかは閲覧者に任せます。

風見敬吾風見敬吾 2005/05/03 00:34 上記文、引用がずれました。

まとめ
1)殺人(存在そのものの否定)によって歴史が動く(新たなものを生み出す)ことだってある。つまり殺人は反創造的行為とは一概に言えない。

2)道徳を信じているものが、道徳を捨てることによって
「単純な損得勘定」を守れる人間は増加する。
ゆえに、殺人をする人間は減少する。

以上2点ですね。

azamikoazamiko 2005/05/03 01:18 ☆風見敬吾さま
>かつて多重ハンドルによる自作自演をした貴方が。
管理人氏の学校への無断侵入を支持した貴方が。
常識から言えばずれているのは貴方も同じ、
いや、実行しているぶんそれ以上に常識はずれですよ。

貴方には理解できないというだけのことです。

>それは「単純な論理」を守らせるようにすることで殺人を防ぐようにするものです。
ちなみに、その方法は、「道徳を捨てること」です。
(人間は平等だとか、差別はいけないだとか、自分の立場をわきまえるべしなどの考えを捨てることです)
道徳を捨てることによって、道徳によって生ずる怒り、例えば「理不尽による怒り」だとかは消失します。
ゆえに、「感情に流されて単純な論理が守れない人間」は「感情に流されず単純な論理が守れる人間」へと変化します。

これはまたまた・・・(−_−;
しかし一体どうやってするんですか?ロボトミーでも?

アレクセイアレクセイ 2005/05/03 20:52 ☆ exteria さま
> 戦前のドイツ国旗 -> 現在の国旗
> 戦中のドイツ国旗 -> 鍵十字(ハーケンクロイツ)
> 戦後の西ドイツの国旗 -> 現在の国旗
> 戦後の東ドイツの国旗 -> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:East_Germany_flag.png
> 「高橋哲哉」なる人が書いた言葉の真意は分かりませんが、おそらく日本人が無知であることを利用し、日本が「如何に不誠実であるか」を刷り込ませようとしたのではないでしょうか。
> そして「高橋哲哉」なる人はこの事実は知っていたのではないかと思います

残念ながら、それは「邪推」ですよ。高橋哲哉は『戦争責任論』(講談社学芸文庫)に、こう書いています。

『旧枢軸国のドイツ、イタリアが戦後まもなく国旗・国歌を変更したように、日本も事実上の国旗・国歌を使うなら、過去の反省を踏まえて別のものに換えるべきであった。』(P262「日の丸・君が代から象徴天皇制へ」より)

私が、曖昧な記憶だけで、

> たしか、ドイツが国旗を代えたというようなことを『戦後責任論』で読んだ(はずな)ので、そう書いたのですが、終戦後、東西に引き裂かれた段階では、当然、東西共に、「鍵十字(ハーケンクロイツ)」でないのは無論のこと、戦前のドイツ国旗でもなかったんですよね? そのへんはまったく無知なもので、申し訳ありません。東西が統一された後に、元のドイツ国旗に戻ったのだとしたら、高橋哲哉が書いていた、国旗を代えたというのは、終戦後の東西ドイツの国旗のことなのではないでしょうか?

と書いたのもいけなかったのですが、原典をあたらずに、高橋哲哉の陰謀のごとく言う(批判する)のは、貴方ご自身の客観性を疑わせるに足るものでしょう。――ともあれ、高橋哲哉が書いたのは、azamikoさんの推察どおり、

> ところで、ドイツ国旗ですが、exteriaさんも言われているように、ウィキペディアの
> 「国家社会主義ドイツ労働者党」の項に以下のようにあります。
> 1933年から1945年までナチ党の組織は政府の組織とほとんど同一視され、党の組織であった大管区、管区、支部、細胞、班はそのまま国家の行政区分になった。鉤十字の党旗は国旗となり、『ホルスト・ヴェッセルの歌』は第二の国歌のように全国で歌われた。
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9
> ハーケンクロイツは党旗のみんならず、国旗だったんですね。ですから、高橋哲哉さんは戦中ハーケンクロイツが国旗であり、戦後それを変えたということを言っているのではないでしょうか?

と解するのが妥当でしょうね。


☆ 風見敬吾さま
> まず一つ「普通の判断力と常識」
> これは貴方が言って大丈夫なのでしょうかね。
> かつて多重ハンドルによる自作自演をした貴方が。
> 管理人氏の学校への無断侵入を支持した貴方が。

大丈夫(笑)。私やazamikoさんの行動を、そのように「曲解」したのは、貴方と同類の「匿名」者や「荒らし」ばかりですからね。

> 常識から言えばずれているのは貴方も同じ、
> いや、実行しているぶんそれ以上に常識はずれですよ。

いやいや、私は貴方と「同じ」ではないですよ(笑)。
私の規格はずれの言動は(私が尊敬する南方熊楠や宮武外骨のそれと同様)多くの頭のまともな人の支持や評価をうけるものですが、貴方の「人を殺してもかまわないと思う」という考えは、頭のおかしい人の支持や評価しか受けませんからね。これを、普通は「同じ」とは言わない(笑)。

> もちろん、この自分の「殺人は良くないわけではない」という意見が
> 少数派であることは事実ですがね。

たしかにお互い「少数派」であるのは同じですが、私は「真っ当過ぎる」が故の少数派で、貴方は「おかしい」が故の少数派ですよ、わかりますか? 私は「真っ当な人の中にあっての、少数派」ですが、貴方は「真っ当な人の中には入っていないための、少数派」なんです。この違いを、はっきり自覚しましょうね(笑)。

> 1)の理由の根拠である以下の一文についての反論

>> 存在そのものの否定、すなわちそれは何も生み出さないから

> 殺人(存在そのものの否定)によって歴史が動く(新たなものを生み出す)ことだってあるじゃないですか。
> フランス革命とか、独立戦争とか、その最たるものでしょう。

それは「殺人」が生み出したんじゃないですよ。「革命」とか「独立戦争」とかが「殺人と無縁ではない」という事実はありますが、だからといってそれを「同じ」ものと扱うのは、貴方らしい「短絡」です(例えば「私と彼とは、肝胆あい照らした親友です。従って、私と彼は同一人物です」というようなもの)。
そんなことで「殺人」が正当化されると思うのは、貴方くらいでしょう。世の中の人は、そんなこそなど承知の上で、それでも「殺人はいけない」という了解を持っているのです。それが「まともな人」なんですよ。

> 2)について
> 確かに主張を入れ忘れていました、これは申し訳ない。
> しかし、アレクセイさん、つまり貴方は
> 「単純な損得勘定(単純な論理)」を守れない人間の殺人を防ぐにはどうするか、
> については何も意見を持ち合わせてはいないのですよね。
> 自分は持っています。ただ、それは「単純な論理」を守らせるようにすることで殺人を防ぐようにするものです。
> ちなみに、その方法は、「道徳を捨てること」です。
> (人間は平等だとか、差別はいけないだとか、自分の立場をわきまえるべしなどの考えを捨てることです)
> 道徳を捨てることによって、道徳によって生ずる怒り、例えば「理不尽による怒り」だとかは消失します。
> ゆえに、「感情に流されて単純な論理が守れない人間」は「感情に流されず単純な論理が守れる人間」へと変化します。

おお、すごい論理ですねーっ! お尋ねして、本当に良かった! 貴方が聞かせてくれたお話で、一番おもしろいと思いましたよ(笑)。でも……では、「道徳によって押さえられている、多くの悪しき部分への歯止めが無くなり、殺人などの犯罪を犯す人がより増える」という問題については、どう責任をとられるんですか?
――「道徳」というものが馬鹿にならない力(犯罪抑止力・社会統御力)を持っておればこそ、ニーチェもこれを「神」と同様に敵視したんですよ。そうした大前提を、貴方はご存じでしたか?

>> ま、たまには貴方も、多少は利口に見えるようなことを書いてみせて下さい。でないと、恥の上塗りを重ねるばかりですよ。
>> ――貴方自身、自分が人からどう見られ、どう評価されているか、それに薄々は気づいているんでしょう? ならば、その認識を潔く受け止めることです。歴然たる力量の差を認められずにつまらない意地をはって、引き際を誤るというのは、貴方が愚か者である何よりの証拠なのです。

> えー、なんと言いましょうか、自分には
> 「鏡を見てください」としか言える言葉がないのです。
> どっちが鏡を見ていると思われるかは閲覧者に任せます。

同意です。閲覧者は、間違いなく「風見敬吾って、バカだよね」と考え、そして「こんなバカを相手にしているアレクセイもバカだよね」と判断することでしょう。しかし、もちろん、ここでいう『バカ』は、同じ意味ではないんですが(笑)。

> まとめ
> 1)殺人(存在そのものの否定)によって歴史が動く(新たなものを生み出す)ことだってある。つまり殺人は反創造的行為とは一概に言えない。
> 2)道徳を信じているものが、道徳を捨てることによって
> 「単純な損得勘定」を守れる人間は増加する。
> ゆえに、殺人をする人間は減少する。
> 以上2点ですね。

この「まとめ」は、「殺人を犯しても(警察に捕まらなければ)かまわない」と考える、風見敬吾さんのお考えです。私は、そんな風見敬吾さんを、普通の判断力と常識と理解力に欠ける、ちょっと「おかしい」人だと判断します。……これでは、中途半端に「猿まね」をされたニーチェも、草葉の影で泣いているでしょう。――これが、アレクセイの「まとめ」です(笑)。

exteriaexteria 2005/05/04 01:03 私の発言は確実に邪推です。ですが、このような受け止め方も出来るのです。

あとイタリアの国旗・国歌が変更されたのは「王制から共和制」に変わったためです。

アレクセイアレクセイ 2005/05/04 14:26 ☆ exteria さま
> 私の発言は確実に邪推です。ですが、このような受け止め方も出来るのです。

もちろん、どのような「受け止め方」もできるでしょう。しかし、貴方が「誠実な発言者」たらんとするのなら、そのようなことは許されません。そうした「悪意ある恣意的解釈」の濫用は、ここへも時々書き込みに来る「匿名者」や「荒らし」といった「卑劣・無責任な輩」のすることなのです。
言うまでもなく、人が公に発言をする場合には、その発言に責任をとれる形で、それをなさねばなりません。そして、その責任を全うするための第一の要件が「自説を開陳する際には、その客観的な根拠をしめす(ことにより、批判対象も含む、読者にたいする誠意を尽くす)」ということです。つまり、公の場所で他人を否定的に評価する場合には、特にそれ相応の客観的な根拠の提示が必要なんですね。貴方は高橋哲哉についての、

> 「高橋哲哉」なる人が書いた言葉の真意は分かりませんが、おそらく日本人が無知であることを利用し、日本が「如何に不誠実であるか」を刷り込ませようとしたのではないでしょうか。
> そして「高橋哲哉」なる人はこの事実は知っていたのではないかと思います。

と書かれましたが、貴方は高橋哲哉について、まったく無知だったわけではありません。私がその前に、高橋哲哉は『戦後責任論』(講談社学芸文庫)という本を書いた人で、日本の戦後責任を厳しく問う立場の人である、というのを紹介しており、貴方のご意見は、この紹介文の記述に関する補足から始まったのですからね。つまり、大雑把に言えば、高橋哲哉は「左翼平和主義者」ということになるのでしょうが、そんな高橋に対して、根拠提示もなく語られた貴方の評価が『日本が「如何に不誠実であるか」を刷り込ませようとしたのではないでしょうか。』ということになれば、貴方が「左翼平和主義者」というものは「そういうことをやるものだ」と日頃から決めつけ的に否定評価している(憶断に毒された)人なのではないか、という推測も十分に成り立ちます。
しかも、私などの素人とは違い、専門書を書いているほどの人に対して、少し調べればわかる程度のこと(ドイツ国旗の変遷)で『おそらく日本人が無知であることを利用し』ているなどと、その「狡猾さ」とともに「安易さ」を指摘し、さらには『そして「高橋哲哉」なる人はこの事実は知っていたのではないかと思います。』として「故意の欺瞞」を強調するにいたっては、貴方の高橋哲哉に対する「読み」は、合理的な推測の範囲を逸脱して、明らかに「悪意ある妄想」としての「邪推」の域にあるとしか言えません。つまり、ここからわかるのは、貴方が自覚しておられるとおり、貴方は「左翼平和主義者」に対し日頃から「反発」なり「敵意」なりを抱いており、そのために「左翼平和主義者」と思しき高橋哲哉を、客観的に評価することができない「思想的偏向」を陥っている、ということなんです。

> あとイタリアの国旗・国歌が変更されたのは「王制から共和制」に変わったためです。

これも、変更理由を、それひとつに限定できるのですか? 他人の意見を否定する意見を「断定的に」語られるのであれば、その根拠を十分に示すのが筋ではないでしょうか? このあたりの意見表明のかたちからしても、貴方のご意見の信頼性を疑わせるのです。

貴方は、ご自身のご発言を『確実に邪推です。』とお認めになった。この点は、そこいらの「匿名者」や「荒らし」とは違う「潔さ」を感じます。だからこそ、私は貴方に期待するのです。たとえ貴方が、私や高橋哲哉と立場を異にする人であろうとも、その意見表明にあっては「フェア」であっていただきたい。つまり「尊敬できる論敵」であっていただきたい、ということです。
高橋哲哉も『戦後責任論』のなかで「「新しい歴史教科書」を作る会」の藤岡信勝などが、いかに根拠薄弱で学者にあるまじき手前味噌な断言をしているかということを、事実に即して批判しておりますが、私の印象でも「反・左翼平和主義者」である「新・愛国主義者」の方が、一般に「自説の表明に対して無責任である」という傾向が見られます。ですから、そうした中に置けば、稀有の潔さを感じられる貴方には、どうしても期待したいと思うのですね。どういう立場で発言するにせよ、それは人として、言論人として、恥じないものであるべきです。まして発言者が、自身に「日本人としての自負」を持っているのであれば、恥ずべき態度はとれないはず。貴方にはぜひ、「若年エセ右翼」の域を脱して、本物の「愛国日本人」になっていただきいと期待します。

МышкинМышкин 2005/05/04 17:56 はじめまして。

横槍になってしまいますが一言。
>アレクセイ氏
>この「まとめ」は、「殺人を犯しても(警察に捕まらなければ)かまわない」と考える、風見敬吾さんのお考えです。私は、そんな風見敬吾さんを、普通の判断力と常識と理解力に欠ける、ちょっと「おかしい」人だと判断します

こうあっけなく例外を認めてしまうと殺人の禁止は単に多数の人に支持されているだけの一般論でしかなくなりますが、それでよろしいのでしょうか。

アレクセイアレクセイ 2005/05/04 19:48 ☆ Мышкинさま
>> アレクセイ氏
>> この「まとめ」は、「殺人を犯しても(警察に捕まらなければ)かまわない」と考える、風見敬吾さんのお考えです。私は、そんな風見敬吾さんを、普通の判断力と常識と理解力に欠ける、ちょっと「おかしい」人だと判断します

> こうあっけなく例外を認めてしまうと殺人の禁止は単に多数の人に支持されているだけの一般論でしかなくなりますが、それでよろしいのでしょうか。

普通に読めば、そうはならないと思いますよ。それは単に、貴方の読みが浅いだけだと思います。
私が意図しているのは、風見敬吾さんのような人とは、「殺人の倫理」に限らず、倫理一般について議論することすら無駄だ(愚かなことだ)ということです。なぜなら、基礎的な能力の出来ていない人に難しいことを求めるのは、それ自体愚かなことだからです。もちろん、議論するに値する相手(能力の持ち主)だと思えば議論しますが、こうした難問について、ろくすっぽ勉強もせずに「教えて下さい」「どうお考えですか」などと呑気なことを言っているような人(明らかに問題の難しさを理解していない人)に対し、「その答はこれです」などと安易に応える方も、私は馬鹿なんだと思います。だから、私は「『罪と罰』くらいは読んで、考えなさい」と適切な助言を与えるに止め、「私には石仏や馬を説得する異能はない」のだとも説明したのです。
ここまで説明していれば、普通は私の意図するところが理解できると思うのですが、貴方には理解できなかったのでしょうか? また、そもそも貴方は、風見敬吾さんが議論に値する相手だとお思いになったのでしょうか? もしもそうならば、貴方ご自身が、風見さんと議論なさってはいかがでしょう?

exteriaexteria 2005/05/04 22:46 まずイタリア共和国(現在のイタリア)の国旗です
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Italy_flag_medium.png
次にイタリア王国(過去のイタリア)の(変更直前の)国旗です
http://www.quirinale.it/simboli/tricolore/immagini/d1-tricolore-min.jpg

相違点は中央のマーク これは「王家の紋章」です。(王家が変わるたびに変更されている? <- 未確認です)
王制ではなくなり共和制になったのですから「王家の紋章」が外されたのです。

国歌ですが変更前は「国王行進曲」でした。
王制ではなくなり共和制になったのですから国王は居ません。
よって国歌は「マメーリの賛歌」に変更されました。

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