半獣身の涙

azamiko2005-07-23

昨夜は、アテネフランセで『最後の庭の息子たち』というボリビア映画を観てきました。このことは、またいずれ書くことにして、さくら子さんが『はるのかんたんふ』で夏休み帳について書いていらして、そのいかにもさくら子さんらしい内容に子どもの一生懸命さが伝わってきて、ほのぼのしてしまいました。何かコメントをと思っていたら、長くなってしまったので、ブログに書くことに(笑)。

夏休み帳の苦い思い出

今は、もうないんですね。夏休み帳。

これは自慢でもなんでもないのですが、8月31日に夏休みの宿題をかたずけるのにタイヘンだったという記憶は私にはありません。性分というか、教師のいうことに従順だったというだけのことなのですが。夏休みの初め、7月中には絵日記や観察日記のようなもの、自由研究は別にして、宿題のほとんどは済ませていました。5年生の時だったとおもいますが、8月も差し迫って30日、比較的近くに住む、X君が夏休み帳を貸してほしいとやって来ました。よく分からないところがあるのでちょっと、見せてほしい。明日には必ず返すからと言います。X君とは同じ教室にいてもほとんど話をしたことはありません。お互い無口だったということでもなく、何となくそうだったのですが、突然の来訪に意外だったけれど、困っている気持ちは子どもながらに分かりました。「いいよ、明日中には返してね」と貸しました。ちょっと、得意な気持ちもあったように思います。今ごろ、夏休み帳をしているなんて、タイヘンだなあ・・・と余裕タップリに同情したような。

次の日のお昼頃、仲のよかった勉強のよくできるS子ちゃんが、ちょっと思いつめた様子で私の家にやってきました。「昨日、Xくんに夏休み帳を貸してくれと言われて貸してあげたけれど、後悔しているの。早く返してもらいたいのでX君の家まで、一緒に行って!」と言うのです。S子ちゃんのお父さんは教師で貸したことを咎められたようでした。「えー!S子ちゃんにも借りたの?私も貸したよ」そこで、ふたりで、X君の家に行くことにしました。
広い敷地に立つ大きな家の開け放された縁側から寝そべってTVを見ているX君がみえました。
『私たちから、夏休み帳を借りて、TVをみてるってどういうこと!?(ぷんぷん)』二人は怒り、つかつかと近づいて行くと、X君に「夏休み帳、返して!」と言いました。
彼はしぶしぶ夏休み帳を返しました。その時の困ったようなバツの悪そうな顔を不思議に今も覚えています(笑)

S子ちゃんの所には、今までも 宿題を借りに行っていたようです。S子ちゃんにはもう借りられないと思って、まず私の所に借りに来た。しかし、私の夏休み帳だけでは不安になったのか(笑)、何なのか、やっぱりS子ちゃんにも借りた(笑)。都合よく、ふたりの回答が一致しているところを記入したのかもしれません。それも途中だったとは思いますが。
ふたりの夏休み帳を利用して、丸写ししているとも思わず、同情して、得意になっていたというわけです(苦笑)。

彼の行為は褒められたことではありません。
しかし、彼がなぜそれほどまでしたのかという、その気持ちはわかります。当時受け持ちの教師の異常なまでの生徒への抑圧、選別、気に沿わないものへの威圧、罵倒があったからです。私が校長先生の隣家に住んでいたことが、教師の標的の対象にはならなかった理由ではないかと今でも思うのですが、後には学校へ行くことがストレスになり、すっかり体調を崩し長期欠席をするほどでした。あの体験は、子どもながらに権力者の恐ろしさを植え付けられました。今でも、当時のことを思い出すと、目に見えない冷たい空気が流れてきます。

レオノール・フィニ展@Bunkamuraザ・ミュージアム

こちらは『雑巾ダイアリー』のyukari57さんが書かれているのとリンクします。レオノール・フィニの絵を見たのははじめてです。電車の広告に展覧会のポスターの『守護者スフィンクス』を見たとき、強く惹かれるものがありました。どこかでよく似た絵を目にした記憶があります。思い出したのは、坂本淳一の『アディーヴ』という絵。知名度のある画家ではないので、一般的にはほとんど知られていないと思いますが。

しかし、似ているのはその絵の独特な暗い雰囲気と半獣身の女性であるということであって、獣の身体を持った仮面を頭に載せた傷ついたか細面の少女ともか弱い女性とも思える『アディーヴ』と台座にスフィンクスの身体を雄雄しいほどに横たえた半獣の女性像の表情はまるで違います。
傷ついた女性の半獣身像『アディーヴ』が女性の悲しみを描いている男性の作品であり、『守護者スフィンクス』が神のような女性の存在感を表している女性の作品であるというのも、皮肉に思えます。

フィニの作品で魅かれるのは強い存在感を示す自画像と、『守護者スフィンクス』のような自身をモデルにしていると思えるシュルレアリズムにカテゴライズされる作品群です。フィニ自身はシュルレアリストたちの中にあって、同化せず、シュルレアリストといわれることを嫌ったようですが、彼女の作品で最も魅力的なのは、それらの作品であり、私には、それ以外の作品は面白いとは思えませんでした。
舞台美術や衣装を手がけ、自ら装って、孤島でプライベートなフィルムも撮影していますが、それら黒い天使、白梟、魚の皮や骨でできた仮面や衣装などもシュルレアリズムの作品といえます。自身を異形の身とし、人でありながら異形な身体を獲得することを欲望し、異形そのものを作品化するときに彼女はひときわ輝いていたのではなかったかと思えます。



アテネフランセ