今の警察・検察は"ちゃんとしている"と信じる他ないですか

五時代のニュース見てたらどこの局もごーけんくんごーけんくん言っている。秋田県の事件の容疑者逮捕の報道だ。
その報道の中で、容疑者とされる女性がひたすら自宅に対してカメラを回し続ける報道陣や買い物の内容まで尾行して調査してくる警察に対して抗議のようなものをしているシーンに妙に印象を受けた。彼女の行動の精神的圧迫感が、かつて聞いた冤罪についての話を思い起こしたためだろう。
どうも、今はどうだか知らんが日本の検察システムには「自白があれば後はちょっとこじつけの証拠があれば有罪」という風習が出来上がってて、身体的拷問こそ憲法で禁止されてるものの、度重なる警察の誘導的尋問のうちに精神的に追い詰められて、「やったって言っちゃいなよ、本当に無罪なら裁判でそういえばいいんだし」とかいう言葉に乗ってしまった故に冤罪を受けた、と、講義の内容はそんな体験談だった。もっとも戦後とはいえ何十年か前の話だけど。
今回の事件が冤罪だとかいちゃもんつけるつもりはないのだが、たとえそれが冤罪であったとしても自分のような人間には今回の事件と同じような形で目に入ってくるだろうし、容疑者を今回もそうであったように各局の批評家が口々に「非道な事件だ」「一体どういう考えをしてるんだ」と発言するだろうことに、いくらかの不安を感じた。彼らは冤罪が発覚したとしても、果たしてその容疑者や関係者に与えた精神的苦痛を与えた責任を世間の感心のなさを理由にうやむやにしたりしまわないのだろうか。
冤罪の一辺にマスコミの非身体的拷問が存在している可能性も否定できないね、と考える一方、正しいことを正しく伝えて社会の不条理とあらば指摘する、表現の自由についても思い当たった。 …難しい問題としか結論のしようがない