君に会う日はいつも晴れ

七夕の前の晩ということで、上石神井シルクロードにてハイトニックの屋内ワンマンライブ。普段が路上なので、通常のライブは「屋内ライブ」というらしい。


さて。ハイトニの屋内ライブは、上野でのワンマン→eggmanの対バン有り→上石神井でのワンマン、と今回で3度目。いつもの路上とあんまり変わらない、ゆるゆるしつつぐだぐだと進む不思議に肩の力が抜けたライブで、ほんとに心地よい。


バンドをやってる人たちにとっての「ライブ」というのは、どういった位置づけなのかというと、恐らく多くのバンドにとっては「発表会」であるのではないか、と思う。


今からウン十年前、僕がまだとても小さい頃wに、電子オルガンを習っていた。で、ライブとは随分違うんだけど、年に一度くらい発表会というのがあって、ちょっと小綺麗なカッコしてステージの中央にデンと置かれた電子オルガンの前に座って、ちょっとしたホールかなんかに観客を迎えて、演奏をするわけ。んでもって、これがえらいこと緊張するわけで、だいたい失敗して落ち込んでふて腐れたりするわけw
発表会に向けて、習い先や自宅なんかで結構な練習をするんだけど、どんだけやり込んでいってもやっぱりトチる。で、一度トチると、ぐだぐだと調子を崩していって、ほんとにもう途中でやめて帰りたくなる。
そんなこともあって、発表会とかステージとか客席とか、そういうシチュエーションで壇上に突き出されるというのは、ホントにいいもんじゃないよなあ、とかつくづく思う。家に引きこもってw一人で原稿を書く仕事を選んで本当によかった、と(ry


で、僕の電子オルガンの話はさておいて、年に1回とか2回しかライブをできないようなバンド、或いはワンマンなんてまずあり得なくて、企画モノの複数の対バンとやるような合同ライブに出るような、そして次にやるときにはメンバーが変わっちゃってたり、もしくはやろうにもメンバーがボーカルしか残ってなかったりするようなバンドの場合、ライブというのはもう「一期一会」的に力が入るものだったりするんだろな、と思われる。


対バンが入るような合同ライブの場合は、MCなんかで「今度CDが出ます」「今度○○○のライブに出ます」なんてな、宣伝が入るのが常だったりする。つまり、そういうライブというのは音楽を聴かせるのと同時に、他のバンド目当てのお客さんに売り込みをする、営業の場でもあったりする。そういう場でのバンドの皆さんは、やはりガツガツしていらっしゃる。つか、僕の発表会の話じゃないけど、間違えないように弾くというのはもはや当たり前で、如何に自分達(自分の曲、ではなかったりする場合もある)をアピールするかに重点が置かれる。やはり営業なのだ。


そういう向上心は嫌いじゃない。
音楽に限らないけど、ひとつのことをずっと続ける、同じことを飽きるほどやり続けるというのは、とにかくモチベーションの維持が大変であるわけで、演奏テクニックは学んだり教わったりができるけど、モチベーションの維持というのは教えようも学びようもないので、当人たちが何らかの形で自助努力するしかない。向上心あってこそのモチベーション、モチベーションの維持ができてこその向上心でもあるわけで。
ただ、ちょっとがっつきすぎだったり、焦ってたりするのが透けて見えることもある。例えば大学生くらいでバンド組んで、そのままバイトを続けながらバンドをやって――というのは、恐らく20代後半までが限界で、そのくらいになると「このまま音楽で食っていくのか、いけるのか」という迷いと焦りが出てくるのか、メジャーへの夢だったりファンの囲い込みだったりというのが、露骨に見えてくるときもある。そのうち一緒にやってた仲間は「音楽では食えぬ」と就職してしまったり、一人だけうまい人がヨソに引き抜かれてしまったり……まあ、ありふれた話だ。


ハイトニにはそういう欲はない……んなことはないんだろなと思う。リーダーなんか、前に「早く印税生活したい」と言ってた。だったら早く次のCD出しなさいよ、と切り返したことが(ry
が、前回もその前も今回も、なんかそういうせかせかした焦りとか、発表会的な緊張感というのはあまり感じられなかった。
どちらかというと、安心感。
路上で、買ってきたCDをぶっ込んだiPodなんかで、もう諳んじて歌えるほどよく聞いた曲を、僕らが聴いたのよりもっと多く普段から繰り返し弾き込んでいる、歌い込んでいるからなせる安定感、というのもあるだろう。*1
でも、そういう意味での安定感、安心感とはちとニュアンスが違う。
何しろここは、通報されてお巡りさんが来ることがない。
アンデス音楽をやってる人に「ココ、ワタシタチガ、イツモヤッテル場所デース」とネゴられることもない。
予定していたステージが、他の人に先取りされてることもない。
隣りでラジカセ囲んで車座になってYO、YOと唱える人もいない。
なんというか、なんだろ。


ハイトニのライブを一言で言うと、
――放課後の部室。
そんな感じ。


ポッキーとか食べながら、くっだらない話をするような。そして合間合間に歌。
いや、歌の合間がくっだらない話なのか、話の合間が歌なのかはちょっと悩ましい。
一部が終わって二部との間に、「休憩」と称したゆるゆるの時間がある。
気が付いたらヘコミガエシ先生(動画担当)&イモッチさん(CDジャケットデザイン担当)の動画が始まってて、気が付いたらリーダーがギター弾いてて、そして二部がまた始まってて、みたいな。


普段の路上も、そういう放課後の部室的な雰囲気があるのだけど、屋内ライブはいつもにも増して放課後感、部室感が強く漂っていた。
なんというか、このテレテレした時間が終わるのが惜しくて、でもいつかは帰らなくちゃいけないのもわかってるんだけど、なんとなくこのままここにいたいような、そういう。
でもボチボチ下校の時間だな。そうだね。じゃあまた来週ここで、みたいな。


学校なんてものを卒業して、もう何十年も経つ。
ハイトニの歌の中には直接的に学校、学生に絡む曲はさほど多くないはずなんだけど、彼等のライブはなんでか「学生時代」を思い出させてくれる。特に高校時代の。


「次のライブですが、まだ特に決まってません」
えーw 普通はライブの終わりに次のライブの告知とかするだろうw
でも、そういうのしないというか、特に決まってなかったりするのがハイトニらしいといえばらしいような。

夏の間は、暑いのでw路上はお休みとのこと。
いろいろ忙しかったりもするのだろうけど。
来週はまた路上があるとのこと。じゃあ、またカメラ持っていこう。
秋までがんばれるように、ハイトニ成分を補給だ。
今日だって、CDに入ってない曲、路上ではやってない初めて聞く曲を幾つも聴いた。あんだけ毎週路上通ってても、まだ隠し球があるのか、と思った。ライブ音源は大切な宝物。


今回は先日買ったXacti用にバッテリ2個用意して万全の備えをしていったんだけど、途中で切れたorz
一部は頭から全部撮れて、休憩中にバッテリ交換して、二部はヘコイモ動画も込みで途中まで撮れた。トイレに立って戻ってきたら、バッテリ切れて止まってたorz
一部で使ったバッテリを予備として投入、続きを撮ったんだけど、二部の最後の曲「夜中のチャーハン」の手前でバッテリ完パケorz
しかも、アンコール(実質第三部)では、ユキさん飛び入りゲスト参加による、ヴァイオリンが入った! ものすげーカッコイイ! 身悶えするほどカッコイイ! うわー! すげー! だけど電池ない!!!!orz
70分保つ(はずの)バッテリが2個あれば足りるだろう、と踏んでいたんだけど、まさかの局面で電池切れとはorz
SDHCのほうは全体で2.4GB程度しか使ってなかったので、1回のライブに16GBはむしろ多すぎなくらい大余裕。が、バッテリーに関しては若干不安が残る、ということが判明した。乾電池が使えるデジカメではないので、例えば一日ずっと使うような使い方をするんだったら、バッテリの予備はもうちょっとあったほうが安心かもなー、ということで……帰宅してすぐに、1480円の同等品バッテリをさらに買い増した。


そういえば、「自分たちの歌を歌いたい」という主義のハイトニが、七夕に因んで*2、「夜空ノムコウ」をカバーした。SMAPともスガシカオとももちろん異なるアレンジの、ハイトニックの夜空ノムコウ、に仕上がっていた。SMAPスガシカオ、どっちよ? という人がいたら、僕はハイトニがよかったなあ、と言ってやりたい。そのくらいよかった。
カバーがもしアリなら。あまりやらないのは知ってるけど、もしアリなら。
秋――いや冬くらいになって、もし気が向いたらでいいから、ワタナベ君の歌声で、リーダーのギターで、ハイトニによる「雪峰」を聞いてみたいと激しく強く思ってるのだけど、この願いも短冊に書いてくるべきだっただろうか。


雪峰
http://www.nicovideo.jp/mylist/4835999
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2003316(りょう)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1983502(原曲)


しかし、楽しかった。
――そして、朝が来たら魔法は解けて、そして思うんだ。
休日まであと六日もあるんだ、と。

*1:今回は「みはじ」を始め、聞き慣れた曲もいろいろ新しいアレンジが施されていて大満足であった。

*2:だと思う