深く考えないで捨てるように書く、また

もう一度、自分自身と、自分の中の言葉と生で向き合う

他人の本音を読むことは結構しんどい

http://d.hatena.ne.jp/aozora21/20061225/1167059599を読んで、思い出したことをつらつらと。


自分は3年ほど前から今年の春まで育児系ブログを書いており、その関係で育児系ブログや日記を巡回したり、育児系リンクリストグループに所属してそのグループのメンバーのブログをいろいろ読んだりする機会があった。
そういったブログのほとんどは、ポジティブな内容で、「子どもかわいい!」だの「親バカです」だの「今日はこんな行事をしました」だのという記事が並ぶ。
一方、育児にかかわる苦労や悩み、子どもがいたずらして怒ったり泣いたりなんてこともあるはずなんだが、そういうことが記事に書かれていることはめったにない。書かれていても、コミカルに茶化されていたり、記事の最後は「明日からまた頑張ろう」のような感じで明るく締められていたりする。


確かに育児はやがて子の成長によって必ず終わりがくるものだし、子の成長という明るさがあるので、いろいろと悩みがあってもポジティブに転化しやすい面はある。
しかし、実際に育児の真っ只中にいる本人は、もちろん深刻に悩む人もあり、現に鬱になったり育児ノイローゼになったり虐待に至ったりという話があるわけだ。
ブログを書く人にだけはそういう悩みがない、というはずもない。


育児系リンクリストグループを回っていたころ、その中にある育児ブログがあった。
そこの人は、まだ乳児である自分の子との接し方がうまくいかないことや、育児方針について夫と食い違うことなど、いろいろな悩みを記事に書いていた。育児について自信がなく、不安が大きいが、なかなか身近から支援が得られずストレスを溜めていることが文面から読み取れた。
彼女は周りの人に話せないそういったことを記事に書いて発散していたのだろう。
正直、読む側はかなりしんどかった。縁あって読み続けてはいたけれど、下手にかかわると自分のほうまでその重さというか、しんどさがうつってしまいそうな感触がした。
そのブログは、その子が幼稚園に入る頃くらいまでで更新が途絶えたので、読むのをやめた。最後の方の雰囲気では、それなりに納得できる幼稚園選びをして入園が決まり、子どもと離れられる時間が増えてきたこともあって、かなり落ち着いた筆運びだった。おそらく、子の成長に従って、追い詰められるような悩みが減ってきていたのだろうと思う。
その人にとっては、ブログは喜びを書くところではなく、辛いことを書く場所だったのだろう。たぶん。


なんにしろ、他人の本音、特にドロドロとしていたり重かったりする本音を読む、というのは、かなりしんどいものだと感じた。自分自身に、そこに引き込まれないように踏ん張るエネルギーがないと、下手すると一緒に危険な精神レベルへ落ち込む。
特に、自分が同じ境遇、たとえば育児だったり介護だったり、という状況にあると、なおさらその落ち込みにシンクロしやすい。
親しくなった同士で本音のやりとりをするにはいいけれど、最初から「私はこんなに大変です」というブログがあったら、やっぱり、深入りしないように敬遠するだろうなあ。
自分がその立場でなくなれば、経験にもとづいて落ち着いて対処できるからいいんだけれど。

記事転載にひそむもうひとつの危険性

ああ、とうとう出ちゃったか、という感じ。
12月15日のこの記事でとりあげた転載記事が、2週間近くもたった今になって、渦中の人の転載によって、はてなでもクローズアップされた。
当時、該当記事のURLを出さなかったのは、古くからの友人を晒す結果にしたくないということもあったが、この記事を転載記事として各所に転載することにある問題があると感じたからだった。
その問題は、確かに生じた。これを読んだ人の何人かは、該当転載記事を読むことによって、この記事に出てくるお子さんが薬害で病気になった、と勘違いしてしまったのだ。


友人のブログで転載記事があげられた時に、既にコメント欄ではその問題が現に生じていた。
友人自身も、中途半端に誤解を誘導するような記事をその直後に掲載してしまい、その結果、このお子さんがテオフィリンの副作用として痙攣を起こしたのだと勘違いした人のコメントが多数寄せられ、そういった薬の投与を行う医師に対して憤りを表明する人まで出る始末だった。
しかし、実際には、このお子さんの痙攣の原因はウイルス性脳炎だろうと診断されており、そのことは元ブログの別記事に書かれている。テオフィリンによる副作用が疑われる、という話はどこにもない。当然、テオフィリンを不用意に投与した医師などというものも存在しない。
このことは、元ブログの記事を、転載記事より前へいくつか遡って読んでいけば簡単にわかることなのだ。


最初にこの記事を書いて「転載してください」と書いたとき、筆者はそんな誤解が起こるとは考えてはいなかっただろう。ただ、自分の子が不慮の病に倒れ、冷静でいられない時、どうしてこんなことが起こったんだろう?と自問自答し、ネットを探し歩いていたら、たまたまテオフィリンの副作用の件に行き当たった。自分の子の状況はこれではないんだろうけど、でも今まで自分はこの副作用の件を知らなかった。そんな自分の不勉強がこの子をこんな危機に陥れる可能性があったのか……そんなショックから、この記事を書いたのだろう。
しかし、転載を経て、この記事だけが独立して動き出したとき、記事は別の意味を持った。確かにこの転載記事だけを読めば、子どもがテオフィリンの重篤な副作用で生命の危機に陥ったようにも読み取れる内容である。


転載の危険性は、ここにもある。
元のブログから切り離されて、独立した記事としてネットに流れたとき、想定外の誤解を招く恐れがある。そのことに気がつかずに記事を書いてしまうと、それが転載されたとき、もっと大変なことが起こるかもしれない。