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深く考えないで捨てるように書く RSSフィード

2007-05-13

「自分を語りたがらない人々」追記


自分を語りたがらない人々 - 深く考えないで捨てるように書く

こんなにコメントブックマークコメントをいただくと思わなかったので、驚くと同時に感謝いたします。

別に大したこと書いてないのになぁ、と思ったんですが、あとから読み返して引っかかったのはここかなと。

以前は、どんな場でもなんとなくROM(read only member)がいることが暗黙の了解だったが、最近のネット環境だと、ブログ日記にしろ、SNSにしろ、2chのような掲示板にしろ、twitterのようなミニブログにしろ、発信(発言)しない=いないも同然、という感触になっている。

自分を語りたがらない人々 - 深く考えないで捨てるように書く

いないも同然、が、私から見ていないも同然、とも読み取れますね。

そういう意味ではなく、ネット環境全体の中で、発信しない人の影が薄くなっている気がする、という意味でした。

私からみると、自ら意図して発信を避ける知人も多く、そういう人と今後とも長くつきあいを続けていこうとすると、ツールとしてのネットは適さない。しかし、リアルでの知人ならそれでいいのですが、ネットを通してのみの知人の場合、現在のネット上に、そういった人たちとつきあい続けるのに適した場が見つからない、と感じるのです。


リアルでも、一時はとても親しくつきあっても、だんだんと年賀状やら祝い事やらの連絡が減り、やがて途絶えて交際が終わる人がいるように、ネットでもそういうのはあるなあと。ただ、その基準が、リアルに比べるとかなり高いところにあって、リアルでは気にならないような「発信のなさ」でも距離が離れていってしまう感じがする、それは「発信のある」人との距離感がどんどん近くなっていて、相対的感覚として「発信のない」人との距離感をより遠く感じるからではないか。例えば、twitterおよびその類似サービスを使う*1と、そこにいる人同士の距離感が縮まる感じがあり、同時にそこにいない人との距離感が相対的に遠く感じるようになるように。

そんな感じから出てきた話でした。


自分が「自分を語りたがらない」という言葉で表現したのは、自分の内面を表に表現すること全般の話で、いわゆる「自分語り」ではありません。

例えば、なにか食べ物の話を書くときに、食べたものの写真をアップして「メインは○○」「デザートは△△」とキャプションをつけるのは、「自分を語る」うちに入らない。「メインは○○。前から食べたかったんだよねー」「デザート△△はちょっと甘すぎると思った」というキャプションがついたら「自分を語る」うちに入る。そのくらいの基準です。だから、自分の意見を書き記しているニュース・批評サイトなどは、十分に自分を語っていると思います。あけっぴろげに感情をぶつけるだけが自分を語る方法ではないと。

一方、決して「自分を語りたがらない」こと自体は珍しくもないし、批判的に見ることでもないと思います。*2さまざまな理由でそういう方法をとる人もいるし、そういう方法が合っている人、好む人もいるということだと思っています。

*1チャットやSNSにも同様の傾向はあるでしょう。

*2:「サイトの内容・雰囲気に合わない」などのサイト運営的な理由はまた別の軸の話ですので、ここでは別として。

乗客乗客 2007/05/13 15:50 ちょうど先日、友人と「自分のブログに自分の事をどこまで書ける?」という話題になりました。

私の場合は「知らない人にも聞こえてしまうような場所(電車や喫茶店など)で会話する時に、
その知らない人たちに聞かれちゃっても差し支えないレベルまでなら書けるかな。」と答えたんですが
この記事で指摘されている「自分を語りたがらない人々」に含まれるのかもしれませんね。

例えば映画の感想でも、良かったと思う映画は「良かった」面白くなかったら「まあこんなもん?」という感じ。
特に「負のイメージ」がある言葉を使わないようにして、ぼやかした表現を用いてます。
自分のブログで顔を知らない人に対して自分の生々しい感情をあまり見せないようにして、
無意識に読みに来てくださっている方々との ”ほどよい距離感” を保つようにしています。

だからブログなどで自分をあまり語らない人は、ネット上での他者との距離感が大きい人なのかも?
だからといって「語らない」というわけではないと思うので、別の場所で発散していたりとか。
私の場合は友人や身内と話して気が済んでしまうといった感じですね。

「じゃあなぜブログをやってるんだ!」と言われそうですが、
私のように”ゆるい記事”を書きたいだけな人もいるって事で締めくくって
失礼いたします。

frokfrok 2007/05/13 19:13 ニュース記事を拾うだけのブログでも、その取捨選択こそがまさに自分を語っている。
無理に加えられた感想は、語りの色彩を汚すだけ。
作られた情報(ブログ記事とか)にみられる他者性に気付くことのできないユーザーが蔓延してしまった結果、「ゆるい」なんて言葉が生まれたんじゃないのか。
「ゆるい」は他者から目を背け、苦痛を苦痛と取り扱わない。敏感すぎるからこその逃避が、不感症をきたす。
語りのステージをネットは提供するけれど、続出する「ゆるい」は他者を隠蔽する。他者を隠蔽するということは、自己を隠蔽することと同義だ。
誰もが自分を語らずして自己証明できないのに、誰もが語ることに意識的でない。
「ゆるい」という記号を生みだし、自己証明することの苦痛から、一心不乱に逃げている。
そんな特徴を持った他者性が、日本の、とりわけ若いネットユーザーに見られるんじゃないかしら。

azumyazumy 2007/05/13 19:25 >乗客さん
コメントをありがとうございます。
コメント内容からだけの感じですが、乗客さんの書き方はバランスよく自分を表出しているように思います。本文中にも書きましたが、良かった映画について「良かった」と意見を書くのは十分に表出しているうちに入るのではないでしょうか。ゆるく書くかきつく書くかは、表現方法の範囲の話ですね。ゆるいブログ、私も好きです。めちゃくちゃきついのも好きですが。ってどっちも好きなだけですね。節操なさすぎだろうか。

>>だからブログなどで自分をあまり語らない人は、ネット上での他者との距離感が大きい人なのかも?
これはきっとそうなのだろうと思います。ネット上での距離感は、リアルと比べてほんの些細なことで大きく揺れ動きがちなので、面白い反面、そのオーバーな感覚には注意が必要だな、と自分でも思います。

hoxehoxe 2007/05/14 02:16 ちょっと話がズレるかもしれないけど、一つ思ったこと。長期間ミクシィやブログを続けていると、マイミクやブログ読者が増えてきます。そうすると段々書いちゃ不味いなと思うことが増えてくるんですよ。で最終的に結果の羅列になってしまう。さらに時間が経つと更新が面倒になってほったらかしになってしまいます。そういう人結構多いんじゃないですか。

azumyazumy 2007/05/14 08:35 >frokさん
こちらにもコメントをありがとうございます。
「ゆるい」につながる他社性の話、興味をそそられます。「ゆるい」は一定の距離感をもち、そこより近づかないことでコミュニケーションを円滑にしよう、という意識ですね。ただ、面白いことに、ゆるい関係の中でも、自分を表出している人はしているんですね。表出レベルを自己コントロールしている。
実は、自分を徹底的に語らない人は、このコントロールに困難を感じていて、極端に抑える方法しかとれない、またはコントロール自体を面倒に思って極端に制限することで楽をしている、という人もいるのかもしれないと思います。追記の元記事のaokimichiさんのコメントがそのあたり(前者の例)とリンクしている話かな、と思います。

azumyazumy 2007/05/14 08:41 >hoxeさん
コメントをありがとうございます。
長く書けば書くほど、書いちゃまずいな、が増えてくるというのは、たしかにあるように思います。そういえば、そういったことをfinalventさんがごく最近に記事にしていましたね。書きたいことの5%しか書けない、とか。
ふと思ったのですが、特別語りたいことがなくなったり、同じことの繰り返しになったりしたときに、更新する気がなくなる、というのもあるような気がします。精神活動の旺盛さの変動みたいな。自分も経験があります。

foofoo 2007/05/14 13:28 単に彼らは自己顕示欲を満たすことに魅力・価値を感じないから語りたがらないんだよ。
ネット上で公開したら最後、意志の有無にかかわらず永遠にそれが残ってしまうことを熟知しているのも彼らの特徴。
要するに論文並の立派な作品でなければ出しませんよ、ってこと。

azumyazumy 2007/05/14 14:07 >fooさん
コメントありがとうございます。
前半の
>>単に彼らは自己顕示欲を満たすことに魅力・価値を感じないから語りたがらないんだよ。
に関しては、それはあるだろうなと納得しました。ただ、論文なみの作品なら出すかというと、やはり出さないように思うんですね。作品を出すこと自体を避けていて、どんな立派な作品であっても表には出したくない。その理由はいろいろなんでしょうけれど。そんな印象があります。

kkmdkkmd 2007/05/16 12:26
『個性の強い人が自分語りをすると周囲から過剰なまで反応を招くということはよくある話だと思います。
仮に某アニメーション作家の宮○駿さんがテレビの取材などで「僕、出来の悪い子供って好きじゃないんだよねー」なんて事を言ってしまった日にはどこぞの掲示板の格好の餌食にされてしまうことでしょう。(もう既にそんな事はあったかもしれませんね)
発信する人によって周囲の反応に差はあると思いますが、それを極力回避するのが当たり前のようになってしまった結果が「自分を語りたがらない人」を形作るのではないかなと思っています。
本人にとっては強烈な個性を維持できて、それを活かせる場があればそれで十分なのでは?と邪推しています。ちょっとくらい友達が少なくてもかまわないや、くらいな気分なのではないのでしょうか?』

azumyazumy 2007/05/16 17:38 >kkmdさん
コメントをありがとうございます。
個性の強い人、かつ影響力の強い人だと、おっしゃるようなことはありえますね。また、この記事を書いた後、あちこちの反応やトラバいただいた記事などを読み、思ったのですが、自分の語りたいことを語ろうとすると、ヘイト記事やネガティブ記事になってしまうため、語らない、という方もいらっしゃいました。自分の語りたいことが何か理解していて、その内容が一般に受け入れられやすいものでないと自己分析している場合に、あえて語らない、というケースがあるんですね。
実は語りたがらない人は、冷静な自己分析をしている、という場合もあるんでしょうね。もちろん自己分析の結果あえて語る人もいますね。

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