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深く考えないで捨てるように書く RSSフィード

2009-03-06

「ほら、あのおじちゃんに怒られちゃうよ」

タイトルは、よく、子ども叱るときにこう言っちゃいけないだろ、と言われる典型例の1つ。おじちゃんでなくても、おばちゃん、お兄さん、お姉さん、だれでもよいのだが。

よその人が叱るって言うんじゃなくてちゃんと親が自分自身で叱れよ、とか、よその人に叱られるからじゃなくて、どうしてそういうことをしたらいけないのか、ちゃんと親が説明しろよ、とか、子どもの躾に関係ない他人を巻き込むなとか、そういう文脈で否定されるものだ。


長らく自分もそう思っていたんだけれど、いざ子どもを叱る立場になってみると、どうしてもこの言い方を使いたくなるときもやっぱりある、ということがしみじみ分かってきた。

小さな乳幼児のうちはともかく、少し大きくなってきて6歳前後になると、叱る内容が複若干複雑になってくる。「危険だからだめ」「汚いからだめ」といった直感的に分かりやすいことだけでなく、「周りに迷惑だからだめ」「他の人が困るからだめ」といった、社会的な理由で叱ったり躾けたりする内容が増えてくる。

ところが、この「他人に迷惑をかける」というのは、まだ理解するのにやや難しい年齢のようで、ようするに社会性の獲得がまだ未熟なので、自分の世界にいない「他人」が自分の行為で「迷惑する」ということがすっと理解できないことがあるのだ。年齢的にまだ抽象的な概念を理解するのに不足がある、ということもある。目の前にいない「他人」が「迷惑する」ということをうまく想像できないのだ。

そこで、具体例として、「○○ちゃん(本人)はそういうことされるといやでしょ?」という言い方を使うのだが、これがまた子どものこととて、「なんで? 私は全然いやだと思わないのに」となってしまうことがある。こうなるとお手上げだ。想像してみろ、と言われても、自分と異なる感じ方をする、しかも具体的な誰かではなく抽象的な「他人」を慮るなんて、このレベルの子どもには無理ってもんだ。


そんなとき、具体的な「目の前の他人」をとりあえず置いてみると、わりと理解してくれたりする。「そこのおじちゃんが、そういうことをするあなたを見て、いやな気持ちがするかもしれないんだよ」。こう言うと、子どもは、あ、そうなのか、と腑に落ちる、らしい。

こっちとしては、その人を悪者にしたいわけでは全くなくて、そのように表現しないと、子どもに「自分のことを、(自分の内的世界には存在しない)赤の他人が実は見ていること」「赤の他人が自分の行為によって不快になること・迷惑すること」「自分の狭い内的世界よりもずっと広い世界・社会が存在していること」をうまく理解させられないからなのだ。


まあ、もう1つは、このくらいの年齢になると、親には叱られ慣れてしまって、叱っても叱っても屁の河童、適当に流すことを覚えてしまっている、ということもあるんだけどね。特に公共の場でのマナー的なものは、子ども自身にとっては、注意を無視しても自分に実害(親から叱られるのは慣れちゃって害にすらならない)がないので、ますます流す。そういうときに、他人からの視線を意識させると、少し冷静になってくれることがある。


自分の場合、このタイトル的な言い方は抵抗はあるんだけど、たまには使ってしまう。

この場を借りて、謝っちゃう。ごめんなさい。


【追記】(2009.3.6)

自分が「おじちゃんに怒られる」パターンを使う場合の自分的ルール

  • 相手を特定の人物に限らなくてすむ場合は、できるだけ限定を作らない。例えば、「あの人が」ではなく「周りの人が」「近くの人が」という表現にする。ただし、例えばふざけて誰かとぶつかりそうになった、などの場合は、「ぶつかられそうになった人」という限定をする。
  • 単純に「怒られる」という言い方はせず、「怒られるかもしれない」と推測表現にする。
  • 「怒られる」の理由を必ず言う。ただ、マナー関連は理屈ですっきり説明できることだけではないので、「そういうことが嫌いな人も世の中にはいて、そういう人がここにいるかもしれない」という言い方を使う場合はある。
  • これらは、周りの人に聞こえないよう、必ず子どもの耳元で小声で話す。こういう言い方が聞こえて、全く不愉快に感じない人は極めて少ないだろうから。
  • そして、この言い方は普段はできるだけ使わず、他によい方法が見つからない、あるいは他の方法を何度も試して効果が薄かった場合にのみ使う。やはりこれは「悪手」であって、使う時は自分も罪悪感があるというか、よい気持ちはしないからだ。しかし、言うことをきかないからとあきらめて投了(放置)するよりはずっといいと思っている。

一言だけ言っておく一言だけ言っておく 2009/03/06 15:21 タイトルの言い回しは絶対使うな 以上

trshugutrshugu 2009/03/06 15:42 >タイトルの言い回しは絶対使うな 以上
↑なにいってんだこいつ・・・


これは良エントリ。
よく朝のバラエティ番組とかで「日本の"最近の"親はヘン」みたいな感じで取り上げられたりするけど、至極まっとうな正論だと思います。
「親が自分自身で叱れよ」って思う人は子供がいない人かちゃんと育てたことがない人ですなきっと。

omaenoomaeno 2009/03/06 16:13 これから2歳になる子供を育て中の熟な意見ですが「周りに迷惑だからだめ」というのは、「親(私)がきちんとしつけ(?)をしていないと思われるから困る」というのを隠している言葉なのかもしれないなーと思います。
「目の前の他人」を置かなくても「私が困ってる」ってことを伝えると子供も理解してくれるんじゃないかなと思っています。
ただ「私が困ってる」ってのを言葉にするのが難しくて、つい簡単な言葉で「だめ」といってしまうんですが、、、

trshugutrshugu 2009/03/06 16:51 >「私が困ってる」ってことを伝えると子供も理解してくれるんじゃないかな

「自分の狭い内的世界よりもずっと広い世界・社会が存在していること」が目的なので狭い内的世界の人間が困っていてもあまり意味がないんじゃないかなと思いました。

おじちゃんおじちゃん 2009/03/06 19:45 そういう状況では怒ってもいいですか?
キレていいですか? 怒鳴るくらいならいいよね?

azumyazumy 2009/03/06 21:32 皆様、コメントありがとうございます。

>一言だけ言っておくさん
常用すべきものではないという考えですが、全く使わないということは今後もないと思います。私の場合はタイトルそのままの言い回しでは決して使いませんが。
子どもはすぐに大きくなるので、実際に使う回数は少ないんでしょうけれども。

id:trshuguさん
「最近の親は」は「最近の若い者は」と同じ文脈なんだろうと思います。
私も昔は「親が自分自身で叱れよ」と正直思ったりしましたが、実は、「おじちゃんが……」と言う人は自分が叱らないわけではなく、自分で当然叱るけど、それでもどうにもならなくて、という場合もあるんだ、ということにやっと気がつきました。

id:omaenoさん
「私が困ってる」はつまりIメッセージですね。Iメッセージは有効なことも多いのですが、なぜ「私が困ってる」のかを説明しようとすると、結局「周りの人から悪く思われるから」と言わざるをえなかったりするんですね。「私が行儀悪いとお母さんが悪く思われる」という言質は、理解力の乏しい年齢においては、お母さん好きなあまり、「周りの人がお母さんを攻撃するわるい人」と1回転半ひねった考えを持ってしまう可能性もあり、もしかしたら諸刃の剣かも、と思っています。これなら、まだ「私が悪いから周りの人から叱られる」という発想のほうが直線的かなと。
「私が困ってる」を言葉にするのが難しいのは、そのあたりから来るのではないか、と感じます。
これは現在の私自身にとっての課題でもあります。どう言えば一番うまく分かってもらえるのかなぁ、と試行錯誤の日々です。

>おじちゃんさん
ぜひ怒ってください! ちょっと低い声で、はっきり怒ってくださるのが大変ありがたいです。正直凹むこともありますが、親にとっても周囲からどう見られているのか確認できる貴重な機会でもあるのです。
と私は思いますが、いろいろ見聞していると、そうでない親御さんもいらっしゃるようではありますね。

myuki_zzzmyuki_zzz 2009/03/07 01:31 「誰かに怒られるからしてはいけない」ではなく「誰かを嫌な気持ちにさせるからしてはいけない」ということを子供が理解してくれると嬉しいですね。

azumyazumy 2009/03/07 08:05 id:myuki_zzzさん
コメントありがとうございます。本当に、おっしゃる通りに思います。
それなら「怒られる」は必要なく「誰かを嫌な気持ちにさせる」だけでいいのではないか、という考えもあり、それも全くその通りで、自分も、後半のような言い方だけをすることもやはりありますね。

arakajiarakaji 2009/03/07 11:57 「ほら、みんなに嫌われちゃうよ」なんてどうなんでしょうかね

azumyazumy 2009/03/07 13:36 id:arakajiさん
コメントありがとうございます。
私の場合、「(迷惑をかけることで)みんなに嫌われちゃうかもしれないよ」は別のシチュエーションで使うことがあります。主に友達や学校関係です。こちらは対象が赤の他人ではなく、何らかの関係がある人たちになりますので。本文であげたような公共の場での話ですと、もともと近しい関係のない赤の他人に内心嫌われても何のデメリットにもならないので、使えません。
ただ、この言い方も私は本当は使いたくありません。嫌われたくないという気持ちから自分の意見を押し殺して友人のご機嫌をとる、というやり方を当たり前と思うようにはなってほしくないという気持ちがありまして。極力、清潔の問題(ものの食べ方や不快な癖、服の整え方など)に関してのみ、ごくたまに用いるようにしていますが、使うたびに本当にこの言い方でいいのかなぁ、と不安になっています。

匿名希望匿名希望 2009/03/13 06:36 躾、お疲れ様です。本当に大変だと思う・・・
今の子育てを見てて感じることはしつけから何からすべて親が(主に母親が)孤軍奮闘しなければならない構図になってるように感じます。
それこそ大きな重圧・そして孤立感に苛まれながら。
生き辛さと孤独を抱えるお母さんのBLOGとかも結構見てきました。

私の時は、まだやっちゃいけない事をしたら 見知らぬ大人や近所の人でも遠慮なくどついたり 叱ったりしてくれました。
(まぁ・・・中には理不尽なものや大人の事情、ヘンな叱りもけっこうありましたが(笑))

逆によかれと思って子供叱ろうもんなら 「うちの子になにすんのよ!」的な勘違いモンスター親(とでもいうのだろうか??)が出てきたり・・・。
それって当然親によって違うから、
周りは明らかに子供がいけない事をしていても、「関わりたくない・知らんふり」するしかなかったりする状況なんですよね・・・。
大人同士が分断されてる波及効果が、子供たちにもしわ寄せが行って、叱ってくれない、寂しい思いをさせてるなぁ・・・なんて思うのは私だけでしょうか・・・。
そして孤立感に苛まれながらの大変な孤軍奮闘が見えてる子育て状況に、出産を二の足踏んでしまう人も多くいるんじゃないか、と推測しました。

azumyazumy 2009/03/13 10:02 >匿名希望さん
コメントをありがとうございます。
まさに、おっしゃるような状況が現在の様相だと思っています。よその子を叱る側も、叱っていいものかどうか、トラブルを避けるなら余計なことしないほうが、という気持ちがありますね。自分自身でも他のお子さんに対してそう思い、そう行動する(つまり見て見ぬふりをする)ことがありますから。
一方、昔の社会と今ではいろいろな面で異なっていますから、同じやり方でうまくいくとも限りません。今は今にあったやり方があればいいとも思います。
今自分にできることは、「叱っていただくとありがたいと思う親もいますよー」と表明することや、怒りをあらわにする形ではなく、違うやり方で、他のお子さんにも状況に応じて関わっていくことかな、と思っています。

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