東から死へ

あの時か、あの夜か、夜の周期にはまっちまった
目が覚めて太陽が昇っていたことが一度もない
夜は寒い、危ない、出歩くなと
僕の中の僕が言うので、
目が覚めてドアを開けたことが一度もない

微かに見える星たちは、遠くで光ってんだ
僕の時間は奈落の底に沈んでんだ
帰る部屋は暗い 歩く帰路も暗い 顔を染める影も暗い
今日も時計を見なかったし、カレンダーもめくらなかった
堆積した夜の厚みを肺の奥まで深く吸い込む

寝る 起きる
寝るために起きる
身仕度はしなくていいんだ ずっと 月が出てんだ

次の朝へ 夜は西の空へ また目が覚めたら昨日なんだ

歩いていこう、佐藤伸治のところまで

愛とは肯定の営みだ。肯定とは想像の営みだ。想像とはつながりの営みだ。
今はもういないあの男を想う時、僕らの心に彼は生きている。目を閉じれば星は広がり、息を止めれば鼓動は響く。想像することは何かを止める。時間を止め、誰かを留め、彼我の壁を越境する。僕の中に彼はあり、彼の中に僕がいる。
僕たちは星の子だ。なんだって飛び越える。夜空を仰げば幾千の星たちが輝いている。彼らは何万光年の彼方から訪れた何万年も前からの旅人だ。空間と時間を超えて届く微かな星たちの息づかいに詩人は僕たちの姿を重ねてきた。正しいことを話すのはいつだって詩人だった。僕たちは星の子だ。空間と時間を超えてつながりあう星の子だ。

愛とは詩情だ。詩情とは空想だ。空想とは道程だ。
君は彼を愛しているか?君が愛を持っているなら彼は君の中で蘇る。ブードゥーの秘術なんかじゃないんだ。僕たちは生まれたときから知っている。愛を抱いて生まれてきた僕たち。きっとあの人のところまで歩いていける。愛が道を照らしている。道の先はあの人のところだ。心と心を結ぶ愛。僕たちは人を愛するために頭の中に大げさなからくりを作り上げた。そして愛は心を作り、心をつないだ。

君は夢の中に過去を見はしなかったか。夢の中に未来を見はしなかったか。過去と未来は君に寄り添っている。眠ってごらん。ほら過去が、未来が、君の目に映る。心の世界に今は無い。あらゆる時間が溶け合った世界だ。そこでは想いこそが君の羅針盤だ。君の行きたいところを想えばいい。必ずたどり着くから。だから愛を想え。生を想え。

あの男はかく語りき。言葉が人を紡いだ。君は言葉をリフレインする。あの男をリフレインする。言葉が組み上げた詩情の海で何度もあの男と出会った。言葉は交わさなかった。ただ波間にたゆたった。ゆらりゆらり無重力の世界で、なににも縛られず言葉を紡いだ。それだけで満たされた。僕たちを柔らかに包み込む母のような海を紡いだ。愛。それしかなかった。あの男と目があった。その目は愛に溶けゆくような目をしていた。波はゆったりとリズムを刻んでいた。

君は泣くこともあるだろう。生きることには悲しみもつきまとう。耳を澄ませば嗚咽が木霊しているのがわかる。また一つ悲しみが生まれた。彼が死んだのは悲しいことだった。バックミラーに彼の姿は限りなく小さく遠のいていく。僕たちはどうしたって立ち止まれない。彼の笑顔がもうすぐ見えなくなる。だから思い出そう。彼を想えばいつでも僕の隣で「やあ」なんて気安く笑っているさ。僕は遠のいていく彼に手を振った。そして隣の彼の手をつかんだ。しっかりとつかんだ。僕は離さないから、と。君を思い出して生きていくから、と。

目についた星にでたらめに約束をした。僕らつながっていよう、まだ君とつながっていたいから。

思い出すことはなんだい
get love in season

何度も読み返したあの漫画、なんの話だったか思い出せない。

その日僕は真っ暗な部屋にいた。部屋の一面は真っ白な壁で、そこにはスポットライトが当てられていた。
誰かがライトの前になにかを差し出している。それが影となって僕の目の前の壁に浮き出ている。
そのなにかは角度を変え、大きさを変え、いろいろな形の影として僕の目に映る。
それはなんなのだろう。テニスボール?ピンポン球?僕はそれを凝視する。
その誰かは言葉を発することなく、しかし影としてなにかを豊かに表現する。僕はそれを凝視する。
ついに見えた!あれはチュッパチャプスだったんだ。時々食べたりもするのに、なかなか気づかなかったなあ。あの棒はこんなに細かったっけ。あのキャンディって案外大きかったんだ。僕はまだまだそれを凝視する。
誰かはずっとそれを映し続ける。時に大きな真円の影として、時に太い太い鋼鉄のような棒として。
最後に明かりが落とされる。幻灯機のショーは終わる。僕は手を打つ。
部屋の明かりが灯され、少しの間目が眩む。僕はもう帰らなきゃいけない。外に出る。日の光があまねく全てを照らす外の世界。ああ、こんな晴れやかな世界だったっけ。こんな雑然とした世界だったっけ。僕はそんな未視感を覚えながら帰路につく。
それからある日のこと、チュッパチャプスを食べたくなった。お店で手に入れる。帰ってきてよくよく見ると、あの日映し出されていたキャンディとは思えない、ありふれたただのキャンディだ。おかしいな。僕は確かにそれを見て感動を覚えたのだけど。首を傾げながら口に含むと、甘い甘いとろけるような幸せが口に広がった。そうだこの感覚だ。この感動を僕は覚えたんだ。確かにあの日見たキャンディだったんだ。
僕は目を閉じ、あの日のことを思いながらキャンディを口の中で転がし続けた。

今さらブログかよ

ブログである。このご時世にブログを始めようというのだ。時代錯誤だと思う。
SNSではできないことなのだろうか。文を書き、公開する。やってることは同じかもしれない。
だけど文をしたためる際の孤独、公開したあとの静けさはSNSの目指す所とは正反対を向いた、ブログ独特の環境だ。
繋がりだとか、コミュニケーションだとかあんま関係ない。
自分が占有するエリアがブログなのかもしれない。家主は自分だという感覚。このブログを誰が見るのか、誰に見せるのかなど考えず、好き勝手やるぞーと思える。
そして一番感じるのが、自分がインターネットと向き合ってるということ。
ついったらーだのにちゃんねらーだの、特定の集団ではなくインターネットに向けてるんだ。
さらにいえばインターネットの向こう側、モニターの前の人間だ。
SNSより対象が開いていて、掲示板より実在感のある読者がいる。
これはすごくエキサイティングかもしれない。
written by iHatenaSync