機能から構造へ-2

(「機能から構造へ」の続き)

黒川紀章著「都市デザイン」第二章「機能的都市の成立と変質」(1965年)より。

スミッソンのベルリン道路計画

 ピーター・スミッソンによるベルリン道路計画を例にとってみよう。この案のいちばんの特徴は、既存市街地の道路とは別に、空中歩廊ともいうべきもう一つの道路を設定していることである。空中歩廊は、ちょうど高速度道路上にかけられる歩道橋のようなものだと思えばよい。あるいは、東京の西銀座ショッピングセンター*1のようなもので、屋上が歩道になっているようなものともいえる。*2

 事実、彼の案をさらに詳細に見ていくと、この空中歩廊にはショッピングが含まれており、そのショッピングへのサービスの交通も通れるようになっているのである。(中略)もう一つの役割、それは、<ピロティ>による自動車と人との立体的な分離である。(中略)この意味でいえば、コルビジェの<ピロティ>の概念をさらに水平に拡大して、地表の道路に匹敵する連続歩廊をつくり上げたものといえるだろう。


(ベルリン道路計画、1958年)

 しかし、彼の<空中歩廊(ペデストリアンデッキ)>にはもうひとつの役目が託されている。それは、都市の基本的な骨組(インフラストラクチャー)の発見ということである。もし、都市が成長・変化するプロセスそのものだとすると、都市を設計することの意味は成長・変化のささえになるような、相対的に変化しにくい要因をつかみとることになろう。

 スミッソンは<空中歩廊>にそれを見出したのである。(中略)<空中歩廊>は、建築の寿命より長いものと考えられているので、都市が成長し変化する様は、ちょうど木の幹についている枝や葉が、四季の移り変わりによって紅葉したり枯れ落ちたり、そしてまた新しい芽をふくようなものだと考えられているのである。

要するに、「構造主義」である。結論を先に言うと、「CIAMからチーム・テンへ」の建築史上の流れは、「機能主義から構造主義へ」の流れに他ならない。

レヴィ=ストロースによると、「構造」とは、「要素と要素間の関係とからなる全体であって、この関係は一連の変形過程を通じて普遍の特性を保持する」もので、上記の「ベルリン道路計画」では、「空中歩廊」がこの「普遍の特性を保持する」ものに該当する。

 都市に、このような変化や成長の秩序を導入することは、CIAMの方法にはなかったことであった。このことがCIAMの実験都市、ブラジリア*3とシャンティガール*4のもつ致命的な欠陥であることは前にも述べたとおりである。スミッソンのベルリン道路計画(中略)に指示された思想や方法が世界の建築家達に与えた影響は大きいものであった。

(続く) →「機能から構造へ-3

ついでに、渡辺公三著「レヴィ=ストロース―構造(現代思想の冒険者たち)」によると、1958年にレヴィ=ストロースの「構造人類学」が刊行されて以来、「構造主義」がブームとなったらしい。しかし、「構造主義」は1968年を境に衰えてしまう。端的には、それは(建築での)「黒川紀章から磯崎新*5へ」の流れと重なるのかも知れない。ちなみに、磯崎新は、1968年以降について、「新建築」2009年3月号の「〈建築〉/建築(物)/アーキテクチャー」の記事で、「自己言及的批評すなわち芸術を批評(拒否)する芸術、建築を批評<解体>する建築という、反転させた方法が、少なくとも『歴史の落丁』と私が呼ぶ1990年までの20年間、それぞれを再活性化させてきたのだった」と述べている。

*1:旧ブログ(babyism)の「TRANSPARENCY」の記事参照(「東京高速道路」)

*2:別ブログの「柏マイ・ラブ」の記事参照(JR柏駅東口の「ダブルデッキ」)。ちなみに、ウィキペディアの「ペデストリアンデッキ」によると、「日本で初めて作られたペデストリアンデッキは、千葉県柏市柏駅東口である。1973年に(中略)初の試みとして作られた。柏ではペデストリアンデッキのことを『ダブルデッキ』と呼んでいる」とのこと。そうだったのか(注・柏市=僕の地元)

*3:旧ブログの「Integral Project-3」の記事参照(ブラジリアの動画動画動画

*4:旧ブログの「Natural World-5」の記事参照(「チャンディガールの都市計画」)。ついでに、その記事の図の中に「車道と緑道が『対位法』になっている」と書いたけど、この「対位法」は、上記の「ベルリン道路計画」にも見られる

*5:別ブログの「抹消された「渋谷」」、「イオンレイクタウン」注釈3、「雑記5」注釈7、旧ブログの「誤算-4」の記事参照(磯崎新