コーリン・ロウ-2

(前回の「コーリン・ロウ」の続き)

相田武文、土屋和男著「都市デザインの系譜」(1996年)、第14章「ロウ」より。

図と地

 ロウらの論法を支配しているのは、さまざまに言い換えながら示される二項対立である。そして、近代建築のテーゼとして語られながら、多くの場合、矛盾をはらむそれらが、どちらも成立するための条件や、枠組みや、意味を探ることが問題のありかに向かう方法となる。科学と大衆、自然と歴史、ユートピアと伝統などがそうした二項対立の例である。

 図と地は最もわかりやすいものだ。代表的に示されるのはギリシャのアクロポリスローマのフォルムである。アクロポリスは列柱で内部を囲った「オブジェクト」だが、フォルムは列柱のある建物で囲まれた「ヴォイド」である。この比較は、整形な形を「オブジェクト」にするか、「ヴォイド」にするかということである。アクロポリスは単体の建築としてたいへん美しいが、囲まれた場所としての領域性はフォルムの方が断然強い。都市空間としての親密性も強いのは明らかに後者だろう。これは都市空間を「私のもの」と感知できるかどうかに関わる。この親密性は、建物の外部を敷地の残余と見なすか、操作された空間と見なすか、操作された空間と見なすかの違いによると言える。図としての建物と地としての敷地と考えるか、敷地のほうを図であるかのように計画するかの違いと言い換えてもよい。

 広場を図として、ひとつの造形として見るという態度は、ロウらより約百年前にカミロ・ジッテ*1によって論じられた。ローマの例から言うまでもないが、ヨーロッパでは伝統的にこうした都市の構成法が培われてきたのだが、実はそれが計画上の一種の方法論となりうるのだというふうに客観視されたのは一九世紀になってからだったのである。しかしそれは別の見方をすれば、密着していた伝統的な構成法が、批評的(クリティカル)な見方に晒されるほどに都市の現実から乖離したからだとも言える。

 一般的に二〇世紀の近代建築において、ポレミカルな話題を提供したプロジェクトは、ほとんどが単体の建築としての「オブジェクト」であった。しかしそうではないジッテ風の計画もあったのだということを、オブジェクトの覇者ル・コルビュジエの作品との比較でロウらは示す。(中略)ソヴィエト・パレスのコンペでは、ル・コルビュジエ案が敷地の中央に建築物を置いているのに対し、ペレ*2案では中央の広場を囲むように建物が配置されている*3。また、平原のなかに建つル・コルビュジエ設計のサヴォワ邸*4では、外郭の設定に整形の形態をとっているのに対し、パリの街中に建つオテル・ド・ボーヴェでは、建物に囲まれた中庭を整形にしているのである。

ギリシャとローマが比較されている*5ギリシャアクロポリスではなく、ギリシャのアゴラと比較されるべきだとは思うけど。

時間のコラージュ

(前略)ロウらは次に、ルイ一四世のヴェルサイユ宮*6ハドリアヌス帝のヴィラ・アドリアーナをあげて論考する。このふたつは理想都市=ユートピアのふたつの例なのである。前者はあいまいさのないトータル・デザインであり、後者は全体性を欠いた「異種の理想型の断片を集積」したものだ。

 ヴェルサイユ絶対君主制の強力な支配の具現化と見なすことができよう。一方、ヴィラ・アドリアーナは古代ローマの皇帝の夢が、思い込みをたよりに具現化された、ほとんど趣味のコレクションである。ひとつの事業の計画性という点から言えば前者に分があることになろう。しかし、ヴェルサイユの建築群が、単一の、より大きな造形の部品であるのに対し、ヴィラ・アドリアーナの建築群は、断片の集積であるがゆえに、ひとつひとつの建築はそれぞれ別の母体をもつそれぞれの全体の断片として、複数の理想を表象していると考えられる。ヴェルサイユがただひとつの理念のモデルであるのに対し、ヴィラ・アドリアーナは多様性のモデルと言える。そして、多様性という点から、後者のモデルを年に対して敷衍すると、都市の建築をそれぞれの理想の断片だと考えれば、都市は複数の理想世界の重ね合わせだと言える。だから都市の建築は、断片化したユートピアなのだと言ってよい。こうした論法をもって、ロウらは都市を「コラージュ」という語によって表現し、それを都市の在り方として主張したのである。

うーん、話が(視点が)、60年代と比べて急に変わったように思える。第一に、まるで都市の問題(都市の過密*7等)はもはや、存在していないかのようである。そして第二に、建築家とは、都市の「断片」しか設計し得ない職業であるというリアリティを、逆説から「全体性の消失」*8の波に乗って肯定しているようにも思える。つまり、建築の「ポストモダン」が始まった。

でも、そもそも「多様性」(何となく「全体性」の代わりになっている)という概念に、どれくらいの意味があるのだろうか。前回の「コーリン・ロウ」の記事で、「どことなく、ロウからレヴィ=ストロース構造主義)の匂いがする」と書いたけど、もちろん、これは僕の仮説ではあるのだけど、レヴィ=ストロースは「多様性」という概念を、上記のような意味で用いてはいない。それから、コーリン・ロウの「コラージュ・シティ」は今から30年前に書かれた本だけど、別ブログの「雑記6」の記事で書いたように、ピーター・スミッソン(モダニズムの最後の世代)*9は、「二〇年間で、たったひとつの世代が建築の意味をほぼすべて抹殺してしまった」と述べている。これは逆説の逆説である、と言える。

(続く) →「コーリン・ロウ-3

*1:「Camillo Sitte(1843〜1903)建築家、都市計画家。ウィーン生まれ。都市計画における実用性と芸術の問題をどのように扱うべきかについて論じ、中世都市のもつヒューマンスケールを回復しようとした」(同書の注釈より)。旧ブログの「Natural World-5」の記事参照(カミロ・ジッテ)

*2:旧ブログの「Natural World-1」、別ブログの「雑記3」の記事参照(オーギュスト・ペレ

*3:ここここの図を参照(左がペレ案で、右がル・コルビュジエ案)

*4:旧ブログの「(IN)DIFFERENCE」の記事参照(サヴォワ邸)

*5:ギリシャ型とローマ型」の記事参照

*6:旧ブログの「誤算-2」、「表記-2」の記事参照(ベルサイユ宮殿)

*7:別ブログの「クルーグマン」の記事参照(「過密都市」)

*8:別ブログの「イオンレイクタウン-2」、「ノエル」、「雑記6」の記事参照(「全体性の消失」)

*9:機能から構造へ」、「機能から構造へ-2」、「機能から構造へ-3」の記事参照(ピーター・スミッソン)