流れ星の家、土星の家、リボン付きのラートハウス

ドタバタしております(汗)。ところで先週、深夜にテレビ点けたら、生物学者長沼毅が出ていた(→動画動画*1)。前に本ブログの「TPPの賛否」の記事で、長沼毅著「形態の生命誌―なぜ生物にカタチがあるのか」(2011年)について少し書いたのだけど、この先生はほんとに面白い。今日本で熱いのは、橋下徹と長沼毅の二人だと僕は思います(おいおいw)。両者はまるで正反対のタイプなのだけど、洗練エレガンス)を一顧だにせず、未踏の世界へと突き進む意志の強さには、相通ずるものがあるのではないかと思います。*2

では、本題。前に本ブログの「アイコンの消失」の記事で、「あの日(2011年3月11日)以降、僕は「アイコン建築」を一つも描いていない。」と書いたのだけど、じつは昨年の秋頃から、僕のノート(落書き帳ですw)に再び「アイコン建築」を描きはじめていました。と言うわけで、僕がノートに描いた「アイコン建築」を、久々にまとめてブログに載せようと思います。念のため、「アイコン建築」とは、前に本ブログの「Valentine House (バレンタインの家)」の記事で書いたのだけど、僕の定義では、「アイコン」(記号や情報)と「建築」(物質や物理)をハイブリッド化した建物の事です。僕が震災前に描いた「アイコン建築」は、本ブログの「作品一覧」の記事にまとめて全部、載せています。あと、下図を見れば分かるように、今回の記事の「アイコン建築」のドローイングは全て「手書き」ですw。さすがにパソコン(CAD)上で清書する時間までは取れませんでした(ドタバタ)。あと、前に本ブログの「麦わら帽子はどこへ行ったのか」の記事(2011年1月)で、「新年の抱負」として、「「アイコン建築」を、今年は100つ描こう(構想しよう)と思います。」と書いた事は果たされなかったのだけど、細かい事は気にしない。では、順に、「流れ星の家」、「土星の家」、「ラートハウス」、「木々の家」、「ガルウィングの家」の計5つを載せます(予定)。*3

■ 流れ星の家

前に(僕の)別ブログの「Star House (星型の家)」の記事と、「Star House-2 (星型の家-2)」の記事に載せた「星型の家」の改良版です。前に描いた「星型の家」はやや単調すぎると思ったので、前に(僕の)別ブログの「」の記事と、「メモ-5」の記事で書いたイタリア未来派*4の彫刻家のウンベルト・ボッチョーニ の「Unique Forms of Continuity in Space」(1913年)に倣って、「動き」のある表現になるように少し工夫してみました。上図の「流れ星の家」は、この流れ(下図)で作成しました。

「流れ星の家」では、「錐体」を横にしているけど、これは僕が好きなデザインで、前に(僕の)別ブログの「別世界性」の記事と、本ブログの「超水平と超垂直」の記事に載せた「SKYEY PROJECT」(空色の計画、高さ610m)でも使っています。「「垂直」と「水平」がくるくるっと転回する感覚」*5が良いのです。もちろん、「錐体」を横にしていると、内部空間(室内)の使い勝手が悪そうなのだけど、細かい事は気にしない。上図の左下のドローイングは何かのです。ロシア構成主義*6の建築家のウラジーミル・タトリンが設計した「第三インターナショナル記念塔」(→写真、1919年、高さ400m)みたいなアレです(どんなだ?w)。ちなみに、この(上図の)塔は、サラダにマヨネーズをかけている時に思いつきました(おいおいw)。「キューピーマヨネーズの絞り口が星型になっている件なのですが。」(Yahoo! 知恵袋、2010年5月15日)も参照。

土星の家

前に本ブログの「Picture Book House (絵本の家)」の記事で、「(前略)あと、フォルダには、前に(僕の)別ブログの「Star House-2 (星型の家-2)」の記事で少し書いた「土星の家」の別の作成中の案もあるのだけど、これは前に本ブログの「Valentine House (バレンタインの家)」の記事で描いた「Valentine House」(バレンタインの家)の「ハート型アイコン」を「土星型」に置き換えただけなので、割愛しますw。」とだけ書いた「土星の家」の改良版です。前の「土星の家」は「バレンタインの家」と構成形式が同じだったので、少し変えてみました。上図の「土星の家」は、この流れ(下図)で作成しました。

「小屋」(三角屋根の小屋)のアイコンと「土星」のアイコンの間に、板状のボリューム(上図の左列中央)を入れて、「土星」が「空中に浮いて見えるように」変えています。これは、前に(僕の)別ブログの「麦わら帽子とモンパルナスタワー」の記事に載せた「帆船の高層ビル」のラフスケッチ(高さ200〜250m)で、「帆船」が「空中に浮いて見えるように」するために使っている方法と同じです。「バレンタインの家」と「帆船の高層ビル」のどちらも、テーマは「アイコンの結合」で、二つのアイコンを「建築の構造」によって結合しているのだけど、えーと、両者の違いの細かい説明は、本ブログの「Valentine House (バレンタインの家)」の記事に書いてあるので、割愛します(別に読まなくていいです)w。ところで、「土星」が「空中に浮いて見えるように」するために、二つのアイコンの間に板状のボリュームを入れるという方法は、あまりにも芸がない、安易すぎる、と思われるかも知れないけど、そうではなく、これは「土星」が「空中に浮いて見えるように」するという「意思」の表現なのです(キリッ)。板状のボリュームは「空中に浮いて見えるように」するという意思が隠されていない事を表現しているのです*7。別の書き方をすると、これは「空中に浮いて見えるように」するために、曲芸的(アクロバティック)、手品的(ギミック)な技術をてらう「実写的」(特撮的)なリアリズムではなく、「まんが・アニメ的*8」なリアリズムの建築なのです、といろいろと屁理屈を考えてみた(おいおいw)。

■ ラートハウス

「リボン」付きの「ラートハウス」です。「ラートハウス」とは、前に(僕の)別ブログの「誤算-1」の記事で書いたのだけど、「(前略)ドイツのローテンブルクは、「帝国自由都市」でした。(中略)「帝国自由都市」の城壁内には、ラートハウス(→写真)と呼ばれる市政を行う建築物があり、これは今で言う市役所に相応する。ラートハウスでは行政、司法、軍事などあらゆる事が行われた。石牢や拷問部屋もあった。同時に、ラートハウスは市民にとって独立の象徴であり、誇りでもあった。」です。上図の「ラートハウス」は、この流れ(下図)で作成しました。

「リボン」が付いている建築では、(僕が知っている範囲では)、アメリカの建築家のマイケル・グレイヴスが設計した 「ポートランド・ビル(ポートランド市庁舎)」(→写真、1982年竣工)があります。ウィキペディアの「ポートランド・ビル」の項によると、「(前略)特徴的なブロック様のデザインと正方形の窓を持ち、ポストモダン建築の代表的作品となっている。(中略)そのデザインは20世紀初頭に確立したモダニスト建築の原理を否定するものと言われている。」との事です。一応、「リボン」が付いているのは、正面ではなく側面のここ(→写真)です、ぺったんこです。また、上図の「ラートハウス」では、「リボン」が波打っているのだけど、「波」の形をした建築では、デンマークの建築家のヘニング・ラーセンが設計した集合住宅の「The Wave in Vejle」(→写真、2009年竣工)が割と有名で、デンマークヴァイレ)の新しいランドマークにもなっています。「The Wave / Henning Larsen Architects」(ArchDaily、2011年3月23日)も参照。上図の右列中央のドローイングは、分離派の建築家の山田守が設計した「東京中央電信局」(→写真、1925年竣工、1969年に解体)風にしています(たぶん)。右下のドローイングは、イタリアのルネサンス*9の建築家のアンドレア・パラーディオ*10が設計した「ヴィラ・アルメリコ・カプラ(ラ・ロトンダ)」(→写真、1591年竣工)風にしています(たぶんw)。以上です。ま、とは言え、上図の「ラートハウス」を今見ると、「リボン」の結び目のところが顔文字の→(・ω・)にしか見えません(おいおいw)。 *11

ではまた。

木々の家、ガルウィングの家」の記事に続く(予定)

*1:ナダールの穴」(フジテレビ、2012年3月5日放送)の動画。2012年3月27日に「長沼毅先生の公開授業第2弾」が開催されます。

*2:「新しい仕事は新しい義務を教え/時は古いものを/すばらしい未知のものに変える/真理におくれまいとするものはつねに/上をむいて前へ進まねばならぬ/見よ われらの前には/真理のかがり火が輝いている/われらはわれら自身/巡礼者でなくてはならぬ/われらのメイフラワー号を乗りだし/すさまじい冬の海をとおり大胆に舵をとれ/未来の門を血にさびた鍵で/開けようとするな」(ジェームス・ラッセル・ローウェルの詩)。(僕の)別ブログの「麦わら帽子はどこへ行ったのか」注釈1の記事参照(同文)

*3:(僕の)別ブログの「メモ-5」(「21世紀の建築は「アイコン建築」です(キリッ)。」)、「ハイブリッド世界の本質」(「建築のモダニズムの正当かつ批判的な後継者たらんとするならば、答えは「アイコン建築」以外にはあり得ない(中略)。建築のモダニズムと「アイコン建築」は矛盾しない(中略)。また、アドルフ・ロースに倣うならば、21世紀に「建築」は消滅する、そして、かつて「建築」と呼ばれていたものは、「アイコン」(または「ランドマーク」)と「建物」の混合物になる」)、「ハイブリッド世界の本質-2」(「今問われているのは「社会」における建築のあり方(適合)と可能性であり、社会において「アイコン」は有用な手段にもなるのである。そして、この「アイコン」の有用さは、デスクトップやスマートフォン上の「アイコン」やフォトショップやユーチューブ上の「サムネイル」等を見れば、一目瞭然である。」)、「Split the Difference」(「21世紀の「建築」は、「アイコン」と「建物」の混合物になるのです。それは「第三の建築」です。」)、「アイコンに擬態」(「ロバート・ヴェンチューリは、(中略)「モダニズム建築」は「アヒル」だと批判した。(中略)僕の「アイコン建築」論では「アヒル」は肯定される。なぜなら、(中略)「アイコン建築」は「モダニズムの正当かつ批判的な後継者」だから。」)、「麦わら帽子はどこへ行ったのか」(「「アイコン建築」は、(中略)ゲームクリエイターZUNが「キャラクターを付けることは作る側にも優しいんですよ。」と語っていたり、(中略)都市経済学者のリチャード・フロリダが「私たち人間は、神ではない。私たちは無から何かをつくり出すことはできない。私たちにとってのクリエイティビティとは、合成の営みであり(後略)」と書いている事の両方の性質を備えている」)、「情報化を経ることで新しい発動を見せるのだ」(「(磯崎新が設計した)「水戸芸術館」(中略)の唯一の欠点は「わかりにくい」という事だと思う。おそらく、80年代にそのような「難解」な建築が成立できた背景には、近代的、平均的、中流的な「大きな物語」が共有されていて、そこからの逸脱(ポストモダン化)に価値があるとされていたからである。一方、(中略)21世紀の今日の「メインカルチャーはもはや存在せず、サブカルチャー島宇宙が乱立するだけのこの世界」(宇野常寛)においては、前述の80年代の方法に価値がある(あった)と認識する事は絶望的に不可能なのである(中略)。よって、21世紀の建築は「アイコン建築」なのです(キリッ)。」)の記事参照(アイコン建築)

*4:(僕の)別ブログの「写真銃-1」(「鎖に繋がれた犬のダイナミズム」(1912年)、ジャコモ・バッラ)、「Natural World -1」(「咆哮(ほうこう)する自動車は、サモトラケのニケより美しい。」(未来派宣言、1909年)、フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ)、「」(ウンベルト・ボッチョーニ)、「メモ-5」(「変化の視覚化」、ケヴィン・リンチ)の記事参照(イタリア未来派

*5:(僕の)別ブログの「別世界性」、「フロリダ」注釈6、「Sketchbook House (スケッチブックの家)」注釈4(→動画動画)の記事参照(「くるくるっと転回する感覚」)

*6:(僕の)別ブログの「Strange Paradise」(「今世紀(20世紀)初頭のロシア人やドイツ人たちは、社会、都市、国家領土といった問題に取り組んで、それらは変わるべきだ、完璧にモダンになるべきだと考えた。(中略)ところがある時点からモダニズムは回れ右をしてしまった。まるで乗客が列車から転落してしまうのと一緒だ。列車はそのまま走り続けたが、落っこちたモダニズムの方は消極的で分別臭くなってしまった。」、レム・コールハース)、「ユルバニスム」(「ぼくたちが建築家として近代建築を受け継ごうとした一九三〇〜五〇年代という時代は、この理想社会を依然として抱えていて、それに向かって前進しようという流れがありました。その時、芸術的にアヴァンギャルドであることと、政治的にアヴァンギャルドであることが、一致しなくてはいけないというスターリン以来の理論がロシアにはある。日本でも、この論争がずっとありました。そのあげくに分裂をしたんですね。」、磯崎新)、「ハイブリッド世界の本質」注釈2(「彼(イワン・レオニドフ)は火急の建築家だった。(中略)火急の建築家は本質だけを描きだし、それが僕を魅惑するのです。なぜなら僕は建築のエッセンスに関心があって、建築のしがらみや複雑な手続きから、いやそもそもの物質性すべてから逃れようとしているからです。」、レム・コールハース)の記事参照(ロシア構成主義

*7:オーストリアの建築家のオットー・ヴァーグナーが設計した「ウィーン郵便貯金局」(→写真、1912年竣工)について。「(前略)ヴァーグナーは、近代的建築方法の長所は材料費や工期に関わるこうした経済性に還元されるものではなく、その最大の利点は「幾つかの新しい芸術的なモティーフを生み出すこと」にあると述べている。「苦痛な不安感、審美的な不快感」を抑制する装飾として機能するボルトの頭部(→写真)とはまさしく、ヴァーグナーにとってここで言う「新しい芸術的なモティーフ」にほかならなかった。そして、このモティーフは技術的な必要から生じた結果ではなかった。大理石板は実際にはモルタル層の上に載っているため、本来それ以上の固定の必要はないのである。ボルトは構造的には必ずしも必要ではない。ボルトはそこで、石板を固定する機能においてではなく、石板が煉瓦建築を被覆しているという構造を明示する記号としての機能において用いられている。」(田中純著「建築のエロティシズム―世紀転換期ヴィーンにおける装飾の運命」(2011年)、第1章「オーストリアの終焉」、P.34-35)。ま、簡単にして言うと、ウィキペディアの「オットー・ワーグナー」の項から引用すると、「ウィーン郵便貯金局(1906年-1912年):壁面の仕上げ石材をビスで留め、張りぼてであることを率直に表現している。」という事です。本ブログの「Picture Book House (絵本の家)」の記事参照(同書)

*8:(僕の)別ブログの「Integral Project-2」、「メモ-5」注釈7、「雨、蒸気、速度」の記事参照(「まんが・アニメ的リアリズム」、大塚英志)。評論家の大塚英志は、著書「キャラクター小説の作り方」(2003年)で、「仮構しか描けない、と自覚することをもって、初めて描き得る「現実」があるのです。」(P.304)と述べています(はてなキーワードの「まんが・アニメ的リアリズム」の項からの孫引き)。

*9:(僕の)別ブログの「ダ・ヴィンチの都市計画」、「ダ・ヴィンチの理想都市」、「悪徳と美の館」の記事参照(ルネサンス)。(僕の)別ブログの「理想都市」の記事参照(「ルネサンスという時代は、ある種の現代性を確立したのですが、それは過去を研究することに基づいていながら、ノスタルジックなものではなかった。ルネサンスという時代の最も驚愕すべき点は、当時の人々が古代を研究していたまさしくその時に、古代の新たな事実が地上にもたらされていたこと。つまり文字通り日々遺跡が掘り起こされていたのです。それが既存の解釈をがらりと変えた。したがって、古代は過去であっても、常に推敲され続けるダイナミックなプロセスだったわけです。」、レム・コールハース

*10:(僕の)別ブログの「メモ」、「ヴィラ・バルバロ」、「ヴィラ・コルナーロ」、「コーリン・ロウ」の記事参照(アンドレア・パラーディオ)

*11:(僕の)別ブログの「Minimal」の記事参照(「「顔文字」は英語で「emoticon」と言います。(中略)「emoticon」とは「emotion」と「icon」を一つにした単語です。これを「かばん語」と言います。」)