東京タワー

最近、オカンからよく電話が掛かってくる。昨日も今日も。

俺が電話に出ると「別に用事はないんやけど」とオカンは言います。そこからオカンが話すのは、本当に他愛の無い話です。家族の話、親戚の話、飼い猫の話。10分で電話は終わる。そして、また数日後に同じ調子の電話。寂しいのでしょう。

18歳で徳島を飛び出した次男は、結局、帰って来ないのです。その事に関してオトンは何かとうるさく言った。転勤の多い記者という仕事に対しても、あまりいい顔はしませんでした。地銀か、記者になるとしても地元の新聞社に行って欲しかったというのがオトンの本音です。それは今でもチラッと匂わす。匂わすどころか「頃合を見て徳島新聞に移れ」とさえ言う。

でもオカンは何も言わなかったなぁ。本当に、何も言わなかったですね。「アンタの好きなようにしぃよ」とだけ言った。基本的に大学を選ぶ時も、何をするにもノータッチ。ただ「勉強しなさい」とは言われましたけどね。

就活も終盤の頃。K通信から内定を貰い、Y紙大阪本社は最終面接の結果待ちでした。Y紙の結果がどうであろうと、気持ちはK通信に傾いていました。困った。それでは地元から更に遠い場所で生活することになる。年老いていく両親へのせめてもの孝行心から導き出されたのがY新聞大阪本社だったから。徳島も管轄内だ。ひっそりと悩んでいた四月末に、オカンからの電話。

「K通信に行って欲しい」

オカンは初めて意見を言いました。そして、こう続けた。

「私なんか大学出ても今はパートのオバさんやけん。アンタにはちょっとでも広い世界を見て欲しい。アンタは夢よ、私の」

オカンは大学を出て、ちょこっと塾講師みたいなことをして、主婦になった。今ほど女性の社会進出が盛んじゃなかった時代です。オカンは田舎な四国の、そのまた田舎で一生を送る人生を選んだ。選ばされた?多分、ここに大きな違いはない。

家庭に生きるオカンにとって、子供は自分よりも大切です。多分ね。だって、それ以外に希望を見つけられるか?読書以外に趣味という趣味を持たないオカン。近年習い始めた日本画も、祖母の介護やらで辞めちまいました。

あの言葉でK通信に行くことを決めた。自分の人生を、ほとんど兄貴と俺の為に生きてくれたオカン。大袈裟に言えば、ここはもう、オカンの代わりに広い世界見てきてやろうと。まぁ、結果的にY新聞は落ちてたんですけどね。色んな意味でよかったよ、それで。Y紙を選んだとしても徳島に赴任する可能性はほとんどない。おまけに政治部も国際部もない。すべては東京、トーキョー、TOKYO。やっぱり、俺は行ってみたかったのです。あの街に。

おっと、俺は決してマザコンじゃないですよ。どちらかと言えば対極にある。オカンは過保護気味なところがあるので、むしろそれに反発する傾向があった。未だに並んで歩くのも嫌です。普通そんなモンだろ?俺だけか?

そんな俺でもこんな日記を書いてしまってます。それぐらい、オカンの寂しさは伝わってくるんです。うむ。広い世界を見て欲しいという気持ちは嘘ではないと思うけれど、やっぱり近くに居て欲しかったんじゃないだろうか、とも思う。その葛藤がオカンの口を長らく閉ざしていたのです。

地元を捨てた親不孝を詫びる方法は、もうそれ以上に価値ある結果を出すしかない。だから簡単に他人には負けられんね。

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

リリー・フランキーのオッサンが素晴らしい本を書いてますよ。親、特に母親は俺たち子供の為に程度の差こそあれ、自分の人生を捧げてくれてます。自分一人ででっかくなった、とか思ってる中2的な思想の方は読んでおくべき。胡散臭いオッサンが書いてますが、いいモノは、やっぱりいいのです。

それでは、アディオス。