さいきん

仕事を始めてから3ヶ月経ちました。なんでもあたらしいことの最初の1ヶ月はおそろしく長く、その後はおそろしく早く時が過ぎてゆく。独身の同僚が休みのたびに山に篭っているのを尻目に、休日には息子の大好物の豆を煮たりして極めて地味な休みを過ごしている私です。業務には大分慣れてきました。綱渡りの毎日ですが、先月から早番のときは30分早い出勤になり、30分早く帰れるようになったのがうれしいです。

 10月は、初めての運動会に参加しました。小さな保育園の運動会なので、中学校の広いグランドを借り、その片隅でひっそり行われました。2,3歳の子が多い園のため、珍プレー続出で、息子も「よーい」で走り出して、「どん」ではかけっこのゴールに着いていました。自分が子どものときは、学校の行事は好きなほうではなかったけれど、子どものそれは楽しいのがなんだか新鮮でした。

 息子は運動会では元気だったのに、その翌日から具合が悪くなり、喘息+肺炎でまた入院する羽目に・・・。今回は24時間看護の入院だったため、仕事を休んで4日間病院に泊り込みました。代わりの人が来ないと一歩も部屋から出てはいけないと言われ、1日1回5分だけ看護婦さんに代わってもらってコンビ二に弁当を買いに行く以外、ずっと病室にいました。子どもが生まれてから添加物には気をつけていたので、毎食コンビ二弁当やカップラーメン食べていたら、イライラするし、お腹がチカチカするし、昔はよく平気でばかばか食べていたなあ、と思いました。しかし、病院ってほんと疲れる。夜中でもなんでも「ハイっ!検温お願いします!」「吸引お願いします!」とかひっきりなしに看護婦さんたちがきて、寝不足だったのか、退院して息子は16時間ぶっ通しで寝ていました。吸引とか夜中に無理矢理するんだったら、そのまま寝かせておいたほうが治るんじゃないの、と素人は思ったのでした。

 退院後、医者の許可が出たので久しぶりに静岡の祖父母の家に息子を連れて行きました。私は2泊した後そのまま新幹線で出勤。その後は祖父母、父母、伯母、従妹たちが代わる代わるで面倒を見てくれて、空気と水のおいしい田舎で楽しく過ごしたそうです。普段の生活でもこんな豊かな生活が送れたらと思いつつも、子育てと仕事と、どう折り合いをつけていけばいいのか、試行錯誤の毎日です。

入院

3日ほど前から息子が入院しています。診断は肺炎と気管支喘息で、おかしいなと思って近所の小児科に駆け込んだら「即入院」と言われ、今は総合病院に入院しています。大分落ち着いてきて、今日には酸素が外され、1本管が減りました。本人は動きたいらしく靴をしきりに指差しては、歩きたそうにしています。ベッドの上ですることがなく、ずっと絵本を繰り返し読まされているので、家に帰る頃には喉がいがいがしています。絵本は2歳の誕生日にいつかちゃんがくれたパトカーの本と、弟がくれた「ぐりとぐら」シリーズをひたすら読んでいます。もう、暗記しそう。見舞いには、毎日Hが仕事を抜け出してきてくれるのに加え、2日に1ぺん、義父がきてくれるので、心強いです。

 駆け込んだときは呼吸がうまく出来ず、それでも「朝ごはんはしっかり食べた」と言うと、先生に「この状態でよく食べたね!」とびっくりされました。食欲だけは相変わらず旺盛で、入院食も毎回完食で、むしろおかわりが欲しそうです・・・。昨日は食事を運んでもらうのが少し遅かったら、「せんせー!」と言いながら、看護婦さんに手を振って、早くもってこい!アピールしていた息子。「あいつ、あんなによく食べるのになんでこんな病弱なんだろう!」とはHの言葉。ほんとにほんとに。

 息子はアトピーでもあることが最近分かったのですが、今通っている病院(ステロイド不使用、薬が多い)と入院先の病院(ステロイド使用)の治療方針が正反対で、戸惑っています。とりあえずは、アトピーや喘息のことはさておき、?退院できるような状態にできるよう病院の治療方針に従う、?手首のアトピーにはステロイドの入っていないものを使用してもらう?喘息のためのステロイド及び薬は必要最低限に使用してもらう、ということで先生と私はなんとか合意したのですが、これからどちらの病院で治療を受けるか決めなくてはいけなく、頭を抱えています。喘息には、毎日予防薬を飲まなきゃいけないとも言われていて、それ以外の方法がないものか、色々調べる必要がありそうです。

Pt. Shivkumar Sharma神戸公演


 子どもが生まれてから、夜のライブに一人で行くなんて、ありえなかった!のですが、この度どうしても行きたいライブがあり、義父母にお願いして行って来ました。5月28日のインド古典音楽サントゥールの第一人者、Pt. Shivkumar Sharmaの神戸公演です。未だに土地勘のない私を心配して、義父が乗り換え案内やら地図を書いて準備してくれていたおかげで、無事に辿り着けました。

 もう何年もシタールを弾いていない私ですが、チューニングが始ってすぐにどのラーガか分かりました。なぜかというと、持っているシブジーのCDの中で一番好きなラーガだったからです。 Raga Rageshri.http://www.lastfm.jp/music/Shivkumar+Sharma/Raga+Rageshri
インドでドクターの家に下宿していたときも、深夜の仕事帰りにも、中南米を放浪していたときも、子どもを片手に料理をしているときも、この10年間ずっと聞いてきたシブジーのRaga Rageshri。taal(拍子)は違ったので、また違う印象だったけれど、長年ずっと聞きたいと思っていたラーガが聞けて感激でした。

 シブジーの音は、きらきらした粒が迫ってくるようで、息子のラフルは油が乗り切っている感じでした。シブジー、60代だと思っていたら、御年72歳になったそう。そりゃあ、私も三十路になるわけです。

【演目】
Raga: Rageshri

1 Alap
2 Gat(Matta Taal・・・9 beats)
3Drut(Teen Taal ・・・16 beats)

【参考画像】※タブラは今回の来日公演の出演者と異なります。
pt shivkumar sharma & rahul sharma santoor duet. tabla: anindo chatterjee

http://www.youtube.com/watch?v=VldKoqgDvoI&feature=related

2歳

 しばらく日記を書かないうちに、5月10日で息子は2歳の誕生日を迎えました。0歳から1歳は、毎月の記憶が強烈で、やっと1歳かあ!と感慨深かったけれど、1歳から2歳は毎月の記憶が曖昧で、あっという間でした。

 誕生日は、今年も義父母が来てくれて母の日と兼ねてお祝いをしたのだけれど、慣れないおもてなしで精一杯で、今年もケーキ作成まで至らず。来年こそは卵が入っていない、かんにも食べれる健康的な誕生日ケーキを作ってあげたいと思う。そのためには、今のうちから練習しておこうと思って(!)、『あな吉さんのゆるベジ焼き菓子教室』浅倉ユキ著http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E5%90%89%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E3%82%86%E3%82%8B%E3%83%99%E3%82%B8%E7%84%BC%E3%81%8D%E8%8F%93%E5%AD%90%E6%95%99%E5%AE%A4-%E6%B5%85%E5%80%89-%E3%83%A6%E3%82%AD/dp/4309282040を買ってみました。他のマクロビレシピは作る前から難しく感じ、躊躇してしまうけれど、これだったらなんとか作れそうです。手始めに「塩ポテトパウンドケーキ」という甘くないものを焼いてみたら、ケーキを食べたこのないかんは大喜びで、「けーき!けーき!」といきなりケーキという単語を覚えてしまいました。本当の甘いケーキを与えたら大変なことになりそうです。


 2歳の今は、

・豆が大好きで、朝起きて閉口一番「マメ!!」。スーパーに行けば、キャットフードを見て「マメ!!!」と大喜び。寝言でも「マメ!!」煮豆の製造が追いつかなくなって、この前500gの大豆を一気に水煮してみたら、さすがにすごい量だった・・・。

・乗り物がすきで、電車が通るたびに「でんちゃ!でんちゃ!」と興奮して、線路の傍を通ると何本も電車を見送り、恥ずかしくなるほど大きな声で「ばっばーい!」と手が千切れそうになるくらい手を振る。


・「ひこうき」が言えるようになった。「ひっ、こーき」と発音する。一生懸命発音するのがかわいくて、きちんと「ひこうき」と言えるようになる日が来るのがさみしい。

・消防車も気に入っていて、消防署の前を通れば何回もそこを通らないと気がすまない。消防車のことは「うー!チャチャチャ!」と呼んでいる。「うー!カンカンカン!」って教えたのに。

・テレビも全然見ていないし、キャラクターものも自分では買わないのにも関わらず、おそるべしミッキーとアンパンマン!!特にミッキーを愛していて、「クンパ、クンパ」とミッキー柄とそうでないのにオムツをより分けている。ちなみにクンパは熊のことらしく、ミッキーは熊だと思っているみたい。


・絵本が好きで、私の友達が誕生祝にくれた本は毎日何回も読んでいる。(ウッチー、ひろみちゃん、いつかちゃんありがとう!)

よい本は、成長ごとに楽しめる、というのを実感。今は内容もなんとなく分かっているみたいだし、台詞を一緒に行ったり、反応があるからおもしろい。エリック・カールの『はらぺこあおむし』の中でさなぎの絵があり、そのシーンが来ると「ねんね」と言うのだが、この前かんがさなぎみたいなうんちをしたときに「うんち、ねんね!」と言ったときには、感心した。


・誰が何を使っているかよく見ていて、バスタオルでも誰が使っているものなのかちゃんと覚えている。自分のものは「かあくん!!」と言う。「かあくん」「パパ」と言うときはすごく優しく甘い声で、ひそかに気に入っている女の子の名前を呼ぶときは更に声が半オクターブあがる。


・カーテンにまとわりつくのが好きで、その姿を見ていると舞踏家・土方巽の「それからまた、軒下に吊るされたメリヤスの股引やシャツに撫でられて、途方に暮れたり打ち負かされてしまうような思いもあった。」というぞくぞくするような一文を思い出したり。


・歌が好きで一日中歌っている。結構歌詞も歌えている。「♪咲いた咲いた」が「♪あいたーあいたー」になっていたりするけれど。言葉はまだそんなに話せないのに、歌詞は結構覚えているのが不思議。

・手先がわりと器用で、自転車の鍵の開け閉め、シートベルトとヘルメットのバックルを嵌めるのを自分でする。自分でしないと気がすまない。

 そんな感じのこのごろです。

 

久しぶりの森

 2ヶ月ぶりに外あそびの会に参加しました。

 最後に森に行った3月は、薄紫の花韮という花が咲き、春の息吹を感じさせるような光景だったけれど、2ヶ月ぶりに行ってびっくり。草がぼうぼうのび、新緑が濃く、強い生命力を感じさせる森でした。自転車に乗りながらKとふたりで上を見上げながら、「うわあ」と言いながら久しぶりのお母さんやこどもたちに会いました。ほんの少し会わなかっただけで、子どもたちも森と同じように大きく成長していてまぶしかったです。

 今日うれしかったのは、息子が初めて外でおしっこをしたこと。この春から少しずつトイレトレーニングを始めていて、大分おむつをぬらさないですむ時間が長くなっていたところでした。今日はどうするのかな?と思っていたら、「ママ!ちーちー!」と言うので試しに草むらに連れて行ったところ、成功しました(3回も!)。外遊びの会では4歳くらいになると男の子たちは木を目がけて勇ましくたっしょんしているので、その第一歩を踏み出せたかな?という感じ。

 このごろ家で悶々としていたことが多かったので、森に行き、草木の生命力に圧倒され、気持ちがぐんと解放されました。 やっぱり外に出て行かないと何もはじまらない。

上野綾子さん死去


 1週間ほど前にニュージーランドを旅しているI夫妻の旦那様から上野綾子さんの訃報を聞きました。mixiの上野山荘コミュで綾子さんの娘さんからおしらせがあったので、日記に書きます。

 世界最南端、ウシュアイア在住の上野綾子さんが4月8日に永眠されました。87歳でした。

 Hと私は2007年の6月に三週間ほど上野山荘でお世話になりました。真冬のパタゴニアで観光客はほとんどおらず、綾子さんと私たち3人の日々が多く、よくお話させてもらいました。何をするわけでもなく、雪と綾子さんとトルーチャ(犬)の散歩と料理の穏やかな日々。高齢にも関わらず、グラタンなどのこってりした夕飯を作ってもなんでも「おいしい」と喜んでくださいました。犬ぞりでアルゼンチンのテレビに映ったときも、一緒に綾子さんのリビングで放送を見ました。

 ブエノスアイレスにいたとき、子どもが生まれる、と報告したらとても喜んでくださり、その後たまに電話で話すたびに「Kちゃんは本当にかわいい」と何度も褒めてくださいました。その言葉は、初めての育児にすぐ疲れてしまう私にとって、なによりもの励みでした。

 2009年の11月、友人が南米に新婚旅行に行くというので、USHUAIAの綾子さんに日本の食材を運んでもらいました。そのお礼の電話をいただいたのが2009年の12月か2010年の1月ごろ。それが最後の電話になりました。

 そろそろまた手紙を書こうと思っていた矢先の知らせに、頭をごんと殴られたような、衝撃でした。綾子さんのやさしい声とやわらかな笑顔がもう見れないなんて、信じられません。以前の日記「世紀の恋」にも少し書きましたが、綾子さんは旦那様の灰を3分の1持っていて(残りはガダルカナルに散骨)、自分が死んだら海が見えるお墓に旦那と眠るんだ、と話しておられました。上野山荘コミュの写真を見たら、本当に海が展望できる、よい風が通りそうな場所にお墓がありました。いつか息子を連れてお墓まいりにいきたいです。そのときまでに綾子さんのようなやさしく、たおやかで、芯の強い女性に少しでも近づきたいです。心よりご冥福をお祈りしています。綾子さんに出会えてしあわせでした。

【上野山荘コミュ】

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=52235816&comm_id=3419051

【2007年にウシュアイアにいたときの日記】