帰省と『実録・共産党』


実家から帰ってくると、いつも「あちら」と「こちら」の現実のギャップに対応できなくなり、しばらく不安定になってしまう。
元々、小学校が1学年1クラスしかなく、道行く人は全員顔見知りという具合の結構な田舎なのだが、更に過疎化が進んで若者や子供が極端に減った上、大型スーパーの進出のために地元商店街は壊滅。昔僕達が遊んだ河原にも子供の姿はなく、ヌートリアが大量発生している。


今回は、90代半ばになる祖母が足を痛めて寝たきりとなってしまったのに加え、母親の心身の調子がすぐれないため、取り合えず老人ホームにショートステイさせることになった関係での帰省。
老人ホームには、面会者自体が珍しいようで、我々が足を踏み入れるとジジババたちが一斉にこちらを見る。
寂しさと、退屈ゆえのことで、哀れではあるのだが、どこかでこちらをじっと値踏みしている気配が感じられて、田舎の「世間」の圧迫感をリアルに思い出す。老人達が井戸端会議よろしく集まっているロビーでも、声のでかいヤツが幅を利かせる人間関係のイヤラシサが、どこか子供還りしているような老人だからこそ余計露骨に見えて、そこに関してだけは、祖母が寝たきりになっていることに、逆に少し安心したり…
しかし、ジジババ連中というのは、得てして「かまって欲しさ」に、何でも大袈裟に訴えがちだったり、痴呆のために要領を得なかったりで、あきらかに人員が不足しているヘルパーさんたちは、どうしても話半分に扱うことに慣れてしまっている。
その中にあって、明治生まれの祖母は、本当に余程のことでもない限り、他人に助けを求めたり、要求したりということの出来ない気性で、意識もしっかりしている為、寝たきりの祖母の枕もとのナースコールのボタンは、立ち上がらなければ手の届かない場所に置きっぱなしになっていたし、部屋の暖房調節もロクにされていなかった。
ここで祖母を死なせるわけにはいかない!という思いが激しく込み上げるが、さりとて自分が今すぐ実家に帰って面倒を見ることもできない。



こういう時には、読書であれ何であれ、本当にごく選ばれたものにしか、心を許すことができない。
こうした心境になることはある程度事前に予測していたので、笠原和夫『実録 共産党』のシナリオ文庫を携帯して行ったのだが、帰りの新幹線で読んだそれは、初読の時の何倍も深く、胸に響いた。
いや、正確には打ちのめされた。



その黎明期、存在し、主張すること自体が非合法だった時代の共産党員たちにとって、最大の脅威だったのは、自分の家族との絆(そして、そうした身内意識を、国家いう形で束ねる天皇制)だった。



炭鉱労働者の劣悪な労働条件と絶対的貧困を前に、共産主義運動にのめり込み、幹部党員の渡政と結婚しようとする主人公丹野セツに対し、父親は
「セツは乞食にやっても、社会主義者の嫁には絶対にせんつもりです!」
と、言い放つ。



結局、親族を振り切って渡政の元に走るセツだが、親族に誄が及ぶことを恐れる彼女の頬を張り、渡政は
「運動以外の執着は一切断つんだ!」
と断言。



他にも、党員市川正一と父親の別れの言葉、
「やるからにゃ、とことんやってみい、わしは、もうお前は死んだもんと思うとるきにの...」
そして、胸を患ったまま打ち捨てられて、「このごく潰しが...!」「こいつはアカだ。近寄るとうつるぞ!」(これは、近所の子供達のセリフなのだ!)と罵られながら孤独に死んで行く田口ツギの姿と、党員の親族にまつわるエピソードが何度も何度も繰り返される。



笠原和夫は『二百三高地』『大日本帝国』の中で、情にもろく機微に聡い、その場その場への適応を第一として我慢強く生きる日本人達とその気質への親愛と共感を、そうしたものへの批判がインテリの中では絶対的なものとなっていた時代に、きちんと表明してきた(一方で、それらと裏表になった、無常観と個々の無責任への埋没に苛立ち、怒り続けながら...)
しかし、このシナリオの中で彼らは、和と適応を旨とするからこそ、それを乱し脅かそうとする者への、無意識に冷淡、排他的群集として描かれる。

亀戸署裏手付近の塵芥埋立地で、数名の兵が、捕縛された一団の朝鮮人を射殺している。その近くに、両手足を縛られて座っている北島、山岸、鈴木、近藤の四人。安井刑事他二、三の巡査が傍観している。
一連の射撃を終えた兵達に、安井が目くばせで四人の方をコナす。
兵達、北島達に近づき、それぞれの咽喉に銃口を押しつけ、無造作に引き金を引く。
人形の様に転がる四人。瀕死でうごめく北島に更に一発止どめを射ちこむ。
兵士B「ああ、疲れた……!」
無感動に署の方へ引き揚げていく兵たち。
さっきの避難民達が駆け集まってくる。それに向かって安井が、
安井「皆さん、今殺したこの四人は、朝鮮人ではなくて日本人である。日本人であるが社会主義者で悪い奴だ。こんな奴が、朝鮮人を扇動したから今度のような騒ぎが起こったんです!」
興奮した群集、倒れた北島達に殺到。
男A「この野郎、弾くらってまだ生きてやがる、卑怯者!」
と、懐から短刀を抜いて北島の肩口に突き刺す。四人の屍を蹴り、叩く群集。



関東大震災後の、朝鮮人、主義者への虐殺、「亀戸事件」のシーンより抜粋)

「昨日、君のお父さんが亡くなられた」
「お父さんはね、君のことで、世間様に申し訳がないと、この所ずっと家から一歩も出ずにいたんだ」
「幸い、まだお母さんが健在だ。今からだって遅くはないんだよ...」
「それに君もモスクワに行ってきたから、知っているだろうが、ソビエトは君、スターリンが粛清をやって、血で血を洗う同士討ちをやっている。それでも理想の国と言えるのかね」
「それにひきかえ、我が国は、君のような罪人でも、心を入れかえれば、罪一等を減じてやろうという、仁慈にあふれる国なんだよ」



(党員相馬一郎に転向を迫る検事のセリフより抜粋)

追い詰められた共産党員達は、結束を固めるために組織を一本化し、益々過激化していくが、ほとんどすべての闘争に敗北、党員達は投獄され、虐殺され、また転向して行き、昭和初期の時点で党は完全に壊滅する。



渡政は最期に
「俺ァ、何もしてこなかったなァ...党だ、組合だ、大衆だと言っても...誰一人、解放してやれなかった...こんな委員長なんてあるか...!」
「(子供は)居なくて良かったんだ...」「子供は、革命家にしたくなかったからな...」
とセツに漏らし、警官隊に追い詰められて自死する。



その後、敗戦によって、タナボタ的に世の趨勢は一気に変わり、民主主義、そして共産主義は、インテリたちの間で「正しい」「多数派の」思想になる。
投獄されていた丹野セツも解放され、二十数年ぶりかで親元に戻ってくる。
その時の、彼女と父一郎の会話で、このシナリオは締めくくられる。

無言で木箱を作り続ける一郎。
セツ「父ちゃん、昔のまんまね...」
一郎「わしは、これしかすることがねえものな...」
セツ「それでいいのよ。父ちゃんがそうやって、それしか出来ない仕事をする。それが皆の生活に役立って、父ちゃんも、好きなお酒を、子供たちのためにやめたりせずに楽しめる。そんな時代になるのよね。これから」
一郎「...セツ、お前、東京へ行け」
セツ「あたし...これから父ちゃんや母ちゃんに孝行のまね事でもいいからしようと思って来たのよ...」
一郎「...わしの面倒は一男がみてくれるから、心配ない」
(中略)
セツ「父ちゃん、まだあたしのこと、許してくれてないのね...(悲しい)」
一郎「ちがうよ...」
セツ「...」
一郎「お前は東京へ出て、共産党の仕事を存分にやれ」
セツ「ほんと! 判ってくれたのね、父ちゃん」
一郎「...だけどな、籍はぬいて、分家していってくれ...」
セツ「分家...」
一郎「家の者みんなに迷惑をかけとうはないんじゃ」
セツ「...」
一郎「...わしら年寄りは、苦労症かもしらんが...正しい事でも、中々、世の中にゃ認められんということを、あんまり見すぎて来ておるからな、仕方がないんじゃ...」
セツ「そうね...確かにそうだったわ。父ちゃんのいうこと、あたしにもよく判るわ。あたしだって二十年以上も、その事のために命がけで戦って、何一つ実らせることはできなかったものね」
一郎「...」
セツ「川合さんも、北島さんも、相馬さんも、政さんも倒れてしまった...その他に何人の人々が命を落とし、傷ついたか...」
一郎「...」
セツ「でも、もうそろそろそうでない、正しい事が通る世の中にしなくてはいけないわ」
セツ、立ち上がって海を見はるかす。
一郎も、うなずくように海を見る。
輝く海。
セツ「それが、私たち、生き残った者の勤めですものね」
セツの厳しい、決意を秘めた横顔に、浜風に吹かれた髪が乱れかかる。
まるで、これからの苦難の道を暗示するかのように。


この後、丹野セツは亀戸事件で虐殺された川合義虎を悼むように、彼が埋められたといわれる四ツ木で、民衆の為のささやかな診療所を作ったが、その人気を票田に利用しようとした不破哲三ら党本部にそれを奪われ、彼女は追放、除籍されてしまう。
「左の基本というのはコミンテルンというか、ソ連とか中国でしょ。そういう国というのは国家全体主義でしょ。」(『昭和の劇』より)と語るように、笠原和夫共産主義自体にまったく理想など見出していないし、組織は何であれ栄えれば必ず全体主義になり、「理想に忠実なものは、必ず理想に裏切られる」と繰り返し語る。



現在の我々にとって、いちばん大きなタブーとは何か?と考えると、それはこの「理想」なのではないかと思う。
筋を通す、何かを貫くことによって、自分の自由や権利が侵害され、「迷惑をかけられる」ことが、現在の我々にとって、もっとも嫌悪するところになっている。だから、「意味」や「理想」を追求することは危険であり、悪なのだ。
この、現在最大のタブーに、笠原和夫の思想は真っ向から抵触する。



暴力や理不尽や「いい加減」は逃れがたい人間の本質であり、言い方を変えればおそらく人の性質は「筋を通す」というということに向いていない。
しかし、というかだからこそ、笠原はそれを肯定し、その戦いを賛美する。
それが、本質的に決して勝てない、だから、自分の存在(死)を賭ける行為の過程に、はじめて存在するものでしかないからこそ。



現在、国とか主義とか村社会とか、目に見える形で僕達を縛るものは無いかに見える。けれど、その自由や開放感は、ただ豊かさによる「タナボタ」で手に入ったものでしかない。
自分は他人と関係ないと、捨て鉢な暴走ポーズを気取りながら、片方で他人からの承認を求める。強固な何かにしばられてるわけではないけれど、常に世の趨勢や自分の評価を気にして、その時々の時流の中で「正しい」「カッコイイ」ことにはまろうとする。
先日執筆した『Jポップ批評 ハイロウズ特集』でも、表立って誰に強制されたわけでもないのに、誌面すべてが彼らの自己完結した自由の礼賛一色だったことに、本当に薄ら寒い思いがした。
これこそが、現在における「世間」であり、「ファシズム」の正体だと、再認識した。
自分以外の社会や、異質な他者との共生への努力への想像力を失い、「公正客観」を言い張ることで、そこをはみ出すものを逆に「埒外」に括ってしまう、ただの自己肯定と現在への追認。
そうしてバラバラな個々は、自分にモルヒネを打ち続けるよううな万能感のなかで、じくじくと緩やかに沈み、腐っていく...



笠原和夫は、戦後左翼の運動に対して「(カセが無くなって)ただ野放図になっただけ」と、まったく興味を示さず、またかつて北野武を「(彼の)パンチは常に不特定多数の世間サマに放たれているもので、自分の身に損害が及ぶようなものには絶対に向けていない。」「リング脇でみせているシャドウボクシングでしかないのだ。リングに上がって、しっかりと敵を見定め、たとえ己が肉体が砕けても敵を倒さんとする真剣勝負のパンチではないのだ。」と、痛烈に批判した。



これはそのまま、自分にも当てはまる。
身内への優しさなど、利己の延長でしかない。
世に逆らって、何かを変えよう、何かを為そうとするなら、親を捨てるくらいの覚悟が当然必要だということ。
そんな覚悟は自分には到底無く、かといって全力で状況に適応し、身内の幸福に尽くすわけでもない。
色川武大の『永日』じゃないが、このまま今死なれてしまっては、今までの自分すべてが間違いになってしまうから、(そんな自分のために)何とか祖母や両親に生き延びて欲しい、と無責任に祈るのみ...



この中途半端さにケリをつけるような甲斐性は、現在の自分には到底ないが、こうした厳しさを仰ぎ見て打ちのめされることでしか、やはりこの世に「美しいもの」が存在することを信じることはできないし、仰ぎ見るものを意識しないまま生きてしまうことは何か間違っているという直感を、僕は強く持っている。