走ってきた美少女

〔4月25日の日記の続き 4〕

そう、メールを見てハッとしたのである。皆さんご想像の通り、鶴澤寛也さんからのメールだ。今、神楽坂の稽古場に戻ったという。

実はさっき、「現在銀座で、坂崎・石塚とエンドレス中」とメールを打っておいたのだ。早速の返信。


坂崎さんには「大仕事が終わって疲れてるんだから無理に呼び出しちゃ気の毒ですよ」

とたしなめられたのだが・・・。

いえ、呼び出しなんかしません。われわれで行きましょうよ!!!


かくして寛也さんと神楽坂で合流することにした。


「毘沙門さんの門前で8時」。


お友達と約束がある石塚さんと涙の別れをした後、新橋からタクシーで神楽坂。車内から携帯電話で(僕の。坂崎さんは携帯なんて持ち歩かない)お店のセッティングをする坂崎さん。ビア・レストラン→刺身居酒屋→オーセンティック・バー→シェリー・バー、に続く本日の5軒目。


毘沙門さんに着いたらジャスト8時。まだ寛也さんの姿は無い。「着いたぞ」とメールを打つと「すぐ着きます」とすぐに返事。

「ご婦人を急かしてはいけませんよ」

と、またしても坂崎さんに窘められてしまった。


やがて、坂を駆け上ってくる美少女があった。寛也さんではない。

息せき切ってわれわれの前に来た美少女は、

「お待たせしてしまってすみません。寛也の娘のサヤカ(仮名)です。母もすぐ来ます」

と言った。サヤカちゃんに会うのは赤ちゃんのころ以来。あまりに美人になったのでびっくりしてしまった。びっくりしている間に、寛也さんもやってきた。


そして、坂崎さんの先導で近くのワイン・バーへ。本日の5軒目。

リサイタルの大成功を祝って乾杯・・・・、したと思うのだけど、この店でのことはほとんど憶えていない。神楽坂は地元で土地鑑はあるはずなんだけど、所在地も特定できない。


ただ、寛也さんがうちの長女・花子(仮名)デザインのTシャツを稽古場で着用していること。そしてお弟子さんを不安がらせていることは聞いたような気がする。


(これが問題のTシャツのデザイン。ツイン小悪魔・西川史子風)

ワイン・バーには10時過ぎまでいたかなぁ。まだもう少し飲んでいくという坂崎さんを残して(あの、締切りは・・・)、神楽坂で解散。


つまり2時半ごろから8時間近く、ずっと飲みっぱなしだったわけである。


こういうとき、僕はお決まりのパターンとして八王子まで乗り越すんだけど、この日は大丈夫だった。乗り越しはしなかった。僕だって少しは学習する。その代わりに、間違えて一駅早く西国分寺で降りてしまった。


かくして、競輪場のジャンパーに迷彩カーゴに下駄。カーゴの足ポケットには新聞、というスタイルで、四谷→紀尾井町→四谷→銀座→新橋→神楽坂と漂流した長い一日は終わったのだった。


は5月14日(金)から!!

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