室内装飾でも、服装でも、色彩数を三色に抑えることが肝要。それ以上使うと散漫な印象が生じる。
そういう文章を読んだことがあります。確かに、それって実感湧きますわ。
趣味いいと言われる建物や、部屋や、ファッションって、そういうもんですし。
漫画だと、ドラえもんは、白と縦線とベタ塗りの三色。
テレビだと、空白と同じ色のはずの白が、やたらと自己主張が強い。
なんでそうなるのかというと、
おそらく、人間の脳の処理能力では、現実をありのままに見ることができないので、記号化して情報容量を端折ることがどうしても必要らしいのですが、
まあ、こういう認識能力の限界が、言語というきわめて優秀な記号を生み出したのだろうと私は思っているんですが、
人間は、常日頃、大量の情報を無視して生きているわけです。300メートル手前ですれ違った他人のメガネのフレームの色なんて絶対覚えていないでしょ?
人は、個人の文脈に沿って、非常に多くの情報を捨て去り、自分にとって必要であると思われる情報だけを取り入れているようなのですが、
マンガに於ける省略と強調って、そのプロセスを他者に押し付ける技法なのだろうと私には思われます。
簡単に言うと、私たちは、自分にとって重要だと思う情報を意識し、どうでもいいと思った情報についてはシャットアウトしているらしいのですが、
この取捨選択が、その人の個性である、その人の心の動きのありようであると言えるのかもしれません。
だから、漫画にしても映画にしても、小説にしても、そういう取捨選択のモデルケースを読者観客に強要することで、つよい共感を呼び起こしているのだろうと思われるのですが、
マンガって、全ての視覚情報を絵にしていたら、まどろっこしくてやってられないんで、いたるところで端折ったりしているんですが、
セオリー的にどういうものを端折るのか、ということについては、時代の流行というものもあり、漫画のジャンルの性格というものもありそうです。
わたくし、少女漫画ほとんど読まない、読めないのですが、あの省略の仕方を理解することは、今後女性と良好な関係を気づく上で役に立つことかもしれません。
でも、あの、自分と相手しか視界に入っていないような自己中ぶりは、私には辛い。
基本、遠近感ないですしね。
第三者との距離感の取れない女性ってむちゃくちゃ多いですし、ね。
人生の何を間違ったか、わたしは、グルメ漫画ばかり読んでいるという人間になってしまった、もしくは、漫画での食事シーンばかり熱心にチェックするという奇異な人間になってしまったのですが、
グルメ漫画は当然としても、そのほかの漫画でも、食事シーンにおいて、皿の数を省略する、コップの数を省略するということはほとんど行われておりません。
常に律儀に、会食する人数分の食器と箸、コップがテーブルに並べられています。
これって、書く側にとっては非常にめんどくさいよな。
もしくは、食事シーンのエキスパートがいて有名漫画家のアシスタントいくつも掛け持ちしている人がいるのかもしれないと思ったり、
ホント、食事シーンって手抜かないですわ、漫画家のみなさま。
しかし、そんでもね、
例えば藤子Fですが、もの食ってる場面、例えばどら焼きとかですが、そういう場面はいくらでもあるんですが
会食のシーンというのはほとんどありません。
皿や料理書き込むのがめんどくさいんでしょうね。
『美味しんぼ』によるグルメ漫画ジャンル確立以降の傾向じゃないでしょうか、この、会食シーンでのテーブルをひたすら細かく書き込む傾向というのは。
そんで、普通の漫画が、日頃何を一番はしょっているかというと、遠景。
人間の目ってピント合わせるようにできてますから、ピントあっていないところってのを表現するために遠景を飛ばすってのは普通なんでしょう。
それから、人の顔。
意外なんですが、人間って人の顔つまり人の心が一番気になるくせに、人の心って情報量多過ぎるゆえに、大概無視しているもんらしいです。
それゆえ、単なる通行人なんて、漫画ではのっぺらぼうです。そして、これは私たちの日頃の心のあり方そのものなのでしょう。面識のない他人なんてのっぺらぼうと同じです
それ考えると、会食って、無関係の他人とやるもんtは違いますんで、みんながみんな楽しむ基盤が用意されているのかどうかをしっかり表現しないといけないものらしくて、ほんと律儀に皿やコップが書き込まれます。
こいつのコップは端折ってもいいやみたいなことは、深刻な問題引き起こしそうです。
まあそれはいいとして、
ドラえもんを読んでみると、会食のシーンは、ほとんどないのですが、
その代わり、藤子Fが一貫して書き込んできたものは、樹木、庭木ですね。
室内装飾なんて、彼は、ほとんど空白で済ませているんですが、樹木庭木はひたすら書き込んでいます。
なんでこんなところの遠景、屋根瓦を執拗に書き込んでいるの?と不思議に思ったりすることもありますが、
藤子Fは、樹木書き込まないと気がすまなかった人らしい。
何は省略しようとも、庭木のたぐいは、とりあえず描き込む藤子F。
それはどうしてか?と私は考えるのですが、
彼は富山県高岡の出身で、漫画家になるために上京するのですが、
上京して、高度経済成長の東京が砂漠化していく中で、彼がひたすら描いていた少年漫画の世界には、どうしても、彼自身の少年期の緑の光景が必要だったのではないでしょうか?
『まんが道』でも、二人でよく散歩している場面がある。