「政治的正しさ」

はてなブックマーク - はてなブックマーク - bat99のブックマーク / 2015年1月3日から始まったid:nt46氏とのやり取りがブクマでは書ききれないのでこちらで。

まずpolitical correctnessに配慮せず、自分の心の赴くままに作品を仕上げたいという創作者の意思については否定するつもりも否定する意味もありません。
しかしそれを多様性という言葉で括るには違和感があります。
私はPCは多様性を圧殺するものではないという認識をもっています。*1マイノリティが言葉を発しにくくする環境を変え、多様性を保護するものだと。

マイノリティに対する配慮なく創られる作品は国際的な市場に出れば通用しなくなるというのが私の言いたいことで、それでもPCに拘らずに作品を創りたいというのなら国内で文字通りの同人としてやっていくしかないでしょう。
創作者が金銭や名誉よりも自分の創作意欲に殉じるというのならそれも一つの方法ではありますし最初に言ったとおり否定する意味もありません。
ですが、商業として見た場合はそういった「嫌なら見るな」は通用しなくなるし、国内市場の縮小とともに結局コンテンツの衰退をもたらしてしまうでしょう。

*1:日本語で「政治的正しさ」と訳されるのが反発の一因だと思っている。日本のネットでは「政治的」も「正しさ」も嫌われている言葉だから

毒ガス情報センター

 今日、36協定の届出を提出に労働基準監督署に行ったのだが、こんなチラシが置いてあった。
建設・土木工事現場で毒ガス弾等の疑いが持たれる不審物を発見した時は・・・

近年、道路工事現場や建設現場で旧日本軍の毒ガスが入った不審瓶が発見され、作業従事者が内容物
接触等するという事例が複数発生しました。道路工事現場や建設現場等で、毒ガス弾等らしきものを発見
した場合は、絶対に手を触れたり、動かしたり、衝撃を与えたりせずに、すみやかに110番や119番に通報
するとともに、環境省毒ガス情報センター< :03-5521-8263〔直通〕>にも情報をお寄せください。

近所で焼夷弾が25本も発見されたり*1、会社のすぐ近くで不発弾の処理が行われたりしているので*2多くの人が思っているほど戦争は遠い昔というわけではないのだいうことが実感できる。

リソースは有限

安倍首相の真意を理解してもらうために、この1年ほどで外務省が費やしたリソースっていうのはどれくらいだろう?

さらに、諸外国が安倍首相のためにどの程度までリソースを費やしてくれるのだろうか?
そろそろアメリカ辺りは見切りをつけ始めているようにも見えるんだが。

自分の周りを思い浮かべてみよう

会社の上司、同僚や後輩或いは学校の先生、先輩同級生を思い浮かべて、彼ら彼女らと未来永劫同化させられることを望む人ってどれくらいいるのだろうか。

まあ、少なくともインパール作戦で戦死した兵士たちは第15軍司令官と同一化されずにすんで喜んでいるんじゃないかな。

わが名はヤスクニ

靖国神社についてだが、遺族が祭神から外して欲しいとの希望*1や、A級戦犯分祀すべきという意見に対して

靖國神社は、二百四十六万六千余柱の神霊をお祀り申し上げておりますが、その中から一つの神霊を分霊したとしても元の神霊は存在しています。このような神霊観念は、日本人の伝統信仰に基づくものであって、仏式においても本家・分家の仏壇に祀る位牌と遺骨の納められている墓での供養があることでもご理解願えると存じます。神道における合祀祭はもっとも重儀な神事であり、一旦お祀り申し上げた個々の神霊の全神格をお遷しすることはありえません。
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という見解を出している。

どうもこの見解を聞くと私のイメージでは、巨大な肉塊の表面に無数の人面が張り付いている図が思い浮かんでしまう。
わが名はレギオン、我々は大勢であるが故に

*1:有名な所では台湾の政治家、高金素梅

警察の風紀対策
1進駐軍特殊慰安施設の準備指令
 戦争が終結し、多くの連合国将兵が日本に進駐することになったとき、もっとも大きな問題となったのは、いかにして善良な婦女子を守るか、ということであった。
 政府は清純な婦女子をこの危険から守るための具体策として進駐軍専用の特殊慰安施設を設けることを決定し、八月一八日「警保局長通達」(無電)をもって全国都道府県に対し”進駐軍特殊慰安施設整備について用意されたし”と打電した。敗戦日本を象徴するかのごとく屈辱的処置であったが、治安維持のためにやむを得ないことであった。政府はこの慰安施設設置のため一億円を拠出し、特殊慰安施設協会(RAA)を設けて具体的に活動を始めた。
 本県においてはRAA傘下の組織はなく、警察部保安課が全機能をあげてこの問題に取り組んだ。しかし設置に与えられた時間は僅かで、その上、建物を焼かれ、肝心の従業員が四散していたため、この慰安施設所設置は容易ならぬ仕事であった。県下でも横須賀方面は戦災から免れていたため、比較的順調に設置がすすめられた。急遽集めた女は約四〇〇名、これが元海軍工廠工員宿舎ほか数カ所に分けられ、占領軍の上陸を待った。
 占領のため上陸する兵士たちは、いずれも激しい戦闘のなかを生き抜いてきた若者であり、なお戦場における凶暴性と性への飢餓感とをあわせて持っていた。その上かれらは、つい数日前まで<鬼畜>と呼んだ敵国の兵士である。こうした<敵兵>を相手するのは、いかに醜業に従事する身とは言え、日本人として堪えがたい屈辱であったにちがいない。説得する立場に立たされた警察もまた、事態の急迫性と説得行為の矛盾とに困惑した。当時、横須賀署長であった山本圀士氏(現、警察史編さん委員会参与)はこのことについて次の如く述べている。
「八月一七日、私は次席の松尾久一さん (のち小田原署長)と安浦の慰安所に行き彼女らの前に立ちました。”昨日まではアメリカと闘えと言っていた私が、いま皆さんの前に立ってこんなこと言うの全くたまらない気持ちです。戦争に負けたいま、ここに上陸してくる米兵の気持ちを皆さんの力でやわらげていただきたいのです。このことが敗戦後の日本の平和に寄与するものと考えていただき、そこに生甲斐を見出してしてもらいたいのです”私は話しているうちに胸がつまり、いくたびか言葉が切れました。」
 このような困難な立場のなかにありながも警察は、あらゆる努力をつくして人員・施設・物などの整備をすすめていった。
神奈川県警察史 下巻P346-347

政府通達が8月18日で説得が17日?