2011-05-29
図書館は新装版がお嫌い?
雑記 |
先日、新聞の書評欄を読んでいたら、欄外広告に懐かしい名前が。仁木悦子か、昔、大好きだったな、と感慨ひとしお。『猫は知っていた』とかがポプラ社のYA向け(?)文庫で出てるらしい。今どきのポップな表紙が印象的で、また読んでみたいと思わせる。
こういう昔の作品が読めるのも、図書館のいいところ……、と思ってはみたものの、よくよく考えると、あまり現実的でないな、とも思う。例えば、『猫は知っていた』の初版は1957年。内容はともかく、表紙や装丁、字体や字配りなど、当時のままの本では、今の若い世代が気軽に手に取る気になるとは到底思えない。
忘れられかけた名作、読むべきとは思いつつ何となく手が伸びないような古典に、今風な表紙を付けて装丁を新しくしたり、ちょっとした解説をつけたりして、新装版として世に送り出す。新しい読者はもちろん、既読者も読み返してみたくなるような本にするのは、編集者の腕の見せ所で、かなり力が入ってるんじゃないかと思う。イチ読者としてもありがたい。でも、図書館はこういう新装版を嫌うんだよなあ。積極的に買ってるところは少ないのではないかと思う。かくいう当方も、選書してた頃には、「新装版」って表示のある本(で前の版の所蔵があるもの)は、たいていスルーしてた。限られた予算なんだし、出来るだけ同じ本は買いたくない。
とはいえ、中身は一緒なんだし、前の版でも良いよね、っていうのは、ある意味、ものすごく傲慢な話だ。新装版の編集者さんは、古い本を目利きして、そこに新しい命を吹き込むために様々なアイデアや地道な編集作業を付け加える。そこに新しい価値が生まれ、新しい読者との新しい出会いが生まれている。それをまったく無視して、新装版は買いません、昔のならありますよ、というのも考えてみたらおかしな話だ。
まあ、この先、電子書籍が普及して、データで読むことが普通になったら、ひょっとすると、新装版、なんてものはなくなるのかもしれないけれど。字体や字配り、縦書き横書きの区別なんてのはビューア依存になり、自由にカスタマイズできるようになったら、少なくとも形としての読みやすさは、無視できるようになる。そうなれば、図書館もキュレーターっぽく、胸を張って古い作品の再評価なんかが出来るようになるのかもしれない。
2011-03-07
立つ鳥、後に残す、ということ
雑記 |
春は別れの時期でもある。今年も、長く図書館を支えてきた多くのベテラン司書が、現場を離れていくことになる。その方々が獲得し蓄積してきたノウハウが、今まさに、失われつつある。
特にレファレンスには、長年の経験が必要とされている。資料の知識、インタビューのスキル、業界内外とのコネクション、皆、一朝一夕には得られない。経験こそ貴重な財産。だが、それは司書一人ひとりの所有物なのだろうか。
確かに、長年努力して研鑽を積んだのは一人ひとりの司書。しかし、少なくともレファレンスは、質問してくださるお客様がいて、初めて成立するもの。レファレンスの経験の蓄積とは、いわば、司書とお客さまとの共演が生んだ宝物だ。ベテラン司書が欠けることで、その宝物が失われてしまうとしたら、こんなに悲しいことはない。
音楽家は、楽譜を残すことで、自身の仕事を後世に伝えている。楽譜がなければ、どんなに素晴らしい音楽も、その場限り。財産として後世に伝わることはない。司書の仕事も、できる限り記録して、残し伝えていくべきだ。マニュアルでも、レファレンス記録でも、パスファインダーでもいい。ベテラン司書は自分の、そうでない司書はベテランから聞きだした、この貴重な暗黙知を、どんな形でもいいから文字化して、残して欲しい。できれば、お客様とも共有できる形で残せたら、なお良い。
資料を次代のお客様に残すことは、図書館の使命の一つ。ならば、資料を効率よく使うためのノウハウを、次代のお客様のために伝え残しておくのは、当然のこと。ともすれば、その場限りのものとなりがちな司書のパフォーマンス(功績)が、いたずらに失われてしまうことのないよう、切に願う。
2011-01-15
司書とクレドとレーゾンデートル
雑記 |
職場で、クレドを作ろうという話が出た。クレドといえば、たしか、リッツ・カールトンってホテルが有名だったな、と思いだして、年末に、『リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間』を読んでみた。
うーん、とうならされることの多い本だったのだけれど、とりあえずクレドの作り方については、まず、自分たちは何者なのかを突き詰めよ、とある。なるほど、司書とは何かってわけだ。そういえばドラッカーも同じようなことを言ってたなと思いつつ、つらつら考えてみる。
本や情報を扱うプロ、本と人を結びつける存在。うーん、なんか一言二言でわかりやすく言い表せないかなあ。ガイドとか、水先案内人(ナビゲーター)とかはすぐ思いつくけれど、なんとなく「誘導する」というイメージが強い気がする。ソムリエなんかさらにエラそうだし、コンシェルジュほどいろんなことができるわけでもない。
あくまで、活字と情報探しのエキスパートとして、陰ながらサポートします、という姿勢を表現したい……と考えて、思いついたのは、「道路標識」。指し示しはすれど、それ自体は強制しない。空気のようにそこに存在して、道に迷ったときだけ目に入るもの。ただ、一方通行とか一時停止とか、何気に見逃して痛い目見ることが多いから、道路標識って正直あまりいいイメージじゃない。語呂も悪いし。ま、それは道路標識のせいじゃないんだけど。コンパスとかのほうが良かったかしらん。
いずれにせよ、「私たちは道路標識です」なんてクレドもあんまりだから、ちょっとペンディングして、もう少し考えてみることにする。
2010-12-31
2011年に向けて(ほぼセルフ激励文)
雑記 |
このブログを始めて、ほぼ一年が経過しました。何事にも冷め易く飽きっぽい当方がここまで続けてこられたのは、こんな世迷言でも目を通してくださる皆様のお蔭です。あらためてお礼申し上げます。
さて、先日、某講習会用の自己紹介シートを書いていて、2010年は何一つ創造的な業務をしてない、ということに気づき、ちょっと落ち込んだ。「最近の取組・業績」の欄に書くことが何もない、とほ。
でも、いろんなお話を伺い、いろんな本を読み、ちょっとした戯言も書いて、自身に蓄積されてきたものはあるように(あるいは、あるはずだと)思う。年明けから年度末に向けて、やらなくてはいけないことが多々あるので、とりあえずそれに邁進しなくては。
おそらく、2010年は、当方自身にとっても、当方の職場にとっても大きな転機の年になるはず。今までの殻を脱ぎ捨てたときに、何が現れるのか。蛹の中のどろっとした液体が、最終的にどんな形に固まるのか。まだ得体が知れないけれど、せっかくのウサギ年、ぴょんと飛躍する年にしたいと思う。
ま、さいしょから気張ることはないか……。えらい人もこういってるし。
まあ、いいわ…大切なのはスタートじゃなくて、フィニッシュだってことくらい昔から知ってるもの…
ペパーミントパティ
http://twitter.com/SNOOPYbot/status/15305123102203904
2010-12-21
書架整理とペンキ塗り
雑記 |
以前も書いたけれど、当方の職場では毎朝、職員が分担して書架の点検作業をする。その昔、業務の合理化とやらで、この作業を止めてしまおう、という話が出たこともあったのだけれど、お客様に乱れた棚を見せるわけにはいかない、というわけで(?)、今も続いている。個人的には、こんな楽しいひと時がなくなったら、毎日の仕事が味気ないだろうな、と思う。
何しろ、月替わりで、開架の棚を少しずつ、本とにらめっこしながら整頓作業をするわけだ。興味のある分野の棚はもちろん、普段全く目の向かない棚も、毎日毎日、半強制的に眺めていると、自然に、なんだか面白そうだなと思える本や、これ読んでなかったと思う本が、二、三日に一冊くらいの割で見つかる。さっそく借りたり、カーリルの「読みたい」リストに放り込んだりしておく。たぶん、本好き、読書好きにはたまらない作業。図書館勤めならではの特権というべきか。
なんとなく、トムソーヤのペンキ塗りのくだりを思い出した。あれは、めんどくさい手伝いを舌三寸で友だちに押し付ける話だったけど、朝の書架整理は、めんどくさいどころか、誰かに譲る気なんてさらさらない。おはじきだのドアノブだの、いくら積まれても、こればっかりは、ねえ。
